第二話 姉妹狐
この物語の発端は半年前にさかのぼる。
──季節は晩秋。
妖人街の郊外にある小山の一角。
竹林の中に鬼一法眼の小屋がひっそりと佇んでいた。
その夜、椿は師の鬼一法眼と思い出話をしながら酒を酌み交わしていた。
小屋の出口に近い下座に椿が座り、囲炉裏を挟んだ向かい側の上座に法眼が座っている。
天井の太い梁から吊るされた自在鉤が、鉄鍋の重みで小さくきしんでいた。
鍋の中では付近に自生するキノコと季節の野菜を放り込んだ汁物が、パチパチとはぜる薪の音に合わせてグツグツ、コトコトとリズムを刻んでいた。 立ち上がる真っ白な湯気と一緒に、食欲をそそる出汁の香りが、秋の冷たい夜気をふんわりと溶かしていく。囲炉裏の揺らめく炎が二人の顔を赤々と照らしていた。
「お前も十九歳か。時が経つのは早いのう」と法眼は白くて長い髥をいじり、深い皺が刻まれた浅黒い顔に笑みを浮かべ、どこか遠くの景色を眺めるように目を細めた。
「親父、どうしたんだよ? あらたまっちゃってさ」
椿は微笑みながら法眼の隣りに移動して板の間にじかに座り、徳利を取って彼の杯に酒を注ぐ。
彼女は赤子の頃、法眼に拾われた。以来、ずっと一緒に暮らしてきた。育ての親であり、師匠でもある法眼から読み書きそろばんに始まり、剣の修行もみっちり仕込まれた。
「明日はお前のモノノフとしての門出じゃ。その前にワシが《《お前たち》》を拾った経緯を話しておこうと思ってな」
法眼はぽつぽつと語り始め、椿は頷きながら耳を傾けた。
かつて、鬼一法眼は妖人街で魔剣士と畏怖されたモノノフだった。
法眼は天狗の妖人である。背中に翼こそ生えていないが、天狗の驚異的な跳躍力や俊敏性、それにわずかだが風を操る力を受け継いでいた。
もともと十歳までは現世において、三味線の弾き流しで生計を立てていた母親と旅をしながら過ごしていた。
だが、山中にさしかかった時に盗賊の襲撃を受け、母親を殺されてしまい、戦う術を知らない彼は命からがらに山深くに逃げ込んだ。山中を彷徨っているうちに妖人街にたどり着いていた。
法眼は空腹に耐えきれず、八百屋から果物を盗んだ。すぐに店主に見つかったがその人はとても親切な人で彼を養子として迎え入れた。
数ヶ月は穏やかな日々が続いたが主人は市街で勃発した組同士の抗争に巻き込まれ、流れ矢にあたって死亡。
法眼は二度も親を失って絶望したが、すぐに力がなくては生き残れないと悟った。
そして、自分の特性を武術に活かし、モノノフとして身を立てようと決意する。
モノノフとは現世でいう傭兵のような存在である。ほとんどの妖人は妖術を自由に扱えない。しかしながら、鍛錬によって武術を体得した妖人には神器と呼ばれる武器(低級精霊を宿した武器。神器によってその形状や能力は異なる)を扱う素養があり、超常的な戦闘力を発揮することができた。その圧倒的な力を組に金で雇われる人々をモノノフと呼ぶ。
まず、法眼は剣聖と呼ばれる仙人から剣術の基礎を習う。十五年に及ぶ修行の後に仙人から下山を許されると同時に二つの神器を授かり、風華一閃流という自らの流儀を編み出した。
その後、法眼は組同士の抗争で多くの戦績を上げる。黒くて艶のある長髪を靡かせ、鬼神の如き剣さばきから“漆黒の天魔”や“魔剣士”などの異名を持ち、戦場で畏怖されていた。
だが、四十代後半にさしかかった頃には人を斬ることに虚しさを覚え、体にも老いを感じ始めたことから戦場から身を引いた。妖人街の郊外にある小山で自給自足の暮らしをし、気が向けば街に降りて庶民の頼み事を請負うことで生計を立てるようになる。
そんな暮らしを始めてから十年の月日が過ぎた。
法眼は五十代後半を迎えていた。
ある日、法眼が暮らす小屋の軒先に二人の赤子が捨てられていた。
二人とも色の違いこそあるがいずれも狐の耳と尻尾を持った妖人の女子であった。
紐で首にかけられた木札に名前が記されていた。
白い狐の娘は赤桐牡丹、赤い狐の娘は赤桐椿。色以外は顔がそっくりな双子であった。
親を失った悲しみを知る法眼は双子を養子として育てることにした。
戦いしか知らなかった彼にとって子育ては荷が重いことだったが、双子と接しているうちに不思議と心に温かい感情が芽生えていった。
法眼は二人が過酷な妖人街で生き残れるように読み書きそろばんを教え、護身術として剣を教えた。
幼少期から二人は性格が正反対だった。
妹の椿は食べることと遊ぶことしか興味がないおてんば娘。腕っぷしだけは強いが勉強と剣の覚えが遅い。ただ、いじめられっ子の友達を助けるために年上のガキ大将を殴り飛ばすなど義侠心があった。
一方、姉の牡丹はおとなしい性格だった。剣に天賦の才があり、十歳になる頃には風華一閃流の基礎を極めていた。勉強も剣も物覚えが良いが、子供にしてはどこか冷静過ぎた。それでも法眼は自分の後継者として牡丹に期待していた。
しかし、事件は起きた。
それは牡丹が十二歳になった年のこと。
ある日、法眼は庶民から博徒のごろつきを懲らしめるという依頼を受け、牡丹も見習いとして付き従った。無事にごろつきの利き腕をへし折って仕事は終わったはずだった。
ところが翌朝、ごろつきの男とその妻子の死体が発見。下手人は牡丹と判明。彼女の言い分は「悪事をはたらくクズ男の子供はどうせクズになる。そのごろつきの子を産んだ女を殺すことによって悪の芽を摘み取った」という一方的で非情な正義論だった。法眼は風華一閃流の唯一の掟、「武器を持たざる者や女子供は殺すべからず」を破った牡丹を破門にし、彼女が刀を握れないように手首の腱を斬ろうとした。
しかし、牡丹の剣技はすでに師の法眼を超えていた。法眼は逆に返り討ちにされて深手を負い、彼女の出奔を許してしまった。
椿は牡丹の出奔にショックを受けるが、大好きな師匠と風華一閃流の名を汚した姉を止めるために剣客を目指し、師匠に厳しい指導を願い出る。
──それから八年の歳月が流れた。
こうして法眼と向き合って酒を酌み交わしている椿は十九歳になった。
厳しい修行を乗り越え、風華一閃流の奥伝を極めている。明日からは下山し、モノノフとして独り立ちする予定だ。
法眼は我が子同然の椿の巣立ちは寂しくもあり、嬉しいことでもあった。それで思い出話も自然と長くなってしまう。
「お前と過ごすのも今夜が最後か」
「親父、しみったれ過ぎだぜ。それに死に別れるわけじゃねえよ。たまに顔出すからよっ!」
椿はすっかり感傷的な法眼の背中を軽く叩いた。
「そうじゃな。今宵はお前の門出を祝う宴じゃ」
「まあ、宴って言っても大した御馳走はねえけどな!」
「そう痛いところを突くでないわ」
椿と法眼は楽し気に談笑し、酒を酌み交わした。
二人ともすっかり酔いがまわってウトウトし始める。
それから数時間が経った頃に突然、入口の戸をぶち破る音がした。
何事かと二人が戸口に視線を向けた時、黒い着物に黒い頭巾という装束をした三人の刺客が土間から囲炉裏のある板の間に踏み込んできた。三人のうち一人は遠巻きに様子を窺っており、残りの二人が白刃を煌めかせて法眼に斬りかかった。
法眼は腰に帯刀していた打刀の柄を掴むと、間合いに入ってきた二人の刺客を居合斬りで斬り伏せた。二人の刺客が倒れた直後、三人目の刺客が頭にかぶっていた頭巾を外して素顔をさらした。
戸口から差し込んだ月光の中、法眼と椿の前に佇んでいるのは八年前に行方をくらました牡丹であった。その碧眼には氷のような冷酷さが宿っていた。
「お師匠様、ご無沙汰しております」と牡丹が無表情のまま口を開いた。
「未だに師と呼んでくれるとは意外じゃな。いったいこれは何の真似ぞ?」
「今宵は神器の雪風を頂戴しに参りました」
牡丹の声は透き通った涼やかなものであったが、そこに人らしい温かみは感じられない。
「断る。お主のように魔道に落ちた剣士に渡せん!」
「これは手厳しい。ならば腕ずくでも奪うのみ」
牡丹は腰に帯刀してた太刀を鞘から抜刀し、上段の構えを取った。
すると、椿はすかさず駆け出して牡丹の前に両腕を大きく広げて立ちはだかる。
「姉貴、どうしちまったんだよ?もうこんなことはやめてくれえ!」
「椿、そこをどきなさい。敵を前にして無防備とはそれでも剣士ですか?」
「嫌だ。どうして家族同士で殺しあわなきゃならねえんだよ?」
「どかないと言うなら斬るまで」何の躊躇もなく、太刀を上段の構えからそのまま、椿めがけて振り下ろす。
その瞬間、椿の後方にいた法眼は回り込んで彼女を横に突き飛ばし、身代わりに牡丹の太刀をその身に受けた。
月光の中で血しぶきが飛び散る。
「……うぐっ!」
法眼は打刀を手にしたまま膝から崩れ落ちた。
彼は打刀で牡丹の太刀を受けようとしたのだが、相手の動きが早すぎて防御に失敗したのだ。かつての魔剣士も老いには勝てなかった。
「親父いいいいいい!!」
椿は泣き叫びながら法眼のそばに駆け寄り、血まみれになった彼の体を抱き起した。だが、敬愛する師はすでに息絶えており、どんなに揺さぶっても反応はない。
「……愚かな。椿、そんなことでモノノフとして生き抜けるのですか?」と牡丹は血刀を手にしたまま、泣き崩れる妹の椿を冷ややかに見下ろす。
その言葉に椿は泣き腫らした目で牡丹の顔を見あげて睨んだ。
「よくも親父をやりやがったな!」
「椿。私を憎みなさい。そして、強くなるのです。高みを目指し、仇敵である私の首を取りに来なさい。いつでも待っていますよ」
そう言うと、牡丹は椿の後頭部に峰打ちを叩き込んで気絶させた。
椿が目覚めた時には朝になっていた。
すでに牡丹の姿はなく、神棚に飾られていた神器である雪風という太刀も持ち去られていた。残されているのは刺客二人と法眼の冷たくなった屍だけであった。
椿は刺客二人の死体を小屋から少し離れた藪の辺りに埋めた後、師匠である法眼の亡骸を庭先に埋葬し、墓石代わりに大きな岩を置いた。
そして、彼女は岩を拝みながら亡き師に誓った。
「親父、しばらく我慢してくれよ。絶対に姉貴を倒して見せるからさ。帰ってきたらちゃんとした墓を建ててやるからよ」
椿は墓前に線香を供えた後、立ち上がると小屋に戻って旅支度をし始めた。旅の準備を済ませ、小屋の隣に隣接する道場に立ち寄った。
椿は道場の神棚に納められていた神器の鎌鼬という太刀を取り出し、腰に帯刀して下山した。
それ以来、椿は牡丹の行方を捜しながら妖人街を歩き回っている。
妖人街と言っても広大であり、東街、西街、南街、北街と四つに分かれていた。四つの街はそれぞれ妖人の組が支配しており、互いに覇権を奪い合っていた。紛争地域では情報はどんな物資よりも値打ちがあり、容易く入手できるものではない。まともな情報を得るにもそれなりの金が必要であり、モノノフとして稼ぐにもツテがなくては成り立たない。
そこで椿は修行ついでに妖人街のごろつきどもを斬り殺し、名を上げていくことにした。傍から見れば一見乱暴な行為に見えるが、結果的に彼女の道を切り開くことになるのであった。




