14.フィオナの目
ギルドの喧騒は、以前とは少し違って聞こえる。俺がこの建物の中にいることが、誰にとっても当たり前になりつつあった。見習いとしての初仕事は、単なる一度きりの成功ではなく、俺の居場所を少しずつ確かなものにしていた。そして、その変化を最も敏感に察知していたのが、フィオナだった。
「カイン、今日の報告書は完璧だ。特に、あの契約書の解釈の仕方は、まるで法廷で弁論しているかのようだ」
フィオナが、真新しい羊皮紙を机に広げながら、感嘆の息を漏らした。彼女の口調は以前よりも柔らかく、懐疑的な響きはほとんど消え去っていた。
「ただの知識です。前世で学んだことですから」
俺は少し照れながらも、素直に答えた。前世の知識を異世界で使うのは、まるで魔法のように自然に感じられるが、それを「知識」と呼ぶのは少し物足りない。それは、俺自身の研鑽の賜物だ。
「知識だけじゃない。それを、目の前の現実と結びつける力。それこそが、この世界で必要なものだ」
フィオナはそう言って、俺の目を見つめた。その視線は、もはや疑念ではなく、ある種の尊敬と、理解の入り混じった複雑な感情を湛えていた。彼女は、俺が単なる「還り子」の子供ではなく、自らの力で世界を動かせる存在だと、ようやく受け入れ始めたのだ。
俺たちは、ギルドの片隅にある休憩スペースで、次の案件について話し合っていた。それは、比較的規模は小さいが、複数の商人が複雑に絡み合った、納期に関するトラブルだった。
「今回の依頼人は、少し神経質だ。彼らは自分たちの都合の良いように、契約の細部を捻じ曲げようとしている」
俺は、依頼人の話を聞きながら、頭の中で既に複数の契約書のパターンをシミュレーションしていた。前世の経験が、まるで高速で処理されるデータのように、目の前の情報と結びついていく。
「彼らの主張は、Aという契約に基づいている。しかし、Bという補足条項が、そのAの解釈を覆す可能性がある。もし、Bを優先するならば、Aの特定の文言が適用外となる」
俺は、具体的な条項を引用しながら、論理の連鎖を説明していく。それは、まるで複雑なパズルのピースを一つずつ正しい位置に嵌めていく作業のようだった。
フィオナは、ただ静かに耳を傾けていた。彼女は、俺が感情的にならず、常に冷静沈着に物事を処理していく様子に、次第に心を惹かれていた。彼女自身、ギルドの現場で多くのトラブルに巻き込まれてきたが、カインの持つ論理的なアプローチは、彼女がこれまで経験してきた、感情論や力による解決とは全く異なる次元のものだった。
「カインは、本当にすごい。まるで、世界そのものを読み解いているみたいだ」
フィオナが思わず口にした言葉に、俺は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。それは、褒め言葉であり、同時に、俺の存在が彼女の心に深く浸透し始めている証拠でもあった。
「ただの読み方です。前世で学んだことですから」
そう言いながらも、俺の心の中では、新たな決意が芽生えていた。俺は、この世界でただの「知識」を披露するだけでなく、その知識を「人」のために使う。それは、前世の弁護士としての使命感と、この世界で得た仲間たちとの絆が、奇跡的に交差した瞬間だった。
その時、ギルドの扉が勢いよく開き、ヴァルダスが豪快な笑みを浮かべて入ってきた。
「おやおや、カイン。随分と楽しそうじゃないか」
ヴァルダスは、俺の様子を見て、満足そうに頷いた。彼は、俺が単なる見習いではなく、ギルドの未来を担う存在になりつつあることを理解しているようだった。
「ヴァルダスさん」
俺は立ち上がり、礼を述べた。
「今日の案件は、無事に解決しました。フィオナも、私の分析に感心しているようです」
ヴァルダスは、フィオナの顔を一瞥し、満足げに笑った。
「ああ、そうだろう。お前は、ただの若造ではない。このギルドにとって、必要な存在だ」
その言葉は、俺の心に確かな自信を与えた。俺は、この世界で、ただの傍観者でいるつもりはない。理不尽な力に屈するのではなく、知識と論理をもって、正義を勝ち取る。それが、俺の信条だ。
フィオナは、そのやり取りを静かに見つめていた。俺と目が合うと、彼女は肩をすくめてみせた。半年前なら、あの目にはまだ疑いがあった。今はない。疑いの代わりに何が入ったのかは、まだ俺には分からなかった。
その日の帰り際、フィオナが書類を運ぶのを手伝った。
階段の途中で、彼女が「持てる?」と聞いた。俺は「持てます」と答えた。半年前なら、彼女は聞かずに全部自分で運んでいた。
たったそれだけのことが、その日はやけに嬉しかった。




