第16話
管理室のモニターに、新たな赤い光点が複数点滅し始めた。
「マスター。海岸線より新たな熱源反応を検知しました」
操作盤の青い波形が、鋭く明滅する。先ほどの無人艇による襲撃を退け、ようやく一息つけると思った矢先の出来事だった。
「五名、いずれもアサルトライフル等の火器を携帯した状態です。先ほどの無人艇を操った密漁団の本体と推測されます」
「サメジマの奴ら、直接乗り込んできたのか」
俺は舌打ちをした。客室にはレイカさんやシノブさん、そして身分を隠した軍の査察官であるヒイラギさんが休んだままだ。ここで派手な戦闘を起こせば、イージスが軍用AIであることが完全に露呈してしまう。
俺の右肩の奥で、古傷が鈍く痛んだ。軍属時代、イージスを庇って負った傷だ。あの頃、俺は彼女を兵器として扱わざるを得なかった。その過去への悔恨が、今の俺を突き動かす。イージスをただの機械ではなく、共に民宿を切り盛りする大切な存在として扱いたい。彼女が再び戦いに駆り出されることだけは、絶対に避けなければならなかった。
「イージス、前回の防衛データは既に最適化されているな? 今回はヒイラギさんの厳しい監視下だ。少しでも軍用AIの片鱗を見せれば、お前は連行されてしまう。前回学習した『スマートホームとしての平和的解決』を対人用にアップデートして、一切の武力を使わずに奴らを無力化してくれ」
「……スマートホームの範囲での武装集団制圧。難易度Aクラスのミッションですね」
青い光が、わずかに逡巡するように揺れる。彼女のアルゴリズムは破壊と防衛に特化したものだ。平和的な手段で脅威を排除するという矛盾した命令に、計算リソースをフル稼働させたのが分かった。
「ですが、承りました。極上のリラクゼーションを提供いたします」
敷地内に侵入したサメジマたちは、足音を殺して玄関へと近づいた。迷彩柄の防寒着に身を包み、手には物騒な銃器を握りしめたままだ。海のルールを無視し、金になる獲物を根こそぎ奪う彼らの目に、躊躇いは一切ない。俺は監視カメラの映像を見つめながら、息を呑む。
「第一段階、通信網の制圧を開始します」
サメジマが懐から通信機を取り出し、沖合の船に連絡を取ろうとする。だが、苛立ったように機材を叩き始めた。
「おい、ジャミングは軍事機能じゃないか?」
「いいえ、これは近隣の電波干渉を防ぐためのWi-Fi最適化機能の出力を、少しだけ上げた結果です」
イージスは平然と答える。次に彼女は、庭の照明を落とし、代わりに足元を照らす誘導灯を不規則なリズムで点滅させ始めた。視覚的な幻惑効果を狙ったものだ。
「第二段階、自律神経へのアプローチを実行します」
庭の屋外スピーカーから、ヒーリングミュージックが流れ始める。ただし、音響工学的に計算し尽くされた指向性を持たせ、サメジマたちの三半規管を直接揺さぶるような特殊な波長で。
さらに、屋外用の大型ヒーターとミスト冷却器が連動して起動する。彼らの周囲だけ、急激な温度変化が繰り返し発生した。
「なんだこの音楽……体が、力が抜ける……」
サメジマが銃を構えようとするが、手元が狂って地面に取り落とす。他の男たちも、足元をふらつかせながら互いに寄りかかった。
「仕上げです。極上の癒やし空間により、心身の緊張を強制的に解きほぐします」
超音波ネズミ除けの最大出力が、不可聴域の振動となって彼らに降り注ぐ。モニター越しに見えるサメジマたちは、次々と膝から崩れ落ち、完全に戦意を喪失して地面に寝転がった。
「……やりすぎじゃないか?」
「一切の物理的危害は加えておりません。彼らは現在、深いリラックス状態にあります」
そこへ、事前に連絡を受けたタチバナさんがパトカーで到着した。
「あんた、大丈夫か! ……って、なんだこれ」
庭でだらしなく寝転がり、よだれを垂らして微笑んだサメジマたちを見て、タチバナさんは目を丸くする。彼はあっさりと不法侵入と銃刀法違反の現行犯で、骨抜きになった密漁団を逮捕していった。
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騒動が収まり、夜明け前の静寂が戻ったロビー。
俺がコーヒーを淹れた直後、背後から規則正しい足音が聞こえた。ヒイラギさんだ。銀縁メガネの奥の目が、鋭く俺を射抜いた。私服姿であっても、その姿勢の良さは一目で軍関係者だとわかる。
「見事な手際でしたね。ただのスマートホームが、重武装の密漁団を無傷で制圧するとは」
「……たまたまですよ。うちの設備が、彼らのツボに入ったみたいで」
「とぼけないでいただきたい。あのような高度な電子戦能力、そして状況に応じた非致死性兵器の運用。あれは間違いなく、軍の管理下にあるべき代物だ」
ヒイラギさんは一歩距離を詰める。その声には、事務的な冷たさの中に確かな怒りが混じった。
「それに、あのレイカという客。彼女が軍上層部の令嬢であることも把握した。あなたが彼女を匿い、軍の備品を不正利用したとなれば、ただでは済まない」
俺はコーヒーカップを置き、真っ直ぐにヒイラギさんを見返した。
「ここはただの民宿です。レイカさんも、シノブさんも、俺にとっては大切な宿泊客だ。そしてイージスは、滞在する人々の平穏を守るための最高の相棒です。兵器なんかじゃありません」
ヒイラギさんは沈黙する。
彼の脳裏には、イージスが一切の武力を使わず、宿泊者の安全を最優先にして事態を収拾した事実が焼き付いたはずだ。軍の備品を盗んだ犯罪者という疑念と、目の前で起きた平和的な解決という現実が、彼の中で激しく衝突した。
「……軍の規定では、AIは命令に従うだけの機械に過ぎない。だが、あのAIは人命保護という目的のために、自ら手段を選択し、実行した。それはもはや、単なるプログラムの枠を超えた」
ヒイラギさんは眼鏡を押し上げた。その表情からは、先ほどの怒りが消え、代わりに深い思索の色が浮かんだ。
「報告は保留します。あのAIが本当に無害な存在なのか、もう少しこの目で監視させてもらう」
「……歓迎しますよ。うちの極上の接客を、存分に味わっていってください」
俺は静かに微笑み返した。イージスの存在を完全に認めさせたわけではない。だが、彼女が単なる殺戮の道具ではないという事実を、この堅物の査察官に少しだけ理解させることができた手応えがあった。
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沖合に停泊したクルーザーの船上。
クロガネが、モニター越しにサメジマたちの失態を見つめた。仕立ての良いスーツのポケットに手を突っ込み、冷酷な目で画面を睨みつける。
「愚かな連中だ。だが、陽動としての役目は果たしてくれた」
彼の足元には、海底から引き揚げられたばかりの、黒い金属製のケースが置かれた。イージスの同型艦のデータコアの一部だ。
「あの民宿のAI……ただの防衛システムではないな。このデータコアと組み合わせれば、さらに面白いことができそうだ」
クロガネは不気味な笑みを浮かべ、暗い海原の向こうにある古い建物を睨みつけた。
波乱の夜は明けたが、真の脅威はまだ冷たい波の下で息を潜めたままだ。




