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零時のログ  作者: 橋本陽


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23/36

12-2

「それ、誰が言い出したの」

 静香は答えない。答えないのに、視線が航へ向く。航は窓の外を見ている。

 結菜は航を見る。航は結菜を見ない。

 沈黙。

 沈黙が罪になる空気が、いま立ち上がっている。


 静香が言った。

「ここからが“再現”」

 静香は淡々と、テーブルの上の紙片を指で押さえた。

「いま、この場でも同じことが起きてる。航が沈黙して、梨央が守って、修が丸めて、峰岸が正しさを用意して、そして結菜さんが——正しい言葉で背中を押しそうになってる」

 静香は結菜を見る。

「押す?」

 結菜の胸が熱くなった。

 押す? と問われた瞬間、結菜の中に答えが立ち上がる。

 押す。

 押してしまう。

 押さないと、曖昧なままになる。

 曖昧なままは怖い。

 だから、結菜は正しさを言って、相手を動かそうとする。

 それが、二年前に誰かを壊したのだとしたら——。


 結菜は拳を握った。

 沈黙するな。沈黙は罪にされる。けれど、いま沈黙したい。沈黙したいのは、言葉を出した瞬間に“構造の役割”に乗ってしまうからだ。

 結菜は息を吐いて、言った。

「……私は、押したくない」

 静香の目がわずかに揺れた。

 揺れたのは驚きではない。評価だ。

「押したくない、ね」

 静香は頷いた。

「じゃあ、押さない練習をしよう」

 練習。

 静香は本当に、ここを実験室にしている。


 梨央が結菜に言った。

「結菜、もうやめよう。……これ以上、結菜に背負わせない」

 背負わせない。

 守る。

 梨央の善意の言葉が、また結菜を縛る。

 結菜は梨央を見る。

「背負うのは、私だけじゃない」

 結菜は言ってしまった。

 言ってしまった瞬間、静香の口角がほんの少しだけ動いた。

 結菜は自分が“正しい”を言ってしまったことに気づく。背負うのは私だけじゃない、は正しい。正しいから、梨央を追い詰める。

 結菜は慌てて言い足した。

「……責めたいわけじゃない」

 責めたいわけじゃない、と言い足すのは、責めたと自分でも思ったからだ。

 結菜は自分が嫌だった。


 静香が淡々と言った。

「責めたいわけじゃない、って言葉も便利」

 梨央が静香を睨む。

「そればっかり」

 静香は梨央を見て、初めて少しだけ声の温度を上げた。

「便利な言葉で人を動かしてきたから、ここまで来たんでしょ」

 ロビーが静まった。

 峰岸さえも口を挟まない。

 修は俯いたまま、両手を握りしめている。

 航は、まだ窓の外を見ている。

 沈黙。

 沈黙が罪になる空気が、いま最も濃い。


 結菜は思った。

 これが透明化テストの核心だ。

 相手の沈黙を“誠実でない”と見なして動かす。

 動かすために、正しい言葉を使う。

 正しい言葉は、否定しづらい。否定しづらいから、拒否できない。拒否できないから、同意になる。

 同意はこうして作られる。

 同意は、合意ではないのに。


 結菜は静香を見た。

「……抜かれた一枚には、何が書いてあるの」

 静香は答えない。

 答えないのは、勿体ぶりではない。いま出せば、航が壊れるか、梨央が壊れるか、修が壊れるか、結菜が壊れる。

 静香は壊したいんじゃない。終わらせたい。

 終わらせるために、壊れ方を選んでいる。


 静香は結菜に言った。

「今は、まだ言わない」

 結菜の中に反発が湧いた。言わないのは支配だ。言わないことで相手を動かすのも支配だ。

 結菜はその反発を飲み込み、代わりに言った。

「じゃあ、いつ言うの」

 静香は即答した。

「全員が“自分の言葉”で話せるようになったら」

 自分の言葉。

 結菜は航を見る。航はまだ沈黙している。

 沈黙が罪になる空気が、いまにも航を押し潰しそうだった。


 その瞬間、宿のどこかで、風に叩かれる音が強くなった。

 窓ガラスが鳴る。

 雨が本格的に降り出したのだと分かった。


 峰岸が、初めて少しだけ急いた声で言った。

「今夜中に、動作確認だけは済ませます」

 今夜中に。

 またその言葉。

 静香が峰岸を見る。

「今夜中に、ね」

 峰岸は目を逸らさない。

「はい」

 静香は小さく頷いた。

「——じゃあ、今夜中に“終わらせる”」

 結菜の背中が冷えた。

 終わらせる。

 終わらせるために、何をする。

 何を終わらせる。

 終わるのは、恋か、関係か、言葉か。


 結菜は思った。

 透明化テストは、境界線を公開させることで“見えないもの”を見えるようにする。

 でも見えるようになったものは、守られない。

 見えるようになった瞬間、責められる。

 責められるから、誰かが抜く。

 抜くから、また見えないものが増える。


 この宿は、見えないものを増やすためにあるのか。

 それとも、見えないものを終わらせるためにあるのか。

 結菜にはまだ分からない。


 分からないまま、結菜は立ち上がった。

 自分の言葉で話す必要がある。

 静香が求めているのはそれだ。

 峰岸が用意しているのも、それだ。

 梨央が怖れているのも、それだ。

 航が避けているのも、それだ。

 修が抜いたのも、それだ。


 結菜は唇を噛み、言った。

「……航。私、あなたの沈黙を、罪にしたくない」

 その言葉は、優しさの顔をしていた。

 優しさの言葉も、便利だ。

 便利な言葉でまた構造を作ってしまうかもしれない。

 それでも、結菜は言わずにいられなかった。


 航が、初めて結菜を見た。

 目の奥が揺れている。

 航は口を開きかけた。

 そして、閉じた。


 沈黙。

 沈黙が罪になる空気が、いま最大になる。


 静香が、静かに言った。

「ほら。——同じことが起きてる」


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