表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
零時のログ  作者: 橋本陽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/36

【第18章 第二どんでん返し】18-1

 重りで固定されたレバーは、引かれたまま微動だにしなかった。

 さっきまで「最後に残る二名」という言葉が喉の奥に鉛みたいに沈んでいたのに、いまはその鉛が溶けていく感覚がある。溶けたあとに残るのは軽さではない。空洞だ。

 前提が崩れると、人は別の前提を探し始める。別の前提を探すと、また誰かの言葉が“正しい”になる。

 静香はそれを止めたいと言った。条件を作る、と。


 結菜は廊下に出て、壁の時計を見上げた。秒針は正確に音を刻む。

 カチ、カチ、カチ。

 正確さが嘘に聞こえた。正確であるはずがない。電波も入らない山の中で、正確に揃い続ける時計など。

 揃い続けるには、誰かが揃え続けている必要がある。

 揃え続けている者が、基準を握っている。


「……ねえ」

 結菜が呟くと、静香が隣に立った。

「気づいた?」

 静香の声は淡々としている。

 結菜は頷いた。

「時計。……これ、正しい前提でみんな喋ってた」

 静香は小さく頷いた。

「うん。正しい前提で喋ると、正しい罪が生まれる」

 正しい罪。

 矛盾しているのに、その言い方が胸に刺さる。

 罪が生まれるのは、いつだって“正しい”顔をしている。


 梨央が廊下へ出てきた。頬が赤い。怒りなのか、寒さなのか、焦りなのか。

「全員出られるならさ」

 梨央は言った。

「昨日のログとか、どうでもよくない?」

 どうでもよくない、と結菜の中で反射が起きた。どうでもよくない。ログは封筒の一枚を抜いた人の動きを示しているかもしれない。ログは「誰かが動いた」ことを確定させる。確定は刃になる。

 刃がどうでもよくない。

 結菜はその反射を飲み込み、言い換えた。

「どうでもよくないけど、意味は変わった」

 梨央が眉を寄せる。

「意味?」

 静香が代わりに言った。

「“0時以降に出た違反者”って意味は、もう崩れてる」

 梨央の目が鋭くなる。

「どうして」

 静香は淡々と言った。

「館内時計が進んでるから」

 梨央が言い返す。

「それは知ってる。三分でしょ」

「“三分だから大したことない”って思うでしょ」

 静香は言った。

「でも、三分は“罪を作る”のに十分」

 結菜の胸がきゅっと縮んだ。

 三分。

 たった三分で「0時以降」になる。たった三分でルール違反が成立する。たった三分で誰かを悪者にできる。

 その悪者を作ると、安心できる。

 安心のための悪者。

 透明化テストの構造。


 航が廊下に出てきた。目が落ち着かない。

 航は静香を見て、低い声で言った。

「……三分のズレは、昔からだよ」

 結菜の心臓が跳ねた。

 昔から。

 航は知っている。知っているのに言わなかった。沈黙した。沈黙は不誠実——その言葉が喉まで上がってきて、結菜は歯を食いしばって引っ込めた。

 裁かない。まずそれを守る。

 守る、と言う自分がまた便利な言葉を使っていると気づいて、結菜は息を吐いた。


 静香が航に言った。

「昔から、ね」

 静香は航を責めない。責めない代わりに、淡々と確定させる。

「この宿の時計が“基準”であることを、あなたは知ってた」

 航は口を開きかけて閉じた。

 沈黙。

 沈黙が罪になる空気が立ち上がりかけ、静香がすっと手のひらを上げた。制止の形だ。

「いま沈黙を罪にしない」

 静香は言った。

 結菜はその一言に救われるようで、同時に苛立った。静香はやはり支配する側に立てる人だ。支配を終わらせるために支配の形を使う。

 矛盾しているのに、いまはそれしかない気もする。


 静香は峰岸の方を見た。

 峰岸は廊下の端、掲示板の前に立っている。何も言わない。何も言わないのに、そこにいるだけで場が整う。管理する人の存在は、沈黙でも命令になる。


「峰岸さん」

 静香が呼ぶと、峰岸は淡々とこちらを向いた。

「時計の調整記録、見せて」

 峰岸のまぶたが僅かに動いた。嫌だ、とは言わない。拒否しない。拒否しない代わりに、“条件”を置く。

「必要ですか」

「必要」

 静香は言い切った。

 必要という言葉も便利だ。便利な言葉を静香も使う。使うのに、静香はそれを自覚している顔だ。自覚して使う便利な言葉は、さらに強い。


 峰岸は一拍置き、頷いた。

「こちらへ」

 峰岸は階段を下りた。一定の歩幅。一定の音。

 結菜は静香と視線を交わした。

 静香が小さく言う。

「いまから、時間が反転する」

 反転。

 方舟型の反転は、人数の反転だと思っていた。

 違った。時間も反転する。

 時間が反転したら、昨夜のログの意味が全部入れ替わる。



 ロビー奥の“記録”の部屋。

 峰岸は棚から薄いバインダーを取り出し、机に置いた。表紙に「館内時計調整」とある。

 静香が開く。結菜も覗き込む。梨央も。修も。航は少し離れて立っている。逃げ道の位置だ。


 バインダーには手書きの記録が残っていた。

 日付と、「停電復旧後、館内時計を手動調整」「基準:携帯端末の時刻」といった文言。

 そして——

 「+3分(目視誤差)」

 と書かれている。


「目視誤差、ね」

 静香が小さく言った。

「目視で三分ズレた。ズレたまま“基準”にした」

 結菜は喉が乾いた。

 ズレた基準。

 ズレた基準が正しいことになる。

 ズレた基準で、人を裁ける。

 裁けば安心できる。

 安心のために、ズレた基準を利用する。


 静香は続けた。

「ログも館内時計。つまり——」

 結菜が答えた。

「00:00は、実際は23:57」

 梨央が息を呑む。

「じゃあ、0時以降じゃない」

 静香は頷く。

「そう。違反者は“確定”じゃない」

 結菜は胸の奥がざわつく。

 違反者が確定じゃないなら、昨夜の“罪”の矢印が一つ折れる。

 折れると、矢印は別の方向へ向かう。

 別の方向は、ページを抜いた行為そのものへ向かう。

 ページを抜いたのは修。修は認めた。

 でも修は悪者になれない。修は優しさで抜いた。

 悪者になれない実行者がいるとき、空気は次に“悪者にしやすい人”を探す。

 悪者にしやすい人。

 沈黙する人。

 航。


 結菜はその連想を止めた。

 裁かない。

 条件。

 静香の目的は告白ではなく条件だった。なら、ここから先は“誰が悪い”ではなく“どうすれば再発しない”へ向かうべきだ。

 でも現実は、空気が勝手に“誰が悪い”へ戻ろうとする。戻ろうとする力を止めるのが、いちばん難しい。


 静香は峰岸に言った。

「制御盤ログ、実時刻に換算しよう」

 峰岸が淡々と言う。

「換算の必要はありません。基準は館内時計です」

 静香が峰岸を見た。

「基準の話じゃない。——“事実”の話」

 峰岸は答えない。答えない沈黙は、ここでは無言の抵抗だ。

 結菜は思った。峰岸は“基準”で人を動かす側だ。基準を疑われると困る。困るということは、基準が武器だったということだ。


 結菜が口を開いた。

「ログ、三回。00:00、00:04、00:10」

 結菜はノートの計算を思い出して言った。

「実時刻なら、23:57、00:01、00:07」

 梨央が目を見開いた。

「00:01……」

 修が小さく息を吐いた。

 航が顔を上げた。

 静香が言った。

「そう。——00:01は“証言が割れる時間”」

 結菜の背中が冷たくなった。

 証言が割れる時間。

 昨日、結菜が見た気がする時刻は23:56だった。航も光を見たと言った。

 0時前後に見えるのは、館内時計とスマホのズレがあるからだ。

 誰かが“0時以降だった”と言えば、その人は基準を利用している。

 誰かが“0時前だった”と言えば、その人は基準を疑っている。

 どちらも正しさになり得る。正しさは人を動かす。


 静香が、梨央を見た。

「梨央。昨日、『0時1分には部屋にいた』って言ったよね」

 梨央の顔が強張った。

「言った」

「その時計、どっち?」

 梨央は一拍置いて答えた。

「……スマホ」

 静香が頷く。

「スマホの00:01は、館内の00:04」

 梨央の喉が鳴った。

 静香は続ける。

「ログ00:04に、廊下足元灯が点いてる」

 梨央が言い返す。

「だからって、私が廊下にいたって決めつけないで」

 静香は首を振った。

「決めつけない。——ただ、あなたの『00:01に部屋にいた』は、ログと同じ窓にいる」

 結菜は息を止めた。

 静香は罠を張っているわけじゃない。事実を繋いでいるだけだ。

 でも繋がれた事実は、人を追い詰める。追い詰めると、沈黙が罪になる。

 静香はそれを止めたいはずなのに、事実の連結は止まらない。事実は止まらない。止められるのは、空気の使い方だけだ。


 修が小さく言った。

「……じゃあ、ログ00:00は23:57。0時前」

 修の声が震えている。震えているのは罪悪感か、恐怖か。

 静香が頷く。

「そう。——違反という前提は崩れる」

 結菜は思った。

 前提が崩れる。

 前提が崩れたとき、人は次の前提を探す。

 次の前提は、ページを抜いたことが“悪”だという前提かもしれない。

 でも修は悪になれない。

 次の前提は、航の沈黙が“悪”だという前提かもしれない。

 それがいちばん危ない。

 沈黙を罪にする構造を、静香は終わらせたいのに、いま空気は沈黙を罪にし始める。


 結菜は静香を見た。

「……どうするの」

 静香は即答した。

「条件を先に置く」

 結菜の胸が痛んだ。

 条件。

 条件を先に置けば、空気が暴走する前に“枠”を作れる。

 枠を作るのは支配だ。

 でも支配を止めるには、枠が必要だ。

 矛盾している。矛盾の中でしか生きられない。


 静香が言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ