第四章 鹵獲機
最初に到着したのは警察だった。河川敷へパトカーが三台。続いて消防車。
さらに自衛隊の車両。上空ではヘリコプターが何機も旋回している。
悠真と亮太は、異星機から五十メートルほど離れた場所に座っていた。逃げる気はなかった。というより、逃げる理由も体力もなかった。制服姿の警察官が走ってくる。
「君たち! そこから離れて!」
「もう離れてます!」
亮太が答えた。
「もっと! こっちへ!」
二人は立ち上がった。その瞬間、悠真の膝が抜けた。
「うわ」
地面へ手をつく。
「悠真!」
「大丈夫」
大丈夫ではなかった。全身が痛い。特に首と背中。戦闘中は気づかなかったが、何度も強烈な加速度を受けたせいだろう。
「怪我してる?」
「たぶんしてないです」
「たぶんじゃなくて!」
救急隊員が駆け寄る。その向こうでは、自衛隊員たちが黒い機体を取り囲み始めていた。だが誰も近づかない。当然だった。数分前まで、その機体は空を飛び、宇宙人の攻撃機を四機撃墜していた。何が起こるか分からない。
銃を構えた隊員。防護服。放射線測定器らしい機器。ドローン。悠真はそれを眺めていた。
「君」
声をかけられた。振り向く。迷彩服の男。五十歳前後。階級章は分からない。
「君があれを操縦したのか」
悠真は少し迷った。
「はい」
「一人で?」
「こいつもいました」
亮太を指す。
「俺、操縦してません!」
亮太が即座に否定した。
「ずっと叫んでました」
「それは見れば分かる」
男の表情はほとんど変わらなかった。
「名前は?」
「神谷悠真です」
「年齢」
「十七」
「君は?」
「佐伯亮太。十七です」
男は一瞬だけ目を閉じた。
「高校生か……」
それ以上、何も言わなかった。
*
母親が到着したのは二十分後だった。
「悠真!」
遠くから声が聞こえた。悠真は反射的に立ち上がった。
「母さん」
次の瞬間、頬を叩かれた。乾いた音。
「痛っ」
「何考えてるの!」
母親は泣いていた。
「ごめん」
「ごめんじゃないでしょ!」
「はい」
「ニュース見たのよ!」
「うん」
「なんであんたがテレビに出てるの!」
「俺も知らない」
「知らないじゃない!」
もう一度叩かれるかと思った。代わりに抱きしめられた。
「馬鹿……」
声が震えていた。悠真は何も言えなかった。母親の肩越しに黒い機体が見える。自衛隊員。警察。カメラ。ずっと現実感がなかった。空を飛んでいた時は考える暇がなかった。
だが母親に抱きしめられて、ようやく理解した。自分は本当に死にかけた。
「ごめん」
もう一度言った。
「本当に」
*
二人はそのまま自衛隊の施設へ移送された。正式な逮捕ではない。任意の事情聴取だと説明された。だが帰れる雰囲気でもなかった。スマートフォンも一時的に預けることになった。
「没収?」
亮太が聞いた。
「一時預かりです」
「いつ返ってきます?」
「確認が終わり次第」
「データ消さないですよね?」
「消しません」
「本当に?」
「佐伯」
「はい」
悠真が止めた。二人が案内された部屋は、取り調べ室のような場所ではなかった。会議室。机。椅子。ペットボトルの水。サンドイッチまで置いてある。
「食っていいのかな」
亮太が言った。
「いいんじゃない」
「毒とかない?」
「今さら俺ら毒殺してどうすんだよ」
「宇宙人の機体盗んだ重要参考人だぞ」
「言い方」
腹は減っていた。二人とも無言で食べ始めた。十分ほどして、三人の男と一人の女性が入ってきた。一人は河川敷で話しかけてきた自衛官。残りは知らない。
「神谷君、佐伯君」
中央の男が言った。
「まず確認しておく。君たちは犯罪容疑者ではない」
亮太が露骨に安心した。
「よかった……」
「ただし、極めて重要な情報を持っている」
「宇宙人の飛行機ですよね」
「そうだ」
男は名刺を出した。防衛省。肩書きが長い。悠真には半分も分からなかった。
「最初から話してほしい」
「どこから?」
「墜落を見たところから」
悠真は話した。F―2。異星機。墜落。避難列。山へ向かったこと。宇宙人の死体。機体の入口。操縦席。認証らしい画面。非常モード。視線入力。手の動き。浮上。最初の一機。撃墜。増援。戦闘。四機。途中で何度も質問が入った。
「操縦桿は?」
「ありません」
「ペダルは?」
「ないです」
「スロットル?」
「たぶんない」
「推力をどう調整した?」
「してません」
男たちが顔を見合わせる。
「では、どうやって加速を」
「行きたい方向を選びました」
「選ぶ?」
「画面っていうか、空中に表示が出るんです。そこ見て、手を動かして」
「それだけ?」
「はい」
「速度は?」
「機体が勝手に決めてたと思います」
「高度は?」
「行きたい場所を選んだだけです」
「姿勢制御は?」
「してません」
自衛隊員の一人が眉を寄せた。
「戦闘機ではないな」
隣の女性が言った。
「航空機という発想を捨てた方がいいかもしれません」
悠真はその言葉に頷いた。
「俺もそう思います」
全員が悠真を見る。
「映像見てて思ったんです。あれ、飛行機みたいに飛んでないんですよ」
「続けて」
「飛行機なら、曲がる時に機体傾けるじゃないですか」
「そうだ」
「でもあれは違う。右に行きたかったら右に動く。上なら上。後ろなら後ろ」
「ベクトルを直接指定する?」
「……たぶん、そんな感じです」
女性がノートへ何か書いた。
「それを君はすぐ理解した?」
「ゲームにそんなのがありますから」
沈黙。一人が確認する。
「ゲーム?」
「宇宙戦の」
亮太が口を挟んだ。
「こいつゲームばっかやってるんです」
「ばっかじゃねえ」
「昨日も朝四時までやってただろ」
「それは土曜」
「同じだろ」
「話を戻そう」
防衛省の男が言った。
*
事情聴取は三時間続いた。同じことを何度も聞かれた。最初の一機を撃った時。悠真は少し言葉に詰まった。
「撃つつもりはなかったです」
「誤射?」
「はい」
「しかし二機目以降は意図的だ」
「……はい」
「なぜ?」
質問した男の口調に責める感じはなかった。だから余計に答えづらい。
「向こうが撃ってきたから」
「自衛のため?」
「はい」
「それでいい」
悠真は顔を上げた。
「いいんですか」
「何が」
「俺、殺しましたよね」
部屋が静かになる。
「宇宙人でも、中にいたんですよね」
「いた可能性が高い」
「四人」
「個体数までは確認できていない」
「でも死んだ」
「そうだろうな」
男はごまかさなかった。
「神谷君」
「はい」
「君が攻撃しなければ、君と佐伯君が死亡した可能性は極めて高い」
「……はい」
「それでも何も感じるな、とは言わない」
悠真は黙っていた。
「だが今は、無理に答えを出す必要もない」
悠真は小さく頷いた。
*
その頃。墜落した異星機は、陸上自衛隊の管理下に置かれていた。半径二キロが封鎖。周辺住民は避難。放射線。化学物質。生物汚染。電磁波。考えられる限りの危険が調査された。大きな異常は見つからなかった。問題は機体そのものだった。
表面材質。不明。
内部配線。不明。
動力源。不明。
推進機構。不明。
武装原理。レーザーらしいこと以外、ほぼ不明。
科学者たちは機体の外側から測定を続けた。誰も内部へ入ろうとしなかった。正確には入れなかった。入口が閉じていたからだ。
*
翌朝。悠真は施設内のベッドで目を覚ました。全身が筋肉痛だった。
「痛え……」
首を動かす。痛い。肩。痛い。腹。痛い。
「宇宙船ってこんな疲れるのかよ」
隣のベッドから亮太の声。
「お前まだいたの?」
「同じ部屋だろ」
「寝てた」
「俺も」
時計。午前七時十八分。スマートフォンはまだ返ってきていない。テレビをつける。自分の顔が映った。
「うわ」
消した。
「なんで消すんだよ」
「嫌だよ自分をニュースで見るの」
「俺も映ってた?」
「映ってた」
「どんな感じ?」
「間抜け」
「殺すぞ」
もう一度テレビをつける。
《異星兵器を操縦した少年》
《高校生が四機撃墜》
《人類初の反撃》
《少年はなぜ操縦できたのか》
どの局も同じだった。ネットではもっとひどいことになっているらしい。顔も名前もすでに特定されていた。
「俺ら学校戻れる?」
亮太が言った。
「無理じゃね?」
「転校?」
「どこ行っても同じだろ」
「宇宙人より怖いなネット」
その時、部屋のドアが開いた。昨日の防衛省の男だった。
「神谷君」
「はい」
「少し来てもらえるか」
「また事情聴取?」
「違う」
男が言った。
「機体を開けてほしい」
*
「開かないんですか」
「開かない」
車で移動しながら説明を受けた。河川敷から移送された異星機は、近くの自衛隊基地に運び込まれていた。巨大な格納庫。内部は臨時研究施設になっている。
白衣。迷彩服。防護服。見たこともない測定装置。その中央。黒い異星機。
「おお……」
亮太が声を漏らした。
「お前も来たの?」
「参考人」
「何の」
「お前の暴走を止める係」
「止まってなかったけどな」
昨日とは違って、機体全体が強い照明に照らされている。傷がよく見える。後部。側面。
レーザーを受けた跡。着陸時の損傷。それでも形を保っている。
「頑丈だな」
「それも分かっていない」
白衣の女性が答えた。三十代くらい。
「単純に強度が高いのか、衝撃を分散しているのか」
「これ、俺が乗ってたやつですよね」
「そう」
悠真は機体へ近づいた。
「入口、ここ」
「位置は分かっている」
「開かない?」
「何をしても」
「触りました?」
「何も起きなかった」
「なるほど」
「神谷君」
白衣の女性が言った。
「昨日と同じように近づいてほしい。ただし、勝手に機内へ入らないで」
「はい」
悠真は機体へ近づく。三メートル。二メートル。一メートル。何も起きない。
「昨日は勝手に開いたんです」
「どの距離で?」
「覚えてない」
さらに近づく。表面を見る。
「このへんだったような」
手を伸ばした。
「待って」
「まだ触ってないです」
指先。十センチ。五センチ。その瞬間、細い光が走った。周囲から声が上がった。
「反応!」
機体側面。光が四角形を描く。入口が開いた。悠真も驚いた。
「……俺?」
研究者たちが一斉に動き始める。測定。撮影。記録。
「もう一度離れて」
悠真が下がる。入口は開いたまま。
「関係ない?」
「接近で反応した可能性はある」
別の自衛官が近づく。何も起きない。研究者。何も。
「神谷君、もう一度」
悠真が近づく。内部照明が点灯した。
「……認識されてる」
誰かが呟いた。
「機体が彼を記憶している?」
「操縦者として?」
「あり得る」
悠真の背筋が少し寒くなった。昨日、自分はただ乗っただけではない。機体側にも、自分がデータとして残っている。
*
午前九時。人類初の異星兵器内部調査が始まった。最初に入ったのは悠真だった。
「なんで俺なんですか」
「君が入らないとシステムが起動しない」
「昨日、危ないから入るなって怒られたのに」
「今日は我々が頼んでいる」
「大人って勝手ですね」
後ろで亮太が吹き出した。悠真の後に、防護服を着た研究者二名。さらに自衛官。
操縦席。悠真が近づく。空間が光る。
「出ました」
「昨日と同じ?」
「だいたい」
ホログラムが広がる。研究者たちが息を呑む。
「立体表示……」
「投影面が見えない」
「空気中に像を形成している?」
「レーザー走査か?」
「先に記録!」
悠真は座席へ座る。拘束帯。身体測定。昨日と同じ。警告。認証失敗。さらに警告。数秒後。黄色の表示。そして通常画面。
「ここです」
「認証を失敗している?」
「たぶん」
「それでも起動するのか」
女性研究者が言った。
「非常運用モードでしょうね」
「なぜ認証失敗時に操縦を許可する」
「認証装置の故障だけで機体を失う設計にはしないでしょう」
誰かが答えた。悠真は聞きながら表示を操作した。
「これが外」
外部視界。格納庫が三次元化される。人間。車両。機器。それぞれに表示。
「すごい……」
研究者の一人が呻く。
「壁の向こうまで見えている」
「人間の位置も」
「センサー融合か」
悠真は昨日のことを思い出した。
「あ」
「何?」
「これです」
報道関係者はいない。代わりに近くに駐機しているヘリコプター。薄い表示。軍用車両は少し濃い。基地のレーダー施設はさらに濃い。
「優先度が違う」
女性研究者が言った。
「やっぱり」
「何?」
「宇宙人、テレビ局を見逃してたんじゃないです」
悠真は表示を指した。
「見えてたけど、どうでもよかったんです」
部屋が静かになる。三日間、報道ヘリが無視され続けた理由。推測だった。だがほぼ答えに見えた。
宇宙人は民間機を認識していた。そのうえで無視していた。
*
調査が進むにつれ、さらに意外なことが分かった。操縦は悠真にしかできない。そう思われていた。違った。
「座ってください」
「本当に?」
航空自衛隊のパイロットが操縦席を見る。三十代。F-35Aの操縦資格を持つ一等空尉。身体検査。防護装備。あらゆる準備をした上で座る。
認証。失敗。非常モード。起動。
「……動いた」
悠真が言った。パイロットは慎重に表示を見る。
「神谷君。これが移動操作?」
「はい。たぶん」
「この記号?」
「そうです」
視線。手。表示が反応。
「なるほど」
数分。操作方法を理解した。
「簡単だ」
パイロットが言った。悠真は少し驚いた。
「ですよね」
「ああ。むしろ我々の航空機より操作項目が少ない」
格納庫の中では飛ばせない。そこで仮想訓練らしき機能を探すことになった。偶然それも見つかった。
外部表示が消える。代わりに広大な空間。宇宙人の訓練環境らしい。
「シミュレーター?」
亮太が言った。
「機体に入ってるのか」
パイロットが操作する。浮上。加速。停止。旋回。いや、方向転換。十分もしないうちに自在に動かせるようになった。
研究者たちは興奮した。
「神谷君だけではない」
「人間でも操作可能」
「インターフェースの汎用性が非常に高い」
悠真は少し複雑だった。自分だけが動かせた。どこかでそう思っていた。違った。誰でも飛ばせる。少なくとも訓練された人間なら。
「なんだ」
亮太が言った。
「お前、普通じゃん」
「うるせえ」
だが次の瞬間。空気が変わった。訓練環境に敵機が出現した。一機。宇宙人機。
「模擬戦か」
自衛隊パイロットの表情が変わる。悠真にも分かった。さっきまでとは違う。プロの顔。
「始めます」
戦闘開始。敵機。正面。パイロットは距離を取る。センサー確認。位置。速度。射撃。
回避される。敵機が反撃。回避。非常に滑らか。悠真よりずっと丁寧だ。
「すげえ」
亮太が言った。
「当たり前だろ。プロだぞ」
敵機と高度差を取る。射線。攻撃。回避。三十秒。一分。二分。撃墜できない。むしろ少しずつ追い込まれている。
「……なんで?」
亮太が言った。悠真も同じことを思った。上手い。間違いなく自分より操縦は上手い。機体を滑らかに扱っている。無駄がない。なのに。
「危ない!」
悠真が声を上げた。敵機は横。自衛隊パイロットも反応した。だが一瞬遅い。
被弾表示。撃墜。訓練終了。
沈黙。
「もう一度」
パイロットが言った。二戦目。敗北。三戦目。敗北。四戦目は三分持った。それでも勝てなかった。
「交代する」
別のパイロット。敗北。さらに一人。敗北。
誰も弱くない。地球側では最高レベルの航空戦闘訓練を受けている人間たち。なのに勝てない。悠真は画面を見ながら、妙な違和感を覚えていた。
「……動きが飛行機なんだ」
誰かが振り向いた。
「何?」
「みんな」
悠真は少し言いにくそうに続ける。
「飛行機として動かしてる」
「どういう意味だ」
一等空尉が立ち上がる。怒ってはいない。本気で聞いている。
「敵の後ろ取ろうとしてますよね」
「当然だ」
「なんで?」
沈黙。悠真は続ける。
「こいつ、後ろ取らなくても撃てます」
パイロットの表情が止まった。
「機体の向き関係ないですよね」
悠真は訓練画面を見る。
「俺、昨日途中で気づいたんです。機首、敵に向けなくても撃てる」
「……確かに」
「だから後ろに回る必要ない」
悠真はもう一つ気づく。
「あと、旋回しなくていい」
「旋回?」
「右に行きたかったら、そのまま右に行けばいい。減速して後ろにも行ける」
「理屈ではそうだ」
「でもみんなやってない」
一等空尉が黙った。長年染みついた航空戦闘の常識。機首方向。速度維持。失速。エネルギー管理。旋回戦。敵の後方を取る。それらが、この兵器では一部しか意味を持たない。
「神谷君」
女性研究者が言った。
「やってみて」
「俺が?」
「同じ訓練」
悠真は操縦席を見る。少し嫌だった。昨日の戦闘を思い出す。だが。
「シミュレーターですよね」
「そう」
座った。起動。訓練環境。敵機は一機。開始。
悠真は最初から敵を追わなかった。上。急停止。横。敵機が追ってくる。悠真は逆方向。
「何をしてる?」
「誘ってます」
敵機。接近。悠真は射撃。避ける。回避方向を見る。
「やっぱり」
二射目。わざと外す。敵が同じ方向へ逃げる。三射目。回避先。命中。追撃。撃墜。訓練終了。
勝利。四十二秒。誰も喋らなかった。
「……もう一回」
自衛官が言った。
二戦目。一分十三秒。勝利。三戦目。敵二機。悠真は一機をもう一機の射線へ入れた。同士討ち回避。一対一。一機撃墜。二機目。撃墜。二分四十八秒。
「何なんだそれは」
一等空尉が呟いた。悠真は拘束帯を外した。
「ゲームなら普通です」
「普通?」
「相手がどんなルールで動いてるか探すんです」
「戦術を?」
「戦術っていうか」
悠真は少し考える。
「攻略法」
その言葉に、部屋にいた軍人たちの表情が変わった。
「攻略……」
「相手が右に避けるなら右に撃つ。味方がいたら撃たないなら盾にする。追ってくるなら罠に入れる」
「現実の戦闘でそれをやったのか」
「昨日は必死だったから」
一等空尉は画面を見る。
「我々は敵を戦闘機として見ている」
「はい」
「君は?」
「敵キャラ」
亮太が吹き出した。
「言い方!」
「他に言い方ないだろ」
だが誰も笑わなかった。女性研究者が静かに言った。
「認知の問題ね」
「認知?」
「専門家ほど、既存の体系に当てはめて理解する」
彼女は宇宙人機を見る。
「戦闘機乗りは戦闘機として扱う。宇宙工学者は宇宙船として扱う」
悠真を見る。
「でも彼には、その前提がなかった」
「ゲームで似たのを見たことあっただけです」
「それが重要なのかもしれないわ」
*
午後。会議が始まった。悠真と亮太は参加させてもらえなかった。だが隣室にいるだけでも、ただならないことは分かった。
日本政府。防衛省。自衛隊。研究機関。そしてアメリカ軍。オンライン回線には、さらに複数の国が参加していた。議題は一つ。
鹵獲機。人類が初めて手に入れた、実働可能な異星兵器。
アメリカ側は共同管理を要求した。日本側は拒否。少なくとも解析が終わるまでは国外へ出さない。
欧州からも共同研究の申し入れ。中国もデータ共有を要求。
侵略三日目。人類は滅亡の危機に瀕している。それでも国家間の駆け引きは消えなかった。
「馬鹿じゃねえの」
亮太が言った。
「聞こえるぞ」
「だって宇宙人来てんのに、どこの国が持つとか言ってんだぞ」
「まあ」
「全員で使えばいいじゃん」
「簡単じゃないんだろ」
「なんで」
「知らん」
「お前も分からんのか」
「高校生に国際政治聞くな」
二人は缶ジュースを飲んだ。そこへ防衛省の男が入ってきた。
「神谷君」
「はい」
「少し確認したい」
「また?」
「一つだけだ」
男は座らなかった。
「あの機体をもう一度、実際に飛ばせるか」
悠真は缶を持ったまま止まった。
「俺が?」
「そうだ」
「なんで」
「現時点で最も戦闘能力が高い操縦者だからだ」
悠真は笑いそうになった。
「いやいや」
誰も笑っていない。
「自衛隊の人いるじゃないですか」
「訓練結果を見ただろう」
「あれシミュレーターですよ」
「それでもだ」
「俺、高校生ですよ」
「分かっている」
「戦闘訓練も受けてない」
「分かっている」
「昨日四機落としたのも、半分くらい運です」
「それも分かっている」
「じゃあ」
男は悠真を見る。
「それでも、四機を落とした人間は君しかいない」
言葉が止まった。昨日まで。人類全体でゼロ。悠真一人で四。数字にされると異様だった。
「戦えってことですか」
「今すぐではない」
男は答えた。
「機体の修理が可能かどうかも分からない。武器の残量も、動力の残量も分からない」
「じゃあ」
「だが、もし飛べるなら」
少し間。
「君の協力が必要になる可能性がある」
悠真は缶を見た。指が少し震えた。昨日の記憶。燃える機体。四本腕の死体。自分が撃った光。
「……嫌だって言ったら?」
男はすぐ答えた。
「無理強いはしない」
「本当に?」
「君は自衛官ではない。未成年だ」
悠真は少し安心した。だが男は続けた。
「ただ」
「はい」
「今朝までに、日本国内で確認されている異星機は百七十機を超えた」
悠真の顔が上がる。
「世界全体では、おそらく千機以上」
「……」
「昨日、君が撃墜したのは四機だ」
男は静かに言った。
「戦況は、何も変わっていない」
*
その夜。悠真のスマートフォンが返却された。通知。九千件以上。
「うわ」
メッセージ。SNS。メール。知らない番号。テレビ局。新聞。海外メディア。
友人。親戚。学校。全部無視した。
母親へ電話。
『悠真?』
「うん」
『大丈夫なの?』
「大丈夫」
『本当に?』
「たぶ――」
言いかけて止める。
「大丈夫」
『いつ帰れるの?』
「分からない」
『何してるの?』
「いろいろ話を聞かれてるだけ」
嘘ではない。全部ではないだけ。
『もう変なことしないでよ』
「うん」
返事が少し遅れた。
『悠真』
「何?」
『あんた、また乗るの?』
悠真は黙った。ニュースを見たのだろう。機体が自衛隊基地へ運ばれたこと。軍が調査していること。世間ではすでに、
《高校生エース》
《地球最初の撃墜王》
などと好き勝手に呼ばれている。
「分からない」
『乗らないでね』
「うん」
『約束して』
悠真は答えられなかった。
『悠真?』
「ごめん」
『なんで謝るの』
「まだ分からないから」
母親も黙った。数秒。
『ちゃんと帰ってきて』
「うん」
『それだけでいいから』
「うん」
通話を切った。悠真はベッドへ寝転がった。天井。静かだった。すぐに遠くで警報が鳴った。空襲警報。反射的に身体が起きる。窓からは何の変哲もない夜空。何も見えない。スマートフォンを見た。
《近隣地域上空に未確認飛行物体》
昨日までなら怖いだけだった。今は違う。敵の動き。速度。射程。回避。そんなものを考えている自分がいる。嫌だった。だがもし自分なら。あの機体が飛べるなら。
一機くらいまた落とせるかもしれない。その考えが浮かんだことの方が、悠真には怖かった。
*
同じ時刻。地球周回軌道。ヴァルク艦隊では地球人類に関する情報が更新され続けていた。
鹵獲機の信号は停止。地上の軍事施設内へ移送された可能性。周辺電磁情報。人類側通信量の急増。ヴァルクの解析システムは、一つの結論を出した。
地球文明は鹵獲兵器の解析を開始した。これは想定内だった。技術理解には長い時間が必要だ。数年。あるいは数十年。侵略完了には影響しない。問題は別だった。
鹵獲機の戦闘記録。何度解析しても、操縦者の行動モデルが安定しない。ヴァルク軍の戦術AIは、敵の行動を確率的に予測する。合理的な敵ほど予測しやすい。訓練された敵ほど予測しやすい。過去の戦闘データが多いほど、精度は高くなる。
だが地球人操縦者は違った。危険な方向へ進む。不必要に接近する。逃走した直後に反転する。命中率の低い射撃を意図的に行う。自らの生存率を下げる行動を選択する。
その後その行動が罠であったことが判明する。
戦術AIは新しい分類を作成した。
《非最適化戦闘行動》
さらに。
《意図的予測撹乱の可能性》
ヴァルクの戦闘システムにとって、それは珍しいものだった。彼らの戦争は長い時間をかけて最適化されてきた。無駄な行動は排除された。意味のない危険は避ける。勝率の低い賭けはしない。だからこそ意味のないように見える行動を選択する敵は扱いづらい。
人類そのものの脅威評価はまだ低い。地球軍の抵抗能力は急速に低下している。侵攻計画に変更なし。ただし一つの個体についてのみ追加命令。
《生存状態で確保》
理由。
《戦術適応能力調査》
ヴァルクにとって神谷悠真は、まだ名前すらない一匹の地球人だった。だが宇宙から来た侵略者はすでに理解し始めていた。
地球人の兵器は弱い。科学技術も遅れている。それでもこの星には、彼らの計算から外れる生き物がいる。




