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零時のログ  作者: 橋本陽


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【第17章 重りに辿り着くまで】

 全員出られる。

 その事実は、安心ではなく、違和感を残した。


 結菜はレバー室から廊下へ出て、しばらく動けなかった。

 固定具に重りを掛ければ、誰も残らなくていい。

 なら、なぜ峰岸は「最後に残る二名」と言ったのか。

 なぜ“残る前提”を植えたのか。

 前提が嘘だったなら、峰岸の言葉は何だったのか。


 静香が言った。

「分かったでしょ。“残る”は必要ない」

 必要ないのに、必要だと思い込ませる。

 それは、透明化テストの条項と同じ匂いがする。

 拒否は放棄。沈黙は不誠実。

 必要ないのに、必要だと言われる。

 言われると、従うしかなくなる。


 結菜は廊下の掲示板の前に立った。

 非常用具一覧。

 ここに「重り×2」と書いてあるのを、結菜は“最初から”見ていた。

 見ていたのに、意味を与えていなかった。

 意味を与えなかったのは、情報を増やすと疑いが増えるからだ。

 疑いが増えると、誰かを裁きたくなる。

 裁きたくなる自分が怖かった。


 でも、今は違う。

 “残る必要がない”という事実が出た。

 事実が出たなら、次は——

 その事実が最初から隠されていた理由を掘る必要がある。


「重り、最初から書いてあった」

 結菜が言うと、梨央が眉を寄せた。

「じゃあ、私たちが気づかなかっただけ?」

 修が小さく言った。

「気づくべき人だけが気づくように書いてある」

 修の言葉に、結菜は背中が冷えた。

 気づくべき人。

 それは、選別だ。

 選別は、合意の偽装と相性がいい。

 選別があると、強い人の言葉が正しくなる。


 静香が淡々と言った。

「重りの場所も、最初から用意されてたはず」

 峰岸が何も言わない。

 何も言わないことが、肯定に見える。

 沈黙を罪にしない、と決めたはずなのに、沈黙がここでは“都合の良さ”に見えてしまう。

 結菜は拳を握った。

 裁くな。

 条件を守れ。

 自分で置いた枠に、まず自分が従え。


 結菜は固定具をもう一度見た。

 金属の輪に、細い擦れ跡がある。

 何度も重りを掛けたときの摩耗痕。

 つまり、固定は初めてじゃない。

 “使える”ではなく、“使っていた”。


「これ、摩耗してる」

 結菜が言うと、梨央が近づいた。

「ほんとだ……」

 修が目を伏せた。

「……だから、分かる人は最初から分かる」

 修の声は苦い。

 修は“分かっていた”側だ。

 分かっていたのに、言わなかった。

 言わなかったのは、優しさかもしれない。

 優しさは構造を温存する。


 結菜はゆっくり息を吐いた。

 優しさを裁かない。

 でも優しさの形が、また同じことを起こすなら、形を変える必要がある。

 それが静香の言う“条件”だ。


「重り、非常用具庫にあった」

 梨央が言う。

「でも、あれを“隠す意味”がないよね。書いてあるんだから」

 結菜は首を振った。

「書いてあるのに気づけない場所に書く意味はある」

 静香が頷いた。

「見つけた人が“自分で気づいた”って思うため」

 結菜の胸が痛んだ。

 自分で気づいた。

 その感覚があると、人は納得する。

 納得は、人を従わせる。

 従わせるのは支配に近い。

 再発防止の名で支配をしてしまう危険を、結菜は感じた。


 結菜は峰岸を見る。

「……誘導した?」

 峰岸は一拍置いた。

「情報は掲示しました」

 掲示した、で責任を逃がす。

 便利な言葉。

 結菜はそれ以上詰めない。詰めれば裁きになる。

 代わりに、次の事実へ進む。


「重りがあるなら、“二人残る”は嘘」

 結菜が言う。

「嘘なら、もう一つ嘘がある」

 静香が淡々と言った。

「時計」

 結菜は静香を見る。

 静香は続けた。

「時計が正しい前提で、ログが正しい前提で、誰かを疑わせた」

 結菜の喉が乾いた。

 時間。

 時間がズレると、罪が作れる。

 罪が作れると、誰かを押し出せる。

 押し出しは、透明化テストの核心だった。


 結菜は廊下の時計を見上げた。

 秒針が正確に音を刻む。

 でも正確さは、誰かが守っている正確さだ。

 守っている者が、基準を握っている。


 結菜は言った。

「ログ、館内時計基準だった。館内時計が進んでたら……」

 静香が頷いた。

「ログの00:00は、実は23:57」

 梨央が目を見開いた。

「じゃあ、違反者って断定も嘘?」

 静香は淡々と言った。

「断定の前提が崩れる」

 結菜は息を吐いた。

 前提が崩れる。

 前提が崩れたとき、人は次の前提を探す。

 その前提が“犯人”になりやすい。

 犯人を作らない、と合意した。

 だから、次に作るのは“条件”だ。


 結菜は峰岸を見る。

「記録、見せて」

 峰岸が答えない。

 沈黙。

 沈黙を罪にしない。

 結菜は自分の中で条件を反芻し、言い直した。

「……見せるか見せないか、拒否していい。でも拒否は放棄じゃない」

 峰岸のまぶたが僅かに動いた。

 拒否は放棄じゃない。

 その一言で、峰岸は“拒否しても悪になれない”世界に置かれた。

 峰岸はゆっくり息を吐いた。


「——ご案内します」

 峰岸が言った。

 結菜は思った。

 これが条件の力だ。

 支配ではなく、枠。

 枠があるから、拒否が拒否のままでいられる。


 廊下の足元灯がふっと明るくなった。

 誰かが動いたわけじゃない。結菜たちが動いている。

 動きはログになる。

 ログは裁きにもなる。

 裁きにしないのは、こちら側の条件次第だ。


 結菜は雨の音を聞きながら、思った。

 重りを見つけたのは、脱出のためじゃない。

 “押し出しの前提”を壊すためだった。

 次は時間の前提を壊す。

 前提が壊れた先に残るのは、恋愛の勝敗ではない。

 境界線だ。


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