犬派と猫派
犬派と猫派
高橋蒼太は、自分が犬派であることに誇りを持っていた。
休日は愛犬とドッグランへ行き、スマホの写真フォルダは犬だらけ。動画サイトのおすすめも犬。SNSで流れてくる可愛い動物動画も九割が犬だった。
だから入社初日の自己紹介で、隣の席の女性がこう言った時には少し驚いた。
「猫が好きです」
それだけならよかった。
問題はその後だった。
「犬も可愛いと思いますけど、やっぱり猫ですよね」
勝ち誇ったような顔で言われたのだ。
蒼太は思わず反論した。
「いや、犬でしょう」
「猫です」
「犬です」
「猫です」
数秒見つめ合う。
まだ出会って十分も経っていない。
なのに蒼太は確信した。
この女とは仲良くなれない。
向こうも同じことを考えている顔をしていた。
彼女の名前は白石紬。
同期として同じ部署へ配属された女性だった。
肩まで伸びた黒髪に涼しげな目元。一見すると落ち着いた大人の女性に見える。
だが騙されてはいけない。
デスクの上には猫のマグカップ。
猫のメモ帳。
猫のキーホルダー。
スマホケースも猫。
パソコンの壁紙まで猫だった。
猫に侵食されている。
蒼太はそう判断した。
一方の紬も負けていなかった。
蒼太のスマホ待受が大型犬だと知ると、「うわぁ」と微妙な顔をした。
「何ですかその反応」
「大型犬って飛びついてくるじゃないですか」
「そこが可愛いんです」
「怖いです」
「猫は引っかきますよね」
「そこも可愛いんです」
「理解できない」
「こっちの台詞です」
そんなやり取りが何度も続いた。
ところが、なぜか二人は営業コンビを組まされることになった。
最悪だった。
少なくとも最初はそう思った。
だが仕事となれば話は別だ。
取引先へ向かう電車の中。
昼食の時間。
車での移動中。
残業後の帰り道。
嫌でも顔を合わせる。
嫌でも会話する。
そして不思議なことに、一緒にいる時間が増えるほど、お互いの印象は変わっていった。
紬は思っていたよりずっと面倒見が良かった。
後輩のフォローも上手い。
困っている人を放っておけない。
気配りもできる。
一方で蒼太も、見た目ほど大雑把ではなかった。
資料の整理は丁寧だし、約束の時間は必ず守る。
誰かが困っていれば自然と手を貸す。
犬派と猫派という致命的な違いを除けば、案外相性は悪くなかった。
そんなある日のことだった。
雨上がりの夕方。
営業先からの帰り道で、紬が突然立ち止まった。
「どうしました?」
振り返ると、彼女は道路脇を見つめている。
視線を追う。
そこには小さな段ボール箱があった。
中では一匹の子猫が震えていた。
濡れている。
痩せている。
明らかに捨てられていた。
紬はゆっくりしゃがみ込んだ。
子猫を抱き上げる手が驚くほど優しい。
「連れて帰りたい」
ぽつりと呟く。
「もう猫三匹いるんですよね?」
「いる」
「大家さんは?」
「怒る」
「でしょうね」
紬は困った顔で子猫を見つめた。
本当に困っていた。
どうしたらいいか分からないのだろう。
その様子を見て、蒼太は小さくため息をついた。
「一回うち来ます?」
「え?」
「知り合いに保護団体の人がいるので相談できます」
紬が目を丸くする。
「優しい」
「犬派なので」
「関係あります?」
「あります」
そう言うと、紬は吹き出した。
その笑顔を見た瞬間だった。
蒼太の胸が、少しだけ騒いだのは。
犬派と猫派。
相変わらず意見は合わない。
だけど。
もしかすると。
好きなものは違っても、大切にしたいものは同じなのかもしれない。
蒼太はそんなことを思いながら、子猫を抱える紬の横顔を見つめていた。




