第三章 最初の一機
円の中央に点。接近してくる黒い機体へ、それが重なっていた。
「……ロックオン」
悠真が呟いた。
「何?」
「たぶん、これ」
「たぶんで武器触るなよ!」
「触ってない」
実際、何も触っていない。見ているだけだった。だが表示は明らかに変化していた。北から接近する異星機。距離らしき数字。速度らしき表示。その周囲にいくつもの図形が浮かび、悠真が視線を向けるたびに形を変える。先ほどまでなかった表示だ。味方機が近づいたことで何かが解放された。悠真にはそう思えた。
戦闘モード。あるいは武装許可。
「これ、撃てる状態になったんじゃ……」
「撃つなよ」
「撃たないって」
「絶対だぞ」
異星機は正面から近づいてきた。速い。だが敵意は感じられない。攻撃態勢ではない。そもそも相手はこちらを敵とは思っていないはずだ。悠真が乗っているのはヴァルクの機体なのだから。
距離が縮まる。数キロ。さらに近い。外部映像では、黒灰色の機体がはっきり見えるようになった。形は自分たちが乗っているものとほとんど同じ。少しだけ損傷のない完全な姿が羨ましく見える。
「こっち来るぞ」
「分かってる」
「降りろって言われるんじゃないの」
「言葉分からん」
「じゃあどうすんだよ」
「分からん」
「さっきからそればっかだな!」
相手機との距離が一キロを切った。その時、表示の一部が点滅した。宇宙人機から何か信号が送られてきたらしい。悠真の機体が自動的に応答する。短い音。相手機が速度を落とした。悠真は我知らず息を止める。
数百メートル。黒い機体がこちらの横へ並んだ。
「近っ……」
亮太が声を漏らした。相手機はこちらを観察している。そう見えた。機首の一部に赤黒い光が走る。センサーだろうか。悠真の機体へ向けられる。
「バレるんじゃね?」
「どうだろ」
「お前乗ってるって分かったら絶対撃たれるだろ」
「だから動くな」
「俺関係ある!?」
悠真自身も動かないようにしていた。意味があるとは思えない。機体内部まで透視できる可能性だってある。だが、相手機は攻撃してこない。
数秒。十秒。何も起きない。
「……大丈夫?」
亮太が言った。
「たぶん」
その瞬間だった。悠真の視線が、正面に浮かんでいた一つの図形へ移った。円。
中央に点。その横に、小さな発光部。何となく見ただけだった。だが機体は、それを選択と判断した。円が縮む。
「え?」
右手側の操作面が、わずかに沈んだ。悠真の手が反射的に動いた。ほんの少し。押したというほどでもない。触れただけだった。白い光が走った。
「――!」
音はなかった。衝撃もほとんどない。目の前の宇宙人機中央部に、光の筋が突き刺さった。一瞬遅れて。黒い機体が割れた。
「……え?」
悠真は固まった。相手機の中央が赤く輝く。外装が裂ける。内部から白いガスのようなものが噴き出し、機体が傾いた。
「おい」
亮太が言った。
「おいおいおいおい」
「……俺、撃った?」
「撃ったよ!」
「いや、触っただけ」
「撃ったって!」
宇宙人機が落ちていく。姿勢を立て直そうとする。だが明らかに推力がおかしい。一度浮いた。再び落下。山の向こうへ消える。二秒後。爆発。黒煙が上がった。
悠真は何も言えなかった。胸が激しく脈打っている。手を見る。震えていた。
「……落ちた」
「落ちた」
「宇宙人の機体」
「お前が落とした」
「いや」
「お前だよ!」
「わざとじゃない!」
「結果同じだろ!」
悠真は外部表示を見る。撃墜した。本当に。
三日間。世界中の軍隊が一機も落とせなかった相手を。自分が。誤操作で。
「……嘘だろ」
*
『撃ちました!』
報道ヘリの記者も同じように叫んでいた。
『墜落していた機体が、接近してきた同型機を攻撃しました!』
カメラが必死に落下する機体を追う。山の向こうで爆発。黒煙。映像は数秒間ぶれた。
『撃墜……撃墜したように見えます!』
スタジオのアナウンサーも混乱していた。
『確認します。今、未確認飛行物体同士が交戦したということでしょうか』
『はい! 一方の機体から光線のようなものが発射されました! もう一方が墜落しています!』
『同士討ちでしょうか』
『分かりません!』
中継映像はすでにSNSへ転載され始めていた。侵略開始以来、初めてだった。宇宙人機が明確に撃墜された映像。
世界中で数百万、数千万の人間が、それを見始めていた。
*
「降りよう」
悠真が言った。
「今すぐ」
「それがいい」
珍しく亮太が即答した。
「もう十分だ。宇宙人見た。飛行機乗った。飛ばした。撃ち落とした。高校生が一日にやっていい量じゃない」
「同感」
悠真は拘束帯を見た。外したい。最初よりは操作体系が分かってきた。視線。手。機体側が意図を推測する。ならば――。
降りる。着陸。停止。それを示す表示を探す。
地面へ視線を向けた。山の斜面。開けた場所。手を動かす。表示が反応する。
「あ、これか」
「分かった?」
「たぶん」
「そのたぶん怖いんだけど」
悠真が場所を指定する。機体が傾いた。
「うわ!」
亮太が壁を掴む。ゆっくり降下。先ほどより滑らかだ。
「おお」
「いける」
「いける、じゃない。慎重に!」
高度百メートル。八十。五十。その時、警告音が鳴った。低い音ではない。鋭い。明確に危険を知らせる音。
「何!?」
「分からん!」
外部表示。北東。高速反応。一つ。二つ。三つ。悠真の顔から血の気が引いた。
「増えた」
「何が」
「宇宙人」
「何機?」
「三」
反応が接近してくる。速い。先ほどとは違う。表示の色も変わっている。
「バレた?」
「たぶん」
「だからその言葉やめろ!」
三機が一直線にこちらへ。先ほどの撃墜機が何らかの緊急信号を送ったのか。あるいは戦闘ネットワークが異常を検知したのか。どちらでも同じだった。敵が来る。
「降りろ!」
「間に合わない!」
「じゃあ逃げろ!」
悠真は空を見る。三機の宇宙人機。今度は完全に敵意を持って接近している。だが。
「待て」
「何だよ!」
「まだ攻撃対象になってない」
「は?」
表示を見る。先ほどの機体と同じ。三機には味方を示すらしい記号が付いている。警告は鳴っている。しかし攻撃可能を示す円はまだ出ていない。
「こいつら、まだ俺たちを敵だと思ってない」
「じゃあさっきの何だよ」
「事故だと思ってるんじゃないか?」
亮太が黙る。
「味方が味方を撃つなんて、普通まず故障疑うだろ」
「でも近づいて確認されたら終わりだぞ」
「ああ」
「どうする?」
悠真は考えた。逃げる。無理だ。自分はまともに飛ばすことすら覚えたばかり。相手は正規のパイロット。地上へ降りれば、機体を破壊される可能性がある。その前に脱出できるかも分からない。
三機が減速した。悠真の周囲へ広がる。
「囲まれてる」
亮太が言った。
「分かってる」
一機が前。一機が右。一機が上。綺麗な三角形。まるで警察が暴走車を止めるような配置だった。
「通信来てる」
表示の一部が点滅している。音声らしきもの。短いノイズ。続いて、低く複雑な声。意味は分からない。人間の発声とは違う。複数の音を同時に出しているように聞こえる。
「宇宙語だ」
「見りゃ分かるよ!」
「聞いて分かるのかよ」
「今そこどうでもいい!」
再び声。今度は少し強い。命令。そう感じた。
「降りろって言ってるのかな」
「従えよ」
「どうやって返事する?」
「知らん!」
正面の宇宙人機が近づく。百メートル。五十。操縦席の中が見えるかもしれない距離。悠真は息を止めた。突然、正面表示に新しい記号。赤。今まで見たことのない警告。
「まずい」
相手が何かに気づいた。そう思った。宇宙人機が離れ始める。
「バレた!」
その瞬間、悠真の表示に三つの円が現れた。武装。攻撃可能。
「撃てる」
「え?」
「撃てるようになった!」
「撃つのか!?」
正面の宇宙人機が機首を向ける。先にやられる。悠真は反射的に円を選んだ。右手。入力。光。相手機は動いた。横方向。レーザーが空を切る。
「避けた!」
今までの相手とは違う。警戒している。あるいはこちらを敵だと認識している。悠真の背中に冷たい汗が流れた。
「来る!」
右側の機体が光った。警告。悠真は何も考えず、左へ手を振った。機体が横へ飛んだ。
「うわあああ!」
亮太が叫ぶ。強烈な加速度。身体が座席へ押しつけられる。目の前が一瞬暗くなる。さっき自分がいた場所を白い光が通過した。
「避けた……」
悠真自身が驚いた。
「殺す気か!」
「俺じゃない!」
「操縦してんのお前だろ!」
二発目。上。悠真は下へ。機体が急降下。胃が浮く。
「無理無理無理無理!」
亮太の悲鳴。木々が急速に近づく。
「やば!」
悠真は上を指定。機体がほとんどその場で減速した。強烈な荷重。視界が狭くなる。だが地面へは激突しない。
「……はあっ!」
悠真は息を吐いた。頭が痛い。身体が重い。
「こいつ、Gは消せないんだ」
「何?」
「何でもない!」
重要な発見だった。映像では無茶苦茶な機動に見えた。だが慣性はある。人体が耐えられる範囲でしか動けない。宇宙人だって同じはずだ。魔法ではない。
三機が追ってくる。
「どうすんだよ!」
亮太が叫ぶ。悠真にも分からない。ただこの状況。どこかで経験したことがある。三対一。囲まれている。相手は自分より上手い。逃げても追いつかれる。なら。
「一機ずつにする」
「どうやって!?」
悠真は地形表示を見た。山。尾根。谷。宇宙人機のセンサー性能がどれほど高くても、山そのものを完全に無視できるとは限らない。
「下行くぞ」
「もう十分低い!」
悠真は谷へ機体を向けた。降下。今度は急激に止めない。少しずつ。ゲームの感覚。速度を残す。谷へ入る。その動きに三機が追従する。
「来てる!」
「分かってる」
木々の上、数十メートル。異星機なら簡単な高度なのだろう。だが悠真には恐ろしい。右に山肌。左にも山。前方は谷が曲がっている。
「ぶつかる!」
「ぶつからない!」
「根拠!」
「機体が避けてる!」
実際そうだった。悠真が多少雑な指示を出しても、機体側が障害物との衝突を避けている。自動操縦。操縦補助。この機体は、人間で言えば飛行そのものを機械に任せている。
「やっぱりそうだ」
「何が!」
「俺が飛ばしてるんじゃない。行き先を教えてるだけだ」
「どっちでもいい!」
背後。三機。距離が開かない。谷が狭くなる。悠真はその先を見る。左へ急カーブ。ゲームなら。
「亮太」
「何!」
「ちょっと我慢しろ」
「嫌な予感しかしない!」
悠真は左へ曲がる直前。機体を右へ向けた。
「逆!」
「分かってる」
宇宙人機が追ってくる。悠真は右へ進むように見せる。そして直前で左へ指示。同時に減速。機体が急激に左へ滑った。
「うおおおおっ!」
三機の宇宙人機。一機目は追従。二機目も。三機目だけがわずかに遅れた。その一瞬、一列になる。
「今」
悠真は後方視界へ切り替えた。先頭の一機。円。選択。射撃。白光。命中。機体後部に穴が開く。一機目が姿勢を崩した。
「当たった!」
亮太が叫ぶ。悠真はもう一度撃つ。二発目。中央部。宇宙人機が炎を吹いた。山肌へ突っ込む。爆発。
「二機目……」
悠真は呟いた。今度は事故ではない。自分で狙った。自分で撃った。自分で落とした。その事実に、一瞬だけ思考が止まった。そこを狙われた。警告。
「悠真!」
光。機体が揺れた。
「うわっ!」
何かが後部へ直撃した。外部表示の一部が赤くなる。損傷。
「撃たれた!」
「分かってる!」
残り二機。悠真は加速。谷を抜ける。
*
『二機目です!』
報道ヘリの記者は叫び続けていた。
『今、もう一機墜落しました!』
ヘリは安全距離を取りながら戦闘を追跡していた。カメラには黒い機体が四機。そのうち一機だけが異常な動きをしている。通常の宇宙人機も人類の戦闘機からすれば十分に異常だった。だが、その一機はさらに違った。
高度を下げる。山へ逃げ込む。無意味に見える方向へ動く。突然減速する。敵を自分の後方へ引き込み、振り返るように射撃する。
『同型機同士の戦闘です! しかし一機だけ明らかに戦い方が違います!』
映像は日本のテレビ局だけでなく、海外にも転送されていた。ワシントン。ロンドン。北京。パリ。各国の軍司令部でも同じ映像が見られていた。
ある米軍将校が画面を見て言った。
「パイロットが違う」
隣の士官が振り向く。
「何?」
「見ろ。あれは奴らの通常戦術じゃない」
「故障機では?」
「故障機が二機撃墜するか?」
誰も答えなかった。
*
悠真は必死だった。ゲームとは違う。身体が痛い。息が苦しい。加速するたびに血が移動する。機体側が限界を制御しているらしく意識を失うほどではない。それでも辛い。そして何より。
死ぬ。一発当たれば死ぬ。リスポーンはない。セーブもない。失敗したら終わり。
「左!」
亮太が叫んだ。悠真は反応。敵機の光が横を通る。
「なんで分かった!」
「画面!」
亮太が外部表示を指す。
「こっちの方が赤くなる!」
「警告表示か!」
「たぶん!」
「お前も言ってんじゃねえか!」
だが助かった。悠真は急旋回。残り二機は互いに距離を保ったまま追っている。さっきの手は使えない。
「学習してる」
「何が」
「同じ並びにならない」
恒星間を渡ってきた宇宙人が馬鹿なはずはない。当然だ。一度使った手を繰り返せば対応される。悠真の心臓が激しく脈打つ。恐怖。なのに頭の一部だけが異様に冷静だった。
二機。距離。速度。位置。地形。警告方向。相手が撃つタイミング。ゲームをしている時と同じだった。余計なことが消えていく。
「……右のやつ」
「何」
「さっきから先に撃ってくる」
「だから?」
「左は俺の移動先を塞いでる」
敵は役割分担している。一機が射撃。一機が逃げ道を制限。合理的。ならば。
「逆に使える」
「何が!?」
悠真は右の機体から逃げる。左へ。予想通り、左側の宇宙人機が進路へ入る。さらに右機が射撃態勢。
「今!」
悠真は突然停止を指示した。激しい減速。
「ぐっ!」
二人の身体が座席へ押しつけられる。右機の射線。その先。左の味方機。右機は撃たなかった。
「やっぱり!」
「何!?」
「味方が射線に入ると撃たない!」
当然といえば当然。だが今の悠真には大きい。宇宙人の兵器は強い。だからこそ同士討ちを避ける制御がある。
「こいつを盾にする!」
「宇宙人を!?」
悠真は左機へ接近。相手も離れようとする。だが悠真は追う。真正面ではない。相手と右機が一直線になる位置を維持する。右機は撃てない。左機だけが悠真を排除しなければならない。一対一。
「これなら」
左機が加速。悠真も追う。急上昇。追従。右旋回。いや。旋回ではない。横移動。悠真も横へ。相手が初めて大きく距離を取った。
円。悠真は狙う。撃つ。回避された。二射目。回避。
「当たらない!」
亮太。
「相手も避けるんだよ!」
相手は悠真より遥かに上手い。なら照準してから撃つのでは遅い。悠真は敵の動きを見る。右。上。左。動きに癖がある。癖というより、最適な回避方向を選んでいる。悠真が照準すると、最も安全な方向へ逃げる。
「……NPCみたいだ」
「は?」
「避け方が正しいんだよ」
「正しいなら無理じゃん!」
「だから読める」
悠真は照準を右へずらした。相手が左へ回避する。撃たない。もう一度右へ。また左。
「やっぱり」
三度目。右へ照準。敵が左へ動き始めた瞬間。悠真は左側へ射撃点を変更した。発射。白光。逃げた先へ命中した。
「当たった!」
宇宙人機が揺れる。悠真は連射。二発。三発。三発目が機体前部を貫いた。敵機が制御を失う。落下。三機目。
「やった!」
亮太が叫んだ。だが悠真は喜べなかった。
「まだ一機」
最後の機体。悠真が振り向く。いない。
「どこ」
「画面!」
上。真上。
「まず――」
光。機体全体に衝撃。正面表示が乱れた。
「うわっ!」
何かが壊れた。警告音。連続。
「やばい!何か壊れた!」
「何が壊れた!?」
「分からん!」
表示の一部が消えている。機体の動きも鈍い。最後の宇宙人機は距離を取っていた。悠真の戦い方を見た。学んだ。もう近づいてこない。遠距離から射撃するつもりだ。
「詰んだ」
悠真が呟いた。
「何?」
「向こう、近づかなくなった」
「じゃあ逃げろ!」
「こっち壊れてる。速度出ない」
「どうすんだよ!」
敵機。距離がある。悠真のレーザーも届くはずだ。だが相手は撃つ瞬間を見て避ける。こっちは損傷している。長引けば負ける。警告。射撃。悠真は回避。遅い。光が機体側面をかすめた。
「くっ!」
次。さらに回避。
「無理だ」
悠真の頭が高速で動く。何か。何かある。ゲームなら。一対一。相手の方が射撃精度が高い。こちらは損傷。正面からやれば負ける。だったら。
「逃げる」
「だから最初から言ってる!」
「違う」
悠真は機体を街の方向へ向けた。
「逃げるふりする」
高度を下げる。加速。敵機が追う。悠真は射撃しない。ひたすら逃げる。一キロ。二キロ。宇宙人機が少しずつ距離を詰める。
「来てるぞ!」
「ああ」
「いつ撃つんだ」
「まだ」
「もう近い!」
「まだ」
敵機。距離が縮まる。こちらが損傷していることを知っている。逃げ切れないことも。だから追ってくる。悠真は攻撃しない。相手から見れば合理的だ。損傷機が逃げている。撃墜する。それだけ。
「今だ」
悠真は突然、前方への推力指示を解除した。同時に下。機体が急減速しながら沈む。
「うおおおおっ!」
追跡していた宇宙人機が上を通過した。
「通った!」
悠真は機首を向けようとした。だが必要なかった。機体の向きなど関係ない。真上。標的。選択。背後を取る必要もない。この兵器はどの方向へでも撃てる。
「撃て!」
光。宇宙人機後部へ命中。敵が回避。悠真は追わない。回避先を読む。もう一発。命中。三発目。中央。白光。機体が大きく裂けた。最後の宇宙人機が回転しながら落下していく。
悠真は見ていた。山ではなく、市街地の方向。
「まずい」
墜落地点。住宅地。
「落ちる!」
悠真は反射的に機体を動かした。
「何する気!?」
「分からん!」
敵機へ接近。落下中。悠真の機体を下へ。相手の側面へ。接触。激しい衝撃。
「うわあっ!」
損傷した宇宙人機を、自分の機体で押す。
「無茶だろ!」
「住宅地に落ちる!」
「だからって!」
少し。ほんの少しだけ。墜落軌道が変わる。住宅街から外れる。河川敷。
「行け!」
悠真はさらに押した。敵機が離れる。そのまま川沿いの空き地へ。激突。巨大な土煙。爆発。悠真の機体も大きく揺れた。警告音。大量。
「俺らも落ちる!」
「分かってる!」
機体が傾く。悠真は近くの平地を見る。河川敷。野球場。そこしかない。
「降りるぞ!」
「今度こそ慎重に!」
「無理!」
高度が落ちる。制御がおかしい。右へ傾く。補正。地面。近い。
「止まれ!」
機体が最後の力を使うように減速した。地上五メートル。三。一。着地というより墜落だった。
轟音。土。草。機体が数十メートル滑る。悠真の身体が何度も座席へ叩きつけられた。
そして停止。静寂。
「……」
「……」
どちらも喋らない。警告音だけが鳴っている。悠真は数秒間、呼吸することさえ忘れていた。
「生きてる?」
亮太が言った。
「たぶん」
「その言葉……もう聞きたくない」
悠真は笑った。笑おうとした。声にならなかった。手の震えが止まらない。拘束帯が自動的に外れた。
「外れた」
「出よう」
「ああ」
立ち上がろうとする。足に力が入らない。
「……ちょっと待って」
「俺も」
二人はしばらく座り込んだ。
*
報道ヘリは上空を旋回していた。
『着陸しました!』
記者の声は完全に上ずっている。
『先ほどから他の未確認飛行物体を攻撃していた一機が、河川敷へ着陸――いえ、墜落に近い状態です!』
カメラが黒い機体を拡大する。後部は大きく破損。側面にも穴。それでも原形はある。
『確認できただけで……四機。少なくとも四機を撃墜しました』
スタジオが沈黙する。侵略開始三日間。人類側が確認できた明確な撃墜数。ゼロ。それがたった十分ほどで四。
『これは……』
キャスターが言葉を探している。
『宇宙人同士の内戦ということでしょうか』
『分かりません』
『反乱?』
『分かりません。ただ――』
記者が言葉を止めた。
『機体が開きます』
黒い機体の側面。細い線。入口が開く。世界中の人間が画面を見ていた。誰が出てくる。どんな宇宙人なのか。人類へ味方する異星人なのか。敵文明の反乱兵なのか。カメラが最大までズームする。
一人。出てきた。小柄な影。人間だった。
『……え?』
記者の声。少年。制服ではない。普通のTシャツ。リュック。ふらつきながら機体から降りてくる。
続いてもう一人。同じくらいの年齢。二人とも人間だった。
数秒間。中継に誰の声も入らなかった。
『人……です』
記者がようやく言った。
『人間です!』
カメラがさらに寄る。
『子供……?』
スタジオから声。
『高校生くらいでしょうか』
その映像は瞬く間に世界へ流れた。ニューヨーク。ロンドン。北京。モスクワ。パリ。デリー。シドニー。世界中のテレビ。スマートフォン。避難所。軍司令部。政府施設。地下壕。
三日間。人類はずっと、自分たちが負ける映像を見せられてきた。初めてだった。敵が落ちる映像。
そしてその敵を落とした機体から出てきたのは宇宙人ではなかった。一人の高校生だった。
*
「……めっちゃヘリいる」
亮太が空を見上げた。最初の一機だけではない。いつの間にか三機。さらに遠くにも一機。
「テレビ局?」
「たぶん」
「撮ってる?」
「こっち向いてる」
「俺ら?」
「他に誰がいるんだよ」
悠真は急に恥ずかしくなった。
「マジかよ」
「今さらそこ気にする?」
遠くからサイレン。多数。警察。消防。そして。もっと低く重い音。ヘリコプター。今度は報道ではない。
悠真は見上げた。機体に日の丸。
「自衛隊」
亮太が言った。悠真は河川敷に座り込んだ。
「怒られるかな」
「怒られるで済むと思ってんの?」
「機体盗んだことになる?」
「宇宙人の?」
「そう」
「誰に訴えられるんだよ」
二人は顔を見合わせた。不意に笑いが込み上げた。
「やば」
「何が」
「俺ら今日、宇宙人の飛行機盗んだ」
「お前がな」
「お前も乗ってた」
「俺は止めた」
「ずっといたじゃん」
「友達だからだよ!」
笑った。恐怖が抜けた反動だった。しばらく二人とも止まらなかった。だが悠真は、すぐに笑えなくなった。
遠く。河川敷に落ちた宇宙人機。燃えている。中には誰か乗っていた。最初の一機にも。二機目にも。三機目にも。四機目にも。
自分が殺した。ゲームではない。敵だった。殺されそうになった。やらなければ自分たちが死んでいた。それでも四人。いや、四人なのかすら分からない。
悠真は手を見た。また震えていた。
「悠真?」
「……俺」
「うん」
「四機落とした」
「そうだな」
「中にいたよな」
亮太はすぐには答えなかった。
「ああ」
「死んだよな」
「……たぶん」
悠真は俯いた。先ほどまでの興奮が急速に消えていく。ゲームならスコアが増える。数字が出る。勝利音が鳴る。
でも今は。黒煙。燃える機体。それだけ。
「俺、人殺したのかな」
「人じゃない」
「そういう意味じゃない」
「……分かってる」
亮太も座った。
「でも、向こうが撃ってきた」
「ああ」
「俺ら、死んでた」
「ああ」
「じゃあ仕方ないだろ」
悠真は答えなかった。仕方ない。たぶんそうだ。だけど仕方ないという言葉だけで、手の震えは止まらなかった。
*
上空。報道ヘリのカメラは、河川敷に座る二人の少年を映していた。それを見ている人々には、会話までは聞こえない。ただ一人が両手を見つめている。もう一人が隣に座る。その背後には黒い異星機。
世界中で、その映像が流れていた。ニュース速報のテロップ。
《異星機を操縦していたのは人間》
《少年二名を確認》
《未確認飛行物体四機撃墜》
そして誰かが最初に書いた。
《勝てる》
SNSへ。短い一言。誰かが共有する。また一人。百。千。一万。世界中へ広がっていく。
《宇宙人の機体は落とせる》
《無敵じゃない》
《倒せる》
《勝てるかもしれない》
三日間。一度も現れなかった言葉だった。
希望。
それが、たった一機の鹵獲機から世界中へ伝染していった。
*
同じ頃。地球周回軌道。十三隻のヴァルク大型艦の一隻。戦闘管理システムが、ある異常を報告していた。
地上攻撃機一機。識別番号、正常。戦闘ネットワーク認証、正常。操縦者認証。異常。
機体損傷後、非常運用モードへ移行。
その後。友軍機一機を破壊。確認部隊三機を破壊。
戦術解析システムは、事象を分類しようとした。機械故障。可能性、低。システム暴走。可能性、低。敵電子攻撃。可能性、極低。内部反乱。該当記録なし。未知。
戦闘記録が解析される。通常戦術からの逸脱率。九一・七パーセント。予測不能機動。地形利用。虚偽退却。射線への友軍誘導。回避傾向の反復学習。戦術予測モデルの外側。
さらに機体内部の生体情報が解析された。操縦者。ヴァルクではない。地球現生種。ホモ・サピエンス。
十数秒間。戦闘管理システムは演算を続けた。そして侵略開始以来、初めて地球人類に対する脅威評価が変更された。
《原始文明・限定的抵抗》から《敵対知的種・未知戦術能力》へ。
その報告は十三隻すべてへ送信された。そして地球上空を飛行する全攻撃機に、新しい命令が配信された。
鹵獲された機体の識別番号を失効。同型機としての自動認証を禁止。非常運用モードを更新。地球人による操作を想定した認証規則を追加。
最後に一行。
《対象個体を優先的に捕獲せよ》
殺害ではなかった。捕獲。ヴァルクは知りたかった。なぜ恒星間航行すらできない文明の少年が彼らの戦闘機を飛ばし、正規兵四名をわずか十数分で撃墜できたのか。
神谷悠真、十七歳。その名をヴァルクはまだ知らない。だがこの日、人類より先に侵略者の側が彼を、危険な存在として認識した。




