第六章 十五分
神谷悠真が再び空へ上がった時、その姿を見ていたのは基地にいる人間だけではなかった。基地上空には複数の報道ヘリが遠巻きに滞空していた。ヴァルクが民間航空機や報道機を攻撃対象にしていないことは、すでに世界中の報道機関が知っている。基地への攻撃が始まったことで安全距離こそ取っていたが、高倍率カメラは格納庫から黒灰色の機体が飛び出す瞬間を鮮明に捉えていた。
『また出てきました! 昨日、未確認飛行物体四機を撃墜した、あの機体です!』
記者の声が生中継に乗った。鹵獲された宇宙人機が基地上空へ浮上する。それを認識した六機の敵機がほぼ同時に進路を変えた。白い光が走る。鹵獲機は機首をほとんど動かさず、機体全体を数メートル横へ滑らせてレーザーを避けた。続いてもう一本。今度はわずかに高度を落とすだけで射線から外れる。
『避けています! しかし……さきほどとは動きが違うように見えます!』
その違和感は、テレビを見ていた多くの人間も同時に感じていた。
《なんか動き変わってない?》
《昨日はもっと無茶苦茶だった》
《細かく避けてる》
《パイロット交代したんだろ》
《そりゃ自衛官だろ》
《昨日の高校生にまた乗せてたら頭おかしい》
《いくらなんでも自衛隊がそんな莫迦なことするわけない》
《でも昨日四機落としたのはそいつだぞ》
中継映像は日本国内だけでなく、数十か国へそのまま転送されていた。侵略開始以来、人類が目にしてきた映像の大半は敗北だった。だからこそ、唯一宇宙人機を次々撃墜した黒い一機に世界中の視線が集まっている。そして前日の戦闘から一晩しか経っていないにもかかわらず、神谷悠真という名前もすでにかなりの範囲へ広がっていた。
高校名、中学校、過去のSNSアカウント。ゲーム大会の記録。動画サイトに残っていた対戦映像。もちろん大量の誤情報も混じっていたが、本物も少なくなかった。
《神谷悠真ってゲーマーなんだろ?》
《プロ?》
《プロじゃない》
《でもそこそこ知られてたらしい》
《宇宙戦ゲーの上位にいた》
《フライトシムもやってる》
《大会で見たことある》
《そんな漫画みたいな話ある?》
《映画でそんなのがあったな……》
《あったな。ゲーマーが宇宙人と戦うやつ》
《現実でやるな》
《でも今日はさすがに自衛官だろ》
その書き込みが流れた直後、中継映像の鹵獲機が急激に高度を落とした。追ってきた宇宙人機を引きつけ、地表すれすれで横方向へ滑る。
《……今の動き、昨日見たぞ》
*
「ついてくる」
悠真は表示を見ながら呟いた。後方に三機。高度を落としても離れない。昨日ならそのまま谷へ逃げ込んでいたところだが、同じ手は使えない。自分が相手の動きを覚えたように、敵も昨日の戦闘を記録している。
「一尉。十五分って、今からですよね」
『もう一分十二秒経過した』
「細かいな」
『十五分と言ったのは君だ』
「じゃあ残り十三分四十八秒」
『戦闘中に時計を気にするな』
「そっちが時間決めたんでしょ」
軽口を叩いている間にも警告が出る。右。悠真は数メートルだけ横へ動いた。レーザーが通り過ぎる。次は上。少し高度を落とす。それだけで外れる。昨日のように全力で逃げる必要はない。敵の射線から身体一つ分外れればいい。大きく動けば、その分だけGを受ける。昨日は恐怖のあまり避けすぎていたのだ。
「これ、昨日よりかなり楽です」
『楽なわけがあるか』
「昨日よりは!」
悠真は正面の一機へ照準を向けた。しかし撃たない。宇宙人機がわずかに回避動作へ入る。もう一度狙う。再び撃たない。今度は敵も動かない。
「警戒してるな」
『何をだ』
「昨日、俺が回避先を狙ったから。狙われた瞬間に逃げると、その先を撃たれるって向こうも覚えたんですよ」
宇宙人は馬鹿ではない。むしろ恐ろしいほど学習が速い。
「面倒くさい」
『敵も同じ感想だろう』
「それならちょっと嬉しいです」
悠真は照準を外し、そのまま逃げる。三機が追ってきた。
「ちょっと試します」
『何をする気だ』
「撃たせます」
『馬鹿なことを言うな』
「避ければいいんですよね」
『簡単に言うな!』
一機目が射撃。小さく回避。二機目。回避。三機目。さらに最初の一機。悠真は一度も撃ち返さず、ひたすらレーザーを避け続けた。
「もうちょっと」
『何を見ている』
「敵の色です」
『色?』
外部表示の中で敵機の一部が少しずつ明るくなっている。肉眼の色ではない。センサーが何らかの情報を可視化しているらしい。しかも射撃回数の多い機体ほど変化が大きい。
「一尉、敵の後ろ側、明るくなってません?」
数秒後、一等空尉の声が戻った。
『こちらでも確認している』
さらに一射。回避。もう一射。その直後、敵の攻撃が止まった。射撃位置にいる。悠真を捉えている。それでも撃たない。二秒、三秒。代わりに別の一機が前へ出る。
『……熱かもしれん』
「やっぱり?」
『確証はない。レーザーを連続使用した機体ほど、温度表示らしき値が上昇している』
どれだけ技術が進歩していても、エネルギーを使えば廃熱が発生する。レーザーも推進機関もコンピューターも同じだ。宇宙人だからといって物理法則から逃げられるわけではない。
「じゃあ撃たせ続ければ、何秒か撃てなくなる」
『可能性はある。ただし本当に数秒だぞ』
「数秒あれば十分です」
『お前は本当に……』
「ゲームなら数秒って長いですよ」
*
その戦闘も世界中へ流れていた。報道ヘリの映像には、三機の宇宙人機が何度もレーザーを撃ち、それを鹵獲機が紙一重で避け続ける様子が映っている。
《何やってる?》
《逃げてるだけ?》
《撃ち返さない》
《故障した?》
《さっきの被弾ダメージだ》
《いや動きは普通》
《普通ではない》
《わざと撃たせてるように見える》
《なんのために》
そこへ一つの動画が急速に拡散された。
《神谷悠真の昔の対戦動画見つけた》
数年前の宇宙戦闘ゲームだった。画面内の機体が敵の射撃を繰り返し避ける。一切撃ち返さない。相手の武器ゲージが尽きた瞬間だけ反転し、一気に距離を詰めて撃墜する。
《ちょっと待て》
《今やってること似てない?》
《似てる》
《マジで本人?》
《いや偶然だろ》
《自衛官が昨日の戦闘見て同じことやってる可能性》
《神谷ってそこそこ知られているゲーマーだったんだな》
《本人知ってる。昔対戦した》
《強い?》
《反射神経より相手の癖読むタイプ》
《なんだそれ今一番必要な能力じゃん》
《だから映画かよ》
《民間人の高校生だぞ? 自衛官を差し置いてとか絶対にない》
*
五発、六発、七発。宇宙人機の表示が明るくなる。
「そろそろ」
敵がもう一度撃った。悠真は大きめに左へ動く。相手も追う。照準。しかし撃たない。
「止まった」
悠真は即座に進行方向を逆転させた。戦闘機なら反転に時間がかかる。だがこの機体にそんなものは必要ない。前方への加速を止め、反対方向へ加速するだけだ。
敵機が目の前へ近づいてくる。悠真は撃った。相手は横へ逃げる。追わない。逃げた先へ撃つ。命中。機体側面が裂けた。二射目。さらに命中。三射目が中央部を貫く。
『撃墜確認!』
「一機」
『よく見つけた』
「偶然です」
『戦場で同じ偶然を再現できれば、それは観察だ』
「それ誰の言葉です?」
『今作った』
「こんな時に?」
『お前に言われたくない』
残る二機を見る。今度は一機が一発撃つ。間を空け、もう一機が撃つ。さらに間。また最初の一機。交互射撃だった。
「……うわ」
『どうした』
「もう対策された」
敵は連続射撃をやめた。一方が冷却している間に、もう一方が撃っている。
「早すぎるだろ」
*
『一機、落ちました! 鹵獲機がついに一機を撃墜! 昨日に続き、宇宙人機が撃墜されました!』
報道ヘリの記者が叫ぶ。世界中のSNSが一気に加速した。
《また落とした》
《やっぱ中身違う》
《いや逆だろ。昨日の人間が慣れたんじゃないか》
《まさか昨日の高校生が?》
《いくらなんでも自衛隊がそんな莫迦なことを》
《昨日四機落としたのそいつだぞ》
《だからって今日も出すか普通》
《普通じゃないだろ今》
《地球侵略されてるんだぞ》
海外のニュース番組でも、日本の鹵獲機が大きく取り上げられていた。
『昨日、世界で初めて異星航空機を複数撃墜した十七歳の日本人少年、ユウマ・カミヤが再び搭乗しているのではないかという推測が広がっています』
『しかし、未成年者を軍事作戦へ参加させるなど考えられるでしょうか』
元空軍将校の解説者は、しばらく映像を見たあと答えた。
『通常ならあり得ません』
『では?』
『今は通常ではありません。昨日まで人類の撃墜数は事実上ゼロでした。彼は四機落とした。そして今、基地が攻撃を受けています。もし他に戦える人間がまだ育っていないなら、軍は最悪の選択肢の中から最もましなものを選ぶしかない』
*
基地では悠真が買った時間を一秒も無駄にしていなかった。
昨日、悠真が撃墜した四機のうち、二機は山林と住宅地近くで激しく損傷し、完全な残骸になっていた。だが残り二機は比較的原形を保って回収されている。そして今日、基地周辺で悠真が撃墜した機体も、自衛隊が地上部隊を送り込んで確保していた。
格納庫の奥には、悠真が最初に奪った一機とは別に、三機の宇宙人機が並んでいた。
そのうち一機は明らかに飛行不能。機体中央を貫かれ、地面との衝突で構造自体が歪んでいる。推進器らしき部分も完全に失っていた。しかし残る二機については事情が違った。
一機は側面に大穴が開いているものの、操縦区画と推進系は生きている可能性が高い。もう一機は墜落時に機首を潰していたが、内部システムの多くが起動状態を維持していた。
「こいつと、こいつだ」
昨日負傷した一等空尉が、二機を指した。
「確実に飛ぶとは言えない。ただ、可能性はある」
研究者が言う。
「最初の鹵獲機と同じ非常モードに入れられれば、認証を迂回できるかもしれません」
「問題は?」
「山ほどあります。武装が使える保証もない。飛ばした瞬間に墜落する可能性もある」
「それでもいい。準備しろ」
一等空尉は訓練中のパイロットたちへ向き直った。
「神谷が十五分買うと言った。なら十五分で、こいつらを戦力にする」
操縦席の簡易再現装置では、複数の自衛官が悠真の戦闘映像を見ながら訓練を繰り返している。
「飛行機だと思うな! 旋回するな! 機首を向けるな! 敵の後ろを取ろうとするな!」
画面の中で悠真の機体が横へ飛び、急停止し、後方へ射撃する。
「神谷の動きを真似するな。なぜその動きをしたのか考えろ!」
訓練中の一人が反射的に敵へ機首を向ける。
「違う! 飛行機に戻るな! そのまま横へ動け!」
「はい!」
「速度を守る必要はない。止まれ!」
仮想機体が空中停止する。
「後方へ射撃!」
一射。命中。
「そうだ!」
軍人たちも学んでいた。一度、考え方を理解し始めると速い。悠真はゲームで何千時間も六自由度戦闘を経験してきた。しかし彼らには、現実の空中戦を何千時間も訓練してきた経験がある。既存の常識を捨てるまでに時間が必要だっただけだ。
そして格納庫では別の班が、二機の宇宙人機を必死に起こそうとしていた。
「一号機、内部電源らしきもの復帰!」
「表示出ました!」
「認証は?」
「失敗!」
「非常モードは!」
「出ています!」
一等空尉が振り向く。
「人間を乗せろ」
「まだ安全確認が!」
「十五分しかない」
「ですが」
「神谷は安全確認ゼロで乗った」
一瞬、研究者が黙った。
「……それを基準にしないでください」
「分かってる。だから十二分待った」
*
宇宙人機の発熱情報は、ほぼリアルタイムで各国へ共有された。アメリカ、英国、フランス、中国、インド、日本。分析班が過去三日間の映像を再解析する。
数分で結果が戻った。レーザーを連続照射した機体は数秒間、射撃頻度が落ちる。その直前には機体後部の赤外線放射が増える。高加速を続けた機体にも似た傾向があった。
敵には熱限界がある。小さな発見だった。だが意味は大きかった。
敵は魔法ではない。無限のエネルギーを持っているわけでもない。熱を捨てなければならない。壊れる。撃ち落とせる。
同じ宇宙の物理法則に従っている。
*
「残り何分です?」
『八分三十秒』
「まだ半分?」
『時間を聞くなと言っただろ』
「長いんですよ!」
悠真に向かってきている敵は四機。先ほどの二機へ増援が合流していた。悠真は基地から離れすぎないよう戦っている。逃げるだけならもっと遠くへ行ける。しかし悠真が離れれば敵は基地へ向かう。それを宇宙人も理解している。
「これ、完全に待ち伏せ地点から動けないやつだな」
『普通に説明しろ』
「逃げられない場所の前で待たれてるってことです」
警告。右、上。悠真は下へ。三機目が下を塞ぐ。
「うまいな」
『感心するな』
「敵のこと知るの大事ですよ」
左だけが空いている。悠真は一瞬そちらを見る。
「……罠だな」
行かない。急停止。敵三機の動きが一瞬乱れる。悠真は真上へ。そこには四機目がいた。
「やっぱり!」
レーザー。予想していた。横へ回避。同時に撃つ。外れ。
「惜しい」
『お前、本当に昨日初めて実戦したのか』
「ゲームなら毎日戦ってました」
『それは実戦ではない』
「知ってます!」
一機が基地へ向かう。悠真も追う。背後警告。回避。しかしわずかに遅れた。
光。衝撃。
「ぐっ!」
機体側面へ被弾し、表示の一部が乱れる。
『神谷!』
「まだ動きます!」
『状況は』
「右後ろのセンサーがちょっと変!」
『帰投しろ!』
「基地は?」
通信の向こうが一瞬黙った。
『まだだ』
「じゃあ戻れません」
『神谷』
「続けます」
*
《今当たった》
《被弾したぞ》
《戻れ》
《中に誰乗ってるんだ》
《自衛官なら帰れ》
《高校生ならもっと帰れ》
《まだ高校生説信じてるの?》
《これ見ろ》
再び神谷悠真の過去のゲーム映像が貼られる。敵にわざと射撃させ、攻撃間隔を測り、癖を読み、反撃する。
《戦い方似すぎ》
《本人だろこれ》
《神谷って有名だったの?》
《有名ってほどじゃない》
《そこそこ知られている有名なゲーマーくらい》
《それ有名なのか違うのかどっちだ》
《マニアなら知ってる》
《大会より野良対戦で嫌われてた》
《なんで》
《フェイントばっかだから》
《宇宙人相手にもやってて草》
《笑ってる場合じゃない》
そして一つの投稿が急速に拡散した。
《基地関係者:昨日の少年が再搭乗》
《ソース?》
《匿名》
《地方局にも同じ情報》
《本当だったら大問題だぞ》
《じゃあ誰が戦うんだよ》
《軍人》
《今訓練してるらしい》
《操作自体は簡単なんだろ?》
《操作が簡単なのと実戦で戦えるのは別》
《昨日四機》
《今日も一機》
《もう五機》
《高校生エース……》
《映画でももう少し設定考える》
*
残り六分。
首が痛い。肩も背中も痛む。視界の端が時々暗くなる。小さく避けてもGは消えない。何度も加速を繰り返せば身体への負担は蓄積する。
「一尉」
『何だ』
「Gって慣れるんですか」
『多少は』
「多少?」
『訓練しても物理法則には勝てん』
「夢がないなあ」
『宇宙人の戦闘機に乗ってる高校生が言うな』
「それもそうか」
敵二機が交互に射撃する。悠真は回避。三機目が基地へ向かう。
「また!」
追う。しかし少し遅い。敵機が基地上空へ侵入する。
『地上部隊、射撃!』
ミサイル一発、二発。宇宙人機が回避する。悠真はその動きを見る。
「右」
敵は右へ逃げる。二発目。さらに右。
「一尉! 左から撃って!」
地上部隊へ命令が飛び、左側から新たなミサイルが上がる。敵は右へ回避。
「もう一回!」
別角度から射撃。宇宙人機はまた右へ逃げる。人類側のミサイルは一発も当たらない。しかし逃げる方向は限定されていた。
「そこ!」
悠真が撃つ。レーザーが命中。宇宙人機が揺れる。さらに地上からミサイル。敵が回避。その先へ悠真がもう一射。後部が破裂し、推力を失う。
『撃墜!』
基地内から歓声。
「やった!」
『神谷』
「はい」
『今のは君一人の撃墜じゃない』
悠真は地上を見る。ミサイル部隊。自衛隊。彼らが敵を追い込んだ。
「自衛隊が……」
『ああ』
人類のミサイルだけでは落とせない。悠真の鹵獲機だけでも難しくなっている。だが組み合わせれば。
「いいじゃん」
『何が』
「俺、いらなくなってきた」
『まだ五分ある』
「そこは否定してくださいよ」
*
その撃墜も世界へ中継された。地上から無数のミサイルが上がる。異星機が回避。その逃げた先へ鹵獲機のレーザー。命中。墜落。
『今の撃墜は極めて重要です』
軍事評論家が中継映像を指す。
『最後の一撃は鹵獲機でしたが、地上部隊が敵の回避方向を制限しています。つまり既存の人類兵器も、使い方次第で宇宙人機との戦闘に参加できる』
《自衛隊アシスト》
《ミサイル当たってないぞ》
《当てなくていいんだよ。逃げる場所を決めさせる》
《なるほど》
《ゲームでいう誘導だろ》
《またゲーム用語》
《今はゲーム勢の説明が一番分かりやすい》
《中身やっぱ神谷だろ》
《映画でそんなのがあったな……》
《その話もう何回目だ》
*
残り三分。
敵は五機。悠真の機体は損傷している。右側センサーの一部が死に、推力も落ちていた。宇宙人は近づいてこなくなっている。遠距離から交互に撃ち、悠真を基地上空へ釘付けにする。
「これ……時間稼ぎされてるの、俺じゃないですか?」
一等空尉は少し黙った。
『気づいたか』
「向こうも何か待ってる」
『こちらが戦力化を急いでいることを推測している可能性がある』
「頭いいな」
『恒星間航行してきた文明だぞ』
「そうでした」
レーザー。回避。またレーザー。少し反応が遅れる。
「あと何分?」
『二分二十秒』
「長いな……」
『さっきより短い』
「そういう問題じゃないです」
敵機が二方向へ分かれ、一機は基地へ。悠真は追う。別の二機が射線を作る。
『神谷、深追いするな』
「でも基地が」
『地上部隊がやる』
「落とせないでしょ」
『落とす必要はない』
次の瞬間、地上から十数発のミサイルが一斉に上がった。宇宙人機が回避を強いられ、基地への攻撃を中止して高度を上げる。
「……なるほど」
『時間を稼ぐだけなら、我々にもできる』
一等空尉の声が続く。
『全部一人でやろうとするな』
「はい」
悠真は少しだけ笑った。
*
その頃、格納庫では二機の宇宙人機に変化が起きていた。
「一号機、浮上制御応答あり!」
「本当に?」
「推進系出力、上がっています!」
「武装は?」
「不明!」
一等空尉が一機目を見る。損傷は大きい。だが浮く可能性がある。
「二号機は?」
「内部システム起動。外部センサーの半分が死んでいますが、操縦系は反応しています」
「飛べるか」
「やってみなければ分かりません」
「ならやる」
一機目の操縦席には航空自衛隊の二等空佐。四十一歳。戦闘機操縦時間三千時間超。宇宙人式戦闘訓練、十五分。二機目には別のパイロットが準備している。
「二機同時は無理です」
研究者が言った。
「なぜ」
「二号機の推進系統が不安定です。まず一機だけ」
一等空尉は頷いた。
「一機でいい」
時計を見る。
「神谷との約束まで一分」
*
『神谷』
通信。
「はい」
『時間だ』
悠真は一瞬意味が分からなかった。
「……十五分?」
『十五分だ』
時計を見る。本当に十五分。長かった。ひどく長かった。
「交代できます?」
『できる』
「本当に?」
『ああ。それどころか、少し状況が変わった』
「何が?」
『お前が昨日落とした機体を覚えているか』
「四機?」
『そのうち二機を回収している。今日の撃墜機も一機確保した』
「そんなに?」
一機しかなかったところからだ。
『三機だ。そのうち二機は使える可能性がある』
悠真は一瞬、敵への警戒を忘れそうになった。
「使える?」
『一機は今、起動した』
「……飛ぶんですか」
『これから試す』
「ちょっと待ってください。それ、俺が戻る前に試すやつ?」
『お前は帰れ』
「はい」
思わず笑った。
「じゃあ戻ります」
悠真は基地へ向かう。敵が追う。
「帰らせてくれないんだけど」
『地上部隊、援護!』
大量のミサイルが上がる。宇宙人機が散開する。その間に高度を下げる。基地。格納庫。
「ゆっくり……」
『焦るな』
「分かってます」
『速度を落とせ』
「落としてます」
『まだ速い』
「うるさいな!」
接地。一度跳ねる。
「うわっ」
再び接地。滑る。停止。悠真は長く息を吐いた。
「帰った……」
*
側面が開く。悠真は外へ出ようとした。しかし立った瞬間、膝から力が抜けた。
「え」
一等空尉が身体を受け止める。
「神谷!」
「大丈夫……です」
「大丈夫なやつは立てる」
「十五分、守りましたよ」
「ああ」
「約束」
「ああ。交代だ」
その横を耐Gスーツ姿の二等空佐が通り過ぎる。
「あの人?」
「そうだ」
「十五分しか練習してないですよ」
「お前はゼロ分だ」
「それ言われると何も言えないな」
二等空佐が立ち止まった。
「神谷君。一つ聞きたい」
「何ですか」
「一番気をつけることは?」
悠真は少し考えた。
「飛行機だと思わないこと」
「他には」
「敵を追わない。今いる場所じゃなくて、次に行く場所を見る」
「了解」
「あと」
「何だ」
「死なないでください」
二等空佐は一瞬黙った。
「ああ」
だが彼が向かったのは悠真が降りた鹵獲機ではなかった。格納庫の奥。昨日、悠真が撃墜した機体。側面に大きな穴が開き、外装の一部を失っている。それでも内部には薄い光が灯っていた。悠真の目が大きくなる。
「……そっち?」
一等空尉が笑う。
「お前の機体は休ませる」
回収された宇宙人機の側面が開く。二等空佐が中へ入る。
「本当に飛ぶんですか」
「知らん」
「知らんって」
「五分前まで誰も知らなかった」
機体が低く振動した。
「浮上制御!」
研究者の声。
「反応あります!」
黒い機体がゆっくりと地面から離れた。一メートル。二メートル。五。
「……飛んだ」
悠真が呟く。昨日、自分が撃墜した敵機。それが今。人類側のパイロットを乗せて浮かんでいる。
*
『また……いえ。おそらく別の機体です!』
報道ヘリの記者が声を上げた。
『基地からもう一機! もう一機の未確認飛行物体が浮上しています!』
世界中の視聴者が画面を見る。
《え?》
《二機目?》
《ダメージ受けてる位置が明らかに違う》
《鹵獲機が増えた?》
《別機体だ》
《どこから》
《昨日落としたやつじゃないの?》
《回収してたのか》
新しい鹵獲機はぎこちなく上昇した。昨日の悠真とも、今日の悠真とも違う。だが敵の後ろを取ろうとしない。
宇宙人機一機が射撃する。鹵獲機は横へ滑る。別の敵が攻撃位置へ入ると、その射線へ最初の敵機を置く。射撃が止まる。悠真は地上から見上げていた。
「ちゃんとやってる」
「ああ」
一等空尉も空を見ている。鹵獲機が後退しながら横方向へレーザーを撃った。敵が回避。その回避先へ、もう一射。命中。
『また一機撃墜です!』
報道ヘリの記者が叫んだ。ネットが爆発する。
《二機目も戦える》
《高校生じゃない》
《自衛隊だ》
《マジか》
《昨日落とした機体を使ってる?》
《鹵獲機部隊作れるじゃん》
地上の悠真は、空を見ながら小さく笑った。
「もう覚えてる」
「当然だ」
「十五分ですよ」
「十五分もあった」
「俺、一日かかったのに」
「お前には教官がいなかった」
その時、格納庫の奥からさらに声が上がった。
「二号機、推進系復帰!」
悠真と一等空尉が同時に振り返る。もう一機。今日、悠真が落とした宇宙人機。機首の一部が潰れ、外装が裂けている。しかし内部照明が点いた。
「……もう一機?」
一等空尉が答える。
「飛ぶかどうかはまだ分からん」
だが口元は笑っていた。
「時間さえあればな」
*
その日の映像は世界中を駆け巡った。最初の十五分。
神谷悠真、十七歳。高校生。軍事経験なし。ゲームを得意とする少年が、鹵獲した異星機で宇宙人機を撃墜し続けた。
十五分後。
航空自衛隊の正規パイロットが、悠真自身が前日に撃墜した別の宇宙人機へ乗り込み、敵機を撃墜した。
意味は明白だった。人類が使える宇宙人機は、一機だけではない。ネット上の空気が変わった。
《終わった》
《何が?》
《高校生一人しか戦えない状態が終わった》
《自衛隊が乗れる》
《しかも撃墜機を直して使える》
《敵落とせば戦力増える?》
《鹵獲すればな》
《これ戦況変わるぞ》
実際にはそれほど単純ではない。ほぼ残骸のような機体も含めれば、五機回収して使えそうなのは三機。部品の交換すらできず、損傷した推進系の修理方法も分からない。武器の残量も動力の寿命も不明だった。
それでもゼロではなくなった。一機だったものが二機になった。そして三機目が起動しようとしている。
これは大きな違いだった。
*
夜。悠真は医務室のベッドに寝かされていた。軽いむち打ち、筋肉損傷、脱水。幸い深刻な怪我はない。亮太が椅子に座り、スマートフォンを見ている。
「悠真」
「何」
「お前、世界トレンド一位」
「見たくない」
「二位が宇宙人」
「宇宙人に勝った」
「三位がゲーマー」
「嫌すぎる」
「四位が鹵獲機」
「順番おかしいだろ」
亮太が笑った。
「あと、お前の昔のゲーム動画、再生数三千万」
「は?」
「昨日まで四千だったのに」
「消してえ……」
「転載されまくってるから無理」
「最悪」
「コメント読む?」
「絶対嫌だ」
「一個だけ」
「嫌だって」
亮太が読み上げた。
「『映画で見た』」
「やめろ」
「その下」
「読むな」
「『映画より設定がおかしい』」
悠真は枕を亮太へ投げた。
*
同じ頃、地球周回軌道。ヴァルク艦隊の戦闘管理システムは、新しいデータを処理していた。
鹵獲機。一機。訂正。二機。地球人操縦者。複数。
さらに地上。回収されたヴァルク機、複数。修復作業。確認。
戦術AIは侵略開始時の予測モデルを再計算した。当初、地球人類がヴァルク兵器を実戦投入できるまでの推定時間は数年だった。
第一次修正。数か月。
第二次修正。数週間。
現在。数日。
さらに悪い。地球人は撃墜した機体を回収し、使用可能な個体を選別し始めている。
敵を撃墜する。残骸を確保する。修復する。操縦者を乗せる。再び戦場へ出す。単純な循環。
だが放置すれば、戦闘が続くほど地球側のヴァルク兵器が増える可能性がある。最初の地球人操縦者が発見した戦術は、すでに別個体へ伝達されていた。
一個体の学習ではない。文明が学習している。一人が理解し、情報を共有する。別の人間が改善し、さらに別の場所へ伝える。高速で。
ヴァルク戦術AIは新しい脅威分類を作成した。
《技術格差:極大》
《戦術適応速度:極大》
《敵兵器転用能力:確認》
《長期戦危険度:上昇》
結論。
地球文明の抵抗能力を消滅させるには、当初計画より短期間での制圧が必要。命令が艦隊全体へ送信された。
《地上制圧計画を前倒し》
そして初めて、軌道上の十三隻の大型艦から、それまでとは明らかに異なる物体が切り離された。
攻撃機ではない。全長三百メートル。巨大な降下艇。一隻。二隻。十隻。さらに続く。地球へ向かって落ち始める。空を支配するだけでは足りない。
ヴァルクは判断した。地上へ降りる。
人類とヴァルクの戦争は、次の段階へ入ろうとしていた。




