【第4章 深夜の足元灯ログ】4-1
灯りが点いたのは、ほんの一瞬だった。
結菜は最初、自分の目が疲れているだけだと思った。山道の運転、慣れない空気、言葉にならない違和感。それらが重なれば、視界の端に何かが走ったように見えることだってある。
けれど、目を閉じて開けたあとも、廊下の暗さの質が変わっていた。暗いのに、暗さが“戻った”みたいな手触りがある。灯りが消えたあとの闇は、ただの闇より濃い。
結菜は布団に入れずに、畳に座っていた。背中を柱に預け、膝を抱えている。部屋の灯りは消してある。消してあるから、わずかな変化に気づいたのかもしれない。
窓の外は真っ黒。風の音が、木を擦る。
航は隣の布団に横になっている。目は開いているように見えるが、天井を見ているだけで何も言わない。言わないことが、ここでは意味を持つ。結菜はそう思ってしまう。
廊下の足元灯が点いた——気がした瞬間、結菜は反射的に息を止めた。音はしない。足音も聞こえない。だからこそ、灯りだけが不気味に際立つ。
結菜は身体を起こし、襖に手を伸ばした。開けたい。確かめたい。確かめた瞬間に、戻れなくなる。そんな気もする。
手が止まる。止まったまま、結菜はスマホを取った。圏外。時計だけが表示される。
画面の時刻は、23:56。
結菜は顔をしかめた。
廊下の時計が、さっき——十時過ぎに見たときは三分進んでいた。なら、館内時計は今、23:59か、もう少しで0時。
0時。
「0:00以降(館内時計)廊下に出ない」
掲示板の字が脳内に浮かぶ。足元灯が点いたのがいまなら、廊下に出たのは0時前か0時後か。たった三分で、善悪が入れ替わる。
結菜は襖を少しだけ開けた。
廊下は暗い。足元灯は点いていない。
しかし、廊下の空気に“人”の気配が残っている気がする。残っている気がするだけだ。結菜は自分の想像力を恨んだ。想像力は、正しさと同じくらい人を追い詰める。
襖をそっと閉めると、航が小さく言った。
「今、見えた?」
結菜は振り向いた。
「……見えた?」
「廊下、光った」
航の声は低い。確認する声だ。確認する声は逃げ道を塞ぐ声でもある。
結菜は頷いた。頷いた瞬間、自分が証人になった気がして嫌だった。
「誰か、出たのかな」
結菜が言うと、航は黙った。黙って、枕元の時計——ない。航もスマホを見た。
「……もう0時?」
航は言いながら、結菜のスマホの画面を見た。23:56。
航は眉を寄せる。
「館内時計、進んでるんだっけ」
「三分」
結菜は答えた。自分が言っている。三分が、ここでは刃だ。
航は布団から起き上がり、襖に手をかけた。
「見てくる」
「……やめて」
結菜は咄嗟に言った。止めたのは航が危ないからではない。航が廊下に出たら、航が“違反者”になってしまうからだ。違反者になったら、ここで航に“責任”を負わせる口実が生まれる。
そして、その口実をいちばん上手く使うのは——結菜だ。
結菜は自分が怖かった。
航は手を止め、結菜を見た。
「……俺じゃない方がいい?」
航の言い方が、結菜には刺さった。俺じゃない方がいい? その問いの裏に、「俺は信用されてない?」が薄く見える。
「違う」
結菜は否定した。でも否定はいつも遅い。否定した瞬間、否定しなければならない疑いが存在したことになる。
航は襖から手を離し、布団に戻った。
結菜は胸の奥がひりつくのを感じた。いま何かが起きた。起きたのに、確認できない。確認しないことで、むしろ意味が増える。
灯りが点いた。誰かが廊下に出たかもしれない。0時を跨いだかもしれない。ルールを破ったかもしれない。
——合意があれば例外。
合意は控えの提示で代替する。
その控えを持っているのは、全員だ。
結菜は布団に入った。入っても眠れない。目を閉じると、保管箱の引き出しが脳内で開いた。封筒。自分の封筒。奥に滑らせた封筒。
誰かが、あれを開ける想像が勝手に湧く。
封筒の封を切る音。紙が擦れる音。
音はないはずなのに、音が聞こえる。
結菜は耳を塞いだ。




