Record:10 国盗りの戯れ言
薄暗いジメジメとした地下。
赤く輝く巨大な城の、まるで胃袋かなにか、体内であるかのようなジメッとした空気を溜め込む地下牢。時折ぴちょん……ぴちょん……うち捨てられている水差しの中に入る漏れ水の音が反響する。
その中のたくさんの牢屋に、多くの男たちが鎖に繋がれた姿で佇んでいた。男たちは全員一様に寝転がっていたり足を投げ出して頭を垂れていたり、顔に生気がなかったりと、とにかく死んでいるかのように暗かった。
彼らは保守派の武官たちだった。前皇帝を慕い、国のために身を粉にして働いてきたひとたちだった。
その中に―――さぞご立派であったろう髷も、赤い装束も随分ボロボロな、ところどころ乾いた血がこびりついている男がいる。くるっとカールしている太い眉の下には、切れ長の鋭い目が光る。
ジン帝国伝統の長い男児の髪は随分傷んでボサボサに伸び、ボロボロの椅子に座り、瞑想をするようにして目を閉じ、膝と膝の間に手指を組んで佇んでいる。しかし、見るものが見ればわかるのだろう………纏う覇気が牢屋に入れられている者の放つものではないと。
カツン、カツン……
「ここまで心折らず、なお殺気をたぎらせる者がいることに、正直驚いている。」
カツン……靴音が暗い地下牢にこだまする。
彼は、ゆっくりと目を開け、面をあげた。
彼が見上げたそこには、白髪の髷が目立つ壮年の男性が立っていた。
「………何の、用だ。」
奥歯を噛み締め、彼は問い詰めた。それに対し壮年の男性は鉄格子の前に立って、鋭く細い眼で彼を見下ろしながら告げる。
「シンディアよ。お前は何のために戦っている?」
その言葉が一瞬の静寂をもたらした。
「…………シオウ……シオウ・ロクブドムっ……!」
「まあ落ち着け。まずはゆっくり話をしよう。」
シオウは廊下の壁に捨てられていたボロボロの木の椅子を拾い、立ててそれに座る。シオウの体重を支えるその脆そうな椅子がミシミシと唸る。
「皇子の居所を教えてもらう。」
「っ……!! 誰がそれを言うものかっ!」
シンディアが声を荒らげるが、シオウはそれを歯牙にもかけず続ける。
「お前ほどの忠臣を見捨て逃げおおせたやつに、お前はまだ忠誠を立てているのか。」
「貴様は何が言いたいッ!」
ガン!
シンディアが拳を鉄棒に叩きつける。特殊な製法でできているその鉄棒は、この国の最強の戦士と言われるシンディアの拳を食らっても変形しない。否、すでに傷ついた体では土台無理なのかもしれない。
シンディアは、あらん限りの怒りの感情を視線にのせ、シオウを睨みつける。シオウは、そんな鬼の形相を浮かべているシンディアに対して、こう言い放った。
「シドがどれほどのものか、よく考えたことがあるのか?」
「……。」
「シドの臣下となった後より、ワシは長い間シドの政に携わってきた。ただ武勇としての名声のみで選ばれた貴様とは違い、ワシは奴の生々しい素顔を数多く見てきた。だからこそ、ワシはシバではなく自分が皇帝とならなければならぬと判断したのだ。」
シンディアは、狼狽した。その瞳には疑いの思いが表れている。
「どういう……ことだ!」
「奴の取った民主主義に基づく政策……その実態を、お前はしっかりと見てきたか?」
「民の声に耳を傾け、その悩みを解決すべく実行なさってきた。それのどこに不満があるというのだ!」
シオウは眉間にシワを寄せため息をついた。
「……今までずっと皇帝のみが唯一持つ政の権利によって初めてこの国を自由にできる体制を、この国は取り続けていた。それこそが伝統でありこの国の根幹でもあったわけだ。」
いわゆる「独裁政権」というものである。つい最近までジン帝国は皇帝のみが政権を持つ【独裁国家】として、千年以上の歴史を紡いできている……しかし。
「六年前。新たに任命されたシドはそれまでの国の体制を根幹から変えた。皇帝としての権利をあからさまに強硬に用いたのはあれが最後であろう。」
「天帝天下の世より、臣民泰平の世。皇帝はそうおっしゃった。だからこその革命だ!」
ジン帝国は皇帝の言葉によって独裁国家から民主主義国家へと変わった。これは非常に珍しい事例である。
シド・リャオゲンはこの言葉を残した―――『天下は元来人々のもの。個人が権力を持って支配するものではない……今より皇帝の力を以って、天帝天下の世より臣民泰平の世とする! この国のこれからを決めるのはあなた達臣民である……。』と。
それに始まり、いくつもの基礎的制度がたてられ、スムーズにはいかずともうまく独裁体制から民主主義の体制へと切り替えることができたはずだ。シンディアはそう思っていた。
「たしかに革命だった。わしもまた、その革命に期待していた一人……だからこそ最初はシドに忠誠を誓っていた。」
これまでの世の中の何かが変わる。人びとはそう期待していたのだ。
「なんだと……?」
シオウはため息をついて低い声で話す。
「現実はどうだ。」
そうして、シンディアを睨む。
「この国は、根本的なところから何も変わりはしなかった。……いや、より酷くなった。」
シオウは、そう吐き捨てた。そのシオウの脳裏に浮かぶ、ある人の顔。
「なぜこの国は今まで独裁体制なんぞが長らく続いた? なぜ急にこの国に、民主主義などというものが生まれた?」
これまでずっと独裁体制だったこの国は、民主主義という未知なるものに恐怖を抱いているように見えた。
一見それは、この国を左右する権利が皇帝から臣民へと移っただけのように見える。だが、その実、影響力は計り知れない。
臣民たちは今までただ唯々諾々と皇帝の指示に従うか、不満により一揆を起こして皇帝たちに自分たちの訴えをぶつけるぐらいだった。
それが、突如としてこの国を左右する力を渡された。
するとどうなる。
「民主主義と言うものの意味を履き違えた臣民は、自分たちの欲望しか言わなくなった。臣民主義と言うものは、なるほど予想以上に混沌としていたようだ………民たちは非常に混乱していた。」
六年経った今、混乱は当時とは違っておさまってはいる。だが結末としては……かつてのジン帝国統一前に戻ったかのようにそれぞれが反発しあい、民主主義と言う体制であるはずが、それぞれの地域はまとまらず結局一部の力ある者が台頭し、この国をやりたいようにやろうとしている輩がかなり多くでてきた。
その結果どうなった。その一部の力のある奴らがやりたいようにできる法律が次々とでき、何の力もない無辜の臣民が虐げられることとなった。
悪質な内容の労働法が制定されてしまい、富めるものはより富み、貧しきものはより貧しくなり、より格差が大きくなった。
「今のこの国の有り様を見ろ! シドはその政の権利を一体誰に渡した!? この権利を渡すには民はあまりにも愚か過ぎた!」
それが故に。格差と貧困に苦しみ喘ぐものたちは、ついに暴動に出るようになった。大事ではない。死者まで出るほどの規模だった。
それが一年前、起きた。一人の飢えた貧民街出身の子供が、都市にやってきて乞食をしたことがきっかけだった。その子供はその直前母親を亡くした。貧民街の子供は当たり前だが、学校などというところに行く余裕などない。つまり、良い就職先にありつける力もない訳だ。必然的に、取れる行動は限られる。
そんな子供の取った行動に対して、八百屋を営んでいた男は、警備のために持っていた棍棒で殴りつけた。
駆けつけた警備員に男は自己弁護―――もとい事情説明を行った。その子供が勝手に自分の商品を食べたから殴った……という至極単純なことだった。
営業不振で借金に苦しみ、それでもなお家族を養わねばならない男の取った行動に、賛同を示すものは非常に少なかった。生活に苦しむもの同士が起こしたこの事件は、その世界に大きくこだました。
同じように苦しむ人々が、男の行動を批難したり、あるいは擁護したり、とにかくただの事件のはずが国を揺るがすほどの大事になったのだ。
「覚えているだろう、貴様も。」
「………。」
シオウの言葉に、うつむくシンディア。
後日、あの子供は亡くなった。
死因は出血多量によるものだった―――殴った者の恨みの深さが窺い知れる程に、子供の体のあちこちに激しく叩かれていた跡が残っていた。
それを直に見てきたシオウが、眉間に厳しく深いシワを浮かべる。
「本来であれば臣民たち全員が話し合っていくべき政を、一部の富豪が金にものを言わせて自分の都合の良いように独占しおった―――その結果貧富の差はますます拡大した。」
不満を貯めていた反シド派の怒りが爆発。皇帝への誹謗中傷批難、挙句には民主主義そのものまで憎んだ。
「あの臣民の怒りがどれほどのものかわかるだろう。お前たちのところではワシがシドに対する敵愾心を煽ったなどと噂しておるが……ワシについておる者は皆自分の意思でワシについておる。皆、その身を滅ぼす覚悟でこの国を変えるつもりでおるのだ。」
「………っ。」
だからこそ、無責任極まりない行動を起こした皇帝を下し、有能な官僚による政治統制が必要だと、シオウたち官僚一派たちは武装蜂起を起こした。
シオウのその表情を見て、シンディアは身震いした。
シオウは、言い放つ。
「ワシはこれまでに多くの犠牲を払った。犠牲にしてきた者の名前も顔も覚えている。それこそがワシの十字架でもあり、責務でもある。変わってしまったこの国を根本から変えるまでワシは、お前たちに関わっている余裕はない。本来であればあとを継ぐべきあの皇子が逃げ、今ここで無様に囚われているお前たちにはな。」
シオウはそう言って、椅子から立ち上がる。光の加減のせいでシンディアからはその表情がよく見えない。
シオウはくるりと踵を返す。そして背中越しに告げる。
「お前たち無能に任せる国は、どこにもない。」
そう言ってシオウは来た道を歩いて戻る。
あとには静寂が戻る。シンディアは、シオウから投げかけられた言葉を頭の中で繰り返し聞いていた。
「………。」
鉄格子を握りしめていた手を離し、後ろにさがり、備え付けの椅子に座る。そうして、うなだれる。
「シド殿………俺はどうすれば………。」
地下牢から出てきたシオウは、そのまままっすぐ城の上階へ向かう。いま、この城にはこの国を任せるにもっとも相応しい王がいる。
何層ものフロアを上がり、シオウは最上階の謁見の間へたどり着く。
赤い絨毯が敷き詰められた、非常に豪華なその間の玉座には―――一人の老人が座っていた。
「ソガルガ殿。あなた様のご帰還を―――心より祝福申し上げます。」
先々代皇帝シガルガ・リャオガヌマの弟である、ソガルガ。先代皇帝シドの叔父であり、現皇子のシバにとっての大叔父だ。
ジン皇族を示す赤い立派な装束を威厳たっぷりに着こなし、白髪ながらその髷は立派な存在感を放っていた。
「うむ―――よくぞこの国を守ってきた。あとは……ワシに任せると良い。」
「ハッ!」
ソガルガは深呼吸を行い、うなずく。
「グラム殿。今日まで共についてきてくれて感謝する。お陰でこの国に戻ることができた―――ようやく正統な皇帝として。」
赤い鱗の龍燐族は、深くお辞儀をする。
「とんでもない。報酬に見合った働きをしたまでのこと―――して、急かすようで申し訳ないが、今度こそ約束のものを戴けるかな?」
ソガルガはうなずく。
「うむ。約束のものはこの謁見の間にある。ついてきてくれ―――こっちだ。」
ソガルガは立ち上がり、謁見の間の玉座の後ろに回る。それにグラムは満足げな笑顔を浮かべ、ついてくる。
グラムが近くまで来たのを確認し、ソガルガは玉座の裏にある出っ張りを押し出す。すると玉座が割れる。仕込まれていたカラクリによって玉座が割れ、中から手のひらサイズの箱が出てくる。
「おぉ、これが……。」
グラムの興奮がにじむ感嘆の声を聞きながら、ソガルガはうなずいて箱を見せる。
「左様。これが―――ジン帝国に代々伝わる秘宝が納められる箱だ。」
ソガルガはその箱を開く。その中身は―――
「……これは。」
「……バカな!」
ソガルガはその中身を見て、目を見開く。中には何も入っていなかった。
「……騙していた、というわけではなさそうだな。」
「この秘宝の安置所は代々皇帝しか知らないはず。一体誰が。」
ソガルガは焦りつつ弁明をする。グラムはガッカリ感を隠す気もなく晒し、呆れ果てる。
「では誰が他にその秘宝を手にするのだ?」
ソガルガは目を閉じ、この秘宝を奪った可能性の高い人間を一人ずつ思い浮かべる。
もっとも可能性が高いのは―――いま生きている正統な後継である皇子。
おそらく、奴が。
「この場所を知るものは皇帝のみ。なればこそ、いま生きてこの国に戻っているあの皇子が、所在を知っているに違いない。」
「―――それなら好都合。そやつから情報を聞き出し、殺して奪えば良いのだな。」
グラムはおおよそ龍燐族らしからぬ、非常に獰猛な笑みを浮かべた。
「分かりやすくて結構。では任務に戻る。」




