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ファースト・エース ~人類が三日で敗北したので、ゲーマー高校生が敵の戦闘機で反撃します~  作者: 神野啓次


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22/25

第二十二章 撤退

 全面停戦から二十四時間。世界各地で、大規模な戦闘による死者は確認されなかった。侵攻が始まって以来、初めてのことだった。


『昨日午前六時に発効した人類・ヴァルク間の全面停戦は、現在まで維持されています。各国政府によりますと、停戦違反にあたる重大な事案は確認されていません』


《全面停戦24時間》

《戦闘による死者 初のゼロ》

《ヴァルク撤退協議開始》


 ニュースキャスターの声にも、これまでとは違う響きがあった。戦果でもなければ、被害状況でもない。「誰も死ななかった」という事実そのものがニュースになっている。


 だが軍の現場から銃が消えたわけではない。北海道では、自衛官とヴァルク兵が道路を挟んで向かい合っている。北米でも、欧州でも、東アジアでも同じだった。双方とも武器を持ち、いつでも使える状態にある。ただ、撃たない。


「戦争終わったのに、まだみんな武器持ってるんですね」


 作戦室の映像を見ながら悠真が言った。


「終わってない」


 一等空尉が答える。


「撃ってないだけだ」

「昨日は戦闘は終わったって言ってたじゃないですか」

「戦闘が止まった。戦争を終わらせるのはこれからだ」

「面倒くさいですね」

「始めるより終わらせる方が面倒な戦争もある」


 その言葉を証明するように、国際交渉室では朝から延々と文書が作られていた。


     *


 ヴァルクと人類が合意した原則は単純だった。一度にすべてを交換しない。一度にすべてを撤退させない。一段階ずつ、お互いが約束を守ったことを確認してから次へ進む。それを具体的な工程にすると、途端に複雑になった。


《第一段階》

《全面停戦維持》

《戦闘不能捕虜 全返還》

《新規地上降下禁止》

《撤退部隊への人類攻撃禁止》


《第二段階》

《ヴァルク地上戦力 三割撤収》

《小惑星採掘区域 追加指定》

《ヴァルク採掘技術 基礎情報提供》


《第三段階》

《ヴァルク地上戦力 全撤収》

《大型降下艇 地球低軌道外へ移動》

《追加資源採掘許可》

《生命維持・材料技術 一部提供》


《第四段階》

《十三母艦 月軌道外へ順次移動》

《移民船団補給開始》

《宇宙航行・恒星観測情報提供》


《最終段階》

《ヴァルク軍事艦隊 地球圏離脱》

《移民船団 別候補星へ航路変更》

《人類 追撃しない》


 悠真は画面を上から下まで読み、それから言った。


「めちゃくちゃ細かい」

「細かくない和平協定の方が怖い」


 外交官は顔も上げなかった。


「あと『地球圏』の定義だけで三時間揉めた」

「そんなところから?」

「月軌道の内側なのか、地球の重力圏なのか、ラグランジュ点を含むのか。曖昧にしたら後で問題になる」

「和平って大変なんですね」

「お前が小惑星で岩見てる間も、ずっとこんなことやってたんだぞ」

「岩見てただけじゃないです!」


 さらに問題があった。人類には、ヴァルクから見て単一の交渉相手が存在しない。


 日本が約束しても、別の国が破ればどうするのか。主要国が守っても、小国や非国家組織がヴァルクを攻撃したらどう扱うのか。逆に、ヴァルクの一部隊が命令に従わなかった場合、それを文明全体の裏切りとみなすのか。


 ヴァルクから質問が届く。


《一人類国家 協定違反》

《人類全体違反と判断するか》


 各国代表の間で激しい議論が起こった。最終的に人類側が提示したのは、


《個別違反と全体違反を区別》

《協定参加国 違反行為制止義務》

《組織的違反の場合 再協議》

《即時全面戦争再開 回避》


 という原則だった。


 ヴァルクから返答。


《合理的》


 悠真が小声で言う。


「向こうから合理的って言われると安心するようになってきた」

「慣れるな」


     *


 その日のニュースでは、別の議論が始まっていた。


《和平の立役者 神谷悠真》

《17歳が変えた人類の運命》

《ヴァルクが最も警戒した高校生》


 過去の映像が繰り返される。墜落したヴァルク機。一号機。悠真が初めて飛び立った日。ヴァルク機を撃墜した戦闘。母艦攻撃。小惑星《2038 QX7》。


『神谷悠真さんの行動が、ヴァルク側の人類評価を大きく変化させたことが、交信記録から明らかになっています』


 悠真は食堂のテレビを見ながら露骨に嫌な顔をした。


「これ、俺一人で戦争終わらせたみたいになってない?」


 一等空尉が隣でコーヒーを飲む。


「そういう番組の方が分かりやすいからな」

「嫌なんですけど」

「なら言え」

「誰に?」

「カメラ来てるぞ」

「え?」


 振り返ると、本当に広報担当者が立っていた。


「神谷特別任用操縦員、数分だけコメントを」

「嫌です」

「世界各国へ配信予定です」

「もっと嫌です」


 一等空尉が笑う。


「いい機会だ。言いたいんだろ?」


 数十分後。悠真はカメラの前に座らされていた。


『今回の停戦について、神谷さんご自身はどのように感じていますか?』

「よかったと思います。まだ全部終わったわけじゃないらしいですけど」

『ヴァルク側は、あなたの存在が地球占領の不確実性を高めたと明言しています。ご自身が和平の最大の功労者だという評価については?』


 悠真は少し考えた。


「それ、違うと思います」

『違う?』

「俺が最初に乗ったヴァルク機だって、俺が落としたんじゃないです」


 記者が黙る。


「あの機体は、その前に日本の戦闘機と戦ってた。最初の三日間、人類の戦闘機がほとんど勝てない状態で、それでも飛んでた人がいた。その中の一機がヴァルク機を傷つけたから、俺の近くに墜落したんです」


 あの日。敵のレーザーに撃ち抜かれたF2。砕けた機体。その破片か、最後の攻撃か、あるいはその両方だったのか。ヴァルク機は損傷し、完全な状態では地上へ降りなかった。それがなければ、神谷悠真が敵機へ乗ることもなかった。


「俺はたまたま、その後にいたんです」


 悠真は続けた。


「最初の三日で戦ってたの、日本だけじゃないですよね。アメリカも、中国も、ロシアも、ヨーロッパも、他の国も。勝てないって分かってても飛んだ人がいたし、基地を守った人も、艦で戦った人もいた。俺が飛んだ時にはもう、そういう人たちが三日間ずっと戦ってたんです」


 記者は質問を挟まなかった。


「その後も、俺が一人でやったわけじゃないです。プロのパイロットがヴァルク機の飛ばし方を覚えて、科学者が熱の弱点を見つけて、整備の人が壊れた機体を飛ばせるようにして、地上で戦ってた人がいて、ミサイル撃った人がいて、世界中で色んな戦い方考えた人がいた。外交の人もずっと話してたし」


 一度言葉を止める。


「だから、俺一人が戦争を変えたって言われるのは、なんか違います」

『では、神谷さん自身は、ご自分の役割をどう考えていますか?』

「……たまたま最初に、扉開けただけじゃないですかね」

『扉?』

「ヴァルクは倒せるって分かった。それから、みんなが通った。俺より上手く飛ばす人もすぐ出てきたし」


 一等空尉が画面の外で小さく笑った。


「だから、最初の三日間戦った人たちのこともちゃんと報道してください。あの人たちが負けながら戦ってなかったら、俺の話は始まってないから」


     *


 そのコメントは、その日のうちに世界中へ流れた。


《神谷悠真「俺が落とした機体じゃない」》

《最初の三日間を戦った軍人たちへ》

《「俺の話は、その人たちが戦っていたから始まった」》


 報道各社は、侵攻開始直後の映像を改めて流した。ヴァルク機へ向かう戦闘機。撃墜される迎撃機。炎上する基地から離陸する機体。被弾しながら発射を続ける艦艇。生き残ったレーダー。退避する民間人を守る地上部隊。三日目には、多くの国で航空戦力がほとんど残っていなかった。


 それでも飛んだ者がいた。それでも撃った者がいた。それでも敵を観測し、記録し、次へ情報を渡した者がいた。そして日本では、最初の鹵獲機となったヴァルク攻撃機の墜落原因が、再び報じられた。


『後に神谷悠真さんが搭乗することになるヴァルク機は、その直前まで航空自衛隊のF2と交戦していました。F2は撃破されましたが、その戦闘によってヴァルク機にも損傷が発生し、結果として地上へ不時着したと分析されています』


 それは大勝利ではなかった。一機の地球製戦闘機が、一機の異星機を完全に撃墜したわけでもない。だが、その小さな損傷が、人類最初の鹵獲機につながった。その鹵獲機が最初の撃墜につながった。その撃墜が、ヴァルクは無敵ではないという証明になった。


 後から振り返れば、歴史の転換点はいくつもあった。その一つ一つに、名前の知られていない人間がいた。


     *


 停戦三十時間後。第一段階の履行が始まった。捕虜交換。今回は北海道だけではない。北米、欧州、東アジア、複数の戦域で同時に行われる。

 人類側が確認できた生存捕虜。ヴァルク側が確認した捕虜。人数は一致しない。以前と同じだった。


《人数一致 不要》

《条件一致 必要》

《戦闘不能捕虜 双方返還》


 人類も同意した。やがて各地で人間が戻り、ヴァルクが戻った。


 抱き合う家族。担架で運ばれる兵士。帰還した者の中には、三日目から消息不明だったパイロットもいた。


 一方、帰ってこない者の方が圧倒的に多かった。ニュースは生還者を映しながら、その後ろに戦死者数を表示した。

 停戦は死者を減らせる。しかし過去の死者を戻すことはできない。


     *


 次に始まったのは、最初の地上撤退だった。場所は北海道。最初の局地停戦。最初の捕虜交換。


 そして今度は、最初の正式撤退。ヴァルク地上部隊が道路沿いに集結する。灰褐色の小柄な身体。四本の腕。黒い装甲。武器は携行しているが、構えてはいない。その上空へ大型降下艇が現れた。数日前なら、人類側のミサイル部隊が一斉に射撃準備へ入っていた船。今日は誰も撃たない。


 大型艇がゆっくりと降下する。人類側の監視部隊が距離を取って見守る。ヴァルク兵が一人ずつ乗り込んでいく。自衛官たちは黙ってそれを見ていた。中には、目の前のヴァルク兵との戦闘で仲間を失った者もいる。一人の隊員が拳を強く握る。


「……このまま帰すのかよ」


 隣の上官が聞いた。


「何だ?」

「あいつらがやったんですよ。ここで」


 視線の先には、壊れた建物がある。


「分かってる」

「撃ったって――」

「やめろ」


 低い声だった。


「今撃てば、お前が次の戦争を始める」


 隊員は黙る。


「許せとは言わん。俺も許してない」


 大型降下艇へ最後のヴァルク兵が乗り込む。


「だが帰る敵を撃たずに帰す。そのために停戦した」


 隊員の拳がゆっくり開いた。銃口は最後まで下を向いていた。


     *


 同じ頃。ヴァルク側でも似た問題が起きていた。


《ヴァルク内部 撤退反対感情 存在》


 ルクからの通信だった。悠真は少し意外そうに画面を見る。


「そっちにもいるんだ」


《当然》

「人類を許せないって?」

《肯定》


《死亡した家族》

《死亡した仲間》

《存在》


 悠真は黙った。


「ルクは?」


 少し間。


《知人死亡 複数》

「……そうなんだ」

《神谷悠真による死亡ではない》

「いや、そういう意味で聞いたんじゃないけど」

《理解》


 ルクは続ける。


《人類攻撃によるヴァルク死亡》

《感情的反発 存在》

《撤退不支持 存在》


「じゃあ、その人たちどうするの?」


《個人感情》

《文明生存判断より優先しない》


 ヴァルクらしい答えだった。だがその後、ルクは少しだけ付け加えた。


《容易ではない》


 悠真は画面を見る。ヴァルクにも簡単ではない。それが妙に安心した。


     *


 北海道の大型降下艇が離陸した。誰も撃たない。雲を抜ける。高度が上がる。やがて地上から見えなくなった。


『ヴァルク地上部隊、北海道から正式撤収です』


《和平工程表 第一段階履行》

《北海道 ヴァルク地上戦力ゼロへ》


 テレビの映像を見ながら悠真が言った。


「……本当に帰った」

「ああ」


 一等空尉が答える。


「前は、あれ一隻降りてきただけで大騒ぎだったのに」

「今でも撃ってきたら大騒ぎだ」

「それはそうですけど」


 北海道だけではない。翌日には北米の一地域。さらに欧州。東アジア。ヴァルク地上部隊の一部が順番に撤退を始めた。


 人類側は攻撃しない。ヴァルク側も撤退時に武器を使わない。互いに記録する。互いに確認する。


 約束を一つ守るたびに、次の約束へ進む。


     *


 人類側も約束を履行した。新たな地球近傍小惑星三個を採掘候補として提示。月面については水資源が確認されている極域の一部を除外し、人類側の将来利用と競合しにくい区域を選定した。

 ヴァルクはその代わり、最初の技術データを送ってきた。


《資源分離技術 基礎》


 データ量はそれほど巨大ではなかった。だが研究室では、人間が集まって画面へ張り付いた。


「どうです?」


 悠真が聞く。研究責任者は答えない。


「なんとか分かる」

「なんとか」

「全部じゃないが、書いてあることの一部は既知の物理から追える。材料特性も、場の制御も、いくつかは理論的に理解できる」

「じゃあすぐ作れる?」

「無理だな。設計図を読めることと、工場で作れることは別だ」


 研究責任者が画面を拡大する。


「必要な材料純度。加工精度。制御素子。どれも今の人類には厳しい。ただ、原理が分かれば追いつける」


「何年くらいで?」


「分からん。十年かもしれない。二十年かもしれない。ただし――」


 彼は少し笑った。


「百年先だと思っていた場所へ、二十年で行けるかもしれない」


 悠真は以前聞いた言葉を思い出した。理解できない技術と、無限の技術は違う。ヴァルクの技術は魔法ではない。人類が知らないだけだ。知らないものは、学べる。


     *


 その日の夜。ルクが再び通信へ現れた。


《地上部隊撤退 進行中》

「ルクはもう地上じゃないんだよね?」

《肯定》《母艦内》

「その後は?」

《移民船団 合流予定》

「家族のところ?」

《肯定》

「よかったね」


 短い間。


《神谷悠真も 家族のもとへ戻るか》

「戻りたいよ」

《学校》

「それも戻りたい」

《理解困難》

「なんでだよ」

《神谷悠真 高戦闘能力》《軍事価値 高》

「だからって高校辞める理由にならないから」

《軍事活動継続 効率的》

「嫌だよ」

《理由》

「高校卒業したいから」

《卒業 生存に必要》

「必要じゃないけど!」

《なら なぜ》

「そういう問題じゃないんだって」


 通信室に小さな笑いが起こった。ルクから少し間を置いて、


《人類 理解困難》


 と返ってくる。


「お互い様だよ」


     *


 全面停戦から四日目。和平工程は第二段階へ進んだ。ヴァルク地上戦力の三割撤収が確認される。人類側は追加採掘区域を正式承認。技術データの第二便が届く。


 そして、その日の午後。十三隻の母艦のうち、一隻に変化が起きた。


「軌道変更確認!」


 作戦室が一瞬緊張する。


「加速方向は?」

「外向き。地球から離れています」

「攻撃機発進は?」

「ありません」


 ヴァルクから正式通信。


《和平工程 次段階履行開始》

《母艦一隻 地球近傍軌道離脱》


 悠真も画面を見る。


「……母艦?」


「ああ」


 十三隻。侵攻初日、人類の誰もが絶望した巨大な影。最大級は全長数キロ。その一隻が今、ゆっくりと地球から離れ始めている。

 人類は攻撃しない。ヴァルクも攻撃しない。ただ軌道を変える。


 ニュース速報が入る。


《ヴァルク母艦 初の地球軌道離脱》

《十三隻から十二隻へ》

《撤退、本格化》


 世界中の望遠鏡がその船を追った。悠真も基地の外へ出た。肉眼では見えない。観測用モニターに、小さな点として映っている。


「最初に見た時は、あれどうやって倒すんだって思ってた」


 一等空尉が横に立つ。


「結局、一隻も落とさなかったな」

「一隻、かなり壊しましたけどね」

「沈めてはいない」

「落とさなくてよかった?」


 一等空尉は少し考えた。


「その方が死人は少ない」


 悠真は黙って画面を見る。確かにそうだった。人類が十三隻すべてを撃沈して勝つ物語なら、それまでに何人死んだか分からない。ヴァルクも。人類も。


「勝ったってことでいいんですかね」


 一等空尉はすぐには答えなかった。


「地球を守った」

「同じじゃない?」

「少し違う」

「どう違うんです?」

「勝つだけなら、相手を全部殺しても勝ちだ」


 遠ざかる光。


「今回は、そうしなかった」


     *


 その夜の特別番組では、この戦争の経緯が最初から振り返られていた。


 九月十四日。十三隻の異星船。最初の迎撃。次々と落とされる戦闘機。崩壊する航空優勢。


 三日間。人類は負け続けた。だが戦闘を止めなかった。その三日目の終わり近く、一機のF2がヴァルク攻撃機と戦った。


 F2は勝てなかった。それでも敵機に損傷を与えた。損傷したヴァルク機は地上へ落ちた。そこに、一人の高校生がいた。偶然だった。


 だが偶然だけで戦争は終わらなかった。高校生が飛んだ。軍人が学んだ。科学者が調べた。整備員が直した。兵士が地上で戦った。艦艇が海で戦った。各国が戦術を共有した。外交官が言葉をつないだ。捕虜が帰った。敵だった異星人と会話した。


 そして人類は最後に、敵を全滅させる方法ではなく、敵が地球を必要としなくなる方法を提示した。


 番組の最後に、最初の三日間に戦った世界各国の軍人たちの映像が流れた。


 名前が分かる者。分からない者。生きている者。死んだ者。戦果を挙げた者。一機も落とせなかった者。そのすべてが、この戦争の前に存在していた。


 悠真は黙って画面を見ていた。一等空尉が言う。


「これで満足か?」

「何が?」

「ちゃんと報道しろって言ってただろ」

「……まあ」


 画面の中で、一機の戦闘機がヴァルク機へ向かっていく。勝てる可能性などほとんどなかった時の映像。


「この人がいなかったら、一号機なかったんですよね」

「ああ」

「俺も飛んでない」

「ああ」

「じゃあ、この人がファースト・エースじゃないですか?」


 一等空尉は少し笑った。


「エースは普通、敵を何機も落とした奴のことを言う」

「じゃあ違うか」

「だが――」


 彼は画面を見る。


「最初の一歩ではあるな」


     *


 観測画面では、ヴァルク母艦が少しずつ地球から遠ざかっていた。十三あった光が、一つ減った。たった一隻だけの段階的撤退。


 最初の三日間、勝てない敵へ向かって飛んだ者たちがいた。その一人が偶然、敵機を傷つけた。傷ついた機体を一人の高校生が拾った。そこから何千、何万、何百万という人間が、それぞれ自分のできることをした。

 誰か一人が世界を救ったわけではなかった。だが、誰か一人の行動が無意味だったわけでもなかった。


「行きましたね」

「ああ」


 母艦の光が、さらに小さくなる。数週間前、あの船は世界の終わりそのものだった。今、それは自分の意思で地球から離れていく。誰も撃たない。誰も追わない。


 悠真は消えていく光を見ながら、小さく息を吐いた。この戦争で、人類がヴァルクから奪ったものは多くない。ヴァルクが人類から奪ったものは、あまりにも多かった。だから、きっとこれは綺麗な勝利ではない。


 それでも地球は残った。人類は残った。ヴァルクも残った。二つの文明が生き残った。それが、この戦争で得られる最大の勝利だったのかもしれない。

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