第十二章 全世界同時攻勢
最初に異変へ気づいたのは、軌道監視班だった。熱源反応、増加。その報告から十数秒後、世界各地の監視網が同じものを捉えた。地球軌道上、十三隻のヴァルク母艦。その周囲で、これまでとは比較にならない数の小さな反応が生まれている。
「分離数、百を超えました」
「まだ増えます」
「降下艇?」
「混在しています。攻撃機、降下艇、未確認機種。識別不能多数」
日本の作戦室に警報が響く。悠真は大型ディスプレイを見上げた。光点が百、二百、三百と増え続ける。
「……多くないですか」
一等空尉は答えず、別の画面を指した。北米、欧州、東アジア、インド洋、太平洋。ほぼ同時だった。軌道上の十三隻すべてから戦力が放出されている。
「日本だけじゃない」
「全世界同時だ」
これまでのヴァルクは必要な場所へ必要な戦力を送り、損失が増えれば引いた。無駄な消耗を避け、確実に一つずつ人類の軍事力を削っていた。今回は違う。一等空尉が低く言った。
「攻勢だ」
*
最初の一時間、人類は善戦した。それ自体が数日前なら考えられないことだった。日本上空では航空自衛隊の戦闘機が遠距離からミサイルを発射し、その回避方向へ鹵獲ヴァルク機が射線を置いた。アメリカでは無人機と地対空ミサイルを組み合わせ、低空へ降りた異星機を二機撃墜。ドイツでは鹵獲機二機が編隊を組み、初めてヴァルク機を一方的に追い詰めた。
地上でも同じだった。二十ミリ、三十ミリ機関砲。対戦車誘導弾。迫撃砲。煙幕。熱源デコイ。人類はヴァルク兵器が無敵ではないことを知っている。
「撃墜確認!」
「もう一機!」
日本の作戦室で歓声が上がる。悠真も画面を追った。
「右の二機、次に引きます」
「根拠は?」
「損害率です。昨日までなら、この辺で――」
言葉が止まった。引かない。さらに一機が撃墜された。地上部隊も四脚兵器を二機失った。それでも前進する。
「撤退ライン超えてます」
分析班も同じ結論だった。
「過去七戦闘の平均撤退損失率を十二パーセント上回っています」
「なのに継続?」
一等空尉が画面を見つめた。
「基準を変えた」
「基準?」
「損害許容値だ」
悠真は意味を理解するまで数秒かかった。
「今までなら、これ以上死ぬくらいなら引いた」
「でも今は、死んでも攻めると?」
「今死ぬ方が得だと判断したんだろう」
一等空尉が表示を切り替えた。世界各地の鹵獲機確認数。数日前には数機。それが今では、稼働不能機まで含めれば数十機へ増えている。
「この増え方を見ろ。一週間待てば、人類はもっとヴァルク機を動かす。弱点も増える。パイロットも育つ。今十機失うより、来週百機失う方が危険だと判断した」
「だから……」
「今の損害を飲み込んででも、ここで潰そうとしている」
悠真はもう一度画面を見る。敵は狂ったのではない。逆だった。計算した結果、死ぬことを選んだ。
*
攻撃目標には明確な共通点があった。アメリカ、ネバダ州の鹵獲ヴァルク機解析施設。ドイツの鹵獲機運用試験基地。中国の異星機部品保管施設。そして日本の航空自衛隊異星航空機運用試験隊。さらに宇宙監視レーダー、ロケット発射施設、衛星管制局、ミサイル基地。
「基地を取りに来てるんじゃない」
悠真が言った。
「鹵獲機を壊しに来てる」
「それだけじゃない」
一等空尉が答える。
「俺たちが増やせないようにしに来てる」
攻撃は徹底していた。格納庫、整備施設、解析用コンピューター、部品保管庫、訓練施設。人類がヴァルク技術を学ぶための場所だけを正確に狙う。宿舎には撃たない。避難民施設にも撃たない。隣接する住宅地にもレーザーは落ちない。それなのに研究棟の壁だけが切り裂かれた。
「気持ち悪いな」
「何が」
「ちゃんと選んでる」
自分たちを殺しに来ている。しかし誰でもいいわけではない。必要なものだけを消している。ヴァルクらしかった。
*
人類が発見した戦術も、次々に対策されていた。航空自衛隊の鹵獲機一号がミサイル誘導を利用し、ヴァルク機の回避先へ射撃する。以前なら避けた。今回は一機が前へ出てミサイルの迎撃に徹し、残る二機は回避せず攻撃を継続した。
「囮……?」
「違う。役割分担だ」
人類がレーザーの熱限界を突こうとすれば、ヴァルクは射手を高速で入れ替えた。相互射線を利用して同士討ちを誘おうとすれば、編隊間隔そのものを変更した。放熱器を狙われた大型降下艇は、露出時間を最小限にしながら複数機の護衛をつけて降りてくる。
「昨日と動きが違う」
「違うんじゃない」
一等空尉が言った。
「俺たち用に作り直してきたんだ」
人類は学んだ。ヴァルクも学んだ。そして学習速度そのものでは、まだヴァルクが上だった。
*
正午前、最初の大きな損失が出た。
「二号機、被弾!」
操縦していたのは、最初に悠真からヴァルク機の考え方を学んだ一等空尉だった。
「推進出力低下!」
「帰投させろ!」
「敵三機追尾!」
映像には黒い機体。その後方から三機。レーザーが走り、一等空尉機が大きく横へ滑って回避する。さらに一発。機体側面が白く弾けた。
「脱出!」
数秒後、小さな人影が機体から分離した。救難ビーコンが点灯する。
「脱出確認!」
しかしヴァルク機は一等空尉を追わなかった。悠真は息を止める。三機すべてが、無人になった鹵獲機へ向いた。
「え……」
レーザー。一発、二発、三発。推進部、センサー、中央構造。機体が徹底的に破壊されていく。
「……機体の方を殺した」
誰も答えなかった。ヴァルクにとって危険なのは、脱出した人間ではない。人類が使えるヴァルク機。それを完全に消し去った。
同じことは世界中で起きていた。稼働可能と確認されていた鹵獲機、二十八機。攻勢開始から六時間で撃破十一、大破六、継続戦闘可能十一。
「冗談だろ。昨日まで増えてたのに」
「だから狙った」
研究責任者が答える。
地上でも人類側の前提が崩れていた。北海道のヴァルク地上部隊は損害率二十パーセントを超えても撤退せず、三十パーセントに達してなお前進した。自衛隊側の指揮官から悲鳴に近い通信が入る。
『以前の撤退基準を完全に超えています!』
研究室から分析結果が届いた。
「我々は勘違いしていた可能性があります」
「何を?」
「ヴァルクは損失を嫌うんじゃない。無意味な損失を嫌うんです」
悠真が振り返る。
「これまで撤退したのは、これ以上死ぬ意味がなかったから。今は違う。人類を早く潰せるなら、彼らにとって意味のある損失になる」
悠真はルクの言葉を思い出した。
《必要ない死 避ける》
必要なら、死ぬ。それもまたヴァルクの倫理だった。
*
「神谷君は出すな」
午後二時。基地司令の命令だった。悠真は作戦室にいた。
「なんでです?」
「君は民間人だ」
「それ今言います?」
「今だから言う」
使える鹵獲機は残り少ない。パイロットも足りない。自衛隊の操縦員は急速に育っているが、実戦経験を積んだ者はまだ少なく、負傷者も出ていた。一方、悠真には複数のヴァルク機撃墜と二度の基地防衛という実戦経験がある。それでも十七歳。高校生。民間人。
「三号機、出せます」
整備担当者が言った。
「センサーに不調がありますが、戦闘可能」
「操縦員は?」
沈黙。
悠真が手を挙げた。
「駄目だ」
「なんで」
「さっき言った」
「じゃあ誰が乗るんです?」
返事がない。
「一等空尉は?」
「救助された。肋骨骨折、右肩脱臼。飛ばせない」
「二等空佐は?」
「別方面で出撃中」
「他は?」
「訓練中だ」
ヴァルクも手強くなっている。数は圧倒的。未熟なパイロットでは高確率で撃墜されるだけだ。出せない。
「何分?」
「分からん」
「敵、あと何分で来ます?」
誰も答えなかった。それが答えだった。
「もう、それ意味あります?」
基地司令が悠真を見る。
「何がだ」
「高校生とか、民間人とか」
作戦室が静まった。
「俺、高校生です。民間人です。それは分かってます」
「だったら」
「でも負けたら学校なくなるんですよね」
基地司令の言葉が止まる。
「学校だけじゃない。法律も、政府も、普通の生活も。俺が高校生だから戦わせませんって言って、その結果人類が負けたら、何を守ったことになるんですか」
悠真は画面を指した。赤い光点が基地へ向かっている。手は少し震えていた。怖くないわけではない。むしろ怖い。
「俺、死にたくないですよ。できれば明日から学校行きたいです。ゲームもしたいし、高校も卒業したい。でも、今それ言ってる場合じゃないでしょう」
「君に世界を背負わせる気はない」
「背負いません」
悠真は即答した。
「俺しかできないとも思ってません。もう自衛隊の人たちの方が上手いところもいっぱいあるし。でも、今乗れて、実戦経験があって、機体が空いてるなら、俺が乗ります」
*
議論は十二分続いた。その十二分の間に、フィリピンの軍用飛行場が一つ機能停止し、ポーランドの鹵獲機一機が失われ、北海道の自衛隊部隊が第二防衛線まで後退した。
法務担当、政府連絡員、自衛隊、医療班。全員が意見を出す。
「未成年です」
「民間人です」
「捕虜になった場合の法的地位は?」
「本人の志願でも問題は残る」
「保護責任はどうする」
「母親の同意は」
「緊急時とはいえ前例がない」
最後に、一等空尉が医務室から通信へ入った。顔色は悪く、右腕を固定されている。
『まだやってるのか』
「一等空尉」
『基地、あと何分もつ』
「現状なら四十分前後」
『じゃあ十二分使った』
誰も言い返さなかった。
『俺はあいつを戦わせたいわけじゃない。でも今は、人間が足りない』
基地司令が聞く。
「本当に戦えると思うか」
『それを俺に聞くんですか。あいつに教わったんですよ、俺たちは』
最終的な判断は、本人の志願、医療班の即時検査、自衛隊指揮下、単独行動禁止、作戦命令への服従。そして特別任用。
正式名称は《航空自衛隊異星航空機運用試験隊 特別任用操縦員》
悠真は書類を見た。
「もっと格好いい名前ないんですか」
「君はいま人生に関わる書類に署名したんだぞ」
「だからこそ名称も大事なんでしょ」
一瞬、誰も言葉を返せなかった。悠真は署名した。神谷悠真、十七歳。その瞬間から、偶然敵機へ乗った高校生ではなくなった。ヴァルク鹵獲機の正式な操縦員になった。
「それと一号機は今後、原則として君の専用機とする」
「専用機?」
「他の操縦員も扱える。ただ、操縦履歴、視線入力、座席拘束、各種設定が最も君に適応している」
悠真の顔が少し明るくなる。
「専用機って格好いいですね」
『浮かれるな』
「聞こえてたんですか」
『聞いてる』
「俺、まだ卒業する気ありますから」
『だったら生きて帰れ』
「はい」
悠真はヘルメットを取った。
「だから勝ちましょう」
*
出撃は三機。悠真、二等空佐、そして別の自衛隊パイロット。すべて鹵獲機だった。以前なら三機もヴァルク機が並ぶだけで希望に見えた。今は敵が二十七機。
「多すぎません?」
『文句言うな』
「文句くらい言わせてください」
『死なない程度にな』
三機が上昇する。地上から対空ミサイル。自衛隊戦闘機。無人機。すべてが連携する。悠真は機体を横滑りさせた。レーザー。最小限の移動で回避する。以前より上手くできる。敵の射撃間隔、熱、編隊位置を見る。読む。
「右の四機、来ます」
『分かってる』
「一機遅らせて!」
二等空佐機が急減速。ヴァルク側の予測がずれ、悠真が撃つ。一機撃墜。
「一!」
『数えるな』
「ゲームだと数えるんで」
『これはゲームじゃない』
「分かってます!」
次。ヴァルク機が横へ動く。悠真が先を読み、撃つ。外れた。
「え?」
その瞬間、後方警告。レーザー。機体が大きく揺れた。
「うわっ!」
『神谷!』
「大丈夫!」
左側装甲損傷。悠真は画面を見る。読んだはずだった。回避先を完全に。
「二重……?」
ヴァルクはわざと読ませた。一機の動きそのものが、悠真の予測を誘導するための囮だった。
「……俺が読むの、分かってた?」
背筋が冷たくなる。初めてだった。読んだつもりで、読まれた。
「こいつら、俺のことも学習してる」
*
戦闘開始から十八分。人類側は六機撃墜。ヴァルク側にとっても大きな損害だった。しかし残り二十一。さらに後方から増援が来る。
「また来る!」
『神谷、下がれ!』
「でも」
『命令だ!』
その言葉で悠真は止まった。今日から正式な操縦員。命令には従う。
「了解!」
三機が後退し、地上部隊が援護する。だがその間に格納庫が一つ破壊された。部品庫、レーダー、通信塔、研究棟。レーザーが正確に設備だけを切り裂く。
「駄目です! 基地機能維持不能!」
基地司令が決断した。
「放棄する」
悠真が聞き返す。
「ここを守るんじゃないんですか?」
「研究データを搬出。ルクも移送。稼働機は全部離脱。守れないものは捨てる」
それはヴァルクが何度もやってきたことだった。損失を避ける。意味のない死をしない。今度は人類が同じ判断をする。
運べない破損鹵獲機二機は、その場で破壊された。人類が必死に手に入れたヴァルク技術を、人類自身が爆破する。
「……もったいない」
『生きてればまた拾える』
二等空佐の言葉は正しかった。
*
攻勢開始から十二時間。日本の基地は放棄された。人員の大半は脱出し、ルクも別施設へ移送。鹵獲機二機が生存した。日本だけを見れば善戦だった。
世界全体は違った。
北米、軍用基地十三か所機能停止。欧州、鹵獲機運用拠点四か所喪失。中国、主要宇宙監視施設二か所破壊。ロシア、ミサイル基地複数機能停止。大型降下艇、新規着陸三十一。鹵獲機、稼働確認二十八機のうち継続戦闘可能九機。人類側死傷者は過去三日分を一日で超えた。
そしてヴァルクも死んでいた。攻撃機多数撃墜。地上兵損失。四脚兵器破壊。降下艇損傷。これまでなら考えられない量。それでも攻勢は止まらない。
ニュース番組で軍事専門家が言った。
『ヴァルク側も相当な損害を出しています』
『それなら、人類側にも勝機があるのでは?』
『逆です』
『逆?』
『これだけ失っても攻勢を継続している。それが一番危険なんです』
『なぜです?』
『彼らは、この損失でも割に合うと判断している』
*
二十四時間後。臨時作戦司令部。悠真は椅子に座り、冷却パックを首へ当てていた。身体が痛い。それでも寝てはいられない。世界地図が赤く染まっていた。
「予測を出します」
分析官が言う。
「現在の損失率が継続した場合、稼働可能な鹵獲機戦力は三日から五日で実質消滅。主要航空基地は七日以内に戦闘能力を大幅喪失。地上部隊は航空支援を失った地域から順次孤立します」
悠真が聞いた。
「つまり?」
分析官は言いにくそうに黙った。代わりに、医療用固定具をつけたまま一等空尉が入ってくる。
「負ける」
悠真が顔を上げた。
「どのくらいで?」
「分からん。今度は三日じゃない」
一等空尉が椅子へ座る。
「でも、結果は同じだ」
最初の三日、人類の空軍はほとんど何もできずに壊滅した。今は違う。敵を撃墜できる。地上部隊を退けられる。ヴァルク機まで使える。それでも負ける。人類は抵抗できるようになった。
ただ、ゆっくり負けるようになっただけだった。
*
誰も喋らなかった。悠真は軌道図を見る。地球。その周囲を回る十三個の光点。そこから攻撃機、降下艇、補給、戦力。すべてが下りてくる。
「一個聞いていいですか」
「何だ」
「下りてきたやつ全部倒しても、また来るんですよね」
「そうだ」
「じゃあ、ずっと地上で戦ってたら」
「先にこっちの戦力が尽きる」
「向こうは?」
「向こうも無限じゃない」
「でも、こっちより多い」
「おそらくな」
悠真はしばらく画面を見つめ、それから指を十三の光点へ向けた。
「じゃあ、上を壊したら?」
誰かが顔を上げる。
「母艦」
一等空尉が悠真を見る。
「簡単じゃないのは分かってます。でも全部あそこから来てるなら、地上で一機ずつ倒すより」
「供給元を叩く」
研究責任者が呟いた。誰も笑わなかった。数日前なら高校生の思いつきで終わったかもしれない。今は他に案がなかった。
「宇宙へ上がれるヴァルク機はある」
技術者が言う。
「少なくとも機体性能上は可能です」
「母艦まで飛べる?」
「それは……」
「その言い方から直しましょう」
別の声がした。臨時会議へ呼ばれていた宇宙航空研究機関の軌道力学担当者。五十代の男性が分厚い資料を抱えて立っている。
「神谷君。一つ、勘違いを直そう」
「何です?」
「宇宙は、上じゃない」
悠真が眉を寄せた。画面が切り替わる。地球、軌道、速度ベクトル、高度、ランデブー軌道、デルタV。
「母艦は高度数万キロに浮かんでいるわけじゃない。秒速数キロで地球の周囲を運動している。上へ飛べば着くと思うな」
悠真はよくわからないという顔をした。
「どう違うんです?」
一等空尉が笑った。
「最初、俺たちが言われたことだな。飛行機とは違うんだって」
悠真は画面を見る。軌道。数字。聞いたことのない用語。今までとは違う。空の戦いでは、悠真が人類へ考え方を教えた。
だが宇宙では今度は悠真が、教わる側だった。




