第19話
冷たい海風が吹き荒れる甲板で、サメジマは巻き上がるウインチの音に耳を傾けていた。
波に揺れる不審船の周囲には、サーチライトの光が幾重にも交差している。
「リーダー、もう少しで海面に出ます」
防寒着に身を包んだ部下が、張り詰めた声で報告してきた。
サメジマは短く頷き、海面から伸びる太いワイヤーを見つめる。
「よし、慎重にやれ。こいつはただの鉄くずじゃねえ。軍の極秘データコアだ」
彼らの真の目的は、海産物の密漁などではない。
海底に沈むイージスの同型艦から、莫大な価値を持つデータコアを引き揚げることだった。
サメジマは崖の上のボロ民宿を睨みつける。
あそこにいる連中が気づけば面倒なことになる。
「引き揚げが終わり次第、あのボロ屋の連中も片付けるぞ。目撃者は生かしておけねえ」
サメジマの口元に、残酷な笑みが浮かんだ。
彼は腰のホルスターに手をやり、冷たい金属の感触を確かめる。
海のルールを無視し、金になる獲物を根こそぎ奪う。それが彼らのやり方だった。
一方、少し離れた岩場に潜むゴウダ。
彼は複数のカメラを首から下げ、手元のノートパソコンの画面を食い入るように見つめていた。
画面には、密漁団の通信波形がリアルタイムで表示されている。
「なるほど、あいつらが民宿に近づけば、あの化け物AIも黙っちゃいないだろう」
ゴウダは舌打ちをしながら、別のウィンドウを開いた。
彼が狙うのは、民宿のネットワークに対するサイバー攻撃だ。
密漁団の接近を利用して防衛システムに過負荷をかけ、AIを暴走させる。
その瞬間をカメラに収めれば、誰もが驚く特ダネになる。
「俺の邪魔をしたこと、後悔させてやるぜ。あんたらの化けの皮を剥がしてやる」
ゴウダは執念深い笑みを浮かべ、エンターキーを強く叩いた。
◆ーーーー◆
俺はカウンターの奥で、冷や汗をかきながらモニターの青い波形を睨んでいた。
ロビーでは、レイカがソファで優雅にハーブティーを飲み、小説家のタチバナがノートパソコンに向かって猛烈な勢いでキーボードを叩いている。
そして、部屋の隅には神経質な顔つきの男、ヒイラギが座っていた。
彼は身分を隠した軍の査察官だ。
「おい、イージス。絶対にボロを出すなよ。お前はただの優秀なスマートホームAIだ」
俺は声を潜めて、インカム越しに指示を出した。
『マスターの指示を受諾。一般家庭用アシスタントとして振る舞います』
合成音声は平坦だが、どこか不満げに聞こえる。
『しかし、現在当施設は複数の脅威に晒されています。防衛態勢第二種への移行を推奨します』
「だから、そういう物騒な単語を使うなって。ここは戦場じゃない、民宿だ」
俺はため息をついた。
『外部より、当施設のネットワークに対する断続的な過負荷攻撃を検知。発信源は岩場のパパラッチと推測されます』
ゴウダの奴か。懲りずにまた仕掛けてきているらしい。
『同時に、沖合の不審船から小型ボートが発進。本施設へ向かっています』
サメジマたち密漁団だ。データコアを引き揚げた後、目撃者である俺たちを始末するつもりか。
『迎撃プロトコルを起動しますか。超音波発生装置およびドローン編隊による物理的制圧が可能です』
「駄目だ。ヒイラギさんの前でそんな真似をしたら、お前が軍用AIだって一発でバレる」
俺は頭を抱えた。
客の安全は守らなければならない。だが、軍事機能を解放すれば、イージスは危険な兵器として回収されてしまう。
『では、どう対処すれば』
「情報戦だ。ゴウダの攻撃は逆探知して、奴の機材だけをピンポイントで無力化しろ。客には一切気づかせるな」
『……指示を受領。家庭用ルーターの出力調整と称し、指向性電磁波を照射します』
『マスター。パパラッチからのサイバー攻撃が激化しています。当施設のファイアウォールを突破しようと試みている模様です』
「チッ、しつこいな。客のネット環境に影響は出ているか?」
『現在、タチバナ様のクラウド保存プロセスに〇・二秒の遅延が発生しています。これは極上の執筆環境を提供する上で、看過できない事態です』
「わかった。ゴウダの端末に偽のデータを送り込め。奴が一番欲しがっている特ダネのダミーファイルだ。それを開いた瞬間に、端末のバッテリーを過放電させてシャットダウンさせろ」
『指示を受領。非致死性電子戦プロトコルを実行します』
イージスの青い波形が一瞬だけ鋭く明滅した。
直後、岩場の方からくぐもった叫び声が風に乗って聞こえてきた。
どうやら、まんまと罠に引っかかったらしい。
「よし、これで一つ片付いた」
俺は安堵の息を吐いた。
ロビーでは、タチバナがキーボードを叩く手を止め、大きく伸びをしている。
「いやあ、ここのネット環境は本当に最高だ。ストレスなく原稿が進むよ」
「それは何よりです、お客さん」
俺は愛想笑いを浮かべながら、カウンター越しにコーヒーを差し出した。
レイカも優雅にカップを傾けながら、微笑みかけてくる。
「本当に。ここの最新のセキュリティには、いつも感心させられますわ」
彼女は家出中の身であり、追手から逃れるためにこの民宿を利用している。
イージスの過剰な防衛を最新のセキュリティと勘違いして喜んでいるのだから、世間知らずにも程がある。
だが、その笑顔を守るのが俺の仕事だ。
その時、部屋の隅に座っていたヒイラギが、静かに立ち上がった。
彼は神経質な手つきで眼鏡の位置を直し、カウンターに近づいてくる。
「マスター。少しよろしいかな」
「はい、何でしょうお客さん」
俺は心臓の鼓動を抑えながら、平静を装って応えた。
「先程から、この建物の電力消費量が異常な数値を示しているようだが。それに、壁の奥から微かに冷却ファンのような音が聞こえる」
ヒイラギの鋭い視線が、俺の顔を射抜く。
さすがは軍の査察官だ。ただのクレーマーを装っているが、その観察眼は誤魔化しきれない。
「ああ、それは……古い建物なもので、空調の効きが悪くてですね。裏で大型の除湿機をフル稼働させているんですよ」
「ほう。除湿機、ね」
ヒイラギは意味ありげに呟き、カウンターの奥にあるサーバーラックの方へ視線を向けた。
『マスター。査察官の心拍数に微小な変動を検知。疑念のレベルが上昇しています』
インカムからイージスの警告が響く。
「大丈夫だ、俺に任せろ」
俺は小声で呟き、ヒイラギに向き直った。
「お客さん、もしよろしければ、特別室の方へご案内しましょうか。あちらなら、空調の音も気にならないはずです」
「いや、結構だ。ここで少し、読書でも楽しませてもらうよ」
ヒイラギはそう言って、再び元の席へと戻っていった。
だが、その目は明らかに周囲の様子を窺っている。
これ以上、イージスに派手な動きをさせるわけにはいかない。
だが、息をつく暇もない。
『マスター。小型ボートが当施設のプライベートビーチに接近中。到着まで残り三十秒』
モニターには、武装した男たちが乗るボートの熱源反応が映し出されている。
サメジマたちだ。
彼らはデータコアの引き揚げ作業を終え、目撃者である俺たちを始末しに来たのだ。
正体を隠し通すか、客を守るために封印を解くか。
俺の右肩の古傷が、警告するように疼いた。
かつて、軍属時代にイージスを庇って負った傷だ。
彼女をただの兵器として扱わざるを得なかった過去への後悔が、今も俺の心を締め付ける。
「イージス、ギリギリまで引きつけろ。武力は使わない。あくまで平和的な接客で乗り切るんだ」
『……肯定。平和的手段による防衛シミュレーションを継続します』
イージスの声には、機械でありながらどこか迷いのようなものが混じっていた。
彼女のアルゴリズムは、破壊と防衛に特化して設計されている。
平和的な接客業務において、軍事的なアプローチしか取れない自身の性質にジレンマを抱えているのだ。
だが、俺は彼女を信じている。
窓の外、暗い波打ち際に複数の影が上陸する。
サメジマたちが銃を構え、音もなく建物を包囲し始めていた。
「チッ……面倒なことになりそうだ」
俺はカウンターの下に隠してある、護身用のスタンガンに手を伸ばした。
客たちの談笑が響く中、見えない包囲網が確実に俺たちを締め上げている。
ヒイラギの監視の目が光る中、俺とイージスはこの危機をどう乗り越えればいいのか。
波の音が、やけに大きく聞こえた。




