第一話 赤きモノノフ
妖人街の南側・南街の大通りには多くの飯屋や商店、宿屋がひしめくように建ち並んでいた。瓦屋根や漆喰の土壁、木造の建物は江戸の町に酷似していた。通りを行き交う大勢の通行人の服も和装という共通点もある。
だが、現世の住民とは異なり、この世界に住んでいる彼らは形状こそ人間ではあったが、あるものは獣耳や尻尾を生やし、あるものは皮膚が固い剛毛や爬虫類の鱗に覆われ、あるものは頭部だけが獣という異形の姿をしていた。
彼らは妖人と呼ばれている存在──人間と妖怪の混血児であり、存在自体が許されない忌み子である。
ここは現世の人間界にも、かくりよの妖怪の世界からも見捨てられた妖人の棲み処だ。
季節は春。
晴天の昼下がり。
大通りの雑踏の中、ひときわ目立つ姿の娘が西日を背に受けながら歩いていた。
娘は頭に赤い狐耳、尻には赤い狐の尻尾を生やしていた。背中まで伸びた髪も燃えるように赤く、風に靡いていた。
袖が短めな白い道着の上から波と椿の模様を金であしらった赤い打掛を羽織り、下には紺色の袴を履いている。
腰には一振りの太刀を帯刀していた。鞘の色は黒、柄は金で縁取られた白という装飾がほどこされた刀剣だった。
娘は端正な顔立ちをしていた。切れ長の眼と琥珀色の瞳が特徴的。
「あーあ。腹減ったなぁ」
と、赤い狐の娘は独り言ち、一軒の蕎麦屋の前で立ち止まった。
他の飯屋は多くの客で賑わう中、その店だけが妙にさびれていた。
よほど味が悪いのだろうか?
入口の暖簾には“蕎麦屋 猫八”と書かれていた。
「まあ、腹に詰め込んじまえば一緒よ!」
赤い狐の娘は暖簾をくぐって店に入った。
店内の客間には長机の席が二つ、座敷の席が二つあり、配膳棚や立ち食い用の場所を含めれば大勢の人が入れる広さ。だが、昼下がりとはいえ、客が2、3人だけというのはおかしい。
暖簾をくぐってすぐにつき当たる配膳棚では店主が困り顔で頬杖をついてため息を吐いていた。
店主は頭が猫というタイプの妖人で名前を源蔵といった。小太りで人が良さそうな顔をしている。
「おやじ、キツネそばくれ!」
狐の娘は壁に貼られた品書きも見ずに言った。
「へい、いらっしゃい!」
源蔵は愛嬌の笑みを浮かべて頭を下げた。彼は背後を振り返り、煮炊き場の大釜でそば茹でを担当する妻に「キツネ一丁!」と威勢よく伝えた。
「あいよ!」
源蔵の妻も元気に応じ、作り置きしておいた蕎麦麺を茹でる。
しばらくして、煮炊き場の熱気が伝わる配膳の長板越しに、源蔵がどんぶりを差し出した。
「キツネそば、お待ちい!」
「おお、旨そうなじゃねえか」
狐の娘は大事にどんぶりを受け取り、源蔵に小銭を渡すと配膳棚からちょうど真向かいにある長机の席へ向かった。机の上にどんぶりを置いて、どっかりと床几に腰掛ける。
狐の娘は卓上に置かれた陶器の箸入れから割りばしを取り出し、満面の笑みで蕎麦をすすり始めた。
一方、表の通りではこの店を目指す集団があった。
奴らは猪笹が率いる猪笹一家。南街を支配する伊佐々王組の傘下にあるごろつきの集団だ。
伊佐々王組に隠れて、気の弱い店主たちからみかじめ料を二重に取って私腹を肥やしている外道である。源蔵もその被害者の一人だ。
親分の猪笹はイノシシ頭の妖人。
身長は2メートル。
力士のように全身が強靭な筋肉に覆われた巨漢である。首が太く、腕や足も女の腰ぐらいの太さがあった。着流しを着ているが上半身を乱暴にはだけたまま。ほぼ上裸の姿で巨大な鉄の棍棒を担ぎ、地響きと共に大通りを歩いていた。取り巻きの手下を二十人従えていた。多くは狼やイタチの特徴を持った妖人の混成部隊だ。それぞれ匕首や長いドス(鍔のない刀)などの武器で武装している。鋭い眼光に粗暴な態度、いずれも社会のはみ出し者。ろくでもない連中だ。
「猪笹一家のお通りだ!」
「お前ら、文句があるのか!?」
手下の数人がでかい声で喚いたり、通行人に険しい表情で睨みつけながら歩いていた。
通行人は恐怖におののいて道の端に避けていった。
やがて、ごろつき集団が猫八の前に到着した。
猪笹は店の軒先に佇んだまま、手下どもに目配せをして店内へ乱入させた。
猪笹一家の手下十名が“蕎麦屋 猫八”に入ってきた。
「源蔵っっ!」
「みかじめ料をもらいに来たぜ。払えねえとは言わせねえよ」
「そ、そんな…先週にお支払いしたばかりです」
「あん?俺らが間違っていると言いてえのか!?」
チンピラの一名が配膳棚に乗り上げて源蔵の胸ぐらを掴んで恫喝し、他の九名は手当たり次第に店内をめちゃくちゃに荒らし始めた。長机をひっくり返し、床几を壁に投げつけるなどの狼藉におよんだ。それを恐れたわずかな客たちは店の外に逃げていった。
ちょうどその時、狐の娘はそばを平らげ、汁をたっぷり吸い込んだお揚げに箸をつけようとしたところだった。
狐の娘がお揚げを口に運ぼうとした瞬間、店内で暴れていたチンピラの一人が
彼女の長机をひっくり返した。その衝撃で娘の手元からどんぶりが吹き飛び、客間の地面に勢いよく落下した。
パリン!
乾いた音共にどんぶりが割れて破片が飛び散り、こぼれた汁が地面の土に吸い込まれていった。娘の大好物のお揚げも泥で汚れて台無しだ。
狐の娘の顔から一気に血の気が引いていった。絶望に青ざめた顔──だが、それも一瞬のこと。すぐに彼女の顔は怒りで紅潮した。眼が血走った瞬間、衝動的に立ち上がってそのチンピラの顔面に拳を叩き込んで叫んだ。
「なにしやがんだ、くそ野郎っっっ!」
「うげっっ…」
娘に殴られたチンピラが勢いよく店の外へと吹き飛ばされた。ごろつき仲間の九人は狐の娘に気付き、プライドを傷つけられたとばかりに激昂した。
「野郎ども!こんな小娘にやられたとなりゃ、猪笹一家の恥だぜ」
「袋叩きにして手籠めにしてやるわ!」
チンピラどもは娘の周囲を取り囲んだ。
「やってみな!やれるもんなら」と彼女は不敵に嗤った。
「しゃらくせえ!」
チンピラどもは狐の娘の四方から一斉に襲いかかった。だが、彼らは大した攻撃もできぬまま彼女に殴られ、蹴り飛ばされていった。ごろつき集団は相手の予想以上の強さに気圧されて店の外へ駆け出していった。
「ゲス野郎ども、待ちやがれっ!」
狐の娘はごろつき集団を追いかけて出入り口へ向かう。
「おやじ、店を荒らしちまってわりいなあ。後で弁償するから待っててくれ」
彼女は配膳棚を横切るついでに源蔵に声をかけると、そのまま表の通りに出て行った。
時刻は夕方にさしかかっている。
茜色の西日が大通りを照らす中、狐の娘と猪笹一家は対峙していた。殺気立った様相に恐れをなした付近の店主や住民たちは家の中に引きこもり、大通りは人気のない静寂に包まれていた。
一度は娘に気圧されたはずのごろつき集団も親分がいることで威勢を取り戻したようだ。
巨岩のようにそびえ立つ猪笹は突き出た腹を搔きながら野太い声で笑った。
「狐の小娘がそばを台無しにされて泣きべそかいたようだな?」
チンピラどもも下卑た笑みを浮かべて同調するようにゲラゲラ笑い出す。
しばらく笑った後、猪笹は急に真顔に戻って思わぬことを言ってきた。
「おめえ、ずいぶんと腕がたつようだな。なにもんだい?」
「俺は風華一閃流の赤桐椿。駆け出しのモノノフだ」
「ほう。モノノフか。ならうちの伊佐々王組に雇われてみねえ?」
「ふん、お断りだね。あんたらみたいに顔もブサイクなゲス野郎は嫌いだ!」
「そりゃあ残念だ。だが、このまま見逃すわけにもいかねえ。やくざってのはメンツが大事でね。野良のモノノフにしまをうろつかれんのは迷惑ってもんよ」
猪笹は殺気立った顔になり、怒声をあげるようにでかい声で手下に命令を出す。
「てめえらこいつを八つ裂きにしちまえっ!」
「おおおおおおおおお!!」
親分の猪笹から命令を受けたごろつき集団が武器を取り出して雄叫びを上げた。手始めに10人のチンピラたちが統制もなく、バラバラな動きで椿をめがけて駆け出した。
最初に襲ってきたのはイタチの耳と尻尾を持った妖人のチンピラ二人組だった。
3メートルという間合いから駆け出して急接近してきた。椿と肉薄した瞬間、二人は手にしていた長ドスを一斉に彼女に振り下ろす。
「もらったぜ!」
「大手柄あ!」
──びゃう
彼らの刃が椿に届く瞬間、一陣の風が吹き抜けていった。風が去った後、チンピラ二人組は手先に違和感を覚え、両手首に視線を移してみる。
と、左右の手首から先が消失していた。綺麗に切断された断面から赤い血が噴水のようにドバドバと噴き出していた。
「ああああああああああああ!!」
「ひいいいいいいいいいいい!」
チンピラ二人組は戦意を喪失して膝から崩れ落ち、わけもわからず悲鳴を上げ続けた。
椿は返り血で打掛を濡らしながらも動揺せず、自前の都々逸を口ずさみながら敵を迎え撃つ。
「屍積み上げ、三千世界」
今度は狼や犬型妖人のチンピラ四人組が椿の周囲を取り囲んだ。
「閻魔ぶった斬り、地獄旅」
椿は腰の太刀の柄を握りしめ、静かに鯉口を切って腰を低く落とした。
チンピラ四人は手斧や匕首などそれぞれ得意の武器を持っており、奇声を発しながら一斉に襲いかかった。
「風華一閃、命を散らし」
椿は瞬速で抜刀し、二回転しながら薙ぎ払った。
──びゅう、びゅう
鞘から放たれた銀光が円環を描き、中心から外周へと凄まじい放射状の疾風が吹き抜ける。
「あっ……?」
わずかな風圧に煽られたと思った次の瞬間、チンピラ五人の体が腰から二つに両断され、多量の血しぶきと腹の臓物をぶちまけながら地面に崩れ落ちる。
濃密な血の臭気が空気に溶け込んでいった。
辺り一帯は血の海と化していた。
すでに彼らは大量の出血によるショックで即死している。
──風華一閃流・初伝【草薙】
抜刀と同時に二回転の薙ぎ払いによって遠心状に烈風を引き起こし、周りにいる敵を斬り倒す剣技。おもに敵に四方を取り囲まれた時など、多勢の敵との戦闘を想定して編み出された技術である。
椿は血刀を薙ぎ払って雫を落とし、納刀しないまま、生温かい屍と血だまりを踏み越えて歩き出した。
椿が目指す先は生き残った十名のチンピラを率いる親分の猪笹がいるところだ。
「赤く染めゆく、この血潮!」
都々逸の最後の句を口ずさみながらへゆっくりと近づいてゆく。
行く手を阻もうとチンピラどもがやけっぱちで襲ってきた。恐怖と混乱によって統制を完全に失っており、無作為に彼女の間合いへ飛び込んでいく。
椿は烈風を纏う突きによって喉を刺し貫く技【一輪刺し】によって一人ずつ仕留めていった。
ついにごろつき集団は壊滅し、残りは親分の猪笹だけとなった。
椿は猪笹がいる地点までわずか1メートルという間合いで立ち止まり、切先を相手に向けて突き出した。
「おい、てめえ。そばの恨み、晴らさせてもらうぜ!」
「ほう、やるねえ。そいつは神器か?」
「ああ。冥途の土産に教えてやる。この太刀の銘は鎌鼬。風の低級精霊を封じ込めてある神器だ。風の刃をまとった凶器よ」
「モノノフというのは本当らしい。だが、ここで引き下がれば組長に合わす顔がねえな。さあ、お嬢ちゃん。さっさと決着をつけようぜ」
「望むところだ」
両者は静かに睨みあった。
しばしの静寂の後、最初に動き出したのは猪笹だった。その巨躯からは想像もできない速さで跳躍し、椿の眼前で落下すると同時に鉄の棍棒を振り落とした。土埃を巻き上げたが、椿はとっさに後方へ飛び退って回避した。
猪笹は舌打ちをした後、今度は猛牛の如き勢いで突進を仕掛けてきた。彼女との間合いを一気に詰めて鉄の棍棒を横に薙ぎ払った。が、椿は納刀後に地面を蹴って跳躍することで攻撃を躱し、空中で宙返りして猪笹の後方に着地した。
椿は着地するなり相手の方向に体の向きを反転させて抜刀し、そのまま下段の構えを取った。彼女が下段に構えた瞬間、その刀身全体が空気と同化したように見えなくなった。
椿は肉眼で目視できなくなった刀を左斜め下から、右斜め上に向かって斬り上げる。その瞬間、凄まじい爆発的な威力を内包した疾風が生じ、ちょうどこちらに振り向いたばかりの猪笹に向かって轟音とともに吹き抜けていった。
烈風が猪笹の肉体にぶつかった瞬間、耳をつんざくほどの爆発音がした。
──ズバァァーン!
その直後、猪笹の全身に無数の裂傷が開いた。顔面、首、胸板、腹部、背部、四肢と広範囲にわたって小さな傷口から一斉に血しぶきが噴き出していった。
──風華一閃流。秘伝【千刃烈風斬】
これは風の低級精霊の大群を刀身に纏い、その刀を振るうことで強力なつむじ風を敵にぶつける秘剣だ。この技を受けた者は全身の肉を切り刻まれて絶命する。
「ぬおおおおおおおおおおおお!!」
猪笹は悲鳴をあげて鉄の棍棒を手元から落とした。そして、血煙をまき散らしながら仰向けで地面に倒れ込んだ。土埃が舞い上がり、地響きが轟いた。
猪笹は最後に凄まじい出血をしたのちに絶命した。
椿は元の状態に戻った刀身を鞘に納め、猪笹の亡骸に手を合わせて合掌する。
「成仏しな。次に生まれる時はまっとうに生きることだ」
椿はそう呟くと猪笹の懐からパンパンに膨れ上がった銭袋を奪い取った。
椿と猪笹一家の戦いが始まった直後、荒れた店内で源蔵は妻と身を寄せ合いながら恐怖に身を震わせていた。
それからしばらくして表で重たい何かが落ちたような轟音が聴こえてくる。何事かと思っていると、椿が暖簾をくぐって店内に戻ってきた。
「おやじ、待たせちまって悪いなあ。これで勘弁してくれ」と椿は微笑み、膨れ上がった銭袋を源蔵にくれてやった。
源蔵は恐縮そうに銭袋を受け取る。
「モノノフ様。こんなに頂いてよろしいので?」
「いいってことよ。奴らが人から奪った金さ。気にするな。そんなことより次に来た時キツネそばを奢ってくれよな」
先ほどまで血生臭い鉄火場を立ち回っていた人物とは思えぬほど、椿の表情は年若い娘らしいあどけないものだった。
源蔵の表情もほころんできた。
「滅相もございません。うちの安い蕎麦でよければ、いつでも奢らせて頂きます」
「そいつは嬉しいね。じゃあ、またな!」
椿は颯爽と暖簾をくぐって外に出て行った。彼女が店の軒先から歩き出そうとした時、源蔵の妻が追いかけてきた。
「おや、なんか用かい?」
「大したお礼もできませんがこれを」
源蔵の妻は笹の包みを椿に手渡した。
椿は匂いを嗅いですぐにその中身がわかった。
「これはいなり寿司だなあ?」と椿は喜色を浮かべた。
「ええ。喜んでいただけて良かったです」
「有難く食べさせてもらうぜ」
椿は源蔵の妻に礼を言った後、蕎麦屋を背にして歩き出した。
空は夕焼けに染まっていた。
いつの間にか大通りは活気を取り戻していた。
四つの組が覇権を競い合っている妖人街において刃傷沙汰は珍しいことではないが、椿が斬った相手は南街の支配者・伊佐々王組傘下のごろつき集団だった。この斬り合いは自然と街中に広まっていくことだろう。
これが椿にとって良い意味でも悪い意味でも波乱の幕開けとなる。
果たして椿を待つものはいかに!?
次回に乞うご期待!




