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ファースト・エース ~人類が三日で敗北したので、ゲーマー高校生が敵の戦闘機で反撃します~  作者: 神野啓次


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第二十章 取引

 ヴァルクが、人類の和平案を本気で比較し始めた。その事実は人類側にとって大きな前進だったが、同時に新しい問題を突きつけた。


《提供可能資源量》

《提供開始時期》

《採掘能力》

《採掘能力拡張方法》

《履行保証方式》


 ヴァルクから送られてきた五つの項目を前に、各国の科学者と宇宙機関、資源企業、軍の担当者たちは徹夜で計算を続けた。結論そのものは早かった。


「資源はあります。ただし、取れません」


 研究責任者の言葉に悠真が首を傾げる。


「どっちですか?」

「太陽系全体で見れば、ヴァルクが必要としている物質の大部分は存在する。水、炭素、鉄、ニッケル、ケイ素。長距離航行用物質についてはまだ完全に理解できていないが、原料候補もある」

「じゃあ渡せばいいじゃないですか」

「誰が採掘する?」

「……あ」


 画面には月と地球近傍小惑星、さらにその外側に広がる小惑星帯が表示されていた。


「現在の人類に、必要量を短期間で採掘して軌道へ運ぶ能力はない。宇宙へ一トン運ぶだけでも大仕事だった文明だぞ」

「和平できそうなのに、掘れなくて戦争続くんですか?」

「そうなる可能性はある」

「すごい間抜けな終わり方ですね」

「だから別の方法を考えている。我々が掘る必要はない」


 研究責任者が画面を切り替えた。ヴァルクの小型船が表示される。


「向こうに掘らせる?」

「そうだ」


     *


 人類側から送られた提案は単純だった。


《人類指定天体》

《ヴァルク自身による資源採掘》

《地球への追加降下不要》

《採掘活動 人類監視》


 ヴァルクの回答は十九秒後。


《可能》


 室内がわずかにざわついた。


「早いな」

「向こうも同じ案を検討していた可能性があります」


 続いて条件が送られてくる。


《採掘区域 事前合意》

《採掘船航路 共有》

《採掘量 公開》

《人類による攻撃禁止》

《段階実施》


 軍側からすぐに異論が出た。


「待て。それは敵に資源を補給することになる」

「採掘した水や金属を兵器に回されたらどうする」

「和平を装って補給を完了し、そのまま攻撃を再開する可能性は?」


 外交官が同じ内容をヴァルクへ送る。


《採掘資源 軍事利用可能》

《人類側危険》


《肯定》


「また認めるんだ」


 悠真が呟く。


《人類懸念 正当》

《全量採掘前 ヴァルク段階撤退可能》

《撤退確認後 次段階採掘》

《一括交換不要》


 研究責任者が頷いた。


「やはり段階交換だ」


 少し資源を得る。ヴァルクが少し撤退する。人類が履行を確認する。次の採掘を認め、その代わりにまたヴァルクが地上部隊や攻撃機を減らす。最終的には十三隻の母艦そのものを地球軌道から後退させる。


 信用ではない。どちらかが裏切っても、一度にすべてを失わない仕組みだった。


「ほんとに信用しない前提ですね」

「向こうも同じことを思ってるだろう」

「でも、それならできそう」

「問題は最初の一回だ」


     *


 その日の昼、世界各国のニュースは一斉に同じ内容を報じた。


『異星文明ヴァルクとの和平交渉で、新たな進展です。人類側は月や小惑星など地球外天体の資源を利用し、ヴァルク移民船団を別の恒星系へ移動させる案を正式に提示しました』


《地球を渡さず異星文明を救済》

《小惑星資源が和平の鍵》

《異星文明との史上初の資源協定なるか》


 街頭インタビューでは歓迎する声が多かった。


『出ていってくれるなら、石でも何でも持っていけばいい』

『地球を取られるよりずっといいでしょう』


 一方で反対意見もある。


『侵略者に資源を与えるのか』

『その資源でまた攻撃されたらどうする』

『何万人も殺されているんですよ。そんな簡単に和平なんて言えません』


 政府発表には、前日の世界同時反攻による人類側の深刻な損耗について一言もなかった。


《人類軍 防衛能力維持》

《和平交渉と並行して軍事的圧力を継続》


 ミサイルの残数も、飛べる航空機の数も、鹵獲機の状態も公表されない。ヴァルクが人類の公開通信を解析している以上、見せる必要のないものまで見せる理由はなかった。


     *


 最初の採掘実証に選ばれたのは、《2038 QX7》と仮称されている地球近傍小惑星だった。


 直径は約四百二十メートル。炭素質小惑星と推定され、水を含む鉱物、炭素、鉄、ニッケルなどを含んでいる可能性が高い。そして何より重要なのは、今この瞬間だけ異常なほど地球に近かったことだった。


「最接近時で約九十二万キロ」


 軌道担当者が説明する。


「月までの平均距離の、およそ二・四倍だ」

「近い……の?」

「宇宙ではかなり近い」

「九十二万キロあるんですけど」

「火星よりは遥かに近い」

「比較対象がおかしいですよ」


 さらに幸運なことに、今回の接近では地球に対する相対速度が比較的小さくなる時間帯が存在した。ヴァルク機の推進能力なら、そのタイミングを利用して往復できる可能性がある。


「こいつが近くに来てなかったら?」


 悠真の質問に、研究責任者が答えた。


「今回の実証実験そのものが難しかった」

「……運いいな、人類」

「今さら気づいたか。お前が敵機を拾ったところからずっとそうだ」


 ヴァルクから提案が届く。


《採掘船 一隻》

《小規模採掘》

《航路公開》

《人類監視可能》


 ここまでは問題なかった。その次。


《人類監視個体 指定希望》


 悠真は嫌な予感がした。


「また?」


《KAMIYA YUMA》


「やっぱり!」


 一等空尉が笑いを堪えている。


「人気者だな」

「嫌な人気しかないんですけど! 監視って地上からじゃ駄目なんですか?」


 外交官が質問を送る。


《遠隔監視 可能》

《現地監視者 必要理由》


《必須ではない》


「ほら!」


 悠真が指をさす。


《ただし 神谷悠真同行時 実証評価信頼度上昇》


「……なんで?」


《神谷悠真 行動履歴》

《発言行動 一致率高い》

《ヴァルク機操縦可能》

《宇宙航行経験あり》

《人類側評価個体として適切》


 一等空尉が悠真を見る。


「だそうだ」

「いやいやいや」

「人類初の小惑星到達だ。歴史に残るぞ」

「今でも残りますよ!」


 研究責任者が笑う。


「それは確かにそうだな」

「笑い事じゃないですよ。そもそも行けるんですか?」

「そこは計算した」


 軌道担当者が別の画面を出した。


「現在の軌道条件なら、片道およそ七時間。現地作業を一時間から二時間。帰路も七時間前後。全行程で十六時間から十八時間を見込む」

「そんなに?」

「九十二万キロだぞ」

「帰りは?」

「可能だ。ただし余裕は少ない」


 表示されたのは距離だけではない。地球周回軌道からの離脱、小惑星とのランデブー、相対速度の一致、地球への帰還軌道、再突入。そのすべてに必要な速度変更量が並んでいる。


「距離だけなら問題ない。厳しいのは小惑星に着いてからだ。相手も太陽の周りを動いている。到着時に速度を合わせ、そこからもう一度地球へ戻るための速度を作らなければならない」

「つまり?」

「向こうで無駄に飛び回るな」

「分かりやすい」


 通信にも問題があった。


「九十二万キロなら、電波は片道約三・一秒」


「三秒?」


「地球からお前へ三秒。お前から地球へ三秒。質問して返事を聞くまで最低でも六秒以上だ」

「電話としては結構きついですね」

「事故の時はもっときつい。地上で異常を見た時点で、それは三秒前の映像だ。こちらが指示を返しても、お前に届くのはさらに三秒後」

「じゃあ緊急時、地上の指示待てない?」

「待つな。自分で判断しろ」


 悠真は少し黙った。


「救助は?」

「人類側からは難しい」

「ですよね」


 軍からも反対意見が出た。ヴァルクとの共同作業が始まったとはいえ、まだ戦争中だ。監視対象はつい数日前まで悠真を殺そうとしていた文明の船。しかも地球から九十二万キロ。事故が起きても、人類にはすぐ救援を送る手段がない。


 だがヴァルクの評価は明確だった。


《他監視者 拒否しない》

《神谷悠真の場合 人類提案履行評価上昇》


 悠真が外交官を見る。


「つまり俺が行った方が和平の可能性上がる?」

「そう解釈していい」

「それ先に言うのずるくないですか?」

「私が言ったわけじゃない」


 悠真はしばらく天井を見た。


「……行きます」


 一等空尉が即座に言う。


「即決するな」

「でも行くしかないでしょ」

「医務官の許可が先だ」

「あ」


 そして最も強硬に反対したのは、やはり医務官だった。


     *


『速報です。神谷悠真さんが、ヴァルクとの小惑星資源採掘実証に人類側監視員として参加することが正式に発表されました』


《17歳 人類初の小惑星へ》

《地球から約92万キロ》

《ヴァルク側が神谷悠真を指名》

《異星機で往復約16時間の予定》


 テレビでは、悠真のこれまでの映像がまとめられていた。最初のヴァルク機撃墜。鹵獲機での戦闘。母艦攻撃。ヴァルクから名指しで交信相手に指定された場面。そして今度は小惑星。


 医務室のテレビを見ながら悠真が顔をしかめる。


「まだ行ってないのに『人類初』って書いてあるんだけど」

「行かなかったら訂正される」

「行く前提なのやめてもらえません?」

「お前が行くって言ったんだろ」


 SNSではさらに好き勝手言われていた。


《また神谷か》

《高校生を92万キロ先まで行かせるな》

《こいつの高校生活どうなってるんだ》

《今も高校生だぞ》

《人類初の小惑星到達を修学旅行みたいにするな》



 亮太からもメッセージが届いた。


《小惑星行くなら石拾ってきて》

《外出られない》

《じゃあお土産なし?》

《観光じゃないから》

《学校は公欠か?》


 一部の学校では授業が再開されていた。当然ながら悠真は一度も登校していなかった。


《これで退学とかになったら政府に責任を取らせるぞ》


 でも心配になってすぐに聞きにいった。混乱の中、政府も学校も悠真の学籍にまで気遣いが届いていなかった。高校は普通に欠席扱いになっていた。公欠扱いにしてもらえた。悠真は憤慨した。


《人類のために戦ってるのに!》

《まあまあ。これが無事終わったら大学なんて推薦で選び放題だぞ》

《大学の前に俺の命が心配だよ……》 


     *


 出発当日。ヴァルク採掘船は先に地球軌道を離れた。黒い船体。全長百メートルにも満たない小型船だったが、人類の基準では十分巨大だ。外観から武装の有無は判断できない。事前合意では攻撃行動を取らないことになっている。


 悠真の一号機も離陸。今回の飛行には武装が残されている。人類側から外す案も出たが、ヴァルク側が拒否した。


《戦争継続中》

《監視者自己防衛権 維持》


「向こうが武装したままでいいって」


 一等空尉が答える。


「公正なんだろ」

「撃たないですけどね」

「撃つ必要がなければな」


 発進。空。成層圏。そして宇宙。


『Kamiya, orbital insertion confirmed』


 フランス人元宇宙飛行士が地上の軌道班から支援している。


「了解」

『Next burn in twelve minutes. Do nothing』

「何もしない?」

『Nothing』

「十二分ずっと?」

『Yes』

「ゲームなら放置時間長すぎません?」

『This is not game』

「知ってます」

『Good』


 前回の母艦攻撃で学んだことが役に立った。宇宙では、向かいたい場所へ機首を向ければいいわけではない。小惑星そのものを追いかけるのでもない。


 現在の目標距離、約九十二万キロ。


 だが道路標識に書かれた九十二万キロとは意味が違う。地球も小惑星も動いている。悠真が目指すのは、今《2038 QX7》がいる場所ではない。約七時間後、小惑星が到達する位置だった。


「敵が来る場所に軌道を置く」


 悠真が小さく呟く。


『What?』

「前に教わったこと思い出しただけです」

『Good. Same idea』


 違うのは、今度の相手が撃ってこないことだった。


     *


 地球では発進映像が世界中へ配信された。軍事上の理由から一般向け映像は意図的に約五分遅らせ、正確な軌道、速度、推進剤残量なども削除されている。ただし悠真と管制室の実際の通信は、距離が増えるにつれて遅延が大きくなっていった。


『神谷機が地球周回軌道を離れました』


《人類初の小惑星往復ミッション開始》

《異星文明との共同資源実証》

《和平交渉の成否を左右する可能性》


 専門家たちはテレビ番組で軌道遷移を説明する。


『小惑星へ真っ直ぐ飛ぶわけではありません。目標天体も太陽の周囲を高速で移動しています。数時間後に双方が同じ場所へ到着するよう軌道を組み、最後に相対速度を合わせる必要があります』


『通信はできるんでしょうか?』

『できます。ただし目的地付近では片道約三秒の遅延があります。会話では往復六秒以上です』

『もし故障したら?』


 専門家は数秒黙った。


『人類側には、すぐ救援へ向かえる手段がありません』


 スタジオが静かになった。


     *


 出発から六時間を超えた頃、通信の間がはっきり分かるようになっていた。


「地上、現在の残量確認できます?」


 返事はない。一秒。二秒。三秒。


「……あ、そうか」


 さらに数秒。


『確認している。推進剤、冷却とも予定範囲内』


「この間、慣れないな」


 また数秒後に地上へ届き、さらに返答が戻る。


『我々もだ』


「会話しづらいですね」


『雑談する距離ではない』


「九十二万キロ離れて説教されてる」


 やがて小惑星が見えてきた。最初はただの点。それが少しずつ不規則な形になる。灰色とも黒ともつかない岩。大気はない。海もない。光もない。


「……あれ?」


 数秒後。


『What?』


「思ってたより普通ですね」


 また数秒。


『What did you expect?』


「もっとこう、宇宙っぽい感じ」


 遅れて返事。


『It is an asteroid』


「岩ですね」


『Yes』


 会話するたびに六秒以上かかる。悠真は思った以上に、この短い沈黙を長く感じていた。


 ヴァルク採掘船が減速を始める。悠真も指示された通り相対速度を落とす。距離、速度、軌道差。一号機のAIが細かい操作を行い、悠真が設定した目標へ機体を合わせていく。


 数百メートル。百。五十。そして相対速度がほぼゼロになる。


「……着いた?」


 返答まで六秒。


『神谷。現在時刻をもって、人類による小惑星到達を確認した』


 悠真は窓の向こうを見る。岩。


「普通の岩ですね」


 数秒後、通信回線の向こうで笑い声が聞こえた。


「これ記録残ってます?」


 六秒。


『当然』


「今のなしで」


『もう遅い』


     *


 公開映像は軍の設定した遅延を挟んで地球へ配信された。


『今、神谷悠真さんを乗せた異星機が《2038 QX7》へ到達しました! 地球から約九十二万キロ、人類史上初の小惑星到達です!』


《人類史上初 小惑星到達》

《17歳の高校生が達成》

《ヴァルクとの共同資源実証開始》


 ニュースキャスターが笑いながら伝える。


『なお神谷さんの第一声は、「普通の岩ですね」でした』


 学校の避難施設で映像を見ていた亮太は机を叩いて笑った。


《第一声ひどすぎ》


 そのメッセージが悠真へ届くまでには、当然さらに時間がかかる。世界各地では歓声が上がっていた。侵略開始以来、人類が宇宙へ向かうニュースはほとんど戦争に関するものだった。


 今回は違った。異星文明の船と人類の機体が、同じ小惑星へ向かっていた。殺し合うためではない。


     *


 ヴァルク採掘船が小惑星表面へ接近した。着陸というより接触だった。弱い重力のため、複数の脚部を表面へ固定する。


「採掘開始します?」


《開始》


 ヴァルクから直接届いた返答には、ほとんど遅延がない。九十二万キロ先の地球とは違い、相手は数百メートル先にいる。


 悠真は機体のセンサーを採掘船へ向けた。


「地上、映像来てます?」


 返事を待つ。一秒。二秒。三秒。その間にもヴァルク船から装置が展開していく。さらに三秒。


『受信中。可能な限り高解像度で送れ』


「六秒が遅い!」


『仕方ない! 右側を拡大しろ!』


「誰?」


 六秒。


『材料班です!』


「めちゃくちゃ興奮してるなあ」


 ヴァルク船から複数の装置が伸びる。しかし人類が想像していた大型ドリルのようなものは出てこない。


「削らないんだ」


 約六秒後。


『待て。何か置いた』


 小型装置が岩石表面へ取り付く。数秒後、表面温度が上がった。続いて岩石内部の複数成分が、別々の方向へ移動しているような表示が出る。


『電磁分離?』


 遅れて別の声。


『いや、それだけでは説明できない』


『熱分解と質量分離を同時にやっている?』


『映像もっと寄せろ!』


「俺、研究助手じゃないんですけど!」


 返事が来る前にヴァルク側から通信。


《人類 採掘技術 関心高い》


 悠真が笑う。


「めちゃくちゃ高いよ」


《和平成立時 技術提供対象 検討可能》

「本当に?」

《内容による》

「やっぱりそこは内容によるんだ」


 六秒以上遅れて、その通信を見た地球側の研究者たちがさらに騒ぎ始めた。


     *


『異星文明との共同資源採掘実験が始まりました』


《ヴァルク採掘技術を人類が初観測》

《小惑星資源を短時間で分離》

《和平成立時に技術供与の可能性》


 科学番組では専門家が興奮を隠さなかった。


『もしこの技術を人類が利用できれば、宇宙開発そのものが変わります。ロケットで地球からすべてを運ぶ必要がなくなる。月や小惑星から資源を調達できるようになるんです』


 一方、別の番組では軍事専門家が警告する。


『忘れてはいけません。現在もヴァルクとの戦争は終わっていません。採掘された資源が軍事利用される可能性もあります』


 歓迎。期待。疑念。怒り。人類全体が同じ方向を向いているわけではない。ただ、誰もテレビから目を離せなかった。


     *


 採掘開始から四十三分。異常が起きた。


「ん?」


 悠真の画面に警告。小惑星表面の一部が動く。


《移動》


 最初に届いたのはヴァルクだった。


「何?」


 採掘地点から数十メートル離れた場所で岩石が割れる。内部に残っていた揮発成分が急激に噴出した。


 破片。


「うわっ!」


 小惑星の重力では、飛び出した岩は簡単には落ちてこない。一号機へ向かってくる。


 悠真が推進を入れる。大きく吹かせれば、小惑星との相対速度が増えすぎる。しかし一つの破片が予想以上に速い。


 回避。間に合わない。その瞬間、ヴァルク採掘船から小型機が飛び出した。


「何?」


 光。破片が砕け、軌道が逸れる。細かな岩片が一号機の横を通過した。悠真は数秒固まった。


「……今、助けた?」

《肯定》

「敵なのに?」

《現在 採掘実証参加者》《死亡 実証失敗》

「合理的だなあ」

《神谷悠真死亡 人類側評価悪化可能性 高い》

「そっちも考えてるの?」

《肯定》


 その頃。地球では、ようやく事故の最初の映像が届いていた。


『神谷、回避――』


 地上からの警告が悠真に届いた時には、破片はもうヴァルク機によって砕かれていた。


「もう終わってます!」


 六秒後。


『分かってる!』


「じゃあ何で叫んだんです?」


 さらに六秒。


『見てる方は叫ぶしかないんだ!』


 軌道担当者が割り込む。


『神谷、機体状態を送れ』


「問題なし。予定外推進あり」


 十二秒近い間を挟んで返答。


『確認した。問題がある』


「何?」


『帰還余裕が減った』


 悠真の表情が固まる。


「帰れる?」


 今度の沈黙は通信遅延だけではなかった。やがて、


『再計算した。帰還可能』


「よかった」


『ただし今後、大きな軌道修正は禁止。予定外加速もするな』


「攻撃されたら?」


 返答まで長かった。


『逃げる余裕はほとんどない』


「そうなるよね」


     *


 一般向け放送では五分遅れで事故が伝えられ、地球のニュースは一時騒然となった。


《神谷機周辺で小惑星表面崩落》

《採掘作業中に事故》

《ヴァルク船が神谷機を救援》


『政府発表によりますと、神谷さんの機体に重大な損傷はありません。ただし帰還用の推進余力が当初予定より減少しており、現在慎重に帰還計画が進められています』


 SNSでは、


《また死にかけてる》

《高校生を92万キロ先まで送るな》

《今度は宇宙人に助けられてる》

《数日前まで撃ち合ってた相手だぞ》


 という言葉が飛び交った。そして一つの映像が繰り返された。小惑星から飛んできた岩。ヴァルクの小型機。迎撃。悠真機の横を通過する破片。


『侵攻開始以来、ヴァルクが人類の生命を意図的に救助した初めての確認例となる可能性があります』


 戦争中の二つの種族の関係が、ほんの少しだけ変わった瞬間だった。


     *


 採掘実証は中止されなかった。予定量の採取完了。成分分析。採掘量公開。ヴァルクは事前に合意した条件をすべて守った。人類側も攻撃しなかった。


「違反なし?」

《肯定》

「こっちも?」

《肯定》《採掘実証 成功》

「じゃあ帰ろう」

《同意》


 ヴァルク採掘船が《2038 QX7》を離れる。一号機も帰還軌道へ移る。約七時間先の地球へ向けて、もう一度速度を作り直す。事故で余裕が減ったため、人類側はヴァルク船へ護衛を求めていなかった。


 だが、《帰還航路 護衛提供》と向こうから届いた。


「護衛?」

《採掘実証終了まで 神谷悠真安全 双方利益》


 地球へ確認を取る必要がある。


「地上、受けてもいい?」


 返答まで六秒以上。


『許可する』


「断る理由ないですよね」


『ない』


 悠真は少し笑った。前方にヴァルク採掘船。その後ろを二機のヴァルク攻撃機が飛ぶ。悠真の一号機はその中央。数日前までなら、その二機は悠真を撃墜するために追ってきただろう。今は違う。


「変な感じだな」

《意味》

「前はそっちに撃たれてたから」

《現在 攻撃理由なし》

「分かってる」

《なら問題なし》

「そういう話でもないんだけど」


     *


『神谷機、地球帰還軌道へ入りました!』


《人類初の小惑星往復成功へ》

《ヴァルク機二機が帰還を護衛》

《約92万キロ先から帰還開始》


 世界中のテレビが、三機のヴァルク機が並んで飛ぶ映像を流した。一機は人類が奪ったもの。二機は本物のヴァルク機。同じ方向へ飛んでいる。


『つい数日前まで、この三機は互いに撃ち合っていました。現在、彼らは同じ目的で地球へ向かっています』


 それを見て泣く者もいた。怒る者もいた。信用するなという者もいた。和平が近いと喜ぶ者もいた。それでも映像そのものは変わらない。三機は撃ち合わなかった。


     *


 帰路は長かった。事故の影響で余計な軌道変更はできない。一号機のAIが計算した軌道を外れないよう、悠真はほとんど何もしなかった。


「宇宙って、操縦しない時間の方が長いですね」


 六秒以上遅れて地球から返事。


『正しい軌道に乗ったなら、それが正しい』


「ゲームなら寝落ち扱いですよ」


『寝るな』


「分かってます」


 七時間後。地球が大きくなる。ヴァルク護衛機は高軌道で離れた。


《護衛終了》

「ありがとう」


 少し間。


《不要》

「お礼いらない?」

《双方利益行動》

「それでもありがとうでいいじゃん」


 返答はなかった。一号機は大気圏へ入る。機体表面温度上昇。通信一時不安定。そして青い空。悠真はその色を見て、思った以上に安心している自分に気づいた。


「帰ってきた」

『おかえり、神谷』

「ただいま」


 返答に通信ラグがないことが心地よかった。


     *


『神谷悠真さんを乗せた機体が、無事帰還しました!』


《人類初の小惑星往復成功》

《総飛行時間 約17時間》

《異星文明との共同資源採掘実験成功》

《和平実現へ大きな前進》


 基地へ降りた瞬間から、世界中が大騒ぎだった。悠真本人はそのまま医務室へ連れていかれた。


「成功って言ってますね」


 ベッドの上からテレビを見る。一等空尉。


「成功したからな」

「途中で危なかったですよ」

「だが無事帰った」

「帰れば成功?」

「今回の任務ではな」


 画面には例の第一声まで出ている。


《神谷悠真「普通の岩ですね」》


「まだ使ってる!」

「歴史に残るぞ」

「もっといいこと言えばよかった」

「今さら遅い」


 亮太からメッセージ。


《石は?》

《ない》

《92万キロ行って手ぶら?》

《外出られないって言っただろ》

《役立たず》

《小惑星まで行った人間に言うこと?》


     *


 本当に重要な通信が届いたのは、帰還から二時間後だった。


《採掘実証 成功確認》

《人類側違反 なし》

《ヴァルク側違反 なし》

《資源供給計画 実行可能性 上昇》


 国際交渉室に再び人が集まる。続いて、


《地球占領》

《代替星移動》


 その二つの項目が表示された。


《生存予測差 僅少》


 誰も喋らなかった。先日の全面攻勢で、人類はヴァルクに地球占領の危険性を見せた。停戦と捕虜交換で、人類が約束を守る可能性を示した。そして今回、九十二万キロ先のただの岩で、資源を別の場所から得る方法が本当に実行できることを証明した。


 地球を奪う。別の星へ行く。その二つの生存率が、ほぼ並んだ。悠真が通信端末を見た。


「じゃあ和平?」

《最終判断 未完了》

「まだ?」


《移民船団全体 再計算必要》

《百二十億 生存計画変更》

《意思確認必要》


 一等空尉が言う。


「百二十億人の進路を変えるんだ。簡単には決められん」

「向こうも会議するんですね」

「するだろ」


 さらに通信。


《判断完了まで》

《新規地上降下 一時停止》


 室内の空気が変わった。


「停止?」

《肯定》

「攻撃は?」

《既存戦闘区域 停戦拡大協議可能》


 全面停戦ではない。戦争も終わっていない。それでもヴァルクは初めて、自分たちから地球占領作戦の拡大を止めた。


     *


 その日の夜、地球のニュースは再び一斉に切り替わった。


《ヴァルク、新規地上降下を一時停止》

《地球撤退案を本格検討》

《百二十億人の移民船団、進路変更を協議》


『政府は、今回の小惑星《2038 QX7》での採掘実証成功を受け、ヴァルク側が地球占領と別候補星への移動について最終比較に入ったと発表しました』


 世界中で歓声が上がった。だが人類側の軍上層部には、別の数字が見えている。


 空になった弾薬庫。減った戦闘機。修理不能の鹵獲機。前回と同じ反攻作戦はもうできない。それは公表されなかった。


 ニュースでは、人類が軍事的にも外交的にもヴァルクを追い詰めつつあるように見える。だが人類、ヴァルク、双方ともに余力は少なかった。


     *


 深夜。悠真は医務室で眠りかけていた。端末が鳴る。


「また?」


 一等空尉が入ってくる。


「起きろ」

「十七時間飛んできたんですけど」

「歴史に残る通信だ」

「今日それ何回目?」


 作戦室。大型画面にヴァルクからの文字が表示される。


《移民船団 意思確認開始》


 悠真はその一文を見た。ヴァルクの移民船団。百二十億人。子供も。老人も。兵士も。ルクの家族も。全員を乗せるために帰り道まで捨てた文明。彼らが今、もう一度進路を選ぼうとしている。


 地球を奪うか。それとも、危険を承知で別の星へ向かうか。


「なんか俺が九十二万キロ往復してる間に、すごい話になってない?」


 一等空尉が悠真を見る。


「お前が行ったからだ」


 悠真は少し黙り、画面を見た。今までずっと、人類が選ばされる側だった。戦うか。逃げるか。降伏するか。生き残るために何をするか。だが今度は違う。人類は、自分たちの答えを出した。


 地球は渡さない。だがヴァルクが生きる道まで奪う必要はない。そのための場所も資源も、方法も示した。残るのは、相手の答えだった。


 今度は、ヴァルクが選ぶ番だった。

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