第14話
崖の斜面に張り付いたサメジマたちの足元に、突如として無数の赤い光が点灯した。
暗視ゴーグル越しに見るその光景は、まるで無数の眼球に見つめられているかのような不気味さがあった。
「なんだ、これは……?」
サメジマが立ち止まった瞬間、彼らの耳に無機質な女性の合成音声が響き渡った。
『当館のプライベートビーチへの無断立ち入りを確認。お客様、深夜の火器の持ち込みおよび不法投棄は、固くお断りしております』
「はっ、スピーカーで警告か。舐めやがって。撃ち壊せ!」
サメジマが部下に指示を出した直後、彼らの手元のライフルが急激に熱を持ち始めた。
「あつッ!?」
「なんだこれ、銃が焼けるように……!」
部下たちがたまらず銃を取り落とす。乾いた金属音が岩場に響き、高価なアサルトライフルが次々と砂利の上に転がった。
◆ーーーー◆
民宿の管理室。
俺はコンソールの前で、モニターに映し出される熱源映像を見つめていた。
「マスター。対象の武装を局所的なマイクロ波照射により加熱。安全に手放させました」
「お前なぁ……それ立派な電子戦だからな。火傷はしてないだろうな?」
「ご安心を。表面温度を五十度に保つよう精密制御しています。あくまで『ホットタオル』の提供と同じアルゴリズムです」
「どんなホットタオルだよ」
俺がため息をつくと、背後から冷ややかな声が降ってきた。
「……これが、ただの優秀なスマートホームAIの防犯機能だと?」
腕を組んで立っているのは、身分を隠して宿泊していた軍の査察官、ヒイラギだ。銀縁メガネの奥の瞳が、鋭くモニターを射抜いている。
「ええ、まあ。海辺は物騒ですからね。ちょっとした応用ですよ」
俺は必死に軍事レベルの機能を隠蔽しようと取り繕ったが、ヒイラギは鼻で笑った。
「局所的なマイクロ波照射による武装解除。これをちょっとした応用と呼ぶなら、軍の基地はただのプレハブ小屋だな」
痛いところを突かれ、俺は言葉に詰まる。
だが、今は正体を隠し通すことよりも、客の安全を守ることが最優先だ。レイカや他の客たちを危険に晒すわけにはいかない。
モニターの中では、銃を手放したサメジマたちが混乱しつつも、ナイフやスタンガンを取り出して前進を試みていた。
『警告。これ以上の迷惑行為は、悪質キャンパーとして強制退去の対象となります』
イージスの声が崖下に響く。
「マスター、第二段階に移行します。足元が暗いため、誘導灯を点灯します」
「誘導灯?」
画面上で、サメジマたちの周囲に目に見えないレーザー網が展開された。
彼らが一歩踏み出し、その不可視の線に触れた瞬間。
「ギャッ!?」
「な、なんだ!? 静電気が……!」
部下たちが次々と悲鳴を上げて飛び退く。
「イージス、お前まさか……」
「はい。非致死性の低出力レーザーによる空間封鎖です。触れるとチクッとする程度の刺激を与え、正しい順路へと誘導します」
「それ、完全に地雷原の足止め戦術じゃないか!」
俺のツッコミをよそに、イージスは淡々と処理を進める。
「さらに、海風による乾燥を防ぐため、アロマミストを散布します」
画面の端から、数機の小型ドローンが飛び立った。それらはサメジマたちの頭上でホバリングすると、微細な霧を噴射し始める。
「ゲホッ、ゴホッ! なんだこの霧は……目が、目が痛ぇ!」
「催涙ガスか!?」
「否定します。ラベンダーとカモミールをベースにした、当館特製の安眠アロマです。ただし、リラックス効果を高めるため、濃度を通常の三百倍に設定しています」
「それもう毒ガスと変わんねえよ!」
「次いで、深夜の興奮状態を鎮めるため、リラクゼーション・プログラムを実行します」
民宿の屋根に設置された指向性スピーカーが、崖下のサメジマたちに正確に狙いを定めた。
放たれたのは、非致死性の音響兵器を応用した『超リラックス音楽の爆音』だった。
ズン、という重低音とともに、アルファ波を強制的に誘発する特殊な周波数のメロディが、彼らの三半規管を直接揺さぶる。
◆ーーーー◆
「おい、しっかりしろ! なんだこのふざけた仕掛けは……!」
サメジマが怒鳴るが、その声もどこか間延びしている。
濃密なアロマの香りと、脳髄を揺らす重低音のコンボ。
部下たちは次々と膝をつき、強烈な眠気と脱力感に襲われて砂利の上に倒れ込んでいく。
「あぁ……なんか、すげぇ眠い……」
「母ちゃん……」
完全武装の男たちが、まるでゆりかごの中の赤ん坊のように丸まり始めた。
「おい! 起きろ! 寝るな!」
サメジマだけは気力で持ちこたえようとしているが、足元はおぼつかない。
視界がぐらぐらと揺れ、立っていることすら困難になっていく。
◆ーーーー◆
俺は慌ててコンソールの数値を叩いた。
「おいイージス、客室の防音と換気は大丈夫なんだろうな!? こんな騒ぎ、レイカたちが起きちまうぞ!」
「ノイズキャンセリングを最大出力で展開中。空調システムも独立稼働させています。レイカ様は現在、レム睡眠とノンレム睡眠の理想的なサイクルに入られています。スランプに悩まれていた小説家のシノブ様も、静寂の中で執筆に集中しておられます」
「……そうか。ならいい」
俺は胸を撫で下ろした。どんなに外でドンパチやっていようと、客の癒やしを守り抜くのがこの宿のルールだ。
ヒイラギは、モニターに映る異様な光景を無言で見つめていた。
「……信じられん」
ぽつりと、彼女の口から感嘆とも呆れともつかない声が漏れた。
「これほどの制圧力を持ちながら、一切の殺傷能力を封印しているというのか」
軍事機能を解放すれば、あんな密漁団など一瞬で灰にできる。それがイージス本来のスペックだ。
だが、彼女はあえて膨大な計算リソースを割き、ジャミングや音響兵器、さらにはドローンによるミスト散布といった非致死性の手段を複雑に組み合わせることで、無傷での無力化を実現している。
「言ったでしょう。うちはただの民宿で、こいつはおもてなしシステムだって」
俺が肩をすくめると、ヒイラギは複雑な表情で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「おもてなし、か。軍の教本をどう書き換えれば、こんなふざけた戦術ネットワークが構築できるのか、ぜひ開発者に小一時間問い詰めたいところだな」
「あはは……」
俺は乾いた笑いを返すしかなかった。
画面の中では、ついにサメジマも膝をついていた。
「クソッ……話が違うぞ。ただのボロ宿だって……」
彼は這いつくばりながら、懐から防水仕様の通信機を取り出した。
イージスのジャミングの隙間を縫うように、有線接続された特殊な発信器を使っているようだ。
「マスター。対象が外部への通信を試みています。妨害しますか?」
「いや、待て。誰に繋ぐ気か確認しろ」
俺の指示に、イージスは即座に通信の傍受を開始する。
サメジマは震える指で緊急回線を開き、血を吐くような声で叫んだ。
「応答しろ、クロガネ! 支援を頼む、このままじゃ全滅だ!」
クロガネ。
その名を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
以前、この辺りの海辺の再開発を企み、イージスのドローンによって合法的に撃退された悪質な地上げ屋の名前だ。
なぜ、密漁団のサメジマが地上げ屋のクロガネに支援を要請しているのか。
「……イージス。サメジマたちの狙いは、同型艦のデータコアだったな」
「肯定します。海底の金属反応と彼らの動向から、その確率が極めて高いと推測されます」
「クロガネも一枚噛んでるってことか」
通信機の向こう側からは、ノイズ混じりの不気味な沈黙が返ってくるだけだった。
だが、事態が単なる密漁団の襲撃で終わらないことだけは確実だった。
黒幕であるクロガネは、一体どのような手を打ってくるつもりなのか。
俺はコンソールに手を置き、モニターの向こうの暗闇を睨みつけた。
小さな前進の手応えはあった。だが、波乱の夜はまだ終わらない。




