第十二話 奈落の労働者たち
巨大レンガ倉庫の昇降台が落下する数刻前のこと。
地下搬送施設では上階から昇降台で降ろされてくる兵器羅刹の積み荷を受け入れるための準備作業に追われていた。
西街の地下には人工的な大空洞が広がっており、東街とはトンネルで繋がっている。
これまで陰摩羅鬼組は同盟者である東街の天狐組と取引を行ってきた。
目的は多くの資産を保有する天狐組から代価として小判や銀銭を獲得することであったが、陰摩羅鬼は他にも盟約を結んでいる。
それは天狐組が妖人街を支配した際に全街区から得られる収益のうち約七割を独占できるというものだった。
すでに幽世の国々との貿易で莫大な利益を得ていながらもさらに富を求めるのだから彼の欲望は底が知れない。
その準備として秘密裏に地下トンネルを南や北にも繋げようと掘削作業を始めていた。海外との交易や西街への物資供給だけでも手いっぱいだったにも関わらず、平然と地下の掘削作業まで開始できたのは多くの働き手を持っていたからである。
しかし、その労働力は非合法な手段で獲得していた。
借金返済できない債務者もいたが、そのほとんどは他の街区から拉致してきた獣系妖人だった。
彼らを地下に集めて強制労働させ、奴隷と同じような扱いをしてきた。
陰摩羅鬼は己を頂点とした鳥妖人を支配階級に置き、他の妖人を労働力として酷使するという厳しい身分制を敷いていた。
この日は鳥妖人の現場監督官が昇降台付近で獣系妖人を怒鳴り散らし、兵器羅刹の積み荷受け入れの作業を指揮していた。
監督官が喉の渇きを満たそうと水筒に触れた瞬間、突如として昇降台の鉄板が轟音と一緒に落下した。
監督官は昇降台の下敷きになって即死。
労働者たちが落下地点に集まってきた。
現場にやって来た彼らはさらに驚くことになる。
何故なら昇降台のひしゃげた鉄板の傍らには、赤い狐耳の小娘が無傷の状態で転がっていたからだ。
落下現場に集まった労働者たちの中に親切な狼耳の妖人親子がいた。
筋肉質で体格がいい父・源次郎、年齢よりも背が小さい十二歳の息子・宗太である。
親子は普段から他人の世話を焼いており、困っている者を放ってはおけない性分らしい。無傷ながらも意識を失っていた椿に気づき、彼女を自分たちの家に運んで介抱した。
翌朝、椿は目覚めた。
────俺は奈落に落ちたはずだが?
普通なら死んでもおかしくない高さだ。だが、体のどこにも痛みはない。おそらくは無意識に愛刀である神器【鎌鼬】の結界を発動させたのだろう。
────なら、ここは一体?
見覚えのない薄汚れた天井。
埃の臭いと澱んだ空気。
彼女が布団から起き上がると、これまた見たことのない少年が目の前に座っていた。ボロボロのみすぼらしい褐色の丈が短い着物を着ている。
少年は心配そうにこちらを窺っていた。
「ここは?」
椿は枕元に置いてあった愛刀の太刀を手元に引き寄せ、警戒しながら少年に声をかけた。
少年は屈託のない笑顔で微笑む。
「お姉ちゃん目覚めたんだね!良かったあ。なかなか目覚めないから心配してたんだ。オイラは宗太。ここはオイラと父さんの家だよ!」
「お前たちが運んでくれたのか?」
「うん。お姉ちゃんを運んだのは父さんだけどね」
少年は事の経緯を説明した。
「なるほど。ここは地下労働区なんだな。ひとまず礼を言わなきゃな。ありがとな」
椿は警戒を緩めて微笑んだ。
「気にしないで。オイラたちが好きで勝手にやったことだし」
「お前の父ちゃんにも礼を言いたい」
「残念だけど父さんは留守だよ。地下労働区にいる他の班長たちと話し合いに行ったんだ」
「話し合い?」
「うん。何しろ貴族の現場監督官が死んだからね」
宗太は陰摩羅鬼率いる貴族の支配体制と、拉致された末に強制労働させられている事実を話した。
「そいつは酷いな。だが、安心しろ。貴族の首魁は倒した」
「えええー!ホント?お姉ちゃんすごいね」
「まあ、死に際の奴に落とされたんだがな」
「それならオイラたちは自由になれるね。だけどこのことは言わない方が良い。まだ数名の鳥妖人の警備兵が残っているんだ。たぶん上階では混乱が起きてるから奴らも状況を把握できてない。明日にでもお姉ちゃんを脱出させるから」
「だけど、お前たちを危険に巻き込んじまう」
「知った以上は放っておけないよ。父さんも反対しないと思う」
椿が申し訳なさそうな顔をした刹那、腹の虫が鳴った。
彼女は赤面して気まずそうに耳をピクピクさせた。
宗太はそれを聴いてクスクスと笑った。
「お腹が空いてたんだね。良いよ。供給所の炊き出しに連れていってあげる」
「配給所?」
「うん。ここから近いんだ。あっ、その前にこれを着て」
宗太は椿に自分と同じ服を勧めた。
「これを着るのか?」
「うん。お姉ちゃんは目立ちすぎるからさ。あと刀も置いていった方が良いよ。オイラたち労働者は武器になる者は取り上げられてるからね」
「わかった。そうしよう」
「じゃあ、案内するね」
椿は襤褸の服に着替えた後、宗太の案内で小屋の外に出た。
外は宗太の家と同じような掘っ立て小屋が何十件も密集し、小規模な集落を形成していた。小屋同士は人が一人通れる程度の幅しかない。
地下には地下水路が張り巡らされていた。水路に沿って同じような集落が点在している。集落の付近には水路だけでなく搬送路が通っており、それが居住区域から遠く離れた昇降台や東のトンネルに連結されている。
路傍には鬼火の青い灯火を宿した洋風の外灯が等間隔に立てられていた。
しかし、岩壁が剝き出しの天井まで灯りは届かず、濃密な闇に包まれていた。
幾つかの集落を通り過ぎた後、前方に広場が見えてきた。
広場と言っても地面は舗装されておらず、湿気でぬかるんだ地面のいたるところに白く発光するキノコが群生していた。
広場には古ぼけた仏教寺院が建っていた。こじんまりとした建物ではあるが精細な彫刻が施されている。
寺の山門を抜けた庭先では、僧侶たちが巨大な鉄鍋を使って雑炊や野菜汁の煮炊きをしていた。
その食事の配給を求めにきた労働者たちが静かに列を作っている。
やがて、順番が回ってきた椿と宗太も僧侶たちから雑炊と野菜汁を受け取り、本堂の縁側に座って食べることにした。
椿はよほど腹が減っていたようで勢いよく茶碗の雑炊をかきこんだ。
宗太はその様子を目の当たりにして圧倒されていた。
「お姉ちゃん、凄い食べっぷりだね」
「腹が減ってな。それにしてもどうしてこんなに手厚いんだ?陰摩羅鬼の貴族共は強制労働させてる連中だろうに」
「ああ、このお寺の炊き出しの費用を出してるのは貴族じゃないよ」
「貴族じゃないなら誰が?」
「オイラも詳しくは知らないんだけど、白い狐の女の人らしいよ。確か名前は……牡丹様とか言ったかな」
「なっ、何だと!?」
椿の心に衝撃が走る。
彼女は予想もしなかった人物の名前に驚愕した。驚くと同時に腹の底から煮えたぎるものがせりあがってくるものがあった。
それは怒りや憎悪だけではなく、戸惑いの感情が強く混ざっている。
己の正義のためにチンピラの近親者というだけで女子供を殺したあの姉が!?
己の覇道のために親愛なる師匠を斬ったあの姉が!?
────他人を助けるだと!
椿の表情は自然と険しくなる。
「お姉ちゃん、そんな怖い顔してどうしたの?」
「いや、何でもない……話を続けてくれ」
「わかった。で、その牡丹さまは何年か前、敵に追われていたところをここに住んでる人たちに匿われていたらしいよ。それ以来、寺院に多額の寄付をしてくれるようになったみたいなんだ」
「恩返しということか?」
「そうだね。おかげで食事だけじゃなく、薬ももらえるようになったんだって父さんが言ってた」
「そうか」
椿は自分が知らない姉の一面に困惑を隠せなかった。
食後、椿は宗太の案内で付近を散策しながら小屋に戻った。
その日の夜、宗太の父親・源次郎が帰宅した。
源次郎は帰り際に寺で配給された握り飯の包みを三人分、大事そうに抱えながら足で玄関の戸を開けて入ってきた。
「宗太、帰ったぞ。食べ物をもらってきた」
「おかえりなさい。父さん、お姉ちゃんが元気になったよ」
宗太は握り飯の包みを受け取り、一日にあった出来事や椿の事情を話した。
「そうか。良かったなあ。お嬢ちゃんも今晩はゆっくり休んでくれ」
「あんた達のお陰で助かったよ。礼を言うぜ」
宗太の近くで座っていた椿は立ち上がり、源次郎に軽く頭を下げた。
「いいってことよ。お嬢ちゃんもいろいろ大変だったみてえだな……でも、安心してくれ。明日、あんたを必ずここから脱出させてやる」
「でも、どうやって?警備兵が残っていると聞いたぜ」
「実は俺たち労働者で奴らに蜂起するつもりだ。数ならこっちの方が多いからな。お嬢ちゃんはその混乱に乗じて逃げてくれればいい。途中まで宗太に案内させるからよ」
源次郎は腕の力こぶを見せて得意げに笑った。
「だが、武器は?」
「それは心配いらねえ。みんなつるはしを隠し持っている」
「大したもんだな」
椿は腕を組みながら労働者たちの逞しさに感心した。
「いつまでもこんなジメジメした場所にいつまでもいたくねえからな。今はしっかり飯を食って寝ちまおうぜ」
三人は質素な夕飯を食べた後、すぐに就寝した。
翌早朝。
源次郎は小屋を出た後、広場に集結した他の労働者たちと合流。
数刻後、労働者たちが昇降台付近の警備兵屯所を襲撃。労働者と警備兵による抗争が勃発した。
この混乱に乗じて椿は宗太の先導で脱出行を開始した。
源次郎から聞いた話では、寺院の後方を流れる水路を辿って歩いた先に出口────排水トンネルから地下水が海に流れ落ちる終着点に出られるらしい。
二人は入り組んだ水路を下流に向かって歩き続けた。先を歩く宗太は松明を片手に持ち、水路に沿って敷設されている通路を歩いていく。
やがて、遥か数メートル先の闇に白い光が点として見えた。地下水路の出口が間近であるらしい。
前方から吹き付ける風に潮の香りが混じっていた。
強い湿気が肌に張り付いてくる。
「お姉ちゃん。ここからまっすぐ行けば海岸に出られるよ」
「わかった。ありがとよ。後は俺だけで大丈夫だ。父ちゃんによろしくな」
「お姉ちゃんも元気でね」
「達者でな」
椿は宗太の頭を笑顔で撫でた後、別れを告げて出口に向かって歩き出した。




