指名はしない
指名はしない
二十八歳になった。
仕事にも慣れた。
後輩もできた。
給料も悪くない。
それなりに大人になったと思う。
でも。
人生ってのは時々、どうしようもない不意打ちをしてくる。
「一回くらい行こうぜ」
会社の先輩に連れられて来たのは繁華街だった。
ネオン。
客引き。
酔っ払い。
金曜の夜らしい騒がしさ。
「俺こういうの苦手なんですけど」
「人生経験だ」
半ば強引に店へ連れて行かれる。
キャバクラなんて初めてだった。
正直落ち着かない。
席に座り。
酒が運ばれ。
しばらくして女の子が来る。
それだけ。
そう思っていた。
「失礼しまーす」
明るい声。
聞いた瞬間。
心臓が止まった気がした。
顔を上げる。
女の子も固まっていた。
「……え」
「……」
数秒。
時間が止まる。
先に笑ったのは彼女だった。
「うそ」
懐かしい笑顔。
高校以来だった。
「優斗?」
初恋だった。
中学から高校まで。
ずっと好きだった。
告白はできなかった。
仲は良かった。
でもそれだけ。
卒業して。
進学して。
気付けば連絡も取らなくなった。
よくある話だ。
それだけのはずだった。
「久しぶり」
彼女が笑う。
俺はまだ現実感がない。
「美咲?」
「そうだけど」
「え?」
「ひどくない?」
「いや」
頭が追い付かない。
「なんでここに」
「それ聞く?」
そりゃそうだ。
キャバクラで会ってるんだから。
答えは見えている。
先輩たちは別の席で盛り上がっている。
こっちは妙な空気だった。
「変わってないね」
美咲が言う。
「そうか?」
「緊張すると眉毛下がる」
覚えていた。
そんなことまで。
「美咲は」
言いかける。
でも続かなかった。
変わった。
綺麗になった。
大人になった。
そんな言葉じゃ足りない。
知らない世界の人みたいだった。
「なんか言いなよ」
「いや」
「なに」
「思ったより元気そう」
美咲は吹き出した。
「なにそれ」
「いや」
「もっとあるでしょ」
「綺麗になったとか?」
「それ」
笑う。
昔と同じ笑い方だった。
楽しかった。
悔しいくらい。
楽しかった。
高校時代に戻ったみたいだった。
でも違う。
テーブルの上には酒がある。
彼女は仕事中だ。
俺たちは客とキャバ嬢。
それだけだった。
時間はあっという間だった。
「そろそろ交代だ」
黒服が声を掛ける。
「あー」
美咲が立ち上がる。
「じゃあね」
「おう」
それだけ。
それだけのはずだった。
なのに。
胸の奥が妙に苦しい。
彼女が離れようとした時。
気付けば聞いていた。
「幸せ?」
美咲が止まる。
振り返る。
一瞬だけ。
営業用じゃない顔になった。
「難しいこと聞くね」
「悪い」
「ううん」
少し考えて。
そして笑った。
「昔思ってた人生とは違うかな」
その答えが妙に刺さった。
会計を済ませて店を出る。
先輩たちは上機嫌だった。
でも俺は少し酔いが冷めていた。
その翌週。
また店の前まで来てしまった。
自分でも馬鹿だと思う。
会いたかった。
それだけだった。
店の看板を見る。
指名ランキング。
そこに美咲の写真があった。
人気なんだろう。
当然だ。
昔から誰にでも好かれる人だった。
俺は店に入らなかった。
しばらく看板を見て。
そのまま帰った。
初恋って不思議だ。
叶わなくても忘れられない。
会えなくても残り続ける。
きっと俺が好きだったのは。
今の美咲じゃない。
放課後の教室で笑っていた。
あの頃の美咲だ。
だから。
指名はしない。
もう会いに行かない。
思い出は思い出のままがいい。
帰り道。
春の夜風が吹く。
スマホが震えた。
知らない番号。
開く。
短いメッセージだった。
『眉毛下がってたよ』
思わず立ち止まる。
続きが届く。
『元気でね』
返信はしなかった。
できなかった。
ただ空を見上げる。
街の灯りで星は見えない。
それでも。
少しだけ笑った。
初恋は終わっていた。
ずっと前に。
たぶん。
高校を卒業した日のまま。




