第三話 黄泉ヶ原の戦い 前編
その日は朝からひとしきり小雨が降っていた。
椿が傘をさしながら南街一丁目から二丁目に向かって架けられた橋を歩いていた。
橋の中ほどまで来た時、前方から菅笠をかぶった5人組の男たちが走ってきた。彼らは全員腰に刀を帯刀しており、それなりに質の高い紋付袴を着ていた。いずれも着物には鹿の角と笹をあしらった家紋が入っている。
男たちは椿に接近するなり、彼女の周りを取り囲んだ。
「覚えがあろう!」
男たちはそう言うと次々に抜刀した。
「知らねえなあ」
椿は飄々とした態度で言った。
「知らぬとは言わせぬぞ!」
男たちはそう叫ぶと同時に椿に斬りかかってきた。
椿は持っていた傘を放り投げ、神速で抜刀するなり初伝の草薙を繰り出す。遠心状に放たれた風の刃が雨粒もろとも男たちの胴体を両断した。男たちの体は次々と地面に崩れ落ちて赤い血溜まりが広がっていったが、すぐに雨が洗い流していく。
「俺もここらじゃ、だいぶ有名になっちまったな」
椿は独り言ちると太刀を鞘に納め、地面に放り投げていた傘を拾って歩き出した。
蕎麦屋猫八の一件以来、赤桐椿の名前は南街全体に広がっていた。
当然、猪笹一家の死体を回収した伊佐々王組も椿の存在を認識している。家紋から考えて彼女を襲った連中は伊佐々王組の配下の者であった。
最近は椿を狙って襲ってくる者が増えている。組としては傘下のごろつき一家が流浪のモノノフに敗れるなどあってはならぬことだった。それは支配地域における権威失墜に繋りかねない失態である。と、同時に恥でもあり、敵対する組の耳にでも入れば弱みを見せることになってしまう。伊佐々王組としては噂が他の街区に広まる前に椿を抹殺したかった。だが、椿は予想以上に強く、何度も刺客を放っているが全て返り討ちにされているのであった。
──同じ日の夜。
逗留している旅籠の一室。
椿は風呂から上がった後、浴衣姿で窓辺の手すりに寄りかかって涼んでいた。
冷たい夜気で火照った体を冷ましていると突然、襖の外から宿の女将の声がした。
「赤桐さん。あなた宛てに文が届いていますよ」
「手紙?」
椿は女将の声に弾かれたように手すりから身を起こすと、二、三歩で部屋を横切り、立ったまま襖をがらりと開け放った。
女将は封紙に包まれた一通の書状を渡してきた。
封紙には果たし状と記されている。
「これは誰が持って来たんだい?」
「私は飛脚から受け取っただけですので……」
「そっか。ありがとう」
女将は頭を下げて襖を閉め、そのまま立ち去った。
椿は畳の上にどっかりと座り、封紙を解いて書状に目を通した。
内容は次のようなものだった。
果たし状
赤桐椿殿、貴殿の勇名はかねがね聞き及んでいる。うちの若い衆が何人も名を上げようと貴殿の首を狙って返り討ちされていることは情けないことだ。
お互いに煩わしい因縁を断ち切るために一つ提案がある。
それは決闘だ。こちらの専属モノノフと一対一の真剣勝負をしてもらいたい。この戦いでこちらが勝てば組の威信は守られるし、逆にそちらが勝てばこちらは二度と貴殿に危害を加えないと誓約しよう。
三日後の正午、妖人街から見て南の郊外に位置する黄泉ヶ原にて貴殿を待っている。
伊佐々王組組長 伊佐々将監
「ほう、決闘か。面白くなってきたぜ!」
椿は不敵に笑っていると突然、そよ風が窓から部屋に吹き抜けていった。同時に、彼女の背後に小さな影が沸き起こった。
椿が振り向くと行燈の灯りに浮かび上がったのは猫又の藤兵衛であった。闇に溶け込むような黒い忍び装束に身を包んでいる。
彼はこの街では珍しく生粋の妖怪だ。少年のような背格好で猫の姿をしており、人のように歩くことができる猫又という妖怪である。
かつては法眼の相棒であり、腕利きのシノビだった男だ。
シノビというのは依頼人の敵対組織に属する要人を暗殺したり、機密情報を盗んだりする特殊な任務を請負う業種。
藤兵衛は老いから現役を引退しており、最近では情報屋として生計を立てている。
「なあんだ、藤兵衛かよ」
「おう、久しぶりだな。そんなことより、おめえの状況はちっとも面白くねえぞ。むしろマズイかもな」
「マズイって?」
「実はお前が猪笹一家とやりあった後から伊佐々王組の動静を探ったんだが……この決闘、馬鹿正直に正面から挑んだら死ぬぞ」
藤兵衛は猫ひげをいじりながら得意げに知っている情報を伝えた。
伊佐々王組は狡猾さで有名であり、今回の椿との決闘にも裏があるらしい。
「文面には一対一とあるがとんでもねえ大嘘よ。実際にはモノノフ一名だけじゃねえ。黄泉ヶ原の岩陰に十人組の鉄砲隊を配備し、さらに伊佐々王組の精鋭五十人でおめえを袋叩きにしようって魂胆さ」
「外道ってのはつくづくろくでもないな。だけど、これは逆に俺の名を上げるいい機会だぜ!」
「……そう言うと思ってな、ワシの方で耳寄りな情報を用意しておいたぜ」
藤兵衛は椿に片手を差し出してニンマリと白い歯を見せて笑った。
「何だよ、喜色悪い笑みを浮かべてやがって!」
「ばかやろう。銭を払えって言ってんだよ」
「はあ? 金取るのかよ」
「あたりめえよ。いくら元相棒の弟子でも代金はもらうぜ。こっちも情報を集めるのに命を懸けてるからよ」
「わかったよ。払ってやる。それで耳寄りな情報ってのは?」
「へい。まいどあり!」
藤兵衛は懐から伊佐々王組の配置図を取り出し、畳の上に広げて見せた。
彼の話によると決闘当日、妖人街からやってくる椿を迎え撃つ形で伊佐々王組は陣を配置するつもりでいるらしい。黄泉ヶ原は多くの岩が点在する草原であり、鉄砲隊を隠せる場所はいくらでもあるということだ。
「まともに正面から突っ込むのは不利だ。そこで伊佐々王組の本陣を背後から襲撃する策を提案するぜ」
「どうやって?」
「黄泉ヶ原は採石場として有名なんだが、ちょうど奴らの陣の後方には閉鎖された旧坑道の出口がある。妖人街の南門を出たところにその旧坑道の入口があってな、そこから坑道を通ればすぐに奴らの背後に出られるはずだ」
「出入り口の鍵と道順はどうなってるんだ?」
「そこにぬかりはねえよ。鍵もちゃんとあるぜ」
藤兵衛は椿に鍵を見せた。
「藤兵衛はどうやってそんな情報を知るんだ?」
椿が呆れ気味に藤兵衛に訊くと、彼はちっちっと舌を鳴らしながら人差し指を立てて、それを左右に振って見せる。
「そいつは秘密よ。ネタ元を明かしちまったら情報屋の信用がガタ落ちだ」
「確かにな」
「安心しな。当日はしっかりと案内してやるよ。まあ、三日後に備えて体を休めておくことだ」
藤兵衛はそう言うとあっという間に姿を消し、そよ風と共に立ち去った。
──決闘当日。
鉛色の空は厚い雲に覆われていた。
椿は藤兵衛と一緒に朝から行動を開始した。
南街の南門は朝から夕方まで解放されており、交易商人の馬車が忙しなく行き交っている。
椿たちは門から外に向かって続いている交易路を歩き出した。しばらく進むと田園風景が見えてくる。周囲を城壁に囲まれた妖人街の外には水田や畑が点在しており、農民が春から秋の終わりまで暮らす集落もいくつか点在していた。田畑では農作業に精を出す人々の姿があった。
「おい、藤兵衛。例の旧坑道の入り口はどこだ?」
と、椿は隣を歩いている藤兵衛に訊いた。
「前方に分岐路が見えると思うが、そこを右に進んでくれ。しばらく進むと坑道の入り口が見えてくるはずだ。どれ、ワシが先導してやろう」
藤兵衛はそう言うと四つんばいになって駆け出した。
「おい!待てって。早えよ!」
椿は必死に藤兵衛の後を追って走り出した。
藤兵衛が言った通り右折した先に旧坑道の入り口があった。洞窟の口に木製の外枠と扉を取り付けただけの簡素な作りだが、しっかりと閉じられており、南京錠で施錠されていた。
藤兵衛はひょいと立ち上がり、懐から鍵を取り出した。二股に分かれた尻尾を揺らして陽気に口笛を吹きつつ、手にした鍵を鍵口に差し込んでゆっくりと回す。
カチャリと、音がして錠が外れた。
藤兵衛が軋む扉をあけ放つ。
「さあ、ここからが本番だぜ」
「わかってるよ。坑道の道順は大丈夫か?道に迷って外に出られなくなって行き倒れなんてシャレになんねえぞ」
「誰に言ってんだ、おめえは!この藤兵衛様にぬかりはねえ。いいからワシについて来い!」
「はいはい、わかったよ」
椿は藤兵衛に先導してもらいながら旧坑道を進むことにした。
内部は暗かった。
だが、完全な暗黒ではない。壁面には等間隔に設置された青白い灯火が生きており、道の先が見えないほどの闇ではなかった。青白い炎は妖人の微弱な妖力によって発生させるものだが半永久的に闇を照らして続ける。
それでも太陽の光が届かない坑道は肌寒いものだ。ネズミの鳴き声や物音は心地よいものではない。坑道は洞窟の地下に向かって掘削を開始し、途中から地表を目指して掘られたために入り口付近は下り坂、出口付近は登り坂の道になっていた。
椿は藤兵衛の案内で迷わずに出口に到達することができた。
藤兵衛が出口の扉を開いた瞬間、眩い白い光が薄暗い坑道に差し込んだ。
二人は眩しさに思わず眉間に皺を寄せ、目を細めながら外界に踏み出した。




