第九話 闇夜に迫る刃
闇夜。
藤兵衛と別れた後、椿は何者かに追われていた。
姿こそ見えないが殺気と息づかいを感じる。
椿は路地裏を駆けていた。このまま狭い通路にいては敵からの襲撃に対応できないからだ。一刻も早く開けた場所に出たかった。
びゅん!
後方から風切り音とともにクナイが飛んできた。走り続ける彼女の頬を掠めていく。頬に微量の血が滲んだ。
前方に開けた場所が見えてきた。
びゅん!
びゅん!
立て続けに三本のクナイが飛んできた。椿は開けた場所に向かって飛び込み、地面に転がって攻撃を回避する。
彼女がすぐに立ち上がって後方に向き直ると、路地裏からこちらに向かって人影が接近してきた。
月光が降り注ぐ中、そこに現れたのは胸元がはだけ、太ももを大胆にさらした丈の短い忍び装束を纏った鬼妖人の女だった。
細身だが背は高く、胸や尻も大きい。抜群のスタイルと美貌に心を奪われる男も多そうだ。いったいどれほどの数の男たちがその毒牙にかかって死んだのだろう。
「フフフ…私の投擲をよけるとは大したものね」
女は銀色の髪をいじりながら、嘲笑に満ちた笑みを浮かべた。
「お前は何者だ?」
椿は太刀の鯉口を切り、鋭い目つきで相手を睨んだ。
「私はオンギョウキの血を受け継ぐツクヨミ。こっちの目的は言うまでもないことでしょうに。貴方の命、ここでもらい受けるわ」
「ああ。確かに……西街に忍び込んだ俺を狙うのは陰摩羅鬼組だろうな」
「貴方は深く踏み込み過ぎたのよ。潔く死になさい!」
ツクヨミはそういうと漆黒の外套を羽織った────その瞬間、相手の姿が消えた。だが、ツクヨミの息づかいや気配は感じられる。どうやら、この女の外套は姿を透明にする能力が付与された特別なものらしい。
椿は抜刀すると両手で柄を握り、中段の構えを取った。足音は聞こえないが、凄まじい殺気が迫りくるのを感じ取った。その刹那、側面から小太刀が振り下ろされた。
椿が側面に向き直り、刀身で敵の斬撃を受ける。
キンッ!
鋼と鋼がぶつかって火花が散り、甲高い金属音が闇夜に響き渡る。
椿が太刀で小太刀を受け流すと敵は気配を消し、再び闇夜に溶け込んだ。
その後も敵は連撃を仕掛けず、ひたすら椿の隙を狙った一撃だけを繰り返した。
攻撃時だけ瞬間的に気配を消してくるため、その技はシノビらしい神出鬼没の暗殺剣だと言える。
椿は相手の迫りくる殺気のみを感じ取って防戦しているが、精神的な消耗を感じ始めていた。ここまで防御に精神力を消耗する状況では風の技も連発できない。今回の戦いで使えるのは一回が限度かもしれない。
────奴の姿、せめて輪郭だけでもわかればいいんだが
椿は自分がいるこの場所を見渡しながら状況を整理した。
現在、月明かりが辺りを照らしている。
そして、この場所は集荷場、地面には大量の砂が敷き詰められている。
この二点によって椿は妙案を思いついた。
「あれならいける!」
椿は残った精神力で風の精霊を刀身に込めた。
そして、彼女は息を吐きながら虚空を薙ぎ払い、自分の周囲に風の壁を発生させた。凄まじい風は周囲の砂塵を巻き上げていく。
風の中、ツクヨミの外套に砂塵が付着したことでその輪郭が浮かび上がった。
「そこか!」
椿は間髪を入れずに斬りかかった。それによって外套が切り裂かれ、ツクヨミの姿が露わになった。
椿は切っ先を相手の喉元に突き付ける。
「ひぃぃっ!」
ツクヨミは思わずひきつった声をもらした。
「勝負は俺の勝ちだな」
椿は勝ち誇るように笑みを浮かべた。
「くっ……!」
ツクヨミは勝てないと判断して一瞬の隙をつき、踵を返して路地裏に向かって駆け出した。
「ま、待て!」
椿が相手を逃がしたと思った瞬間、路地裏の闇から一筋の白い光の筋がツクヨミに向かって走った。
ザシュッ!
ツクヨミの白い喉に小刀が突き刺さる。
喉は裂かれて傷口から鮮血が吹き出した。
ツクヨミは苦悶の表情を浮かべ、もがき苦しんだ後に吐血して倒れた。
椿が目を見開くと路地裏から藤兵衛が姿を現した。
「バカ野郎!シノビを逃がしてどうする?」
藤兵衛は死体に近づいて喉に刺さった小刀を引き抜き、手拭いで刃先の血をふき取ってから鞘に納める。
「見張っていたのか?」
「そういうつもりはなかったが、妙に胸騒ぎがしてなあ」
「でも、助かったぜ。あんたがいなきゃ取り逃がしてた」
「今後は用心しろよ。シノビを取り逃がせば命取りだ。敵にこちらの情報が流れちまうからよ」
「わかった」
「とりあえず、この死体を隠すとしよう」
「どこに隠すんだよ?」
「さっきの隠れ家にでも運ぶとしよう」
二人は周囲の砂をかけて血痕を隠し、現場からツクヨミの屍を運び出した。幸いにも深夜を回っており、人目につくこともなく藤兵衛の隠れ家にたどり着いた。
ひとまず、地下室に屍を隠した。
「さて、ここから移動するぞ!」
「ここで潜伏するんじゃねえのかよ?」
驚く椿に藤兵衛はやれやれと呆れ気味に口を開く。
「お前、バカ野郎だな。屍を隠した以上、移動しなけりゃマズいだろうが。この場所が敵に露見すりゃあ終わりだぞ」
「あてはあんのか?」
「ああ、そこは任せておけ。密偵時代に使っていた場所がある」
「わかった。案内を頼むよ」
椿と藤兵衛は闇夜の町を駆け抜けた。目的の場所は工房が建ち並ぶ一角にあった。
炉が壊れて、埃をかぶった道具が放棄された廃工房である。
到着すると藤兵衛が先に中へ入った。
藤兵衛は勝手口の付近に置いてあった行燈に火を灯し、それを片手に持って部屋の奥へと歩き出した。椿も後に続いて進んでいく。
天井の梁には蜘蛛の巣が張っており、床も埃が何層も積み重なっていた。
二人は工房を抜けて廊下を渡り、かつては労働者が仮眠をとっていたであろう広い部屋に入ったところで立ち止まる。
藤兵衛はその場に座り込み、持っていた行燈を床に置いた。
「さあ、今日はもう寝るぞ」
「こんな汚い場所で寝るのかあ」
椿は周囲を見まわしながら床に腰かけ、藤兵衛に不満をぶつける。
「お前はどこのお嬢だよ。三日ぐらい我慢しろ」
「仕方ねえなあ、わかったよ。あと、飯は?」
「これでも食っておけ」
藤兵衛は面倒くさそうな顔をすると、背嚢から中ぐらいの大きさの巾着袋を取り出して椿に放り投げた。
椿が受け取った袋は軽かったが、色々と詰まっているのかそれなりに膨らんでいる。紐をゆるめて中身を覗くと、拳ぐらいの大きさがある黒い団子のようなものが幾つも入っていた。きな粉をまぶしてあるが美味しそうに見えない。
「なんだこれ?」
椿は一個を掴んで匂いを嗅いでみた。
異臭はしない。
むしろ食欲をそそる香ばしい匂いだった。
「変なもんは入ってねえよ。これは兵糧丸だ」
「兵糧丸?」
「シノビの非常食だ。それだけで必要な栄養が摂れる優れものよ」
「食ってみよう。はむ」
椿は手にした兵糧丸をかじってみた。
「固い……でも、素朴な味でいけるな」
「当たり前だ。不味いもので士気が上がるかよ」
「シノビってのは大したもんだな」
椿は感心しながら食べ続ける。
「まあ、シノビにとって時間は重要だからな。一睡もせずに夜通しで任務を遂行しなきゃならん時もある。飯を食う時間がない時にそういったもんが役立つ」
「なるほどなー」
椿は腹が膨れて満足したのか機嫌を直していた。
「そろそろ寝るかあ」
彼女は自分が羽織っていた打掛を脱いで藤兵衛が座っている場所に近い床の上に敷き、そこへ仰向けで寝転がった。
椿は天井を見つめたまま、おもむろに藤兵衛に話しかける。
「それにしてもおっさんって、シノビの話になると生き生きとするよな」
「何だいきなり!?」
「いつ引退したんだ?」
「それは、かかあが赤ん坊を産んだからよ。いつ死ぬかも分からねえシノビなんかやってたら妻子を食わしてやれんからな」
「でも、情報屋も危ない仕事だろ?」
「確かに普通の仕事よかはな。だが、この妖人街において情報はどんな品物より価値がある。商人や組は喉から手が出るほど欲しいもんだ。連中は情報屋を殺さず、生かして利用した方が良いのを理解してやがるのさ。幸いにもわしには、シノビ時代に築いた人脈がある。それのお陰で他の誰よりも安全に情報を仕入れられるのさ」
「でも、俺に協力すんのは危険だぜ」
「大丈夫だ。子供もすっかりでかくなった。生意気な娘でなあ、今じゃ北街の茶屋で看板娘をやってやがる」
「おっさんが死んだら泣くと思うぞ」
「よせやい。気持ち悪いこと言ってんじゃねえ。わしはなあ、法眼には多くの借りがあったんだ。なのに奴は弟子を残して死んじまった。だからワシは己の誇りのためにおめえに協力してんのさ。どうだ!わかった?」
「ありがとよ」
「じゃあ、さっさと寝ちまいな」
藤兵衛は行燈の灯りを吹き消した。




