第十話 死の怪鳥
───それから三日後。
襲撃当日、椿と藤兵衛は夕方から行動を開始した。
港湾地区は外海との窓口であると同時に、貿易は最大の収益をもたらすことから厳重な警備体制が敷かれていた。
一般市民や労働者の立ち入りは許されていない。
そこで二人は職人町で生産された製品が集められる集荷場に目を付けた。
毎日、夕方になると積み荷を倉庫地区へ運搬するために陰摩羅鬼組の構成員が二人組で馬車に乗って現れる。
彼らを襲って身ぐるみを剥ぎ、変装して港湾地区に潜入しようという作戦だ。
だが、あまり派手に襲撃すると周囲の注意を集めてしまう。ここは無法地帯同然の南街や闘技場ではないのだ。
それに陰摩羅鬼組に雇われていたと思われるシノビを殺しており、考えもなしに荒事におよぶのは危険であった。
そこで藤兵衛は一計を思いついた。
辺りが薄闇に包まれる中、積み荷回収の係員二名は最後の集荷場に到着。
集荷場の厩に馬車を停めた。
彼らは回収作業を終わらせた後、隣接する休憩所で一服することにした。
背が低い豚頭の男が休憩室の床几に腰を下ろしながら相方に話しかける。
「今日も疲れたなあ?」
「そんなもんいつものことだろうよ」
隣の席に座っていた相方の大柄な馬頭の男が煙管をふかしながら気だるそうに言った。
「けどよお、一組に与えられる仕事量が多くねえか?」
「まあ、確かにな。全部で回収班は六組しかいねえのにこの作業量は異常だ」
「だろ?せめて人員を増やして欲しいもんだぜ」
「だが、お偉いさん方はしねえだろうな。利益しか考えてねえんだ」
「俺らが死んでも変えりゃあいいと思ってんのかねえ?」
「貴族なんてそんなもんよ。そろそろ作業に戻ろうぜ」
「そうだな。遅刻なんてしようもんなら倉庫の検問で何を言われるかわからねえ」
二人がおもむろに立ち上がった瞬間、休憩室の出入り口に人影が浮かび上がった。
それは三日前、監視任務中に行方をくらませていた上役のツクヨミであった。
「おや、ツクヨミ様!?」
「三日もどこへ?」
彼らは不思議そうに声をかけた。
「悪いねえ。お頭(組長)から極秘任務を受けていてさあ。寝る時間も無かったわよ。お肌に悪いわ」
ツクヨミはうんざりと言った様子で愚痴をこぼした。
「それは難儀でしたねえ」
「ご苦労様です。ところで今日は我々にどんな御用で?」
「それがね……お頭からあんたに伝言があってねえ」
ツクヨミは少し気まずそうな顔で豚頭の男を指差した。
「えええー、俺ですか?なんかやらかしました?」
豚頭は青ざめた顔に冷や汗を浮かべ、ぶるぶると震えだした。
「ここでは言いにくいわね……休憩室の外に来てくれない?そこで伝えるわ」
「わ、分かりました……」
ツクヨミは豚頭を連れて休憩室から抜け出し、建物の裏手にまわった。
「やっと二人っきりになったねえ」とツクヨミは頬を紅潮させて微笑み、艶っぽい目つきで豚頭を見つめる。
「……えっ!? ツクヨミ様、どうされたんです?」
豚頭は動揺を隠せず、ひどく戸惑い始めた。ツクヨミはそんな彼の体に胸を押し付けて密着する。
「ツクヨミさまあ……そ、それはマズいです」
豚頭の顔が瞬く間に赤くなった。まるで酒にでも酔ったようだ。
「あんた、可愛いねえ?チューしてやるから目をつぶりな」
「お願いしまーす!」
豚頭は鼻息を荒げながら瞼を閉じる。
ツクヨミはクスクス笑いながら左腕を豚頭の首に回した。
豚頭の表情がだらしなく緩み切った瞬間、ツクヨミは右手に持っていた小さな針を相手の首筋に突き刺した。
豚頭は声も出さずに意識を失って倒れた。
「ちょろいもんよ」
ツクヨミは不敵に嗤った。当然ながら彼女は本物ではない。猫又の藤兵衛が変化の術によって成りすましていたのだ。
藤兵衛は変化したまま豚頭の体を抱えて休憩室の方に向かった。
一方、馬頭の男はなかなか戻ってこない相方を心配し始めていた。正確には彼の身を案じるというより、荷物の搬入が遅れることへの危惧である。
「いくら上役の呼出しでもこっちまでとばっちり受けんのは勘弁して欲しいぜ」
馬頭は愚痴をもらしながら出入り口に向かって歩き出した。
────と。
突然、背後で何者かの気配が湧き起こった。
馬頭が振り向こうと思った瞬間、重たい衝撃がその後頭部を襲った。
「うっ……」
彼は気絶してそのまま地面に崩れ落ちた。
「おとなしく寝てな」
馬頭を見下ろしながら呟いたのは椿であった。
彼女は休憩室に潜み、ツクヨミに扮した藤兵衛が豚頭を外へ連れ出すのを待っていたのである。
椿が相手の頭部に峰打ちを喰らわせて戦闘不能にした後、藤兵衛が豚頭を抱えて戻ってきた。
「さすがシノビだな。見事な変化だぜ」
「当たり前だ。そんなことよりこいつらを隠すとしよう」
まず、二人は係員たちの手足を拘束した。さらに口に猿ぐつわをかませ、狭い厠の部屋に閉じ込めて扉に鍵をかけた。
「これで時間を稼げるな」
ツクヨミに化けていた藤兵衛が満足げに言った。
「そうだな。さっさと馬車に乗り込もうぜ!」
椿は少しはしゃぎ気味な様子で瞳を輝かせていた。狐の尻尾をぶんぶん降って楽しげだ。
「少しは落ち着けよ」
すでにツクヨミから馬頭の姿に変化していた藤兵衛が呆れて忠告した。
椿と藤兵衛は積み荷を載せた馬車を奪い取り、港湾地区の倉庫をめざして走り出した。
藤兵衛の人脈や情報網を駆使した事前工作により、衛兵に警戒されていることもなく城門を通過することができた。
貴族である鳥妖人以外の獣系妖人たちは警備、物資運搬などの雑役として強制労働を強いられており、組の上層部に不満を抱いている者が多い。そのために賄賂などで懐柔しやすく、監視が厳重な西街で荷物運搬係の馬車を襲っても見て見ぬふりをする者がほとんどであった。
港湾地区には獣系妖人も荷物運搬作業で出入りするのだが、警備や検閲は鳥妖人だけに任されている。
貴族の首魁でもある組長への忠誠も高いことから小細工は効かず、侵入者だと判明すれば何の躊躇もなしに殺しにかかるだろう。
港湾地区に侵入したからには陰摩羅鬼の殺害を達成し、混乱に乗じて脱出するしか活路を見出すことはできない。
藤兵衛は最悪の場合、自分が犠牲になることを覚悟しながらも馬車の手綱を握り直した。
城門を出ると巨大な港が広がっていた。夜の闇で海面の様子は目視できないが潮騒が耳に届き、海風に混じった磯の匂いが鼻腔を刺激した。
港湾地区の道路には西洋の外灯ポールが等間隔に配置されており、ガラスのランタンに灯された青い鬼火が夜の闇を照らしていた。
三基の埠頭には何十隻もの帆船が停泊し、倉庫群が沿岸沿いに立ち並んでいた。
運搬係の馬車が何台も頻繁に往来し、それぞれ検問を受けた上で指定の倉庫に貨物を運んでいく。
運搬係に扮した藤兵衛と椿が検問所で馬車を停車させると、すぐに検問官が数名の警備兵を引き連れて現れた。検問官は賢そうなハヤブサ頭の妖人の男だった。
検問官は訝しげに椿の顔を睨み、馬頭に変化している藤兵衛に声をかける。
「おい、見かけない女を連れているようだな。いつもの相方はどうした?」
「申し訳ありません。実は相方が急に体調を崩し、代わりの者に任せることになりまして……」
「上役にはしっかりと伝えたのか?こちらはそんな報告、受けておらんぞ!」
「お伝えしたと思いますが……」
「お前らの上役に確認を取りたいところだが、あいにく今夜中に急ぎの輸送品を陸路で運び出さねばならん。くだらない作業に時間を費やす余裕はないから今日は見逃してやる。検問が終わったらさっさと自分の仕事を終わらせろ」
検問官はそう言うと警備兵どもに積み荷を調べさせた後、特に異常なしということで検問所の通過を許可した。
その後、椿と藤兵衛は検問官から指定された番号の倉庫に荷物を届けた。倉庫の管理を担当する役人に到着の遅れを叱責されたものの、特に疑われることもなく解放された。
馬車を馬車小屋に預けた後、ようやく港湾地区を自由に動けるようになった。
藤兵衛の事前調査によれば今宵、陰摩羅鬼は倉庫群の最奥に位置する巨大レンガ倉庫で羅刹の検分をする予定になっている。
椿と藤兵衛は人目を窺いながらどうにか巨大レンガ倉庫の裏手に近づいた。
藤兵衛は椿に耳打ちする。
「いいか?よく聞けよ。今から俺は埠頭の方に行って騒ぎを起こす。それによってレンガ倉庫の警備に割り当てられている奴らを引きつける。お前はレンガ倉庫の地下を目指せ。そこに奴はいるはずだ」
椿は黙って頷いた。
数刻後、二人は別行動のために別れた。
藤兵衛は埠頭に移動し、ツクヨミに変化して乱心を起こしているように演じた。付近の施設や帆船に火をかけたり、馬車を襲撃するなどして警備兵たちを攪乱させた。
一方、椿は混乱に乗じ、暗がりや死角を利用して巨大レンガ倉庫内部に侵入した。
赤いレンガの壁と鉄の支柱で建造された広大な空間の壁際には膨大な数の木箱が積み上げられており、品目ごとに仕分けされて保管されている。
倉庫の右奥には、地下へ荷を送るための巨大な昇降台が据え付けられていた。
そして、倉庫中央部の一か所に黒い木箱が山積みされていた。おそらくこれが天狐組に輸送される羅刹なのだろう。
椿は倉庫の裏口から侵入し、積み上げられた荷物の背後に身を隠しながら羅刹の近くまで進んだ。しばらく様子を窺っているとおびただしい数の足音が正面入り口から聴こえてきた。
続々と現れたのは鳥妖人ばかりだった。おそらく彼らが陰摩羅鬼戦組の上級幹部たちなのだろう。羅刹の周囲に集まって互いに自分の利益を自慢し合ったり、他人の噂話を囁いたりしていた。
椿は羅刹の近くに積まれた貨物箱の陰へ身を潜めた。幹部たちとは木箱を二、三列挟んだ距離にあり、互いの姿は見えないものの、話し声ははっきりと耳に届いていた。
数刻後、今度は正面入り口から黒い鷹の頭をした妖人四人組が現れた。四人はいずれも山伏の装束を纏っており、手には錫杖を携えている。
「組長がお見えになるぞ!」
「お前らさっさと縦に整列せんか!」
「私語を慎め!」
「貴様ら不敬罪で処刑するぞ!」
その口ぶりから彼らが貴族の中でもかなりの地位にあることは明らかだ。さっきまで騒がしかった幹部たちはおとなしくなり、正面入り口に向かって左右一列に並んで陰摩羅鬼が通れる道を作った。
猛禽四人組は主を迎えるため、二組に分かれて左右の縦列の先頭に立った。
静寂の後、鳥妖人貴族の首魁であり、組の組長でもある陰摩羅鬼が正面入り口から歩いてきた。背中に漆黒の大きな翼を生やし、人型のその身には紫色に染められた絹の着物を纏っていた。金銀の装身具や金色の帯で派手に着飾っていた。紫色の長髪に朱色の櫛を挿し、唇には赤い紅を塗っていた。
貴人の雰囲気を漂わせてはいるがその目は異形のものであった。
彼の両目はその整った顔には不釣り合いな猛禽類のものだった。獲物を見定める恐ろしい強者の瞳である。
「ん?」
突然、陰摩羅鬼は立ち止まった。何かに気づいたらしい。
微笑を浮かべているがその眼光は鋭く、威圧感があった。
「おや、獣の臭いがするぞよ。まろにはわかる。これはキツネのにおいじゃ。このレンガ倉庫内に潜んでおる」
陰摩羅鬼はこの場に集まっている幹部たちにそう告げた。
────マズい。気づかれた!?
椿は己が危機的状況にあることを理解しながらも覚悟を決めた。
ここまで気づかれては討って出るより他はないからだ。
────かなりの数だがやれなくはない!
椿は深呼吸をすると同時に太刀の柄へ手を伸ばす。




