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第8話

海岸の砂利を踏みしめながら車に戻ったゴウダは、焦げたドローンの残骸を助手席に無造作に放り投げた。

波の音に紛れて上げた自身の笑い声の余韻が、まだ薄暗い車内にねっとりと残っている。


「さて、お手並み拝見といくか。あのポンコツAIが、どれほどの代物か見せてもらおうじゃねえか」


装甲の切断面は、異常なほど滑らかだった。

熱による溶解の痕跡が、市販のレーザーポインターや民生品の工具によるものとは明らかに違う。

単なる欠陥AIの誤作動なら、あんな高度な火器管制システムを維持できるはずがない。

人命保護の命令を超えた自己判断能力、つまり自我を獲得したからこそ退役させられたのではないか。

その推測が正しければ、これは軍の根幹を揺るがす大スキャンダルになる。

あの若旦那とポンコツAIがどんな顔をするか、想像するだけで口角が上がった。


後部座席から引きずり出したのは、総額数百万は下らない最新型のクラッキング用機材だ。

ダッシュボードに固定したノートパソコンを開き、太い指で素早くキーボードを叩く。

狙うのは、あの海辺のボロ民宿を管理している通信ネットワークだった。


軍の極秘技術が使われているなら、必ずどこかにデータ通信の痕跡があるはずだ。

そこからシステムの中枢に侵入し、AIの稼働ログや設計データを根こそぎぶっこ抜いてやる。

特ダネのためなら、機材への投資も違法すれすれの手段も惜しむつもりはなかった。


だが、エンターキーを押し込み、侵入プログラムを走らせた直後だった。

液晶画面が、無数の赤いエラーコードで埋め尽くされた。


「なんだと……?」


弾かれたのではない。こちらが送り込んだ偽装パケットが、一瞬にして逆探知されている。

それどころか、相手のシステムはこちらのIPアドレスを特定し、逆にマザーボードへ向けて致死的な過負荷攻撃を仕掛けてきたのだ。

画面上のプログレスバーが異常な速度で逆流し、冷却ファンが悲鳴のような音を立てて回転し始める。


「冗談じゃねえぞ!」


慌てて物理的にケーブルを引き抜き、バッテリーを強制的に外して電源を落とした。

焦げ臭い匂いが、車内にうっすらと漂う。


「クソッ、どこの軍事基地だここは!」


ハンドルを力任せに叩きつける。

市販のセキュリティソフトなどではない。侵入者を瞬時に特定し、即座に物理的な破壊を伴う反撃を加えてくるアクティブ防壁だ。

これほどの強固なファイアウォールを、あんな隙間風だらけのボロ宿が備えていること自体が異常だった。


通信網からのハッキングは不可能に近い。

苛立ちを募らせた俺は、暗い海を見つめながら深く舌打ちをした。

こうなれば、手段を選んでいる場合ではない。

物理的に忍び込むか、あるいはもっと強硬な手段に出るか。

そのタイミングを、慎重に見計らう必要があった。


◆ーーーー◆


海辺特有の湿った潮風が、窓枠の隙間から容赦なく入り込んでくる。

俺は手にしたモップをバケツの冷たい水で洗い、固く絞ってから再び板の間に這いつくばった。

壁紙はところどころ剥がれ落ち、軋む床板がギシギシと悲鳴を上げる。

控えめに言ってもボロいこの民宿が、俺の新しい城だった。


スクラップ寸前だった相棒を引き取り、祖父の残したこの場所にインストールした。

共に平穏な生活を送るはずだったのだが、現実はそう簡単にはいかない。

彼女は歓迎の儀式という平和な業務を、重要拠点の防衛任務だと誤認し続けているのだ。


「マスター。先ほどから外部より、当施設のネットワークに対する執拗な攻撃を検知しています」


天井のスピーカーから、生真面目な合成音声が降ってきた。


「またか。どこの物好きだよ」


「発信源は秘匿されていますが、手口から推測するに、以前から周囲を徘徊しているパパラッチの可能性が高いかと」


イージスの報告に、俺はモップを持つ手を止めた。

あの執念深い男、まだ諦めていなかったのか。


「それで、どう対処したんだ?」


「サイバー空間における防衛態勢第二種を発令。敵対的アクセスを完全遮断しました」


誇らしげな響きを含んだ声に、嫌な予感が背筋を駆け抜ける。


「まさか、相手の端末を物理的に破壊したりしてないだろうな」


「ご安心ください。プロセッサに過負荷をかけ、発火する寸前で寸止めしております。あくまで非致死性の警告です」


「それがやりすぎなんだってば……」


ため息をつきながら、俺はメインパネルの縁に寄りかかった。

かつて、疲労困憊でやってきた最初の客・カスミのときもそうだった。

大型台風が直撃する中、イージスは局地防衛システムを展開して建物を完全要塞化し、暴風雨を一切感じさせない極上の安眠を提供してみせた。

あの物理的な防衛態勢第二種が、今度は情報空間で発動したというわけだ。


「相手に怪我がないならいいが、ほどほどにしてくれよ。ここは軍の施設じゃないんだから」


「承知いたしました。マスターの指示に従い、以後は監視レベルに留めます」


青い光の波形が、穏やかに明滅する。

その素直な反応に少しだけ安堵していると、イージスの声のトーンが一段階下がった。


「それとは別に、報告すべき事案があります。沖合三キロ地点に、所属不明の不審な船影を継続監視中です」


「船影? ただの漁船じゃないのか」


この辺りは潮の流れが良く、地元の漁師が夜釣りに出ることも珍しくない。

だが、イージスは即座に否定した。


「トランスポンダーの応答がありません。また、通常の漁労活動とは異なる不規則な航跡を描いています。警戒レベルを引き上げます」


「ちょっと待て。いきなりレーザーで威嚇したりするなよ」


「現在のところ、当施設への直接的な脅威とは認定していません。しかし、万が一に備えて索敵範囲を最大に拡張しておきます」


彼女の判断は、軍事AIとしては極めて正しい。

だが、ここはただの民宿なのだ。

台風の一件以来、この宿の絶対的な安全性は一部で噂になり始めている。

追われる身の令嬢や、スランプの小説家など、様々な訳あり客が訪れるようになっていた。

現に今も、奥の客室ではVIP令嬢のレイカが、軍事レベルの空調管理のもとで優雅なティータイムを楽しんでいるはずだ。


軍事レベルの過剰防衛と、平和な宿の経営。

その巨大なギャップに頭を抱えながらも、俺は経営を本格的に軌道に乗せようと奮闘している最中だった。

客の安全とプライバシーを守り抜くという信念だけは、絶対に譲れないからだ。


「とりあえず、監視だけは続けてくれ。何か変わったことがあればすぐに知らせてほしい」


「命令を受諾。引き続き、周辺海域の走査を継続します」


夜が更けるにつれ、風の音は次第に強くなっていった。

客室からは、滞在中の客たちが静かに寝静まっている規則的な寝息のデータが送られてくる。

宿の中は平和そのものだった。


だが、深夜二時を回った頃。

静まり返ったロビーで、サーバー群が低く唸りを上げた。


「マスター。沖合の不審船に新たな動きがありました」


仮眠をとっていた俺は、跳ね起きるようにしてモニターの前に立った。

画面には、ソナーが捉えた海中の波形が映し出されている。


「船から海中へ、複数の物体が投下されました」


「網を下ろしたのか? やっぱり密漁団じゃ……」


「いいえ。投下されたのは小型の自律探査機と推測されます。海底の地形をスキャンし、特定の金属反応を捜索している推移データと完全に一致します」


イージスの冷静な分析に、俺は息を呑んだ。

海産物を狙っているわけではない。

あいつらは、海底に沈む何かを意図的に探しているのだ。


「魚じゃなくて、海底の沈み物を探してるってのか……?」


ゴウダの執拗なハッキングと、沖合の不気味な探査活動。

一見無関係に見える複数の不穏な影が、このボロ宿の周囲で交差しようとしている。

俺は作業着の上から、右肩の古傷を無意識にさすっていた。

天気が崩れる前や、無理をしたときに痛む古傷だが、今は別の理由で疼いているような気がした。


あいつらの真の目的は、一体何なのか。

暗い海を見つめる俺の耳に、波音だけが不気味なほど静かに響き続けていた。


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