図書室の指定席
図書室の指定席
図書室の一番奥。
窓際の席。
そこは、俺のお気に入りの場所だった。
放課後になると人も少なくなる。
静かだし。
風も気持ちいい。
何より。
彼女がいる。
最初に気付いたのは二年の春だった。
いつも同じ時間。
いつも同じ席。
文庫本を読んでいる女の子。
黒髪。
小柄。
たまに眼鏡。
たまにコンタクト。
それ以外は何も知らない。
話したこともない。
名前すら知らない。
でも。
気付けば俺も毎日図書室へ来るようになっていた。
彼女が本をめくる。
窓から風が吹く。
髪が揺れる。
ただそれだけの光景を見ているのが好きだった。
変な話だ。
自分でもそう思う。
でも、好きになった理由なんて案外そんなものかもしれない。
そして。
季節は流れた。
気付けば三年生。
卒業まで残り一か月。
なのに俺は。
まだ一度も話しかけられていなかった。
「だっさ」
昼休み。
親友の高橋に言われた。
「うるさい」
「一年見てるだけとか何やってんだ」
「仕方ないだろ」
「何が」
「話す理由がない」
「作れよ」
正論だった。
正論だから腹が立つ。
「卒業したら終わりだぞ」
高橋はパンをかじりながら言う。
「もう会えなくなるぞ」
その言葉だけが。
やけに胸に残った。
その日の放課後。
いつもの図書室。
いつもの席。
そして。
いつもの彼女。
だったはずなのに。
「あ……」
彼女の手から本が落ちた。
分厚いハードカバー。
床に音を立てる。
俺は反射的に立ち上がった。
彼女も同時にしゃがむ。
「あ」
「あ」
同じ本に手が伸びた。
二人の指先が触れる。
たったそれだけなのに。
心臓が暴れ出した。
「ご、ごめん」
俺が慌てる。
「いえ」
彼女も少し驚いた顔をしていた。
沈黙。
終わった。
そう思った。
だが。
「その本」
彼女が言った。
「好きなんですか?」
頭が真っ白になる。
話しかけられた。
初めて。
「え?」
「よく読んでますよね」
今度は俺が驚く番だった。
「知ってるの?」
「はい」
彼女は少し笑った。
「いつも向かいにいるので」
世界が止まった気がした。
俺だけじゃなかった。
見ていたのは。
俺だけじゃなかった。
「俺も」
気付けば口が動いていた。
「いつも見てた」
言ってから後悔した。
犯罪者みたいじゃないか。
終わった。
完全に終わった。
だが。
彼女は吹き出した。
「知ってます」
「え?」
「たまに目が合ってましたから」
顔が熱い。
たぶん真っ赤だ。
彼女も少し照れているようだった。
「名前」
彼女が言った。
「知らないですよね」
「あ」
本当に知らなかった。
「西野栞です」
「俺は神谷」
「知ってます」
また驚く。
「なんで?」
「有名ですから」
「そんなことない」
「バスケ部のエースですよ?」
そう言われると少し恥ずかしい。
図書室では関係ないと思っていたから。
窓の外を見る。
夕日が差し込んでいた。
もうすぐ閉館時間だ。
あと何回。
こうして会えるだろう。
「西野さん」
「はい」
「卒業したら」
言葉が詰まる。
怖い。
でも。
今日言わなかったら。
たぶん一生後悔する。
「もう会えないかな」
栞は少し考えた。
そして。
「会えますよ」
と答えた。
「え?」
「会いたいなら」
その言葉に心臓が跳ねる。
栞は鞄から一枚のしおりを取り出した。
青いリボンの付いた手作りのしおり。
本に挟まっていたものだった。
「これ」
「うん」
差し出される。
「連絡先書いてあります」
俺は数秒固まった。
「え」
「卒業したら終わりは嫌なので」
彼女は照れたように笑う。
「私も」
夕日が眩しかった。
いや。
違う。
たぶん今、眩しいのは。
彼女の笑顔だった。
図書室の指定席。
一年間座り続けたその場所は。
ようやく、物語の始まりになった。




