E-④
気が付けば。
すでに日が傾き始めていた。
「さて、そろそろタイムリミットも近づいてきたね」
「誰かさんが何時間もまともに動きませんでしたからね?」
「誰かさんって誰だよー!」
ブハハハ! とセネトが笑う。
「無敵かこいつ?」
「まぁ、それはともかく」
セネトが森を見渡す。
「今日の目標は一応達成してるから、もう帰ってもいいんだけど」
「えっ?」
チャミナが振り返る。
「討伐対象、まだ狩れてませんよね?」
「そっちは出来たらいいなー、くらいだったから」
「そうなんですか?」
「今日の目標は実戦経験を積むこと」
セネトが笑う。
「さっきの戦いで、嫌ってほど刻まれたでしょ?」
「…………」
チャミナの脳裏に蘇る。
殺意。
恐怖。
肌が粟立つような緊張感。
一歩間違えれば。
二度と生還できなかった。
今までの人生で、一度も味わったことのない経験。
それはもう。
身体の奥まで、刻み込まれていた。
「でも……」
チャミナは弓を握る。
「ギルドの一員として」
そして。
「受けたクエストは、最後までやり遂げたいです」
「へぇ……」
セネトが目を細める。
恐怖を知らない者が、勇者なのではない。
恐怖を知った上で。
それでも前へ進もうとする者こそ――。
「それなら」
セネトが森の奥を指差した。
「もうちょっと奥まで行ってみようか」
「はい!」
二人は森の奥へ進んでいく。
そして。
しばらく歩いたところで。
「……運が良いのか、悪いのか」
「?」
セネトが立ち止まる。
「あそこ、見てみなよ」
「……?」
木々の隙間から見えたのは――。
「……なんですか、あれ」
体長およそ二メートル。
全身を硬い毛皮で覆った巨大な猪。
その周囲を。
狼型の魔物の群れが取り囲んでいた。
「グルルルァ!!」
ウルフが飛び掛かる。
牙が。
爪が。
ワイルドボアの身体へ食い込む。
だが――。
「ぶおおおおおおお!!!」
ワイルドボアが吠えた。
次の瞬間。
ドゴォン!!
一匹のウルフが木に叩きつけられる。
さらに身体を反転。
ブンッ!!
後ろにいたウルフの頭を前脚で踏み潰す。
「きゃううん!」
残ったウルフたちは。
勝ち目がないと判断したのか、一目散に森の奥へ逃げていく。
「がぁふっ! がぁふっ!」
ワイルドボアは。
逃げた狼達を追うこともなく。
その場で倒したウルフの死体を貪り始めた。
「…………」
チャミナは。
その光景をじっと見つめる。
「……やっぱ帰りません?」
「プライド何処行ったのー!」
セネトがゲラゲラと笑った。
「さっきまであんなにカッコよかったのに!」
「いや無理でしょあれ!!」
「ハッハッハ!」
「笑ってないで帰りましょうよ!!」
「いやー、それも難しいんじゃないかな?」
「なんで!」
「そりゃ――」
セネトが後ろを指差す。
「こんだけ騒いでたらね」
「……?」
振り返る。
そこには。
先ほどの戦闘で気が立っていたのか。
あるいは、食事を邪魔されたことが気に障ったのか。
この一帯のヌシ。
そう呼ぶに相応しい巨体が――。
猛烈な勢いで迫ってきていた。
ドドドドドドドドド!!
「……」
「……」
チャミナとセネト。
顔を見合わせる。
ワイルドボア・ジャイアント【ランクD】
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理ー!!!!」
「どうやら」
セネトが笑う。
「運が悪い方だったみたいだねー」
「笑ってる場合じゃないですよぉ!!」
二人は全力で走った。
走った。
走ったが――。
ドドドドドドドドド!!
「速ぇぇぇぇぇ!!」
当然。
猪の脚力に、人間が勝てるはずもない。
あっという間に距離を詰められる。
「きゃあぁぁぁぁ!!!」
「ぐわぁぁぁぁ!!!!」
「セネトさーーーん!!!」
「お腹が空いてきたーーー!!!」
「朝飯私が食べちゃいましたからね!」
「ごめんなさいね!でも今言うことじゃねー!!」
ズドォォォォン!!
「ぐわぁぁぁぁぁぁ!!!」
ワイルドボアの突進。
セネトの身体が宙を舞う。
「セネトさーーーん!!」
チャミナが振り返る。
「ど、どうすれば……!」
その時。
「――チャミナ」
「えっ?」
空中で。
セネトが笑った。
「一回だけ、チャンスをあげるよ」
「……え?」
「ちゃんと仕留めてね」
「えっ!?」
キラリ。
セネトの左手。
そこに嵌められた指輪が。
淡い光を放つ。
――瞬間。
ピタッ。
「……え?」
宙に浮いたセネトの身体が。
止まった。
そして。
突進していたワイルドボアも。
止まった。
「…………」
否。
止まったのは、二人だけではない。
風も。
木々も。
舞い上がった土埃さえも。
すべてが。
まるで――。
時間そのものが凍りついたかのように。
その場で静止していた。
矢を番える。
弓を引き絞る。
狙うは――。
皮膚の厚い胴体ではない。
急所の密集する頭部。
「……ここ!」
ヒュッ!
矢が飛ぶ。
だが。
眉間に突き刺さる直前。
ピタッ。
「……」
止まった。
「……え?」
矢が。
空中で静止している。
「そっか。時間が止まってるんだった」
チャミナは納得した。
ならば。
次。
ギリッ。
側頭部。
ヒュッ!
ピタッ。
「よし」
さらに。
ギリギリまで近づいて――。
喉元。
ヒュッ!
ピタッ。
「……」
チャミナは腕を下ろした。
「いや、いつまで止まってるのこれ!!」
当然。
返事はない。
「おーい!」
セネトは空中で静止したままだ。
「もう弓放ちましたカラー!」
「…………」
「っていうか」
チャミナは上を見る。
「このまま効果が切れたら、頭から落ちるけど……」
セネトの身体は。
見事なまでに逆さまだった。
「この人大丈夫なんだろうか……」
しばらく待つ。
「…………」
動かない。
「おーい!」
返事はない。
「もういいや」
チャミナはセネトへ近づいた。
「指輪抜いたら効果切れるかな……?」
そっと。
左手に嵌められた指輪へ触れる。
――パキッ。
「え?」
超常の力を秘めたリングが。
音もなく。
崩れ去った。
「…………」
ドスン!
セネトが頭から地面に落ちた。
「首がぁぁぁぁぁ!!!」
「あっ」
チャミナが目を丸くする。
「大丈夫じゃなかった」
「ぶもぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
その瞬間。
三本の矢が。
一斉に動き出した。
ズドッ!!
ズドッ!!
ズブァッ!!
一本は眉間。
一本は側頭部。
そして一本は――喉元。
「ぶもおおおおおおおお!!!」
血飛沫が舞う。
頭部を削ぎ。
喉を抉り。
矢はそのまま巨大な身体を貫いた。
「や、やった……?」
チャミナが息を呑む。
だが。
「……」
ワイルドボアは。
倒れない。
「え?」
ゆっくりと。
巨体が持ち上がる。
血を流しながら。
傷口から大量の血を撒き散らしながら。
それでも。
「ぶ……」
その瞳から。
闘志は消えていなかった。
「ぶおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
森の主が。
咆哮する。
「うそ……」
チャミナの手が。
弓を握り直す。
――まだ終わっていない。
この戦いは。
ここからだった。




