帰郷
「詩織さん、この前のパッチ適用ってどうなの?」
「あ、すみません、まだ適用できてません」
時計は二十二時を回っていた。
他にもたくさんの社員が作業しており、どの席からもキーボードを弾く音が聞こえてくる。
「ちょっと詩織さん、何回目なの? お客さん、カンカンだよ?」
「至急で調整します。でも先輩、これピンポイントで二十一時から作業指定されてて、他にアタシ六件抱えてるんですよ? 酷くないですか?」
「泣き言は言わない。すぐに調整しなさい」
「わかりました…」
私の名前は浜崎詩織。三十二歳。
ブラック気味のこの会社で、こき使われているITエンジニア。
うちの営業は何でもやります!
顧客はなる早でよろしく!
って、簡単に言うけどね!
その皺寄せは、アタシらエンジニアにぜーんぶ回ってきまーす。
本当に憂鬱だわ。
でね、聞いてよ!
いつもさ、毎年毎年、お盆も年末年始も、システム対応だ、なんだと休みの日しかできない仕事ってのがあるの。
土日も普通にそういうのばっかだしね。
あー、そうそう、この前さ私の叔母さん亡くなってね。
なのに、アタシ夜勤入ってて、出席できなかった。
親の葬儀じゃないだろ?
ですって、これヤバくない?
あー、休みの話しね。うん、夏休みとか年末年始は、ずらしてちょこっと取る、それが普通なの。
でもね!
今年の夏休みは、ぜーんぜんっ予定無いの!
だから、今年の夏は久しぶり同窓会と、叔母さんの初盆で田舎に帰るつもり。
叔母さん…大好きだったのよ。
あれ?
アタシ、叔母さんの何が大好きなんだろ?
「詩織さん、ねえ、聞いてる?」
「すみません、先輩考え事してて、どうしました?」
今日も終電なのかなぁ…
毎日同じような事を繰り返し、帰って寝る為の往復で日々が過ぎる。
そして、多忙な日々があっという間に過ぎ去った。
── 夏休み
飛行機の小さな窓から外を眺める。
まもなく、富士山が見えるとアナウンスが入る。
天気も良く、日差しがジリジリと肌を刺す。
富士山には興味ないもんね。
シェードを下げ、イヤホンを耳に押し込む詩織。
こいう時は寝るに限る!
あと一時間は寝れるっしょ。
こっちはね、鍛えられ方がちがうのよ。
どんな時も、数分で眠れるんだからね!
数分もすると、本当に寝息を立て始める詩織だった。
── いつかの夢
微かに漂うカビの臭い。
遠くから微かに音もする。なんだろう?
── ピチャ
音が絡みついて離れない。
誰かの頸が見える。
襖が音も無く閉じる。
そして…
── ビクッ
飛び起きる詩織。
額や鼻の頭など、玉の汗が浮いていた。
え、なに?
今のは?
やだ、頭ぼーっとするよ。
『当機はまもなく長崎空港へ到着します…』
あ、もう着くわ。
イヤホンを取ると、ぐるぐる巻き取ってポシェット入れる。
シートベルトをして、着陸に備えた。
詩織は離着陸が苦手だった。着陸の衝撃に備える。
── 無事到着
手荷物の流れるベルトコンベアを見ながら、これから先の事をぼんやり考える。
長崎空港は、長崎市ではなく大村市の海上にあるのだ。
長崎の中心と言えるかもしれないが、県庁所在地までは少し遠い立地だ。
実家までの道のりを考えると、かなりウンザリした。
長崎市内までは、高速バスで三十分ほどかかる。
市内でローカルのバスに乗り継いで、さらに四十分ほどかかるが、バスは一時間に二、三本しか走っていない。
実家の住所は長崎市であるが、海沿いの小さな町だった。
さらにその町の中でも、一軒だけ山の上の方にあった。
無意識的に流れてきたキャスターバッグを取り、ガラガラと出口へ向かう。
「詩織ちゃんやなかね?」
「…?」
誰だろう?
禿げかけた頭部、でっぷりと出た腹。
「あの、どちら様で…」
「ごめんごめん、もう十年たいね。おいもこげんなってしもうて。正志たいね」
そう言うと、頭と腹を指して笑う。
「え、正志叔父さん? 全然わからんかった」
「はははは、そうたいね。だいぶ肥えたもんね」
詩織も思わず方言がでたが、正志の変わりように驚いたからだ。
詩織が上京するときは、まだスリムだったし、髪もあった。
詩織から見ても、イケオジに見えたものだ。叔母さんも綺麗だったから、お似合いだったのに。
「迎えに来たとよ。軽トラで悪かばってん」
正志は詩織からキャスターバッグを受け取ると、駐車場へと向かった。
「叔父さん、叔母さんの葬儀出られなくて、本当にごめんなさい」
軽トラに乗り込むと、詩織は頭を下げる。
「仕事忙しかとやろ? 仕方なかたい」
あれ?
一瞬だったけど、物凄い顔しなかった?
だが、そのあとは今まで知っている正志そのもので、違和感は消えていった。
市内から海沿いの道へ抜け、クネクネした細い道路がずっと続いている。
助手席側の海がキラキラと乱反射していて、一気に懐かしさが込み上げてくる。
好きでは無かったけれど、やはり懐かしくはあるのだ。
道沿いに見覚えある神社が見えてきた。
と言う事は、もう少しで実家の町に着く。
町に入り軽トラが山道を登っていく。
竹藪が鬱蒼としており、どんどん暗さを増していく。
本当に変わらないな、詩織はため息を吐く。
この圧迫感のある暗さも、実家を好きになれない理由の一つだ。
やがて、平屋の大きな屋敷が見えてくる。
かなり古い建物だ。
はあ、変わらないなぁ。
どんよりして不気味すぎでしょ?
竹藪もやば過ぎだし、お化け屋敷みたいに暗い。
まだ昼過ぎだよ?
家の前で軽トラを降りる。
「詩織ちゃん、軽トラ置いてくるけん」
そういうと、正志は軽トラを裏の駐車スペースに軽トラを回す。
玄関をガラガラと開ける。
「ただいま…」
シーンとして、何の反応もない。
あ、実家の匂いだ。何とも例えようのない臭い。
よく、おばあちゃん家の匂いなんて、そんな表現あるけど、それは良い意味なんだろうけど。
実家の匂いって、ちょっと良い匂いではないんだよね。
そして、微かに漂うカビの臭い。
「詩織ね?」
ようやく、スタスタとスリッパの音を響かせて、母美江が走ってくる。
「もう、あんた連絡もせんでから、帰ってもこんし、皆んな心配しとったとよ?」
「ごめん、ほんと仕事忙しかったとよ」
本当に、仕事が忙しかったのだが、果たしてそれだけなんだろか?
詩織はぼんやりと考えていた。
「ゆっくりできるとやろ? あんたの部屋はそのまんましとるけんね、ゆっくりせんね」
「ありがとう」
竹藪のせいもあり家の中は、明るいとは言えず、昼間でも電気をつけないと暗かった。
代々農家の家なので、畑の近くがいいからここに家があるだろうが、こんな立地に何故家を建てたのだろう?
まあ、いいや。
部屋に荷物置いて、ちょっとのんびりしたいわ。
部屋の襖を開ける。
確かに、何も変わってなかった。
布団だけ新しい物を出してくれているが、アイドルのポスターやぬいぐるみ、安物のアクセサリーなど、思わず懐かしいと手に取ってしまう。
ベッドに腰掛け、スマホを見ると、同窓会の連絡がグループチャットに来ていた。
今日実家に到着したので、明後日参加すると返信をしておいた。
そのままゴロリとベッドに横になる。
しばらく、SNSなどダラダラ見ていたが、いつのまにか眠ってしまっていた。
── いつかの夢
猫がいる。
近所の山の中にいる野良猫だ。
黒と白のハチワレ猫だ。
母・美江が猫嫌いなので、連れて帰れない。
だから、詩織はここで猫に餌をあげたり、遊んだりしていた。
── ニィギャャャ
何があったのか?
尋常ではない鳴き声がする。
それ以来、その野良猫は見なくなった。
── 襖の隙間から何か聞こえる
鼻歌だろうか?
── フゥ、フ…フゥ…
少し疲れた感じだが、何か嬉しそうな鼻歌。
所々かすれて、間が飛び飛びのハミング。
何の歌なのだろう?
── フゥフン!
── ピチャ、ブシャ
なんだろう、不安で落ち着かない。
そして、いきなり力んだような鼻歌。
その後に続くのは…
ヤダヤダヤダヤダヤダ、じっとしていられない。
ヤメテヤメテヤメテ、何をやめさせるの?
『あら、詩織ちゃん…』
── ビクッ
荒い息をして、詩織が跳ね起きる。
「大丈夫ね?」
見当識障害という物?
なんだか昔、ドラマだか、映画だか覚えた言葉。
ここはどこで、何をしてたのか?
ただ、やめて欲しいって、その思いが…
「んー、なんか覚えて無いけど、怖い夢なのかな…」
ヤダ、お母さん、なんでそんな目で見るの?
なんだろう、美江が無表情で見ている。
「…こ…」
「お母さん、なに?」
何か囁いてた?
何を言ってるか聞こえなかったが…
「晩御飯できたけん、食べるやろ?」
そして、何事も無かったように、美江が聞いてくる。
「え、そんなに寝とったかな?」
慌ててスマホを見ると、三時間近く寝ていたらしい。
「やだ、こんな時間…」
「冷めんうちに、食べにきて」
本当に、なんだったんだろう?
美江も普通に戻っている。
スッキリはしないが、少し疲れているんだろう、詩織は自分に言い聞かせ、食卓へ向かった。
リビングへ向かう途中だった。
あ、この襖って… なんの部屋だっけ?
思い出せない。
さっき夢に出てきたような、多分ここなのだ、その確信以外は何も思い出せない。
ついさっき見た夢なのに、記憶が曖昧になっていた。
その襖に手を伸ばし、そっと開けようと…
── トン
その時、詩織の肩を何かが掴む。
── ひぃ
思わず詩織が飛び上がる。
「あー、ごめんたいね、どうしたとね?」
「叔父さん、びっくりした」
正志がちょうど後ろから来ていたらしい。
なんだろう、叔父さん笑ってるのに、目が笑ってない気がする。
「皆んな来とるけん、久しぶりに、飲みながらでも話そうって。早う行こう」
襖の中が気になったが、正志に押されるように食卓へと向かった。
ほんの少しだけ空いていた襖が、すっと閉じた。




