期待値
期待値
結婚相手に求める条件は何ですか。
もしそう聞かれたら、真面目な人と答えるつもりだった。
安定した仕事。
落ち着いた性格。
無駄遣いをしない。
将来をちゃんと考えられる人。
少なくとも昔の私は、そういう人が好きだった。
なのに今、私はパチンコ店の駐車場でため息をついている。
助手席には缶コーヒー。
運転席には真顔の男。
そして後部座席には、今日も負けた私の絶望が積まれていた。
「三万負けた」
「そうですか」
「反応薄くない?」
「想定内だったので」
隣にいる男――高瀬優斗は、ハンドルを握ったまま淡々と言った。
三十二歳。会社の経理部。
趣味は家計簿。
休日はスーパーの特売チェック。
貯金額は「緊急時以外使わないので秘密」らしい。
正直、最初は苦手だった。
真面目すぎる。
堅すぎる。
面白みがない。
私とは正反対の人。
私は二十六歳。
営業職。
仕事帰りにパチンコへ寄るのが習慣になっていた。
競馬も好き。
宝くじも買う。
勝った時の高揚感がたまらない。
負けることも多いけど、それでも次は勝てる気がしてしまう。
「今日は流れ悪かったんだよ」
「毎回言ってますね」
「今日は本当に悪かった」
「先週も聞きました」
ぐうの音も出ない。
優斗と知り合ったのは、会社の飲み会だった。
酔った勢いで私が「ギャンブルは人生のスパイス」みたいなことを語ったら、彼は真顔でこう返した。
「期待値はマイナスですよ」
そこで終わればよかったのに、私は妙にムキになってしまった。
「夢がない!」
「数字です」
「人生は数字じゃない!」
「でも生活は数字です」
そのやり取りを見ていた先輩達が爆笑し、なぜかその後もよく話すようになった。
不思議な関係だった。
価値観は真逆なのに、一緒にいると妙に落ち着く。
優斗は私を頭ごなしに否定しない。
呆れながらも、ちゃんと話を聞く。
そして、時々とんでもなく正論を言う。
ある日、私は酔った勢いで聞いたことがある。
「なんでそんなに貯金するの?」
優斗は少し考えてから答えた。
「安心したいからです」
意外だった。
もっと「将来のため」とか「老後資金」とか言うと思っていた。
「安心?」
「お金があると、何かあっても大丈夫だと思えるので」
「つまんない理由」
「あなたは?」
聞き返される。
私は笑って誤魔化そうとして、できなかった。
「勝つと、自分が選ばれてる気がするんだよね」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
でも優斗は笑わなかった。
「分かる気がします」
「え、分かるの?」
「少しだけ」
その横顔は静かだった。
たぶんこの人も、別の形で不安と戦っているのだと思った。
ある雨の日だった。
私はまた負けていた。
財布の中身はほとんど空。
給料日前。
最悪。
店を出ると、優斗が傘を持って立っていた。
「なんでいるの」
「飲み会の帰りです。たまたま」
絶対嘘だと思った。
でも追及しなかった。
二人で歩く。
雨音だけが響く。
「借金とかはしてませんよね」
突然聞かれて、私はむっとした。
「してない」
「ならいいです」
「信用ないなぁ」
「ありますよ」
優斗は真っ直ぐ前を向いたまま言う。
「だから心配なんです」
胸の奥が少しだけ痛くなった。
駅へ着く。
私は足を止めた。
「ねぇ」
「はい」
「もし私がギャンブルやめられなかったら?」
優斗は少し考えた。
それから、静かに答える。
「一緒にはいられないと思います」
即答ではなかった。
でも、迷いもなかった。
私は笑う。
「厳しいね」
「大事なことなので」
その言葉が、不思議と嬉しかった。
迎合しない。
適当に優しくしない。
本気で向き合ってくれている。
そう感じたからだ。
「でも」
優斗が続ける。
「やめたいと思うなら、手伝います」
私は黙った。
雨はまだ降っている。
街灯の光が濡れた道に揺れていた。
ギャンブルをやめる。
簡単じゃない。
きっとすぐには無理だ。
でも。
この人といる未来を失いたくない。
そう思った。
「じゃあ」
私は小さく息を吐く。
「まずは今月、パチンコ行く回数減らす」
「ゼロではないんですね」
「いきなりゼロは反動くる」
優斗は少し笑った。
「現実的でいいと思います」
その笑い方が、なんだか悔しいくらい優しかった。
電車が来る。
ドアが開く。
乗り込む前に、私は振り返った。
「ねぇ、優斗」
「はい」
「もし私がちゃんと貯金できるようになったら、何かご褒美くれる?」
優斗は一瞬きょとんとして、それから少しだけ照れたように笑った。
「その時は、一緒に美味しいものでも食べに行きましょう」
安い男だな、と思った。
でも。
そんな約束が、今までのどんな大当たりよりも少しだけ楽しみだった。




