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第21話

赤色灯が点滅するロビーの空気が、張り詰めた糸のように軋んでいた。


サメジマの荒い息遣いが、静まり返った空間に響く。引き金にかけられた男の指先が、わずかに震えていた。追いつめられた獣が牙を剥く直前の、あの嫌な気配だ。


壁からせり出した迎撃装置の砲口が、サメジマの胸元を正確に捉えている。青白い照準レーザーが暗がりを切り裂き、標的の急所を冷徹に指示していた。


「おいおい、冗談だろ……民宿にこんなモン仕込んでんのかよ!」


サメジマが怒鳴り、反射的に手元の銃口を跳ね上げた。その切っ先が、後方に竦み込むレイカや他の宿泊客へと向く。


弾丸が放たれれば、誰かが確実に倒れる。


考えるより先に、足が動いていた。


「伏せろ!」


俺は床を蹴り、サメジマの銃口と客たちの間の射線へと飛び込んだ。


その拍子に、右肩の奥深くへ焼き鏝を押し当てられたような激痛が走る。かつて軍にいた頃、爆発の破片から彼女の基幹回路を守ろうとして負った傷痕だ。古傷が引き攣れ、視界が一瞬白く染まる。


だが、足を止めるわけにはいかなかった。


『マスター、危険です! 直ちに退避行動を! 射線上に障害物が存在するため、目標の物理的排除シーケンスを実行できません!』


頭上のスピーカーから、警告のアラートがけたたましく鳴り響く。普段の落ち着いた調子とは異なる、焦燥の混じった機械音声だった。


「撃たせるかよ……! ここは戦場じゃない!」


俺は痛む肩を押さえながら、サメジマと壁の砲塔の間に割って入った。


後ろでは、銀縁メガネを光らせたヒイラギが、壁際から鋭い視線をこちらへ向けている。手帳を握りしめたその指先は動かず、民宿の主人の行動と、壁に埋め込まれた軍用規格の防衛システムを冷徹に見定めていた。


ここでイージスが火器を使えば、サメジマたちは蜂の巣になる。同時に、イージスは危険な軍事兵器として軍に没収され、二度とこの場所には戻れなくなるだろう。それだけは絶対に防がなければならない。


「どきやがれ! てめえから穴だらけにしてやる!」


サメジマが凶暴な声を張り上げ、銃口を俺の眉間に突きつけ直す。


『マスターの生命維持に致命的な脅威を検知。防衛制限コードを完全解除。目標を即時殲滅——』


壁のパネルから響く駆動音が一段と高まり、砲身にエネルギーが充填されていく。


「やめろ、イージス!」


俺は腹の底から声を張り上げた。


ロビーに怒声が反響する。


「お前はもう兵器じゃない! 人を傷つける道具に戻るな!」


スピーカーから漏れる駆動音が、ほんの一瞬、途切れた。


かつて俺は、彼女に戦うことしか教えられなかった。敵を見つけ、照準を合わせ、効率よく破壊する。そのアルゴリズムしか与えられなかった彼女が、どれほど過酷な運命を背負わされていたか。退役させられ、スクラップ寸前まで追い込まれたのは、軍の命令に背いてでも人命を優先しようとしたからだ。


そんな彼女に、再び人を撃たせるわけにはいかない。


「ここは民宿だ! お前がやるべきことは敵の殲滅じゃないだろ!」


右肩の痛みに奥歯を噛み締めながら、俺は天井のカメラを見上げた。


「おもてなしで解決しろ! ここに来た奴ら全員を、満足させて無力化してみせろ!」


サメジマが呆気にとられたように目を見張る。


「お、おもてなし……? てめえ、頭が湧いてんのか!」


だが、イージスの返答は途切れなかった。


コンソールのインジケーターが、赤から急速に青へと反転していく。


『……マスターの指示を再解釈。任務定義を更新します。武力による排除行動を中止』


カシャリ、と静かな金属音が響き、壁から展開していた重火器の砲身が瞬時に格納されていく。赤色灯が消え、ロビーを包んでいた殺伐とした気配が霧散した。


ヒイラギが怪訝そうに眉をひそめ、メガネのブリッジを押し上げる。


『状況を再評価。当施設に侵入した全対象を、極度のストレス状態にある「疲労困憊の顧客」と再定義いたします』


「は……? 顧客だと?」


サメジマが毒気を抜かれたように声を漏らした。


『当艦——訂正、当民宿の最高責任者の要請に基づき、非致死性・最大出力によるリラクゼーション防衛プロトコルを適用。全館の癒やし設備のリミッターを解除します』


民宿の床下から、重厚な地響きのような重低音が立ち上った。


祖父の遺したこのボロ民宿の地下には、旧軍の隠し物資貯蔵庫が存在していた。そこから引き出された莫大な電力と冷却水が、イージスの手によって一斉に循環を始める。


天井のダウンライトが柔らかい琥珀色へと切り替わり、フロア全体に微細なアロマミストが立ち込めた。緊張を瞬時に緩和する特注の鎮静成分を含んだ香気配分。


「な、なんだこの匂い……急に身体の力が……」


サメジマの部下たちが、ふらつきながら武器を取り落としそうになる。


『対象の心拍数および血圧の異常上昇を確認。重篤な精神的疲労と推測されます。直ちに最優先ケア対象として保護します』


イージスの声には、迷いがなかった。


破壊するための兵器ではない。人々を迎え入れ、癒やし、安全を完璧に守り抜くための管理システムとして、彼女の演算能力が限界を超えて加速していく。


壁に飾られた祖父の古い海図の裏から、何基もの超音波発生器が静かに起動した。人間には知覚できない周波数の微小振動が空間を満たし、侵入者たちの筋肉の強張りを強制的に弛緩させていく。


「おいサメジマの頭(かしら)、なんかやべえぞ! 急に温泉に入ったみたいに肩が軽くなって……足に力が入らねえ!」


「馬鹿野郎、騙されるな! 撃て、早く撃ち殺せ!」


サメジマが必死に叫びながら引き金を引こうとする。


だが、指先が思うように動かない。全身の凝りが極限までほぐされ、戦闘意欲そのものが急速に蒸発していくのだ。


ヒイラギが手帳を落としそうになりながら、周囲の数値を測る端末を凝視していた。


「馬鹿な……局所的な気圧調整と音響共鳴による、強制的な副交感神経の優位化……? これほどの精密制御を、民間の民宿で実行しているというのか」


驚愕に震える査察官の前で、俺は立ち上がり、サメジマに向き直った。


「うちの宿のサービスは過剰でね。どんなに荒んだお客さんでも、極上の安らぎを味わってもらうのが方針なんだ」


ロビーの中央に、ひときわ鮮やかな光の粒子が満ちていく。


イージスのメインコンソールから放たれる青い光が、民宿全体を昼間のように照らし出した。


『究極の顧客安全確保プログラム、起動します』


イージスの誇らしげな宣言とともに、民宿の真の「おもてなし」が幕を開けようとしていた。

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