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ファースト・エース ~人類が三日で敗北したので、ゲーマー高校生が敵の戦闘機で反撃します~  作者: 神野啓次


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第十五章 公正

 人類が初めてヴァルク母艦に傷をつけた翌日、世界のニュースは勝利一色だった。


《人類、異星母艦への攻撃に成功》

《五機全機帰還》

《ヴァルク母艦、戦闘能力低下》

《反撃の時》


 映像には、五・八キロの巨大艦と、その側面に残った小さな損傷が何度も映し出されていた。悠真は仮設基地の食堂でそれを見ながら、あまり納得していない顔をしていた。


「なんか、勝ったみたいになってますね」


 隣で片腕を固定したままコーヒーを飲んでいた一等空尉が答える。


「負け続けてた人間には、一発殴り返しただけでも勝利なんだよ」

「でも母艦、十二隻無傷ですよ」

「十三隻だ。撃った一隻も沈んでない」

「もっと駄目じゃないですか」

「だから次を考える」


 実際、戦争は終わっていなかった。北米では夜間に二つの軍用飛行場が攻撃され、東欧ではヴァルク地上部隊と現地軍の戦闘が続いている。中国西部では大型降下艇一隻が新たに着陸し、日本でも北海道の一部地域では交戦が続いていた。母艦一隻の攻撃機投入数が減っただけで、ヴァルク全体が止まったわけではない。


「それより研究班がお前を呼んでるぞ」

「また?」

「ルクの件だ」

「なんか分かったんです?」

「分からないから呼ばれてるんだろ」


 悠真は残っていたパンを口へ放り込んだ。


     *


 研究施設へ入ると普段より人数が多かった。言語学者だけではない。社会学、政治学、歴史学、行動科学。それまでヴァルクの兵器や生物学を調べていた研究とは、明らかに顔ぶれが違う。


「なんでこんなにいるんです?」


 研究責任者が答えた。


「昨日のルクの発言だ」


 画面に表示される。


《ヴァルク 特別ではない》

《我々の命 価値ある》

《人類の命 価値ある》


「これまでの行動と合わせて考えると、彼らの文明にはかなり強い価値体系がある。以前から何度も出ている概念だ」

「公正?」

「そうだ」


 ルクはいつもの場所にいた。失った右下腕の傷は塞がりつつある。三本の腕のうち細い一本で端末を操作していた。研究者が質問を入力する。


《ヴァルクにとって 公正 何》


 ルクはしばらく画面を見ていたが、返答はない。


「難しい?」

《質問 広すぎる》

「そりゃそうか」


 そこで質問の方法を変えた。


《食料不足》

《二人》

《一人 指導者》

《一人 一般市民》

《食料 一人分》

《誰に与える》


 ルクが答える。


《指導者であること 基準にならない》


 次。


《一人 富裕》

《一人 貧困》


《富 基準にならない》


《軍人》

《民間人》


《状況による》

《任務必要性》

《生存可能性》

《共通基準》


 質問は続いた。家系、職業、出身地域、政治的立場、社会的功績。ルクの答えには一貫性があった。それらによって命そのものの価値が変わることはない。ただし医療なら回復可能性、任務なら必要技能など、その状況に関係する基準による優先順位は存在する。


「完全な平等じゃないんですね」


 若い研究者が言った。


「当然だ。全員に同じ手術をすることが公平とは限らない」

「じゃあ、何が違うんです?」


 社会学者が画面を見ながら呟く。


「関係のない属性を持ち込まないんだ」

「関係のない属性?」

「偉いから助ける。金持ちだから多く食べる。英雄だから他人より危険を避けられる。そういうことを認めない」


 別の研究者が言った。


「倫理というより制度ですね」


 年配の社会学者が首を振る。


「制度というより、安全装置かもしれない」


     *


 質問はヴァルクの母星へ移った。恒星と惑星環境の悪化が決定的に確認されたのは、地球時間で四百年以上前。これ自体はすでに聞いている。しかし、その直後に社会で何が起きたのかは知らなかった。


《危機判明後 社会 安定していた?》


 ルク。


《否定》


 研究室の空気が変わった。


「やっぱり何かあったんだ」


 ルクは過去の記録を保存されていた資料から探した。安全確認済みの端末へ画像が転送される。都市。ヴァルクの文字。巨大な群衆。装甲車両に似たもの。炎。封鎖された交通路。宇宙港。


 悠真は画面を見る。


「これ……暴動?」


《肯定》


 別の画像。地図。複数の地域を分断する線。


《国家間 資源輸送停止》

《食料輸出停止》

《移住設備 独占》

《情報秘匿》

《武力衝突》


 ヴァルクも最初から一つになったわけではなかった。恒星の変化が判明した時、一部の国家は情報を隠した。別の国家は自国民を優先する脱出計画を作った。富裕層は独自の避難施設を建設し、科学者や軍人だけを救うべきだという主張も生まれた。残されると考えた地域では暴動が起こり、宇宙港と資源採掘施設を巡って軍事衝突まで発生した。


「恒星が星を滅ぼすより先に、脱出を巡って自分たちで滅びかけた?」


 翻訳。


《肯定》


 短い一言だった。だが、その意味は重かった。


     *


 社会学者たちは質問を重ねた。なぜ争いが止まったのか。何を変えたのか。どのように数百年続く移住計画を維持したのか。ルクの説明を人類側が解釈するには数時間かかった。


 最初に変えたのは、脱出の前提だった。誰を救うか。そこを議論することをやめた。


「……どういう意味です?」


 悠真が聞く。研究責任者が答える。


「最初から全員を救うことを計画条件にしたんだ」

「全員?」

「全員だ」


 悠真はルクを見る。


「百二十億?」


《当時人口 異なる》

《最終脱出人口 約百二十億》


「若い人だけとかじゃなく?」


《否定》


「技術者優先?」


《必要職種 出発順に影響》

《生存権 影響なし》


「金持ちは?」


《影響なし》


「病気の人は?」


《可能な限り治療》

《移動不能の場合 専用設備》


「老人は?」


《含む》


 悠真は少し間を置いた。


「……最後、母星に残った人は?」


《なし》


 研究室が静かになった。


「一人も?」


《意図的放棄 なし》


 脱出を望まない者はいた。事故や病気で死んだ者もいた。脱出準備の数百年間にも当然、多くの世代が生まれ、死んだ。しかし最終的な脱出段階で、「選ばれなかったから母星へ残された者」はいなかった。


 百二十億。全員。


 研究者の一人が呟いた。


「よく社会が持ったな」


 年配の社会学者が答える。


「逆だ」

「え?」

「全員を助けると信じられたから、持ったんだ」


     *


 ヴァルクの脱出計画には、当然ながら別案が存在していた。研究班が最も驚いたのは、その資料だった。


 移民船団に現在より大きな余剰資源を持たせる案。母星への帰還、途中での大規模な航路変更、第一候補の星が使えなかった場合に別の星系へ向かうだけの航行資源、より厚い安全余裕。そのすべてを成立させる方法はあった。


「……あったの?」


 悠真が思わず聞く。


《肯定》

「じゃあ、なんで?」


 回答として示されたのは数値だった。


《脱出可能人口 約七十パーセント》


 悠真は一瞬意味が分からなかった。


「七十……?」


 研究者が計算する。


「三割を母星に残せば、残り七割の船団には、帰還または別候補星への再航行が可能なだけの資源余裕を持たせられた?」


《概ね肯定》


 部屋の誰も喋らなかった。百二十億の三割。三十六億。多少の人口変動や計画時期の差を考慮しても、数十億人規模だった。


「つまり」


 悠真がゆっくり言う。


「三十億とか四十億とか置いていけば、今みたいにならなかった?」


《航行安全性 大幅上昇》

《別候補星 到達可能性 大幅上昇》


「母星にも帰れた?」


《条件による》

《少なくとも 選択肢維持》


「……あったんじゃん」


 悠真の声には少し怒りが混じった。


「ちゃんと逃げ道あったんじゃん」


 ルクは否定しなかった。


「なのに、捨てた?」


 翻訳された言葉に、ルクはしばらく動かなかった。そして、


《違う》


 と答えた。


《逃げ道を捨てた》

《人口を捨てなかった》


 悠真は黙った。


     *


 計画当時、ヴァルク社会では何十年にもわたる議論が行われていた。三割を残す案。誰を残すのか。高齢者か、病人か、犯罪者か、生産性の低い地域か。抽選か。自発的な残留者を募るのか。どの方式を採用しても、一つの問題へ戻った。


 誰かが、他人の命を「航行余裕より軽い」と決めなければならない。


「抽選なら公平じゃない?」


 悠真が聞いた。


《抽選方法 公平》


 そこで一度止まる。


《しかし 目的 異なる》

《三割を死亡させるための公平な選択》

《公正な社会の目的ではない》


「……抽選自体が公平でも、三割捨てる前提が駄目?」


《肯定》


 社会学者が深く息を吐いた。


「厳しいな」


 研究責任者。


「でも筋は通っている」


 ヴァルクが選んだのは、全員を乗せることだった。その代わり、余分な船体質量を削った。安全率を可能な範囲まで下げ、余剰物資を減らし、予備部品を必要最小限にした。贅沢品はほぼ消えた。母星へ戻るための大規模な航行資源も、次の星へ確実に行けるだけの余裕も積まなかった。


 その資源を船へ変えた。生命維持設備へ変えた。食料生産設備へ変えた。そして席へ変えた。一人分。また一人分。さらに一人分。百二十億人分。


 ヴァルクの船団が片道切符になったのは、計画に失敗したからではなかった。百二十億全員を乗せることに成功したからだった。


     *


「でも、それって公正なんですか?」


 若い研究者が聞いた。


「最初の船に乗った人と、最後まで母星に残った人じゃ危険が違うでしょう」


 質問が翻訳される。


《同じ危険 不可能》

《同じ価値 必要》


 先発船団は未確認の航路を進む危険を引き受けた。後発組は母星のインフラを最後まで維持する危険を引き受けた。船舶建造者、鉱山労働者、農業生産者、航路調査員、医療従事者、軍人。それぞれ危険は違う。完全に同じ負担など不可能だった。


 だからこそ、危険の種類が違うことを理由に、命の価値まで変えない。危険な仕事には補償。長期間の負担には交代。家族への保障。功績には名誉も報酬もある。しかし、


《功績 優先生存権にならない》


「英雄でも?」


《尊敬 ある》

《優先生存権 なし》


 悠真は少し考えた。


「じゃあすごい軍人が負傷してても、その人一人助けるために十人危険に出したりしない?」


《原則 しない》


「指揮官でも?」


《同じ》


 悠真は思い出す。負傷したルクを救うため、ヴァルクは部隊を送り込まなかった。脱出した一等空尉を撃たず、鹵獲機を破壊した。必要のない民間人を攻撃しなかった。一方で人類の適応を止めるためなら、以前なら考えられない損害を受け入れた。


 全部、同じところから来ていた。


 命の価値に差をつけない。だから一人を特別扱いしない。だから十人を無意味に死なせない。だが全体の生存に必要なら、その十人も戦う。


 公正は優しさではなかった。冷たく見えるほど厳密な、生存のための規則だった。


     *


「でもさ」


 悠真がルクを見る。


「それなら、やっぱり変じゃない?」


《何》


「人類は?」


 研究室が静かになる。


「ヴァルク同士は命の価値を同じにする。全員助けるために帰り道まで捨てた。それなのに、地球に来たら人類は追い出していいの?」


 ルクはすぐには答えなかった。


「俺たちは三割どころじゃない。地球取られたら、ほぼ全員死ぬかもしれないですよ」


 長い沈黙。


《公正 全員救済と同じではない》

《可能なら 全員生存 最良》

《不可能なら 選択必要》

《ヴァルク ヴァルクを選択》


 少し置いて、


《人類 人類を選択》


「……俺たちが抵抗するのも?」


《正当》


「母艦を撃ったのも?」


《正当》


「それでヴァルクが死んでも?」


 ルクの黒い目が悠真を見る。


《悲しい》

《しかし 不公正ではない》


 悠真は返す言葉を失った。


 ヴァルクは、人類の命を軽いと思っているわけではなかった。人類を劣った種族だとも、邪魔だから殺していい存在だとも考えていない。同じ価値がある。同じように生きたい。同じように、自分たちの家族を選ぶ権利がある。その上で、両方は生きられないと計算したから、ヴァルクは自分たちを選んだ。それだけだった。


「最悪だな」


 悠真が小さく言った。研究責任者が見る。


「悪いやつなら、もっと簡単だったのに」


 誰も否定しなかった。


     *


 午後、軍事班から新しい報告が入った。人類の母艦攻撃に対して、ヴァルクはすでに対応を始めていた。十三隻のうち四隻が軌道を変更し、互いの距離を縮め、一隻へ接近する人類機を複数艦から迎撃できる配置へ移行している。

 巨大放熱器周辺には追加の防御構造。常時迎撃機。放熱器の展開パターンも変更。


「同じ手は無理ですね」


 悠真が言った。一等空尉が答える。


「一回で対策されたな」

「ヴァルク、学ぶの早すぎません?」

「向こうも同じこと思ってるだろうよ」


 人類は母艦を攻撃できる。ヴァルクはそれを防ぐ。また人類が次を考える。戦争は、互いの学習速度を競う段階へ入っていた。しかし研究室では、それとは別の計算も始まっていた。


     *


「仮定の話をしよう」


 研究責任者がルクへ言った。


《人類》

《ヴァルク》

《双方生存できる方法 存在する場合》

《ヴァルクは選択するか》


 答えは早かった。


《最優先》


 悠真が顔を上げる。


「最優先?」


《地球獲得 目的ではない》

《ヴァルク生存 目的》


 これまで分かっていたことだった。だが「公正」という思想を知った後では、意味が違って聞こえる。悠真が口を挟む。


「前にも聞いたけど、他の候補星まで行けるなら、地球じゃなくてもいい?」


《肯定》

「問題は資源?」

《主問題の一つ》

「どんな?」


《長距離推進用物質》

《エネルギー源》

《生命維持原料》

《冷却系補充》

《修理資源》


 研究者たちがメモを取る。悠真は少し考えた。


「それ、地球じゃなくても取れるものあるよね」


 全員が悠真を見る。


「水とか金属なら、小惑星にも月にもあるでしょう」

「理論上はな」

「じゃあ、もし人類が渡したら?」


 研究責任者の表情が変わる。


「神谷君」

「いや、ただの仮定です。地球を渡すんじゃなくて、出ていくためのものを渡す」


 翻訳する。


《人類が 別候補星へ向かうための資源を提供》

《ヴァルク 地球を放棄》

《可能性》


 ルクはこれまでで最も長く考えた。


《資源量による》


 研究室の誰かが息を呑んだ。拒否ではなかった。


「量が足りれば?」

《技術的には 可能性あり》

「交渉できる?」

《私 決定権なし》

「そりゃそうか」


 悠真は椅子へ背中を預ける。研究責任者はすでに別の端末を開いていた。


「月資源、小惑星資源、地球軌道上で移送可能な物質。全部洗い直すぞ」

「でもヴァルクの機械がないと加工できませんよね」

「原料のまま渡して、向こうに加工させればいい」

「量が問題だ」

「百二十億人分だぞ。桁が違う」

「それでも地球を失うよりは安い」


 議論が一気に始まる。まだ案ですらない。可能性にすぎない。数字もなく、どれだけ必要かも分からない。ヴァルクが本当に応じる保証もない。

 だが初めて、人類とヴァルクが同時に生き残る道が机の上へ載った。


     *


 その夜、悠真はもう一つだけルクに質問した。


「もし、人類がそういう案を出したとして」


《何》

「ヴァルクは話を聞く?」

《条件による》

「どんな条件?」


《ヴァルク勝利 高確率》

《交渉必要性 低い》


 悠真は顔をしかめる。


「つまり勝てると思ってる間は、地球取った方がいい?」

《肯定》

「じゃあヴァルクが勝てないと思ったら?」

《交渉必要性 上昇》


 一等空尉が壁にもたれたまま聞いていた。


「平和にするために戦うってか」

「変ですけどね」

「戦争なんてそんなもんだ」


 悠真は十三隻の母艦表示を見る。一隻に傷をつけた。それでヴァルクは配置を変えた。つまり効いている。


「じゃあまだ足りないんですね」


《肯定》


 悠真は少しだけ笑った。


「もっと困らせればいいんだ」

「言い方」


 研究責任者が呆れる。


「でも、そういうことでしょう?」


 誰も反論できなかった。その時、通信担当者が振り返った。


「待ってください」


 声が変わる。


「何だ?」

「ヴァルク艦隊から電波」

「通常の軍事通信?」

「違います」


 画面へ波形が出る。周波数、変調、繰り返し。


「こちらがルクとの通信に使っている形式に近い」


 悠真が立ち上がった。


「こっちに送ってる?」

「その可能性が高い」


 短い信号だった。解析。翻訳。数分。表示された文章は、わずかだった。


《人類 通信能力 確認》


 誰も喋らなかった。ヴァルクはこれまで、世界中から送られた呼びかけに答えなかった。地球へ来て、軍を破壊し、地上へ降り、人類を排除しようとしてきた。そのヴァルクが、初めて自分たちから人類へ話しかけた。


 悠真は十三隻の表示を見る。一隻につけた、小さな傷。


 公正な相手だからといって、話せば分かるわけではない。むしろ逆だった。ヴァルクが人類と自分たちの命を同じように価値あるものと考えるなら、人類だけに犠牲を求める和平を彼ら自身も公正とは呼べない。


 だが同時に、勝てる戦争をやめる理由もない。人類が和平を望むなら、まずヴァルクに示さなければならなかった。地球を奪うより、話し合う方がいいと。そしてそのためには、まだ戦わなければならなかった。

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