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ファースト・エース ~人類が三日で敗北したので、ゲーマー高校生が敵の戦闘機で反撃します~  作者: 神野啓次


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第二十一章 百二十億の選択

 ヴァルクから《移民船団 意思確認開始》という通信が届いてから、十一時間が過ぎた。


 その間、人類側に届いた新しい情報はほとんどない。十三隻の母艦は地球軌道を回り続け、攻撃機もすべて格納されたわけではない。いくつかの地域では停戦が成立していたが、まだ戦闘が続いている場所もある。ただしヴァルクが約束した通り、新しい大型降下艇は一隻も地球へ向かっていなかった。


「まだ?」

「まだだ」

「十一時間ですよ」


 一等空尉が悠真を見る。


「百二十億人の人生を決めるんだぞ」

「でも向こう、計算速いじゃないですか」

「計算だけで決まるなら、とっくに返事が来てる」


 作戦室の大型画面には、地球から遠く離れたヴァルク移民船団の推定位置が表示されていた。十三隻の母艦とは比較にならない数の巨大船。その一つ一つに家族がいる。子供がいる。老人も病人もいる。母星を捨て、百二十億人全員でここまで来た文明。彼らが今、地球を奪うか、再び別の恒星へ向かうかを決めている。


「投票してるんですか?」

「分からん」


 研究責任者が答えた。


「ルクによれば、我々の選挙とは少し違うらしい。各船団、行政組織、技術部門、人口管理部門などから評価が集められている。最終判断の仕組みはまだ完全には理解できていない」

「百二十億人一人ずつ聞いてるわけじゃない?」

「少なくとも単純な多数決ではないようだ」


 ルクから届いている情報も限定的だった。


《地球占領継続評価》

《別候補星移動評価》

《双方再計算》

《意見 不一致》


「やっぱり揉めてるんだ」


《表現 不正確》

《目的 一致》

《百二十億生存》

《方法評価 不一致》


 悠真は少し考えた。


「地球を取るか、別の星へ行くかで違うだけ?」

《肯定》


 戦争継続を主張する側も、人類を憎んでいるからではない。和平を支持する側も、人類を好きになったからではない。どちらが百二十億人を多く生かせるか。違うのは、その計算結果だけだった。


     *


 地球では、ヴァルクの回答を待つ人間が何十億人もいた。


『和平交渉は最終局面に入ったとみられます』


《ヴァルク移民船団 進路変更を協議》

《地球撤退か、戦争継続か》

《政府「まだ最終合意ではない」》


 ニュースでは、小惑星《2038 QX7》での採掘映像が何度も流されていた。ヴァルク採掘船。悠真の一号機。小惑星から飛び出した岩石をヴァルク側が迎撃した瞬間。三機が並んで地球へ戻る映像。


『数日前まで戦闘状態にあった人類とヴァルクが、初めて共同作業を成功させました。専門家は、この実証が和平判断に大きな影響を与える可能性があると指摘しています』


 避難所では人々がテレビを見ていた。営業を再開した店では酒が開けられた。学校では生徒がスマートフォンで速報を確認し、病院では負傷兵がベッドの上からニュースを見ている。もう戦争が終わったように話す者もいた。


 その一方で、


『まだ敵艦は十三隻すべて地球軌道上にいます』

『現在の停戦は限定的です』

『正式な和平協定は存在しません』


 そう繰り返す専門家もいる。


 軍内部の空気は、さらに重かった。世界が知らない数字を知っているからだ。前回の大反攻で消費したミサイル。失われた航空機。沈んだ艦艇。修理不能になった鹵獲機。疲弊した兵員。もしヴァルクが今、《地球占領継続》を選び、本格攻勢を再開すれば、人類にはもう一度同じ規模の反撃を行う力はなかった。


「テレビ、和平秒読みって言ってますね」


 悠真が言った。


「秒読みなら数字を教えてほしいもんだ」

「あと何秒?」

「それが分からんから困ってる」


     *


 十四時間後。ヴァルクから新しい通信が来た。


《追加確認》

《人類 別候補星移動支援》

《期間保証 可能》


 外交官たちが準備していた回答を確認する。


《可能》

《段階的地球撤退を条件》

《人類指定区域での採掘安全保証》

《移民船団 攻撃しない》

《ヴァルク履行確認ごと 採掘区域拡大》


 ヴァルク。


《技術交換》


 人類。


《非軍事技術 段階提供を希望》

《採掘》

《生命維持》

《材料》

《エネルギー》

《宇宙航行》

《近傍恒星観測情報》


 しばらく間が空く。


《概ね検討可能》


 外交官が小さく息を吐いた。


「また一歩だ」


 続いてヴァルク側から、《神谷悠真 参加》と来た。


「また俺?」

「もう驚かなくなってきたな」

「驚いてますよ」


 通信回線へ入る。


《神谷悠真》

《質問》

《人類 なぜヴァルク移動支援》


 悠真は少し考えた。


「地球から出ていってほしいから」

《地球撤退を希望するため》《それだけ》

「それだけじゃ駄目?」


 外交官は口を挟まず待っている。悠真は続けた。


「あと、百二十億人死なせるより、その方がいいから」

《百二十億ヴァルク死亡より 生存を選好》


 少し長い間。


《ヴァルク 人類を多数殺害》

「知ってる」

《人類 ヴァルクを多数殺害》

「それも知ってる」

《それでも 生存支援》


 悠真は画面を見る。


「許したわけじゃないですよ。死んだ人が戻ってくるわけでもないし、忘れていいとも思わない。でも、許すのと、これ以上殺さないのは別でしょう」


 外交官が一度だけ悠真を見て、そのまま翻訳させた。


《許容したわけではない》

《死亡を忘れない》

《しかし 過去の死亡と 今後の殺害継続は別》


《理解》

《ヴァルク評価と近い》

《過去損失 変更不能》

《将来損失 変更可能》


「……やっぱりそっちの方が冷たいな」

《意味不明》

「いいです」


     *


 そこからさらに三時間。ヴァルク移民船団と十三隻の母艦の間では、それまでにない量の通信が行き交っていた。人類には内容を読めない。だが通信量だけなら観測できる。


「増えた。移民船団内通信も増加。複数の船団間で大規模なデータ交換を確認」

「決まる?」

「分かりません」


 また待つ。悠真は途中で食事を取らされ、医務官から休めと言われ、それでも呼び戻された。


 開始から二十一時間十一分。


《生存計画 再評価完了》

《地球占領継続》

《可能》


 悠真の背筋に冷たいものが走る。


「……可能?」


 一等空尉が小さく呟く。外交官が確認を送る。


《ヴァルク 現在も地球占領可能と判断》

《肯定》


 室内の空気が重くなる。ヴァルクは負けたとは考えていなかった。十三隻の母艦は残っている。多数の攻撃機も地上部隊も健在。人類の軍事力は大きく損耗している。戦争を続ければ、ヴァルクが勝つ可能性はまだ十分にある。


 だが通信には続きがあった。


《想定損失 増大》

《予測不確実性 増大》

《人類適応速度 予測困難》

《占領完了後 抵抗継続可能性 高》


 そして、《KAMIYA YUMA 危険》


「ここで俺!?」


 悠真が思わず声を上げた。


「なんで最後に俺だけ名指し?」

「危険人物だそうだ」

「そこは前から言われてたでしょう!」


 研究責任者は笑わず、画面を見ていた。


「いや。たぶん意味が違う」


《個体戦闘能力のみを意味しない》

《神谷悠真 侵攻開始時》《民間人》《未成年》《軍事訓練なし》


 悠真の表情が変わった。


《娯楽技能から 異星兵器適応》

《第一鹵獲機運用》

《戦術変化 起点》

《人類軍への情報伝播》

《母艦損害に関与》

《交渉経路形成に関与》

《資源実証 人類側監視》


「……並べると本当に変な高校生ですね」


「自覚しろ」


 一等空尉が言った。


《神谷悠真 特殊個体である可能性》

《しかし》

《同様の予測外個体 人類社会内存在数》

《推定不能》


 研究室が静まった。


《現在戦争》

《主要交戦主体 人類軍事組織》

《ヴァルク軍事組織》

《人類民間社会 全面的戦闘参加 未発生》


 一等空尉がゆっくり画面を見る。


「なるほど」

「何が?」

「向こうはそこまで考えたのか」


 現在、人類とヴァルクの戦争は基本的には軍と軍の戦いだった。ヴァルクは都市を無差別に焼いていない。民間人を積極的に攻撃せず、軍事基地、兵器、通信、輸送など戦争継続に必要な機能を狙っている。人類側も国家の軍隊が中心となって戦っている。


 だが本当に地球を占領するなら、それだけでは終わらない。


《地球占領後》

《長期統治必要》

《抵抗発生可能》

《非軍事人口から 新規適応者発生可能》

《研究者》

《技術者》

《工業従事者》

《通信従事者》

《民間航空》

《その他》

《予測不能》


「俺一人で?」

「違う」


 研究責任者が答えた。


「お前一人だったからだ」

「え?」

「侵攻が始まった時、お前は軍人じゃなかった。兵器の研究者でもない。宇宙飛行士でもない。高校生だった」


 ただの高校生。民間人。未成年。その一人が偶然墜落した敵機を見つけ、ゲームで身につけた感覚から操作方法を理解した。それが人類最初の撃墜につながり、そこからプロのパイロットが学び、科学者が弱点を探し、世界各国へ戦術が広がった。


 ヴァルクが見ているのは神谷悠真という一人の少年ではなかった。その少年が、人類社会のどこから出てきたかだった。


「軍人の中からすごい奴が一人出たなら、向こうも計算できた」


 一等空尉が言う。


「でもお前は違った」


《人類人口全体を軍事的敵対状態へ移行させた場合》

《適応速度》

《新規戦術発生》

《技術転用》

《非対称抵抗》

《予測精度 著しく低下》

《ヴァルク想定損失 算定困難》


 悠真が画面を見つめる。


「……総力戦になったら、どうなるか分からない?」


《肯定》

「でも今でもヴァルクは勝てるんですよね?」

《肯定》

「じゃあ勝てるなら、そのままやればいいじゃん」

《勝利可能》

《最適ではない》


 全員が黙った。


《地球占領には 軍事組織撃破のみでは不足》

《長期占領必要》

《人類社会全体の抵抗抑制必要》

《地球環境維持と両立困難》

《大量人類死亡回避と両立困難》


 ヴァルクは地球を欲しがっている。だから地球そのものを壊せない。人類を殲滅するための徹底的な破壊は、占領後の一二〇億のヴァルクをも苦しめることになる。

 そして必要のない死を避けるという彼ら自身の原則。軍だけを倒して終わるなら、まだ計算できた。だが数十億人が暮らす惑星そのものを占領し、その全社会が抵抗を始めたらどうなるのか。その入口にいたのが、一人の高校生だった。


《神谷悠真》

《一個体による予測変動 過大》

《人類社会全体 同様事象発生確率 算定不能》


「俺、そんなに迷惑?」

「ヴァルク史上最悪の高校生かもしれんな」

「全然嬉しくない」


     *


 ヴァルクの評価は続いた。


《地球占領 可能》

《想定損失 増大》

《予測不確実》

《人類資源提供 実証成功》

《人類約束履行 複数回確認》

《別候補星移動 生存可能性上昇》

《双方比較》


 次の一文が出るまで、実際には十秒にも満たなかった。それでも悠真には何分にも感じられた。


《地球占領を選択する合理的優位 消失》


 誰かが息を吸った。


《人類死亡 回避可能》

《ヴァルク死亡 回避可能》

《戦闘継続による追加死亡 不要》


「じゃあ……」


 悠真が呟いた。


《結論》

《地球占領計画 停止》


 誰も動かなかった。最初に反応したのは外交官だった。


《確認》

《ヴァルク 地球占領を放棄》


《肯定》

《別候補星移動 選択》


 歓声は、すぐには上がらなかった。皆が文字を読み直していた。意味が変わらないことを確認するように。


「……終わった?」

「まだだ」

「ですよね」


 一等空尉は画面を見た。


「だが、一番大きなところは決まった」


     *


 ヴァルクから次の提案が届いた。


《全面停戦 提案》


 人類側の回答に時間はかからなかった。


《人類 同意》


 停戦開始時刻は六時間後。双方が全戦域へ命令を伝える時間が必要だった。ヴァルク地上部隊は現在位置で停止。人類側も前進を停止。航空攻撃、砲撃、ミサイル発射を禁止。互いの防御行動は維持する。故意に接近しない。


 まだ和平条約ではない。撤退も始まっていない。だが、地球全体で戦闘を止める。


 その発表は数分後に世界へ流れた。


     *


『速報です!』


《ヴァルク 地球占領計画停止》

《別候補星への移動を選択》

《人類・ヴァルク 全面停戦で合意》


『政府は先ほど、ヴァルク側が地球占領計画を正式に停止し、別の恒星系への移動を選択したと発表しました。全面停戦は日本時間、本日午前六時に発効します』


 避難所で歓声が上がる。街では知らない者同士が抱き合った。兵士が地面へ座り込んだ。泣く者もいた。何も言わず画面を見る者もいた。


 一方、戦争で家族を失った人間の中には、喜べない者もいる。


『和平なんて認められない』

『友人を殺された』

『どうして侵略者を助けるんだ』


 そう話す人もいた。その感情も間違いではない。ヴァルクにも死者がいる。人類にも死者がいる。停戦したからといって、その事実が消えるわけではなかった。


     *


 停戦発効まで残り三十分。悠真は作戦室にいた。


「最後に一個聞いていいですか?」

《可能》

「結局、負けたからやめるわけじゃないんですよね?」

《肯定》

「まだ地球取れる?」

《可能性あり》

「それでもやめる?」

《肯定》

「なんで?」


 すでに答えは分かっていた。それでも悠真は聞いた。


《地球占領 可能》

《しかし ヴァルク損失予測増大》

《長期抵抗 予測不能》

《人類社会全体との総力戦 結果予測精度低い》

《別候補星移動 実行可能性上昇》

《人類支援 確認》

《比較した結果》

《地球占領の合理的優位なし》


 少し間があった。


《双方生存可能なら》

《双方死亡増加 不要》


 さらに、もう一文。


《ヴァルクも 不要な死 望まない》


 悠真は画面を見つめた。


《人類の死も 望まない》

「……そっちも、殺したくて殺してたわけじゃないんだ」

《肯定》

「最初から?」

《肯定》

「でも殺した」

《必要だった》


 短い答えだった。悠真は少し黙った。


「今は?」


 今度は、返答までわずかに間があった。


《必要ない》


 悠真はその四文字をしばらく見ていた。ヴァルクは人類を好きになったわけではない。人類もヴァルクを許したわけではない。死者が消えたわけでも、友情が生まれたわけでもなかった。ただ、殺さなくていい相手を殺したいとは、ヴァルクも思っていなかった。


 彼らにとって公正は、生き延びるための技術だった。必要のない死を避けることも、その中に含まれていた。そして今、人類を殺さずに百二十億人が生き残る道が存在する。


 ならば、殺す理由はない。それは人類が考えていたよりずっと単純で、そして少しだけ救いのある答えだった。


     *


 午前六時。日本。北海道。数日前、最初の局地停戦が行われた場所。自衛官たちは道路の向こうを見る。ヴァルク兵もこちらを見ている。


 時刻が六時になる。何も起きない。


 北米ではヴァルク攻撃機が進路を変え、軍事基地から離れていく。欧州では砲撃が止まる。東アジアでは地上部隊が停止する。太平洋では人類艦艇のミサイル発射管が閉じられたままだった。


 一分。五分。十分。誰も撃たない。


 一時間後、作戦室の世界地図から赤い戦闘表示が消えていった。


「終わった?」


 悠真が聞いた。一等空尉は少し考えた。


「戦闘はな」

「じゃあ次は?」

「戦争を終わらせる仕事だ」


 十三隻の母艦は、まだ地球を回っている。ヴァルクの地上部隊も、まだ地球にいる。百二十億人の移民船団も、まだ太陽系を離れてはいない。資源採掘、撤退、捕虜、技術交換。これから決めなければならないことはいくらでもある。


 死んだ者も戻らない。壊されたものも元には戻らない。それでもその朝、地球では誰もヴァルクを撃っていなかった。ヴァルクもまた、人類を撃っていなかった。


 人類が三日で敗北してから初めて、地球から戦争の音が消えた。

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