第十一章 百二十億
ヴァルクの目的に関する情報は、三日間の非公開協議を経て公表された。
その三日間も、戦争が止まっていたわけではない。北米ではネブラスカに降下したヴァルク地上部隊と州兵・米陸軍の戦闘が継続し、フランス南部では軍用飛行場へ向かっていた一個部隊が装甲車部隊と交戦した。中国東部では発電施設をめぐって戦闘が発生し、北海道でもヴァルクの小規模部隊が自衛隊の補給拠点へ接近した。
ヴァルクは相変わらず都市そのものを狙わなかった。住宅地を焼かず、避難民を追わず、軍事目標とそれを支える施設だけを攻撃した。そして人類側も、もう三日前の人類ではなかった。二十ミリ、三十ミリ級の機関砲が効くことを知っている。対戦車誘導弾が四脚兵器を破壊できることも、煙幕と熱源デコイでヴァルクのセンサーを完全ではないにせよ乱せることも知っている。何より、各地で回収された異星機の一部が動き始めていた。
勝てるようになったわけではない。ただ、一方的に負けるだけではなくなった。
ヴァルク側にも変化があった。損害が一定値を超えると部隊を引く。鹵獲機を発見すると優先的に攻撃する。人類が一度使った罠は次には通じにくい。大型降下艇も最初のように無造作に低空へ降りてこなくなり、放熱器を可能な限り露出させない降下手順へ変更していた。双方が学んでいる。
その戦争の最中、日本時間午前十時。日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国、インドなど主要国がほぼ同時に声明を発表した。
『各国政府は、確保されたヴァルク人捕虜との限定的な意思疎通、および鹵獲された情報機器の解析結果から、ヴァルク文明が地球へ到来した目的について一定の情報を得ました。ただし、翻訳精度および情報の真正性には、現在も検証を要する部分があります』
そこまではいつもの政府発表だった。
『ヴァルクの母星は長期的な環境悪化に直面しており、現在の文明規模を維持することが将来的に困難になると予測されています。彼らは数百年前から複数の恒星系を調査し、移住先を探索していたとみられます』
記者会見場に無数のシャッター音が響いた。
『その結果、地球は現在までに確認された候補の中で、最も高い居住適合性を持つ惑星として選定されました』
「つまり、資源を奪いに来たのではない?」
「現時点では、地球上の特定資源を主要目的としている可能性は低いと判断しています」
「では、地球そのものを?」
説明担当者は数秒だけ間を置いた。
「移住先として確保することが目的である可能性が極めて高いと考えています」
会見場がざわめく。さらに別の記者が質問した。
「彼らは、人類が存在することを知らなかったのですか?」
「いいえ。ヴァルク側は地球への到達以前から、人類が知的文明を形成していることを認識していたとみられます」
「知っていて侵攻した?」
「そう判断せざるを得ません」
事情があった。だが侵略であることには変わりなかった。そして次の数字が、それまでの議論をすべて吹き飛ばした。
「ヴァルク側が移住対象としている人口は?」
説明担当者が資料へ視線を落とした。
「現在の換算では、およそ百二十億です」
*
世界中で同じ数字が繰り返された。百二十億。ニュースキャスターが読み、評論家が読み、SNSへ流れ、検索され、計算された。
《120億?》
《地球人口より多いだろ》
《全員こっち来るの?》
《無理》
《一緒に住めばいいとか言ってた奴どうすんの》
《難民なんだから助けるべきでは》
《武装して土地奪いに来る難民って何だよ》
《母星が終わるなら仕方ないだろ》
《仕方ないから俺らが死ぬの?》
《人類とヴァルク合わせたら何人になるんだ》
《地球の環境がもたない》
侵略開始以来、人類の意見は比較的まとまっていた。敵が来た。攻撃された。戦うしかない。それだけだった。
今は違う。敵にも理由がある。しかも、その理由は理解できてしまう。自分たちの星が死ぬ。家族を救う。生き残るために、住める星へ行く。ただし、その星にはすでに別の文明がいた。だから排除する。
理解はできる。納得はできない。その二つが世界中で衝突した。
*
「とんでもないことになってるな」
亮太がスマートフォンを見ながら言った。
悠真は基地の食堂で遅い昼食を取っていた。テレビでは朝からヴァルク関連の特別番組が続いている。
「見るなよ」
「お前の話じゃないぞ」
「ならいい」
「ヴァルクの方」
亮太が画面を見せてきた。《ヴァルク難民受け入れの可能性を検討すべき》という記事。そのすぐ下には《地球外侵略者との共存は可能か》という見出しが並んでいる。
「もう受け入れる話になってる」
「百二十億は無理だろ」
「一億くらいなら?」
「残り百十九億どうするんだよ」
「それ昨日も言ってたな」
「だってそこが問題じゃん。一億助けました、はい解決って、こっちの考え方だろ。向こうは百二十億助けたいんだから」
「じゃあ火星とか?」
「住めないだろ」
「ヴァルクの技術ならどうにかできるんじゃね?」
「できるなら最初から地球取りに来てないだろ」
「ああ……」
亮太が納得した、その時だった。テレビ画面の下端に赤い速報が流れた。
《北海道東部でヴァルク地上部隊との戦闘継続 自衛隊員四名死亡、十一名負傷》
二人とも黙った。画面上部では評論家がヴァルク難民の受け入れについて話している。その下では、人間が死んだという文字が流れている。
「……戦争、ぜんぜん終わってないんだよな」
亮太が言った。
「うん」
母星が滅びる。百二十億が行き場を失う。それは事実だった。そして今この瞬間にも、人間がヴァルクに殺されている。それもまた事実だった。
「どっちも分かるのが嫌だな」
「うん」
「悪い宇宙人なら楽だったのに」
「そうだな」
*
その日の午後、世界中の天文台へ、それまで極秘指定されていた一組の座標が解禁された。ルクが示した星図から割り出された方向。太陽系外縁よりさらに遠方、恒星間空間へ続く暗闇。
光学望遠鏡、赤外線望遠鏡、電波望遠鏡、宇宙望遠鏡。通常観測では何も見えない。遠すぎる。暗すぎる。だが位置が分かっている。移動方向も推定できる。長時間観測。信号積算。複数施設のデータを重ねる。
六時間後、一つの異常が確認された。
「人工信号です」
世界共同観測チームの主任天文学者が会見で発表した。
「自然天体から発生するパターンとは考えにくい、極めて規則的な赤外線放射を複数確認しました」
「数は?」
「まだ確定できません」
「十三隻の母艦とは別ですか?」
「別です」
記者会見場が静かになった。
「どのくらいいるんです?」
天文学者はスクリーンへ画像を出した。黒い背景。その中に、小さな点があった。画像処理によって一つ、また一つと強調されていく。
十。二十。五十。
「少なくとも数十。ただし、これが全体ではありません。大型船だけを検出している可能性があります」
「百隻以上?」
「否定できません」
軌道上にいる十三隻。人類は、それを侵略艦隊そのものだと思っていた。違った。十三隻は先に来ただけだった。
地球の軍事力を排除し、後続船団が安全に入れる環境を作る先遣部隊。その後ろに文明そのものが来ていた。
ニュースはこの発表を大々的に伝えた。しかし、その同じ夜にもフランス南部で戦闘が起き、ヴァルクの四脚兵器二機を破壊する代わりに装甲車三両が失われた。中国では軍用空港を狙ったヴァルク部隊が人類側の抵抗を受け、損害が一定数に達したところで撤退した。
局地的には、人類が守り切る例が増えていた。だが妙なことも起きていた。
*
「攻撃が弱い?」
悠真は作戦室で聞き返した。一等空尉が頷く。
「正確には、止まってはいない。だが増えてもいない」
壁面ディスプレイには世界各地の戦況が表示されている。赤い印がヴァルク。青が人類側。
「降下艇はまだ下りてますよね」
「下りてる。ただし数が減った。地上部隊も一度押し込めなければ、前みたいに増援を突っ込んでこない」
「弱点がバレたから?」
「それもあるだろう」
一等空尉が日本上空の戦況を拡大した。
「問題はこっちだ」
鹵獲機。日本だけではない。アメリカ。ドイツ。中国。ロシア。
完全な状態ではないものの、回収されたヴァルク機を起動できたという報告が少しずつ増えている。動かない機体から部品を取り、動く機体へ移植する。内部構造は理解できなくても、交換可能な単位で扱える部分も見つかり始めた。
「人類が思ったより早く適応した」
一等空尉が言う。
「ヴァルクも、それを見ている」
「だから攻撃を止めて考えてる?」
「止めてはいない。そこを間違えるな」
画面の数字。この二十四時間だけでも世界各地で死傷者が出ている。
「必要な攻撃は続けてる。でも、大きな追加戦力を投入していない」
「何してるんです?」
一等空尉は少し考えた。
「俺なら、敵の評価をやり直す」
悠真は画面を見る。最初の三日。人類軍はほとんど相手にならなかった。だが今は敵機を奪った。操縦した。撃墜した。弱点を見つけた。地上でも撤退させた。
「戦い方を変えるつもり?」
「たぶんな」
悠真は嫌な予感がした。
*
翌日、さらに重大な情報が公表された。ヴァルク艦隊は、母星へ帰還できない。
母星まで戻るための長距離航行資源を保持していない。艦そのものには航行能力がある。別の候補星系へ向かうことも可能。しかし、そこへ安全に辿り着くために必要な推進用物質、エネルギー資源、生命維持資材が不足している。事実上の片道航海。
ニュースの見出しが一斉に変わった。
《ヴァルク、帰還不能》
《地球侵攻は片道切符》
《撤退先を持たない侵略者》
《敗北すれば文明存続困難》
「……これ、悪いニュースですよね」
作戦室で悠真が言うと、一等空尉が頷いた。
「かなりな」
「可哀想だから?」
「軍事的にだ。帰れない敵ほど厄介なものはない」
「なんで?」
「普通の戦争なら、負けた側は撤退する。基地を捨てる。国境まで戻る。最悪、降伏する。だがヴァルクは?」
悠真は少し考えた。
「地球を諦めたら、行く場所がない」
「別候補星はある。ただし百二十億人を連れて辿り着ける保証がない」
「じゃあ最後まで戦う?」
「自分たちの文明全体が死ぬなら、そうする理由は十分ある」
戦えば追い返せる。いつの間にか悠真も、そう考えていた。だが追い返す先がない。
*
世界中で共存案の検討が始まった。国連、各国政府、大学、研究機関、民間シンクタンクが一斉に数字を入れた。
百二十億のヴァルク。人類人口。食料。水。エネルギー。土地。環境負荷。結果は厳しかった。
ヴァルク全人口を地球へ受け入れる。現実的ではない。食料生産能力を短期間で倍増させる。困難。海上都市。建設能力が足りない。月面。現在の人類技術では百万人ですら容易ではない。火星。さらに難しい。小惑星帯の人工居住区。数世紀規模。
ではヴァルクの技術を使えば? 分からない。
彼らに百二十億を地球外で永続的に養えるほどの資源が残っているなら、そもそも地球を奪いに来る必要がない。簡単な答えはなかった。
テレビ討論では連日議論が続いた。
「一部を受け入れるべきです」
「誰を選ぶのですか?」
「子供を優先するなど」
「では残り百億以上に死ねと言う?」
「戦争よりましでしょう」
「地球へ侵攻した側に選択権を与えるのですか?」
「事情を無視することもできません」
「では亡くなった軍人の家族には何と言うんですか」
画面が基地攻撃で夫を失った女性へ切り替わる。
「母星が危ないのは気の毒だと思います。子供がいるなら、その子たちが助かってほしいとも思います。でも、それで私の夫を殺していいことにはならないでしょう?」
彼女は少し言葉を詰まらせた。
「私に『事情があるから許してください』って言われても、無理です」
その数時間後、番組下部にはまた速報が流れた。
《ポーランド軍、ヴァルク地上部隊の進攻を阻止 兵士七名死亡》
ヴァルクへの同情。ヴァルクへの憎悪。どちらも本物だった。
*
悠真は研究区画でルクと向かい合っていた。翻訳装置の精度はさらに上がっている。まだ不自然だが、単純な質問ならほとんど意味が通じる。
《人類 地球を渡さない 場合》
《ヴァルク どうする》
ルクは読んだ。
《戦闘 継続》
「やっぱり」
次。
《勝利不可能 判明しても?》
少し時間。
《判断 状況による》
《他選択 存在なら 検討》
「他の選択?」
質問。
《別候補星へ 移動》
ルク。
《現在 困難》
「なんで?」
《航行資源 不足》
「燃料?」
翻訳時、「燃料」は複数の概念へ分かれた。推進用反応材。エネルギー源。冷却材。生命維持物質。長距離航行に必要なのは単一の燃料ではなく、一つの文明を何十年、何百年と運ぶための膨大な資源らしい。
悠真は何となく聞いた。
《航行資源 十分に存在》
《別候補星 到達可能?》
ルクが止まった。十秒。二十秒。
《可能性 大幅上昇》
「行けるんだ」
《保証なし》
「でも今よりは?」
《肯定》
悠真は頷いた。
「ふーん」
それだけだった。その時点では単なる確認だった。ただ、研究者の一人だけが、その会話を記録画面でもう一度見直していた。
*
その日の午後、初めて「和平」という言葉が政府内の正式文書に現れた。研究者の一部。外交官。数名の政治家。
「ヴァルク艦隊を全滅させる必要があるのか」
「地球を占領できないと理解させ、別の星へ向かわせる?」
「彼らには航行資源がない」
「なら提供できないか」
「敵へ燃料を渡すのか?」
「我々が彼らの推進装置を作る必要はない。必要な原料を供給し、ヴァルク自身に変換させればいい」
「百二十億を運ぶ船団だぞ。どれほど必要だと思っている」
「だから調べるべきだと言っている」
「その前に戦争に勝たなければ交渉にもならん」
「それは同意する」
和平案。現時点では荒唐無稽。実現性不明。検討優先度は低い。だが、消されはしなかった。
*
ヴァルクの目的が公表されてから、悠真へ届く言葉も変わった。
《頑張って》
《ヴァルクを倒して》
《地球を救って》
以前はそんなものが多かった。今は。
《ヴァルクを殺さないで》
《彼らも被害者です》
《同情するな》
《仲間が自衛官で死んだ》
《和平してください》
《地球を守ってください》
《ヴァルクの子供を助けて》
《人類を優先しろ》
正反対の言葉が同じ受信箱へ並んでいる。
「俺に言われてもな」
悠真が呟く。亮太が横から覗いた。
「世界救ったんだから何とかしろってことじゃね」
「救ってない」
「二回基地守った」
「地球はまだ侵略中」
「細かい」
「細かくない」
悠真はスマートフォンを伏せた。
「俺、総理大臣でも宇宙大使でもないんだけど」
「宇宙大使ってちょっと格好いいな」
「やらないぞ」
「誰も頼んでない」
*
夜、研究区画へ呼び出された。悠真が入ると部屋の照明は落とされていた。大型スクリーンには暗い宇宙と、無数の小さな光点が映っている。一等空尉、研究責任者、天文学者たちが立っていた。
「画像処理が終わった」
天文学者が言う。船体そのものが見えるわけではない。赤外線放射、電波反射、移動ベクトル。複数の観測データを統合して、人工物の位置を推定している。
一つ。二つ。十。五十。さらに外側。まだある。
「これ全部?」
「ああ」
「ヴァルクの船?」
「ああ」
十三隻とは比較にならない。大小さまざま。軍艦らしい高出力反応もあるが、圧倒的に多いのは低出力でゆっくり進む巨大構造物だった。
「移民船だ」
研究責任者が言った。
「ルクのデータと観測結果が一致した」
「この一個に何人いるんです?」
「分からない。数百万かもしれない。もっと多い船もあるだろう」
百二十億。数字では知っていた。でも今は見える。光の一つひとつの中に、生き物がいる。ルクの子供のような小さなヴァルクもいる。
「今、何してるんですか」
「待っている」
「何を?」
「先遣艦隊からの信号だ」
「どんな?」
「地球の制圧が完了したという信号」
悠真は黙った。あの船団は、まだ戦争に参加していない。ただ待っている。自分たちが住むはずの新しい星へ行けるという知らせを。
「宇宙人……」
口にして、悠真は止まった。
「……ヴァルクか」
その時、作戦室から一等空尉の端末へ通信が入った。
「何だ」
短いやり取り。一等空尉の顔つきが変わる。
「どうしました?」
「太平洋上で動きがある」
画面が切り替わった。軌道上。十三隻の母艦。そのうち複数から、それまでとは違う規模の熱源反応が確認されていた。
「攻撃?」
「まだ分からん」
別のデータ。北米上空。欧州。東アジア。複数地域でヴァルク航空戦力の配置変更。地上部隊も同時に動いている。
「急に?」
悠真が聞く。一等空尉は答えなかった。代わりに通信端末を取る。
「全員、戦闘配置。鹵獲機部隊も待機させろ」
研究責任者が画面を見る。
「再配置か?」
「たぶんな」
一等空尉の表情は厳しい。
「向こうの計算が終わったんだ」
悠真は十三個の光点を見た。ここ数日攻撃は止まっていなかった。ただ、妙に慎重だった。人類はその間にヴァルクを知った。名前を知った。星を知った。家族を知った。百二十億という数字を知った。
だがヴァルクもまた、その時間を使っていた。人類の戦い方を観察し、鹵獲機の増加を確認し、これまでの侵攻計画を修正していた。
画面上で、十三隻の母艦から新しい光点が次々と分離していく。一等空尉が低く言った。
「来るぞ」
彼らには帰る場所がなかった。人類には渡せる地球がなかった。そして互いを少しだけ理解したところで、戦争は次の段階へ進もうとしていた。




