E-③
感覚が。
研ぎ澄まされていく。
周囲の音が。
風の流れが。
自分の呼吸さえも。
まるで手に取るように分かる。
時間の流れすら。
ゆっくりになったような気がした。
「……」
こちらへ向かってくるゴブリン。
チャミナは弓を構える。
狙いは――頭。
「……そこ!」
ギリッ。
弦を引き絞る。
指先にかかる力が。
さっきまでとは、まるで違う。
そして。
――放つ。
ヒュンッ!!
ドンッ!!
「ぎゃっ!?」
矢は。
ゴブリンの頭を貫くどころか。
首から上を。
そのまま消し飛ばした。
「うわっ……」
チャミナ自身が驚いていた。
「なんですか……これ」
自分の手を見る。
「なんなんですか、この感覚!」
身体が軽い。
視界が広い。
力が溢れてくる。
「今なら……」
チャミナの目が輝く。
「なんでもできる気がする!!」
「お?」
セネトが眉を上げる。
「もう明後日と言わず、今から決闘に行きませんか!?」
「ほう」
「今ならやれる気がします!」
「うん」
セネトは頷いた。
「分かりやすくハイになってるねー」
「だって!」
「でも一旦落ち着こう」
セネトは肩を叩く。
「まだゴブリン二匹倒しただけだからね」
「……」
「まずは今回の依頼をこなしてからだよ」
「うるせー!」
チャミナが弓を掲げる。
「とっとと戦わせろぉ!」
「案外、心が弱いねー」
「ハッハッハ」
「笑うなぁ!」
だが。
セネトは少し考える。
「でもまぁ」
森の奥へ視線を向ける。
「そんなに戦いたいのなら――」
ニヤリ。
「この状況は、うってつけかもね」
「えっ?」
チャミナが振り返る。
「この状況って――」
「ぎゃおおおおおおおお!!!!!」
森を。
ゴブリンたちの雄叫びが揺らした。
「……え?」
チャミナの顔が引きつる。
気づけば。
二人の周囲。
木々の隙間。
茂みの向こう。
木の上。
そこかしこに――。
ゴブリン。
ゴブリン。
ゴブリン。
無数のゴブリンが。
二人を取り囲んでいた。
「…………」
チャミナは固まる。
「……」
「戦いたいんでしょ?」
セネトが笑顔で言う。
「やりなよ」
「…………」
チャミナの顔から。
さっきまでの威勢が。
すぅーっと消えていく。
「調子こいてすいませんでしたぁ!!」
即座に頭を下げた。
「これは無理です!!」
「素直でよろしー」
「アッハッハ」
「笑ってる場合じゃないですよぉ!!」
その瞬間。
ゴブリンの一匹が。
何かを拾い上げる。
「……?」
チャミナが目を凝らす。
ゴブリンが振りかぶって――。
「ぎゃっ!」
ズドン!!
「うわっ!」
地面が大きく揺れた。
チャミナのすぐ横を。
巨大な石が転がっていく。
「これは石投げゴブリンだねー」
セネトがのんきに解説する。
「迂闊に近づくのは危険だと判断して、こちらを削る作戦らしいね」
「のんきに分析してる場合ですか!?」
次々とゴブリンたちが石を拾い始める。
「結構な数、飛んできてますよ!」
「平気平気」
セネトは手をひらひら振る。
「こいつらノーコンだから、よっぽど運が悪くない限り当た――」
ズドン!!
「めしゃあっ!!」
「うわっ!」
セネトの身体が。
石に潰された。
「言わんこっちゃない!!」
「痛いいぃぃぃぃぃ!!!!!!」
地面から。
セネトの悲鳴が響く。
「もういいよ、それはぁ!!」
「ハッハッハ……」
「笑ってる場合じゃないですよ!!」
チャミナは慌てて弓を構える。
その視線の先。
森を埋め尽くすほどのゴブリンたちが。
次々と石を拾い上げていた。
「…………」
チャミナの額を。
一筋の汗が流れる。
「……セネトさん」
「んー?」
石の下から声だけが返ってくる。
「これ……」
チャミナは弓を握り直した。
「新人研修ですよね?」
「そうだよー」
「…………」
「多分」
「多分!?」
再び。
無数の石が。
二人へ向かって飛んできた。
「ぎゃおおおおおお!!!!!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
ラレッゾの森に。
新人の悲鳴と。
ゴブリンの怒号が。
同時に響き渡った。
石の雨が。
ようやく止んだ。
「…………」
チャミナは荒い息を吐きながら、周囲を見回す。
ゴブリンの群れ。
その数は。
まだ減っていない。
むしろ。
「……え?」
一際身体の大きな個体が。
群れの前へ出てきた。
そして。
片手を。
ゆっくりと振り上げる。
「ぐぎゃ」
――振り下ろす。
「ぐぎゃああああ!!」
ゴブリンリーダーの号令と共に。
数匹のゴブリンが。
一斉にこちらへ突き進んできた。
「くぅっ!」
チャミナは咄嗟に弓を引き絞る。
ギリッ!
「そこっ!」
ヒュンッ!
ドスッ!
「ぎゃっ!」
一匹。
「ぎゃあ!」
二匹。
「ぐぎっ!」
三匹。
だが。
「くっ……!」
倒せたのは。
ほんの数匹だけ。
残ったゴブリンたちは。
止まらない。
「ぐぎゃあぁぁぁ!!」
「ひっ……!」
間一髪。
振り下ろされた棍棒を躱す。
だが。
その攻撃に込められた明確な殺意が。
チャミナの身体を掠めた。
「……っ」
足が震える。
「やだ……」
視界いっぱいに広がる。
ゴブリン。
ゴブリン。
ゴブリン。
「こんなところで……」
チャミナは後ずさる。
「まだ私……」
背中が。
何かにぶつかった。
「……!」
矢筒を見る。
残りは。
あと僅か。
「まだ……何も……」
チャミナは縋るように。
地面に転がっていた大石へ背中を押し付けた。
「セネトさん!」
声を張り上げる。
「逃げましょう!」
「んー?」
「この石!」
チャミナは大石を指差す。
「早く退かしてください!」
「いやー」
セネトは石の向こうから。
いつもの調子で返す。
「こんだけ囲まれてたら、逃げる前に八つ裂きにされるでしょー」
「いつまで暢気にしてるんですか!」
チャミナが叫ぶ。
「禄に戦えもしないくせに!」
「えっ?」
セネトが一瞬黙る。
「そんな風に思われてたん?」
「……」
「SHOCKー」
「いや、実際そうじゃ……」
ヒンッ。
「……え?」
空気を。
何かが裂いた。
次の瞬間。
ズバァン!!
チャミナの背中を押さえていた大石が。
真っ二つに割れた。
左右に分かれ。
ゴロゴロと地面へ転がっていく。
「…………」
チャミナが。
ゆっくり振り返る。
「んー」
セネトが立ち上がった。
「オレ自身は、まともに戦えないんだけどねー」
その右手には。
一振りの長剣。
赤黒い瘴気を纏い。
まるで生き物のように禍々しい気配を放っている。
「うちのギルドには――」
セネトが剣を軽く掲げる。
「腕のいい鍛冶屋がいるんだよね」
長剣から。
ぞわり。
異様な圧力が放たれる。
「邪竜の爪より鍛えられし――」
刀身に。
赤黒い光が走る。
「【憤怒の魔剣】」
そして。
「《グラム》」
「…………」
チャミナは。
言葉を失った。
その剣を見たゴブリンたちも。
「…………」
動きを止める。
先ほどまでの勢いが。
完全に消えていた。
ゴブリンたちは。
理解している。
本能で。
目の前にいる存在が。
自分たちより遥か上の。
何かだということを。
「使用者の怒りを糧にして、力に変える」
セネトは剣を握り直す。
「ウチのコの自信作だよ」
その声から。
先ほどまでの軽さが消えていた。
「お前たち魔族は――」
セネトが。
ゴブリンの群れを見据える。
「いつもオレから、大切なものを奪っていく」
「…………」
「許されると思うなよ」
瞬間。
――ズォォォォォォォォォォォ!!!!
力の奔流が。
森を呑み込んだ。
「ぎゃ――」
ゴブリンたちの声が。
途中で途切れる。
一閃。
ただ。
それだけだった。
周囲を埋め尽くしていたゴブリンたちが。
一瞬で。
消し炭へと変わっていく。
地面が抉れ。
木々が薙ぎ倒され。
森の景色そのものが。
変わっていた。
「…………」
あとに残ったのは。
辛うじて生き残り。
恐怖に駆られて逃げていくゴブリンたち。
そして。
その場にへたり込む。
チャミナ。
「…………」
あまりの光景に。
声すら出ない。
「ふぅ」
セネトは。
何事もなかったかのように剣を振る。
「残った奴らも逃げていったみたいだねー」
そして。
ゆっくりと。
魔剣を鞘へ納める。
「すっ……」
「すー?」
チャミナが震える。
「そんなこと出来るなら――」
ゆっくりと立ち上がる。
「最初からやれーーーー!!!!」
「すっ、は何処行ったのー!」
セネトが腹を抱えて笑う。
「ゲラゲラゲラゲラ!」
「いや! 笑ってないで!」
チャミナは涙目で叫ぶ。
「こっちは本気で死ぬかと思ったんですからね!?」
「いやー、ごめんごめん」
セネトは頭を掻く。
「あんまり使いたくなかったからさ」
「なんでですか!」
チャミナが剣を指差す。
「こんなに強い力があるのに!」
「力を振るうことには」
セネトの表情が。
少しだけ真面目になる。
「責任が伴うからね」
「…………」
「それに――」
魔剣へ目を向ける。
「そんなに安全なものでも……」
「…………」
「ないしね」
「え?」
ドサッ。
「…………えっ?」
セネトが。
その場に倒れた。
「セネトさん!?」
「グラムはねー……」
地面に寝転がったまま。
セネトが呟く。
「使用者の感情を糧にして、その力を振るうんだ」
「感情を……?」
「なので使用後は――」
セネトの顔から。
表情が。
すんっ。
「一切の感情とか」
「やる気とかが」
「無くなるんだ」
「…………」
チャミナは。
セネトの顔をじっと見る。
「うわっ!」
「んー?」
「ホントだ!」
指を差す。
「半魚人みたいな顔してる!」
「ひどくない?」
「いや、だって!」
「…………」
セネトは。
虚空を見つめる。
「なんで人って……争い続けるんだろうね……」
「知らんよ!」
チャミナがセネトの腕を掴む。
「いいから早く立って!」
「んー……」
ぐいぐい。
「オレ……」
「はい?」
「美少女のコーヒーカップになりたい……」
「感情残ってんだろ!」
チャミナが思いっきり引っ張る。
「歩け!」
「はーい……」




