第四話 黄泉ヶ原の戦い 後編
旧坑道を出た先には緑の大草原が広がっていた。
ここが黄泉ヶ原である。
大地には大小の白い岩が無数に転がっており、丘もいくつか点在していた。
ちょうど旧坑道の出口も小高い丘に位置しており、周囲の景色を見渡すことができそうだ。
眼下の風景を眺めていた椿の視界に白い煙が飛び込んできた。それは今いる場所から5キロ先の前方に位置する地点から空に向かって立ち昇る炊事の煙であった。言うまでもなく、煙の発生源は伊佐々王組の陣である。
伊佐々王組の精鋭百人が二つの部隊に分けられており、北の妖人街に向かって逆八の字に布陣がなされていた。妖人街から来る椿を包囲することが目的の陣形であることは明白だった。椿のいる場所からは目視できないが、藤兵衛の情報では鉄砲隊を岩陰に配備しているという話である。これはもはや決闘ではなく、数の暴力で袋叩きにしようという卑劣な騙し討ちだった。
しかし、椿は藤兵衛の協力によって罠があることを事前に知り、敵の背後を突ける状況にある。伊佐々王組の前線は本陣からさらに5キロ離れており、全部隊が異変に気付いても本陣に戻るまで一刻近く(約90分ぐらい)かかるため、大将だけを討ち取るだけなら十分な時間だった。保身に走り過ぎたことが破滅に繋がるというのは皮肉なことである。
藤兵衛の情報が正しければ本陣の守りは数名の側近だけだと言う。
このまま丘から下れば四半刻(30分)という距離で本陣に到着できるだろう。
「さて、ひと暴れしてくれるぜ!」
「ちょっと待ちな」
藤兵衛は今にも駆け出しそうな椿を静止した。
「何だよ、邪魔すんなよな!」
むっとする椿に藤兵衛は言葉を続ける。
「まあ、落ち着けよ。もう少し経てば雨が降るはずだ。雨が降れば鉄砲は使えねえ。そうなりゃ隠れている鉄砲隊を心配せず、集中して組長と戦えるとは思わねえか?」
「そうか!」
椿が天を仰ぎ見ると確かに真っ黒な雨雲が出ており、ゴロゴロと雷鳴が轟いていた。
その後、藤兵衛の予想通りすぐに豪雨が降り出した。
椿は藤兵衛をその場に残し、一人で丘を懸け下っていく。丘を降りた後、伊佐々王組の本陣を一直線に走り出した。
四半刻後、一心不乱にかけているとすぐに伊佐々王組の陣幕が見えてきた。間違いなくその先に伊佐々将監がいる。
椿はすかさず抜刀し、鹿の二本角に笹の家紋がはいった陣幕の一つを斬り落とした。
幕が斬り落とされた瞬間、頭に鉢金(額を守るための鉄板)を仕込んだ鉢巻き、胴体に鎖帷子という姿の男たちが驚愕の表情で飛び出してきた。
それは当然の反応であった。彼らの想定では椿は正面から来るとされており、まさか後方から現れるなどとは想像もできなかったようだ。
この雨では狼煙も上げられない。三人のうち一人が前方に展開している味方を呼ぼうと法螺貝を吹こうとした瞬間、椿は抜刀して草薙を繰り出す。
三人は胴体を横一文字に両断されて崩れ落ちた。
椿はその勢いで陣内に踏み込んでいった。陣の中央にはこちらに背を向ける形で伊佐々将監が床几に腰掛けている。
将監は椿の気配に気付いて立ち上がり、彼女の方に向き直った。全身を黒で縁取られた青い甲冑に身を固めていた。
その厳めしい装束に反し、彼の容姿は中性的な容姿をしていた。色白で端正な顔に翡翠色の瞳が映えており、金色の長い髪に頭部の鹿の角はさらに神秘的な魅力を持っていた。手には長槍を携えている。
豪雨の雨音の中、対峙する二人はでかい声で名を呼ばわった。
「わしゃあ、伊佐々王組の組長、伊佐々将監じゃ!」
「俺は風華一閃流のモノノフ。赤桐椿!」
「よもや、背後を突くとはのう。なかなかやりおる。ガハハハッ」
将監は愉快そうに笑いながら言った。
一方、椿は不敵な笑みを浮かべ、皮肉で応じる。
「だろうな。この雨じゃ、鉄砲も使えねえぜ」
「だが、この雨。鹿神流槍術の使い手であるわしにとっては好機だがな!」
将監は槍を構えると真言のようなものを唱えた。
「オン バロダヤ ソワカ!オン バロダヤ ソワカ!」
その瞬間、降りしきる雨粒が槍に引き寄せられるように集まりだした。気づくと、水の槍が形成されていた。
「さて、お手合わせを願おうかっ!」
将監がその槍を力任せに薙ぎ払うと椿は後方へ飛び退って攻撃を回避した。通常の槍なら空振りであり、この一手は失敗である。だが、将監の槍は薙ぎ払いの後、今度は鞭のようにしなりながら椿を狙って飛んできた。彼女が間合いを取っても、槍の穂先が伸びてうねりながら迫ってくる。それはまるで獲物を狙う大蛇のような動きであった。
──こんなもん槍術じゃねえ!
椿は焦りながら攻撃のタイミングを計りかね、必死にステップを踏んだり、転げまわりながら攻撃を避けることに意識を集中させた。
「どうだ?赤桐椿、この槍の動きは予測できまい」
将監は得意げな顔で自らの槍さばきを誇りながら椿との間合いを詰めていく。
「わしの奥義を馳走してやろう」と将監は槍による突き出し攻撃を彼女に繰り出した。
「鹿神流槍術奥義、邪竜八槍鞭っっ!!」
彼の叫び声と同時に槍の穂先が八つに分かれ、それぞれが意思を持った水の蛇となった。そして、瞬時に水の蛇は槍本体から分離された後、矢のように凄まじい速度で椿を標的に飛び出していった。
「んっっ!!」
椿は同時に襲ってくる八つの水の蛇に苦戦を強いられた。彼女は腰に帯びていた鞘を左手に持って二刀流の構えで三匹を弾き返し、もう三匹は身を屈めて回避したものの、残り二匹は避けきれず、右足の腿と左肩を貫かれてしまった。
役目を終えた水の蛇どもは消滅したが、椿の傷口から出血が止まらない。
──どうにか水の槍を封じられねえか?
椿は激痛に顔を歪ませながらも思考を巡らせた。
それで思い出したのが牡丹の得意技だった。姉の牡丹は風によって敵を凍結させる技を得意としていた。椿も姉ほどではないが冷風を起こし、一時的なら凍結させることはできる。
──そうか。一瞬で十分だ。間合いを詰めることができればいい
椿は鞘を腰に戻し、呼吸を整えながら納刀した。
一方、伊佐々将監は自らの勝利を確信していた。
──いけるぞ。この女を始末すりゃあ、わしの組を安泰じゃ
将監は槍を構え、先ほどの奥義を出した時と同じ挙動を始めた。どうやら、奥義で決着をつけるつもりらしい。
「これで、しまいじゃあああああー!」
将監は駆け出し、椿に向かって水を纏った槍を突き出してきた。
その刹那、椿は抜刀すると同時に刀身から冷風を放った。将監の水の槍は瞬時に凍結し、形状を自在に操ることが不可能になった。
「なっ、これはどういうことだっ!?」
将監は予想もしていなかった現象に戸惑って踏みとどまり、重くなった槍を手元から落としてしまった。見た目以上に大量の水を槍に宿していたらしい。凍ったことでその体積を増しており、とんでもない重さになっていた。
椿は千載一遇の機会を逃さない。暴風レベルの風の力を集約させて刀身に纏い、一気に駆け出して将監との間合いを詰めていった。風の力が凄まじい速さで刀身に高周波振動を起こし、ぶんぶんと風切り音を唸らせる。
椿は刀の柄を両手に持ち替え、相手の間合いに飛び込んだ。
将監はどうにか抵抗しようと脇差しを引き抜いたがすでに遅かった。椿は脇差しの柄を握りしめる彼の右腕を籠手ごと切断し、その勢いに乗じて強烈な突きを繰り出した。振動し続ける刀の切先が胴鎧の装甲をぶち破り、将監の腹部に貫通した。
──風華一閃流奥義。天魔鉄爪斬。
暴風レベルの風の力を刀に宿し、刀身に高周波振動を引き起こすことによって切断力を高める技である。高速の振動を得ることにより、その刃は鋼鉄すら豆腐のように引き裂く。
椿は刀を引き抜くと咄嗟に相手の背後に回り込んだ。
「ぐはっ!!」
将監は口から血を吐きながら崩れ落ちて膝をついた。腹部に穿たれた風穴からもおびただしい量の血液が雨に濡れた地面にあふれ出ている。
椿は刀をそのまま、前屈みになった彼の首の背に刃をあてがう。
「最期に聞きたいことがある」
「なんじゃ?」
「俺に顔がそっくりな狐耳の剣士を見たか?」
「ああ、見た……天狐組との交渉の席にいたやつだ」
「交渉? 何の話を言ってやがる⁉」
「わしは北の鬼神組を倒すため、東の天狐組と同盟を結ぼうとしていた。相手の代表者がお前にそっくりだった」
「……そうか。知ってることはそれだけか?」
「ああ、さっさとトドメを刺してくれ」
「分かった」
椿は上段の構えを取り、将監の首をめがけて太刀を振り降ろした。首が胴体から切り離されて地面に転がり落ちる。
椿は納刀したところで意識が遠のき始めた。予想していた以上に出血量が多かったらしい。彼女は目の前が真っ暗になり、意識を失って倒れた。
次に目覚めた時、椿は逗留している宿の一室で布団に寝かされていた。袖の短い半襦袢(着物の下に着る下着)姿で負傷した左ももと右肩には、しっかりと包帯が巻かれていた。
そぐそばには藤兵衛が煙管をふかしながら座っていた。
「おっ、やっと目覚めたようだな」
「あの後、どうなった?」
「心配で見に行ったらお前が倒れていてな、それで仕方ねえからここまで運んで手当てしてやったのよ」
「そうか。悪かったな」
「いいってことよ。客に死なれちゃ困るからな」
藤兵衛は煙を吐き、口角を上げてニヤリと笑った。
「それより将監の手下どもはどうなった?」
「ああ、伊佐々王組の奴らのことだな。シノビ仲間の情報によると俺らが立ち去った後、あいつらは大将の首を見て一気に怖気づいて撤退したらしいぜ。忠誠心があれば主君の仇を討つんだろうがそうはならなかった。今じゃ傘下に入っていたごろつき集団同士で後継者争いよ。ありゃあ、伊佐々王組もおしめえだな」
「伊佐々王組が潰れたら南街はどうなる?」
「まあ、商業連盟が摂取するだうなあ」
「商業連盟?」
「おめえ、そんなことも知らねえのかよ。外界との貿易をしている交易商人達の組合だ。経済力を背景に妖人街を実質的に支配している」
「そいつらが街を支配するのは良いことか?」
「まあ、庶民にとっては多少は良くなるだろう。暴力に震えたり、強制労働を強いられはしないしな。そんなことよりお前に見せたいもんがある」
「何だよ、もったいぶりやがって」
椿が気だるげに上体を起こすと、藤兵衛が血まみれの書状を手渡してきた。
彼女は血生臭い書状に顔をしかめながら中身を開く。
「これは伊佐々将監から取ったのか?」
「ああ、何か良い情報がねえかと思ってな。そしたら驚いたぜ」
「これは⁉」
書状は伊佐々王組と天狐組の同盟に関する誓約書であり、驚いたことに天狐組の代表の氏名欄に赤桐牡丹の名が記されていた。
「姉貴は天狐組の組長になりやがったのか!」と椿は書状を破り捨てた。
その様子を見て藤兵衛がため息をついた
「こりゃあ、おめえの仇討ちも容易じゃなくなったな」
「なんでだよ?」
「考えても見ろ。やつはもう個人のモノノフじゃねえ。組織を率いる組長だぜ。天狐組の構成員はモノノフあがりばっかりだ。近づくのも難しいぜ。それに天狐組が統治する東街はな、四方を壁に囲まれた城塞になってる。他の組組織だって容易には攻め込めねえだろうよ」
「んなもん、ぜんぶぶっ倒しまえばいい!」
「戦場で倒れてた奴がよく言うぜ。俺がいなけりゃ、悪くてなぶり殺し、良くても慰み者にされていたかも知れねえんだぞ」
藤兵衛は白い煙を吐きながら無理無理とかぶりを横に振った。
椿は腹立たしげに髪を掻きむしる。
「じゃあ、どうすりゃいい?」
「まずは強くなれ。もっと他のモノノフと戦って経験を積むことだ。とりあえず、傷が治ったら北街の地下闘技場へ行ってみろ」
「地下闘技場?」
「ああ、命をかけた勝負だ。実戦でなけりゃあ得られねえもんもある」
「確かにそうだな。いくら技を持っていても使いどころを見極められなきゃ意味がねえ」
「まあ、そういうことだな。今はゆっくり休んでおけ」
藤兵衛が去った後、椿はふたたび布団の中で眠りに落ちた。
椿が追ってきた姉の牡丹は天狐組の支配者になっていた。仇討ちも容易ではない状況に焦りを覚える彼女の先には何が待ち受けているのか?
今後の展開にご期待ください!




