尋問
天文十八年(一五四九年)七月 摂津国武庫郡 越水城
「波多野孫四郎殿が三好家の傘下となり、伊丹次郎は降伏した。摂津衆で残っているのは茨木と塩川くらいなものだが……連中も気落ちしていよう、そう時を掛けずに降伏するか逃げ出すかするだろう」
「フン、これで太郎左衛門尉も大人しくなろうというものよ。全く清々するわ」
大叔父にして私の傅役を務めてくれている三好孫七郎康長が地図上の駒を指しながら言うと、もう一人の傅役である能勢源太郎頼幸が忌々しげに鼻を鳴らし、吐き捨てるように応じた。
「それにしても、よもや波多野が軍門に下るとは。……これも千満丸様の想定通りということですかな?」
「そこまで想定していたとなれば、私は差し詰め張子房か諸葛孔明が如き神算鬼謀の持ち主ということになるな、長左衛門」
「左様にございますな」
滅多なことを問いかけておいて無責任に笑うのは、三人目の傅役である大饗長左衛門正虎。今は私に書を教えてくれている。
「残念ながら、そこまでは考えていないさ。お方様の危機感と孫四郎殿が三好家に、もっと言えば父上に付くことがどれだけの利益を生むと考えているか……その濃淡によって結果は変わるだろう、とまでは考えていたけれどね」
私が想定していたよりも清様は強い危機感を覚えていて、孫四郎殿は三好家を高く買ってくれていたということだ。この結果は最大限上振れたものと見て良いはずだ。
伊丹次郎との交渉の場にも摂津の池田弥太郎長正殿と共に臨席して、随分と援護をしてくれたと聞く。利益を最大化するためだろうが、それだけ働いてくれれば父上も悪い気はしないだろう。
「なるほど。……それにしても、若様のお書きになる漢籍はまことに流麗でございますな。それに比べると和書の方はどうにもいけませぬなぁ」
適当にしていたわけではないのだが、何とも手厳しい評価を頂戴してしまった。どれどれと覗きに来た源太郎が「某よりも上手でございますぞ」と慰めてくれたが、大叔父上にはは「お主と比べれば寺の小坊主でも書聖と讃えられるだろうよ」などと、にべもなく切り捨てられてしまった。
「済まないな、長左衛門。しかしこればかりはどうもなあ……」
長左衛門に謝りながら溜息を吐く。和書は手習いを始めてまだ三年ほどだ。対して漢籍は二十年ばかりの長がある。それ故流麗に書けるのも当たり前のことなのだが……これは秘中の秘だ、とても口に出せるものではない。
誰にも、それこそ兄上や二親にも話していない私の秘密。それは前世の記憶があるということだ。
前世の私が生きていたのは今より遡ること大凡九百年ほど昔の唐土の地にあった斉という国だ。日本の人々は北斉と呼んでいるらしいが、それはさておき。
私は斉の皇族として生を享けた。姓は高、諱は粛、字は長恭。高氏の嫡流でありながら皇統ではない自分の立場に不満を抱いたことはなかったし、長じては軍を率いて乱世の一統を我が国によって成し遂げんと奮戦してきたつもりだった。
だが、私の生涯を閉ざしたのは主君の疑心であり、そして主君から賜った鴆毒だった。毒杯が届いた時は仕え甲斐のない主君だと思ったものだが、だが前丞相殿の言う通り、私にも血の近さに対して無頓着なところはあったのだろう。
だからだろうか、鴆毒を呷る段になっても然程怒りは湧いてこなかった。湧き上がった思いといえば、
「もしも次の生というものがあるのならば、忠義を尽くすに足る主君を得、その主君と共に天下を一統する戦に身を投じたい」
という願いくらいだった。毒が回り、思考が徐々に薄れてゆく感覚は死を強く実感させた。そのせいか、再び目が開いた時には何かの冗談ではないかと思ったほどだ。赤子になっていたというそれ以上の冗談が待っていたのだが。
この状況こそ天の配剤だと確信を得たのは生を享けてから暫く後、周囲の状況を把握できるようになってからのことだ。世は乱世、そして主家のために戦う体を装いながら、強かに勢力を伸ばしている三好家。そこに前世の記憶を持って生まれたことに、私は運命を感じずにはいられなかった。
「ま、気長にやることにするさ。全く筋が無いという訳でもないのだろう?」
「それは勿論でございます。あと何年かすれば書の道だけで食べていけるほどにはなりましょう」
「それで口に糊する必要がある状況なら、その時にはまず間違いなく私の命は無かろうさ。つまり無用の仮定ということだ」
私が笑うと長左衛門も苦笑いを浮かべる。いずれにせよ真面目にやらねば長左衛門も面目が立たんだろうな、などと考えていると、若い武士がやってきて廊下に控えた。
大叔父上が誰何したところ、やはりというか父上付きの近習だった。私だけを呼んでこいと言われたらしい。急な呼び出し、それも傅役は伴うなともなると穏やかではない。大叔父上と源太郎、長左衛門も訝しげな表情だ。
「父上がお呼びとあらば何を押しても行くべきであろう。案内せよ」
傅役三人を敢えて視界に入れず、私は近習について部屋を出た。
――――――
案内された部屋に入ると、そこには父上が一人きりで端坐していた。人払いがされているのか、私を連れてきた近習も既に姿を消している。
「三好千満丸、参上致しました。お呼びと聞いておりますが、何か御用でもございましたか?」
私が問いかけるが、父上は黙したまま答えようとしない。ただ手の中にある扇子を弄ぶだけだ。
もう一度同じことを問いかけるが相変わらずの無言。これは黙っていたほうがいいと察し、私も黙って待つことにした。
「……清に手紙を出すよう言ったのはその方だと聞いた。真か?」
どれほど経っただろうか。漸く口を開いた父上が言葉少なに問いかけてくる。
「左様でございますが」
「誰の入れ知恵だ。孫七郎か、それとも長左衛門か?」
候補にも挙がらない源太郎に内心同情を覚えつつ、私は表情を消して父上の様子を観察する。淡々と問うているだけ、事実関係を確かめようとしているだけに見える。いや、私がそう見たいだけか?鋭さを見せる庶弟が邪魔になると見ているのではないか?……いずれにせよ、ここで誤魔化しの言葉を口にすることに何らの意味もないことは確かだ。誠実の一手で押し切ったほうが後々の印象も良いだろう。そもそも、私には主家簒奪の野心など無いのだから。
「いえ、自分で考えたことにございます。大叔父上と長左衛門に確認を取っていただいても構いませぬ」
きっぱりと言い切ると、父上が顎に手をやって考える素振りを見せた。再び声をかけられるのをじっと待つ。
「此度の結果を見越しての策か?」
「いえ、あれは上々吉の類でございましょう。私は丹波方面が少しでも安定すること、そしてそれが兄上のためになると思ったからこそお方様に進言しただけでございます」
苦笑いしながら答えると、父上はフンと鼻を鳴らして私を見た。私の言葉に含まれる虚実を見極めようとしているのだろう。
「千熊丸の為、か。その方、本心でそれを申しておるのか?真に兄に取って代わろうなどという野心を持っておらぬと?」
空気が張り詰めるのを肌で感じる。父上も乱世の男だ。嫡流を脅かすものには一切の容赦をしない、その覚悟が言葉尻から滲み出ている。
「無論にございます。私は半隠軒宗三の孫にして細川右京大夫の義理の孫でもあります。斯様な身の上の者が三好家の当主に立ったところで、家中は割れるだけにございましょう。……それらを差し引いても、兄上を押しのけるつもりなど毛頭ございませぬ。私は兄上が好きなのです。あのお方を当主と仰ぐことに一つの不満もございません」
きっぱりと言い切ると、父上は目を瞬かせた。余程意外なことを言われたとでも言いたげだが、これは紛うことなき私の本心だ。
「必要ならば起請文でも血判状でも書きますが」
「その必要はない。……そうか、それほどの覚悟か」
再び思索に耽り始めた父上だったが、今度はすぐに顔を上げた。
「その方は今年中に元服させる」
「……は、元服でございますか?私はまだ数えで六歳でございますし、長幼の序が崩れることにもなりますが」
「只の六歳がそのように尋常な受け答えをし、尋常ならざる謀を思いつくものか。それに、ただ元服させるのではない。その方には元服の後、瓦林家を再興させる」
聞き覚えの無い家名だ。首を傾げると父上が口の端を吊り上げた。
「瓦林家は摂津の国衆でな、瓦林城の他にこの越水城を建てるなどして勢威を振るった一族だ。細川武蔵守の被官だったのだが、武蔵守の勘気を被って一族郎党族滅されておる。今から二十年ほど前のことだな」
三好家からは出すが、断絶した家の再興という大事を任せる。差し引きで見れば信用しているという姿勢に見えるだろう。それに家の再興は摂津の国衆に対する懐柔策と見ることもできる。なるほど妙手を考えるものだ。
「畏まりました。若輩にして非才の身ではございますが、身命を賭して御役目を果たしまする」
「本当に良いのか?あと何年かすれば千熊丸の元服だ。その後であれば三好の姓で元服することも出来よう」
質問の意味が分からず首を傾げる。本気かを確かめているのだろうか?
「兄上のお役に立つのであれば、三好の家名に拘りはございませぬ」
はっきりと言い切って頭を下げると、視界の端で初めて父上が満足気に頷くのが見えた。
摂津瓦林家は史実だと元亀元年までは残っていますが、この世界線では既に滅亡しているという設定です。




