第2話
モニターの青い光が、薄暗い部屋の中で不気味に明滅していた。
「……旧軍の隠し物資貯蔵庫、か」
俺は額に手を当てて、深く息を吐き出した。平和な日常を求めて祖父のボロ民宿を継いだというのに、足元に得体の知れない空間が広がっているなんて冗談じゃない。
「マスター。未知の領域です。詳細な探査のため、地中貫通型ドローンの射出許可を」
「いや、却下だ。今はそれどころじゃない」
窓ガラスがガタガタと激しく鳴り始めた。海辺特有の湿った風が、急激に暴風へと変わっていく。天気予報通り、大型台風が直撃するコースに入ったらしい。
「地下の探査より、台風への備えが先決だ。屋根が飛ばされないように補強しないと」
「了解しました。当館の防衛態勢を第二種に引き上げます。局地防衛システム、展開」
イージスの生真面目な合成音声が響いた直後、民宿のあちこちから重厚な金属音が鳴り響いた。壁の隙間からチタン合金製の装甲シャッターが滑り出し、窓という窓を完全に塞いでいく。床下からは油圧式のスタビライザーが伸び、老朽化した建物を岩盤に直接固定し始めた。
「おい待て! 民宿の補強に装甲板を使う奴があるか!」
「ご安心ください。対爆・対風圧シールドの展開完了。これでカテゴリー5のハリケーン、および155ミリ榴弾の直撃にも耐えられます」
「ここは戦場じゃないんだぞ……」
俺が頭を抱えたその時、分厚い装甲の向こう側から、微かに玄関の呼び鈴が鳴る音が聞こえた。
こんな暴風雨の中、客が来るはずがない。だが、モニターには玄関前でずぶ濡れになっている人影が映し出されていた。
慌てて装甲シャッターを一部解除し、玄関の引き戸を開ける。
「あの、空き部屋はありますでしょうか……?」
そこに立っていたのは、大きなサングラスと帽子で顔を隠した少女だった。高級感のある衣服は雨水で重く張り付き、小刻みに震えている。疲労困憊といった様子だが、その佇まいにはどこか上品さが漂っていた。
「こんな嵐の中に外を歩くなんて無茶だ。すぐに入ってくれ」
俺は彼女をロビーに招き入れ、急いでタオルを手渡した。
「助かりましたわ……。家から、その、少し遠出をしてきまして。偶然このお宿を見つけて逃げ込んできたのです」
サングラスを外した彼女——レイカと名乗った少女は、不安と自由への渇望が入り混じったような瞳で周囲を見回した。世間知らずな家出少女、といったところか。
「すぐにお湯を沸かすから、一番奥の部屋を使ってくれ。あそこが一番雨漏りしない……いや、今は装甲で覆われてるから関係ないか」
レイカを客室に案内し、一息つかせた直後だった。
「生体反応を検知。宿泊客の脅威となる対象を排除します」
イージスの冷徹な声がスピーカーから流れた。
客室の隅を、一匹の羽虫が飛んでいた。嵐から逃げ込んできたのだろう。
次の瞬間、天井の火災報知器に偽装されていた銃座が展開した。凄まじい轟音と共に、青白いレーザーの閃光が走る。
バチィッ!
羽虫は一瞬で蒸発し、焦げた匂いだけが空中に漂った。ミサイル迎撃システムを応用した、完全なオーバースペックの精密射撃だ。
「おい、イージス! 虫一匹にレーザーを使うな! お客さんが怯えるだろ!」
俺は慌ててレイカを庇うように前に出た。しかし、背後から聞こえてきたのは悲鳴ではなく、弾んだ声だった。
「まあ! 凄いですわ!」
振り返ると、レイカは目を輝かせて天井の銃座を見上げていた。
「これがお嬢様向けの最新セキュリティですのね! 虫一匹すら寄せ付けないなんて、素晴らしいおもてなしだわ。これなら『あの方たち』にも絶対に見つかりませんわね!」
「……え?」
「トオル様、このお宿、とっても気に入りましたわ!」
世間知らずな適応力に、俺は開いた口が塞がらなかった。イージスの過剰防衛を、VIP向けの高級サービスだと完全に勘違いしている。
「マスター。対象の無力化に成功しました。引き続き、最高レベルの安全管理を提供します」
「……お前たち、意外と相性がいいのか?」
俺のツッコミは、イージスの稼働音にかき消された。
◆ーーーー◆
夜が更けるにつれ、外の暴風雨はさらに激しさを増していった。本来なら、このボロ民宿は風の音と軋む柱の悲鳴で一睡もできないはずだ。
しかし、客室は不気味なほど静まり返っていた。
イージスが展開した局地防衛システムは、物理的な要塞化だけでなく、軍事用のノイズキャンセリング技術を応用して外部の音を完全に相殺していたのだ。さらに、室温と湿度は兵士の疲労回復に最適な数値にミリ単位で制御されている。
結果として、レイカは暴風雨を一切感じることなく、極上の安眠を手に入れていた。
「やりすぎだとは思うが……まあ、客が休めてるならいいか」
俺は廊下を歩きながら、小さく息をついた。イージスが兵器としての本能を暴走させないかという不安は常にある。だが、こうして誰かの役に立っているのなら、少しずつ平和な役割を覚えさせることができるかもしれない。
レイカの部屋の前を通りかかった時、ふと足が止まった。
少しだけ開いたドアの隙間から、彼女が床に置きっぱなしにしている鞄が見えた。中身が半分こぼれ落ちている。
そこから覗いていたのは、黒い金属製の通信機だった。
俺は思わず息を呑んだ。
軍属時代に見覚えがある。あれはただの通信機じゃない。軍の上層部のみが所持を許される、特殊な暗号化回線専用の端末だ。表面には、見間違うはずのない軍の紋章が深く刻み込まれていた。
『これならあの方たちにも絶対に見つかりませんわね』
昼間の彼女の言葉が、脳裏に蘇る。
ただの家出少女ではない。彼女は一体、何から逃げてきたというのか。
窓の外で吹き荒れる嵐よりもずっと厄介なものが、この民宿に持ち込まれてしまった予感がした。




