策戦
天文一八年九月 摂津国武庫郡 瓦林城
元服することが決まってからは早かった。準備に追われるうちに儀は済み、私は瓦林甚五郎元堯を名乗って瓦林城に詰めることとなった。
傅役だった大叔父上と源太郎はそのまま私の与力に、長左衛門だけは私の直臣となってくれている。この三人を中核として家臣を増やしていけ、ということなのだろう。
これまでもそうであったが、若くして領地を戴くというのは中々の重圧だ。前世の記憶と頼りになる家臣がいる分楽という見方もあるかもしれないが、それでも心配事の種は尽きない。何しろ世は戦国乱世なのだ。何が起きてもおかしくはない。
この日は父上が瓦林城を訪れていた。父上は私を元服させて以来、三日に一度は瓦林城に足を運び、私に意見を述べさせている。政から軍事、果ては芸事にまでおよび、およそ数え六歳の子供とするような内容ではないことも少なくなかった。
私の秘密に勘付いておられるのではないかと疑ったこともあったが、どうやらそういう訳ではないようだ。
「坂本の公方様方だが、お主ならばどうする?」
「さて……」
瓦林城の一室で、私は父上と膝を詰めて話をしていた。議題は将軍足利義藤様たちをどうするのか、についてだ。細川右京大夫晴元は義藤様とそのお父君である前公方足利義晴様を伴い、近江国坂本で徹底抗戦の構えを見せている。
「私の見るところ、方針は四つございます」
「ふむ。……申してみよ」
「はっ。まず一つは今の公方様を廃し、三好家が新たに将軍を擁立することでございます。候補としては平島公方家か、大和の一乗院様か。名分としては細川右京大夫殿に与同して畿内の静謐を乱した、というところになりましょうか。……ただ、これをすれば六角は間違いなく動くでしょうし、北丹波、河内も恐らく動くでしょう。即ち下策中の下策にございます」
将軍を廃する、という言葉に父上が目を剥いたが、私は敢えて知らぬふりをした。
「二つ目は兵を起こして坂本を攻める、というものでございます。今ならば丹波は波多野、内藤が抑えてくれておりますし、河内は智様の御義父君である遊佐新次郎殿が抑えております。挙兵の名分は先程と同じでよろしいかと」
河内守護代の遊佐新次郎長教殿は智様の義理のお父君であり、父上とは同年代ながら舅にあたるお方だ。畿内の実力者であり、父上とは何度か敵対しながらも手を結ぶなど、時勢を読む目も持っておられる。こちらが優位である今ならば、戦力として数えても問題ないだろう。
「ただ……先ほどの案に比べれば成算は高いですが、戦を以て解決を図ることで此方の名分も弱くなります。更に言えば、六角もこれ以上面目を潰されては近江の統治にも差し障ると見て、これまでにない勢いで掛かってくることは必定。被る損害を考えれば、これもまた下策と言えましょう」
父上の面に苦い色が差した。おそらく、私も同じ顔をしていただろう。兵とは人であり、すなわち領民、国の基だ。徒に損耗していいものではない。
「三つ目はこのまま放置する、という案です」
「放置?」
「父上は細川次郎殿と共に上洛なされたと聞いております。愚考するに、次郎殿を立てて京洛の実効支配を固めるお積もりなのでしょう。これを一歩進め、坂本方への圧力とするのです。“お前達が居なくても京洛の政は滞ることなく回っているぞ”とね。そうなればあちらも焦るでしょうし、いずれは暴発して挙兵、或いは和睦ということもあり得ましょう。ただ、いささか時が掛かりすぎるやもしれませぬが」
父上の表情は悪くない。乗り気なのだろう。
「どれほどの時が掛かると見ているのだ?」
「一年か、二年か。あちらの我慢強さ次第でしょうが、恐らくはその辺りが目安となるかと考えております。ただ、時が我らにのみ利するとは限りません。何か不測の事態が起きることも十分にあり得る以上、これは中策でございます」
「成程。ではお主の考える上策とは?」
「坂本におわす公方様との講和でございます。上手く纏まれば戦をすることなく公方様を京へ迎えられる上、右京大夫殿を押し込める事ができるやもしれません」
父上の眉が僅かに動くのが見えた。そう虫のいい話があるわけがない、とでも言いたげだ。だが、細い筋だが通せない程ではないと私は考えている。
「先ずは近江の六角弾正少弼殿に文を出されませ。ここと話をつけなければ何も始まりませぬ」
「筋は悪くないが……六角弾正少弼、乗ってくると思うか?此度の戦で息子が面目を失しておる。巻き返しを狙ってくるとは考えられぬか?」
「その可能性も無いとは言えませんが、些か条件が悪いのではないかと思います。六角が戦をするとすれば戦場は近江と山城の国境になるでしょう。丹波は南側が三好家の勢力圏になっておりますし、北側の旗印となるべき右京大夫は坂本。河内も多少の手当てをするだけでいいとなれば、我らの方が相当に有利であることは弾正少弼殿とて理解している筈」
「では乗ってくるか」
多少は悪くない案だと思い始めたのかもしれない、父上が僅かに身を乗り出してきた。
「話の持って行き方次第かとは思います。公方様を擁しているという一点を見れば六角の優位、しかしそれを名分に使って兵を挙げたとしても勝算が薄いとなると、差し引きで見れば持て余しているだけと取ることもできます。六角家としてどう考えているのかは分かりかねますが、名目上公方様に洛中へお遷りいただく、という形で和睦を結ぶことには同意してくれるかと」
つまり体のいい厄介払いだ。六角としては家中の動揺を鎮める時間を得、三好は公方様という鬼札を得る。これだけを見れば六角の損だが、公方様は三好に対していい感情を持っている訳ではない。後々の火種となる可能性は十分にあるだろう。
自分の手元にあっては浮き札に過ぎないが、相手に送り込めば泣きどころにもなりうる。そう考えれば呑めない話ではないのだ。父上もそれに思い至ったのだろう。幾分渋いながらも納得したような表情をしている。
「問題は右京大夫か。あれは権力に取り憑かれた魔物のような男よ。そう簡単に今の地位を諦めるとも思えん」
“管領にもなっていないのに幕府の第一人者面などしおって、滑稽なことよ”と父上が吐き捨てるように言い放つのを聞きながら、私も考えを巡らせる。
細川右京大夫晴元。彼の行状に対する評価はひとまず措くが……政権を奪い取る才はある。だが、それを保ち、政権内部を束ねる才に欠ける――私にはそう見えた。
家督争いと政争に明け暮れてきたせいか、中長期の視座に乏しい。目先の妙手と見れば、味方を切って敵と手を結ぶことすら厭わぬ。まるで戦争の下手な侯万景――宇宙大将軍などという大層な称号を名乗って思うままに暴れまわり、最後には近侍にまで見捨てられた愚か者だ――のような男だ。
父上が右京大夫のことを蛇蝎の如く嫌っているのも、何も親が自殺に追い込まれた恨みだけというわけではない。あの男を信用できないという現実が根底にあるのだろう。
その思いは父上だけではない。三好家中、いや……恐らく右京大夫の与党を除く細川家臣の大半が抱いているのだろう。だからこそ、江口の戦いであのような結果を招いたのだ。
「右京大夫殿は出家剃髪の上で京兆家の家督を次郎殿に譲っていただく。此度の騒乱の責めを負っていただかねば、天下に示しがつかないでしょう」
暫し瞠目していた父上だったが、深く息を吐いて頭を振った。否ということだろうか。まあ、そのままでは確実に通らない条件ではある。
「ところで、次郎殿にはお子がおられるのでしょうか?」
「おられぬが……まさかお主、聡明丸を次郎殿の養子にと考えているのか?」
「さほどおかしな事ではございますまい。次郎殿が京兆家の家督を継ぐ以上、後継がいないとなっては余計な疑心を生みかねませぬ」
ずいと身を乗り出すと、それに圧されたように父上が僅かに退いた。理屈は通っている。否定はできないのだろう。
「それに、聡明丸様は弾正少弼殿の御息女と右京大夫殿との間に生まれたお子。これを次の京兆家を継ぐお方として立てれば、弾正少弼殿の心を解す一助となるばかりか、右京大夫殿にとっても意地を張りづらい状況になるのでは、と思いますが」
「それはそうだが、問題は次郎殿にお子が生まれた場合のことよ。そこはどうする?」
「生まれたのが女子ならば聡明丸様の許嫁とすれば宜しいでしょう。一度分かたれ、相争った京兆家が再び一つに纏まるのです。誰も否とは言いますまい。男子であれば……それはその時に、改めて話し合いの場を設けるということにいたしましょう。次郎殿の奥方様におかれましては、未だ御懐妊の様子もございませぬ。今のうちから決めてしまうと、右京大夫殿か次郎殿のどちらか、或いは双方に不満が生じることになりますから」
父上は顎に手を当てた姿勢のまま動かない。私としては言うべきことは言ったので、あとは父上のご決断次第という心持ちだ。姿勢を正し、じっと父上の言葉を待った。
「……分かった。ひとまず次の評定で皆に和睦について諮ってみることにする。ご苦労だった」
通ったか。頭を下げながら内心でホッと息を吐く。和睦を選ぶ理と利は説いたが、それを感情が拒むことは十分にあり得ることだった。それを捻じ伏せたのだから、やはり父上もまた傑物ということだ。
「和睦を進めるのでしたら、瀬踏みは早いほうが良いでしょう。それと、前左府様にもお力添えを願った方が宜しいかと」
「前左府というと、今出川様か」
今出川公彦様は弾正少弼殿の甥にあたるお方だ。朝廷筋からの働きかけでもあり、親戚筋からの働きかけにもなる。十分な効果があるだろう。
「……成程、それは妙手だ。甚五郎、お主に説得は任せるぞ」
「は?」
「今動かせるのはお主しかおらんだろう」
「それはまあ、そうですが……」
「叔父御と源次郎は評定があるゆえ越水城に来てもらうが、長左衛門はお主の直臣だ。あれは公家とも繋がりがある故な、連れて行って役に立てることだ」
……これは、面倒なことになった。去ってゆく父上の背を見送りながら、私はしばらく呆然としていた。




