第20話
波の音が、やけに大きく聞こえた。
窓の外は完全な暗闇に包まれ、海風が古い建物の隙間をすり抜けて不気味な音を立てていた。暗い波打ち際から、複数の影が民宿の敷地へと侵入してきた。迷彩柄の防寒着に身を包んだ男たちが、音もなく建物を包囲していく。彼らの手には、明らかに一般人が持つべきではない銃器が握られていた。
俺はカウンターの下に隠してある護身用のスタンガンを握りしめ、インカムのスイッチを入れた。
「イージス、状況を報告しろ。二階にはあの神経質な査察官が滞在していたはずだ。ただの優秀なスマートホームAIのフリを崩すなよ。派手な迎撃は厳禁だ」
『……肯定。一般家庭用防犯モードを維持しつつ、対象の無力化を試みます』
彼女の合成音声に、不快なノイズが混じった。
外部から強力な電子妨害が仕掛けられていた。密漁団が軍用のジャミング装置を持ち込んできたのだ。彼らは、前回の騒動でイージスが無力化し森に放置されていたパパラッチの通信機器や、地上げ屋の偵察用ドローンを勝手に再起動させ、電波を増幅する中継器として悪用しているらしい。先日のハッキングによるシステム負荷が完全に抜けきっていないイージスにとって、この物理的かつ電子的な波状攻撃は非常に厄介な状況だった。
「くそっ、こんな時に電子戦まで仕掛けてきやがって。どいつもこいつも、うちの民宿をなんだと思っていやがる」
『問題ありません。市販の害獣駆除器の出力を最適化し、対象を制圧します』
スピーカーから、人間の耳には聞こえないはずの超音波が放たれる。外で悲鳴が上がり、パパラッチの通信機器がショートする音が響いた。同時に、妨害電波によって地上げ屋のドローンが次々と墜落していく。
「おい、それ一般家庭用じゃないだろ! 完全に軍事用のジャミングじゃねえか!」
俺は小声でツッコミを入れつつ、ロビーの様子を窺う。
二階の客室では、スランプを脱した小説家が執筆に集中し、神経質な査察官が目を光らせていた。彼らの平穏を守り抜くことこそが、この民宿の使命だ。
◆ーーーー◆
だが、密漁団のリーダーであるサメジマは、超音波の死角を突いて裏口のドアを蹴り破った。
迷彩柄の防寒着を着た大男が、濡れたブーツで床を踏み鳴らしながらロビーへと踏み込んでくる。
「大人しくしろ! 妙な真似をすれば撃つぞ」
サメジマが構えた銃口が、薄暗い空間で鈍く光を放つ。
その騒ぎに、奥のソファでくつろいでいたタチバナとレイカが顔を出した。
「わあ、すごい! これが噂のリアルな防犯アトラクションですね!」
タチバナが目を輝かせながら、サメジマの前に立ちはだかった。彼は地元の駐在でありながら、この物騒な状況を最新の防犯グッズのデモンストレーションだと勘違いし続けていた。
「すごいな、この役者さんたち! 銃の作り込みも本物そっくりだ。君、これいくらかかったの?」
「いや、それ本物だから! 早く逃げてくれ!」
「またまた、冗談が上手いんだから」
タチバナは全く危機感を持たず、サメジマに近づいていく。
「あ? なんだてめえは」
サメジマが苛立ちを露わにし、銃口をタチバナに向ける。
レイカは少し怯えたように肩を震わせたが、逃げようとはしなかった。大きなサングラスの奥の瞳が、俺たちを信じきった光を宿していた。
「トオルさん。私、信じています。この宿のセキュリティは完璧ですもの」
「いや、完璧すぎるのが問題なんだよ!」
「あなたたちのような乱暴な方々に、この素晴らしい宿を荒らさせるわけにはいきませんわ」
彼女の言葉に、サメジマは鼻で笑う。
「お嬢ちゃん、状況が分かってねえようだな」
◆ーーーー◆
タチバナの勘違いに頭を抱えつつ、俺は激しい焦燥に駆られる。
サメジマの指が引き金にかかる。
『マスター。対象の脅威度が規定値を突破。一般家庭用防犯モードでは、宿泊客の安全を確保できません』
イージスの音声からノイズが消え、冷徹な機械の響きが強くなる。
パパラッチのハッキングによる負荷と、目の前の脅威。
イージスの内部で、破壊と防衛に特化した兵器としての本能が目覚めようとしていた。
「待て、イージス! 査察官が見てるかもしれないんだ。軍事機能を使えば、お前は回収されてしまう!」
『私の存在意義は、マスターと宿泊客の安全を死守することです。脅威を徹底的に排除します』
俺の右肩の古傷が激しく痛む。
かつてのように、彼女が兵器として暴走し、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうのではないか。その恐怖が胸を締め付けた。
ロビーの照明が赤く変色する。
壁のパネルがスライドし、隠されていた重火器の銃身が姿を現した。
冷たい金属の輝きが、サメジマたちにピタリと狙いを定める。
「おい、嘘だろ……」
サメジマの顔が引きつり、銃を下ろして後ずさる。
事態は一時的に膠着したが、イージスのリミッターは外れかけていた。
「やめろ、撃つな!」
俺の叫びは、赤色灯の回るロビーに虚しく響いた。




