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零時のログ  作者: 橋本陽


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【第7章 ログ開示】7-1

 制御盤は、受付カウンターの裏にあった。


 峰岸は「点検です」とだけ言って、ロビー奥の扉を開けた。扉の向こうは第5章で通った“施設の廊下”に繋がっている。生活の匂いのしない白い灯り。

 結菜、梨央、静香、修、航——五人が廊下に並ぶ。峰岸だけが先頭を歩く。歩幅が一定だ。一定の歩幅は、迷いがない人の歩き方でもあるし、迷いを見せないための歩き方でもある。


「ここ」

 峰岸が立ち止まり、壁の一部を指した。木の板張りの壁に、取っ手のない小さな扉が埋め込まれている。扉の脇に「照明制御」と小さく書かれていた。

 峰岸は鍵を回した。鍵がある。鍵がある扉は、鍵の持ち主が世界を管理する扉だ。結菜は喉が乾く。


 扉が開くと、黒い盤面と小さなモニターが現れた。モニターには文字が並んでいる。

 静香が一歩近づいた。峰岸はそれを止めない。止めないことが、許可だ。許可が、合意になる。


「廊下の足元灯は、人感センサーと連動しています」

 峰岸は淡々と説明する。

「人が通れば点灯し、一定時間で消灯。——点灯の履歴はここに残ります」

 梨央が言った。

「音は鳴らないんですよね」

「鳴りません。音は宿泊者の安眠を妨げますので」

 峰岸はそう言って、モニターのスクロールを指で操作した。


 結菜はモニターを凝視した。文字は乾いている。乾いた文字ほど、人を罰するのに向いている。

 ログの一覧は「Corridor-2F」や「Corridor-1F」といった記号と時刻、そして「ON」。

 峰岸が表示を止めた。

「昨夜の履歴です。——こちら」

 画面に三つの行が並ぶ。


 00:00 Corridor-2F ON

 00:04 Corridor-2F ON

 00:10 Corridor-2F ON


 結菜の胸がひゅっと縮んだ。

 00:00。00:04。00:10。

 館内時計で0時以降、廊下に人がいた。三回。

 そう見える。

 そう見えた瞬間、結菜の中で“違反者”という言葉が形を取り始める。形を取らせたくないのに、形が勝手に起き上がる。


「……三回」

 梨央が呟いた。声が少し震えている。

「一回じゃない。往復?」

 修が小さく息を吐いた。

 航はモニターを見たまま動かない。静香だけが、表情を変えない。


 峰岸は淡々と付け足した。

「点灯は“人が通った”ことを示すものです。どなたかの特定まではできません。——ただ、昨夜二階廊下で移動があったことは確実です」

 確実。

 確実という言葉が、刃になる。

 結菜はその刃の手触りを知っている。確実なものがあると、人は安心して誰かを疑える。疑いは、ルールの形をした正義になる。


「0時以降、出た人がいるってこと?」

 梨央が言った。

 峰岸は頷いた。

「館内時計では、そうです」

 “館内時計では”。

 峰岸は、言い方を選んでいる。選んでいることが怖い。

 結菜は思わず聞いた。

「館内時計では、って……」

 峰岸は結菜を見た。目は淡々としている。

「館内時計が基準です」

 それだけ。言い換えれば、ログも館内時計基準。基準がズレているなら、ログもズレる。

 結菜の中で、昨夜のスマホの時刻——23:56が浮かぶ。

 もし館内時計が三分進んでいるなら、ログの00:00は実際には23:57。

 0時以降とは限らない。

 けれど——今はその反論を口に出すと、場が荒れるのが分かっていた。反論は、誰かを守る言葉にもなるし、誰かを庇う言葉にもなる。庇いは疑いを増やす。


 梨央が言った。

「誰かが、封筒に触ったんだよね」

 結菜の胸が痛む。封筒。欠けた一枚。ページ番号の飛び。

 静香が淡々と返す。

「触った、というより——“抜いた”」

 梨央が噛みつくように言う。

「抜いたなら、犯人だよ」

 静香は目を逸らさない。

「犯人って言葉、便利だね」

 梨央が言い返す。

「便利でも、必要」

 静香は小さく頷いた。

「必要。そうやって必要を作る」

 言葉が刃になる瞬間だった。


 航が初めて口を開いた。

「……もう、やめよう」

 声が低い。制止というより、逃避に聞こえる。

「誰かが出たとしても、目的は……」

 航は言いかけて止まった。主語がない。目的が何なのか言わない。言わないまま、場の空気だけを丸めようとする。

 結菜は喉の奥が熱くなるのを感じた。

 まただ。

 結菜の中の“正しい”が起き上がりそうになる。起き上がったら、きっと航を追い詰める。


 峰岸が淡々と口を挟んだ。

「皆さま。誤解のないように。私は誰かを責めるためにこれを提示しているのではありません」

 責めるためじゃない。

 その言葉は、責めるための前置きにも聞こえる。

 峰岸は続けた。

「事実を共有するためです。——そして、夜間のルールに関する注意喚起」

 注意喚起。

 峰岸は、ここで“ルール”を強調する。ルールは、場を支配するのに最も都合がいい。


 静香が言った。

「事実を共有するなら、もう一つ共有しよう」

 静香は結菜を見た。

「結菜さん。昨夜、あなた、何時に光を見た?」

 結菜の心臓が跳ねた。

 自分が証言させられる。証言は責任を生む。責任は罰になる。罰は安心を生む。

 結菜は喉が詰まるのを感じた。


「……0時、だった気がする」

 結菜は答えた。

 答えた瞬間、梨央が「ほら」と言いかける。修が目を伏せる。航が結菜を見た。峰岸の顔は変わらない。静香だけが頷いた。


「“気がする”」

 静香は復唱した。

「それで十分。人はそれで、誰かを罰する」

 梨央が苛立った声を出した。

「罰するんじゃなくて、守るため」

 静香が返す。

「守るため、って言葉も便利」

 梨央が立ち上がりかけた。

「静香、今それ言う?」

 静香は静かに言った。

「今言うために来た」


 空気が割れそうになった。

 結菜は思った。静香は意図的に割ろうとしている。割れた空気の裂け目から、見えないものを引きずり出すために。

 引きずり出すものは、封筒の抜けた一枚かもしれないし、航の沈黙かもしれないし、梨央の“守る”かもしれない。

 そして、結菜の“正しさ”かもしれない。


 峰岸が乾いた声で言った。

「本日、静香さまが到着された時点で、皆さまの滞在目的は共有されております。——『関係の精算』」

 結菜の背中が冷えた。目的は共有されている。共有されているなら、同意は取れている。

 同意は取れてます。

 昨日の言葉が蘇る。


 梨央が吐き捨てるように言った。

「精算って、何を」

 峰岸は答えない。答えないことが答えだ。言語化されていない目的ほど怖いものはない。

 静香が代わりに言った。

「“沈黙が誰かを殺す”構造を」

 結菜は息を止めた。

 殺す。

 静香が言うと、それは比喩じゃなくなる気がした。

 航が小さく呻いた。呻きは言葉ではない。言葉ではないから、責任を持たない。責任を持たないから、静香の言う“構造”が再生産される。


 修がようやく口を開いた。

「……静香、それは」

 静香は修を見て、淡々と言った。

「あなたが一番分かってるはずだよ。——“丸める”ってどういうことか」

 修の顔がほんの少しだけ歪んだ。

 結菜はそれを見た。修は感情を出さない人だと思っていた。出さないのではなく、出せないのかもしれない。出した瞬間に、自分が崩れるから。


 峰岸は制御盤の扉を閉めた。カチ、と小さな音。扉が閉まる音は、議論の扉を閉める音にも似ている。

「昼食まで、自由時間とします」

 峰岸は淡々と言った。

「ただし、今夜に備えて——」

 梨央が遮った。

「今夜って、何。何が起きるの」

 峰岸は一拍置いて言った。

「天候が荒れます。山道が塞がれる可能性があります」

「可能性、ね」

 静香が小さく言った。

「可能性って言葉も便利」

 梨央が唇を噛む。

 結菜は思った。静香は、便利な言葉を全部解体したいのだ。便利な言葉が、人を縛るから。



 部屋に戻る廊下で、結菜は壁掛け時計を見上げた。

 針は正確に音を刻んでいる。正確すぎる。

 結菜はスマホを見た。やはり三分遅い。

 三分。たった三分で、ログは罪を作る。


 結菜は自室の襖を開け、畳に座った。

 封筒は保管箱にある。中身は欠けている。欠けている一枚が、誰かの“優しさ”で抜かれたのだと静香は言った。

 優しさ。

 もし抜いたのが優しさなら、抜いた人は悪人ではない。悪人ではないのに、抜いた。抜いたのは、内容が危ないから。

 危ない内容は何だ。

 結菜は想像しそうになる。想像がいちばん危ない。


 襖の外で足音が止まった。

 ノック。

 航だった。


「……結菜」

 航の声が低い。

「さっき、答えさせてごめん」

 結菜は返事ができなかった。ごめん、と言えるのに、主語を言わない。謝るのに、何をしたか言わない。

 航は続けた。

「静香は……俺のせいじゃない」

 結菜は顔を上げた。

「俺のせいじゃないって、何が」

 航は沈黙した。沈黙。

 結菜の中で、“沈黙は不誠実”という言葉が勝手に形を取りかける。

 結菜は拳を握った。握って、自分を止める。今ここで正しさを振り回したら、静香の言う構造に自分が加担する。


 結菜は低く言った。

「ログ、00:00だった。……でも、私のスマホは23:56だった」

 航は眉を寄せた。

「……三分」

「うん。——だから、0時以降じゃないかもしれない」

 航は息を吐いた。安堵の息に見えた。

 結菜の胸が痛む。

 安堵していいのか。ルール違反じゃないなら、安心していいのか。

 安心した瞬間、問題がすり替わる。違反かどうかではなく、封筒の一枚を抜いたことが問題なのに。


 航は小さく言った。

「じゃあ、誰も違反してない」

 結菜は首を横に振った。

「違反してない、じゃない。——“動いた人がいる”」

 航は黙った。

 結菜は思った。航は“違反”という言葉が嫌いなんじゃない。違反という言葉が、責任に繋がるのが嫌なのだ。


 廊下の向こうで、足元灯がふっと点いた。

 昼間なのに。

 結菜は立ち上がり、襖を開けた。

 廊下の端に修が立っていた。

 修は結菜と目が合うと、すぐ視線を逸らした。

 そして、淡々と言った。


「……そのページ、見つかるといいですね」


 結菜の背筋が冷えた。

 見つかるといい。

 修は、ページが抜かれていることを知っている。

 知っているのに、何も言わない。

 言わないのが、優しさなのか。

 優しさが、構造を温存するのか。


 結菜は思った。

 ログは、誰が動いたかを示すだけで、誰がページを抜いたかは示さない。

 けれど、ログがあることで、人は“誰か”を罰せる。

 罰せるために、ページを抜くことだってできる。

 人は、正しさのために、証拠を作る。


 静香の言葉が、胸の奥で響いた。

 「“気がする”で、誰かを罰する」


 結菜は、罰したい自分がいることを認めたくなかった。

 でも、認めない限り、自分はまた同じことをする。

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