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メイドニーナの受難

(……このままだと私、死ぬ。頭がおかしくなって死んじゃう……)


 と、わけの分からない事を思っているニーナ。

 一変したと思っていた彼女の生活はより一変する事になっていた。

 アルフレッドからヴィクトリア専属として任命されたニーナはその日の夜、着替えや私物を持ってヴィクトリアの部屋に赴いた。

 四六時中、我儘に振り回される事になるニーナだが、それだけだと、疲れた。ただそれだけなのだが、ヴィクトリアとニーナの性格と距離感、これがニーナを悩ませる。

 まずニーナはヴィクトリアの部屋に自分のベッドを置かして欲しいと嘆願。それを部屋が狭くなるからと言う理由で切り捨てたヴィクトリア。ベッドを置いてたところで十分広いと訴えたが主人の言う事が聞けないのかと凄まれ撃沈。

 椅子で寝ようとしたが、ヴィクトリアの手によりベッドに連行され同衾となる。

 運ばれてきた食事を配膳していたところ、椅子に座れと命じられ同じ食事をする事に。平民出身のニーナに最低限以上のマナーなど無いため美しい所作で食べるヴィクトリアの見様見真似で食事をする事になる。味がしなかったそうである。

 何より、風呂がニーナの心労を加速させていた。

 男性が恋愛対象のニーナであったとしてもヴィクトリアの美しさには喉が鳴る。

 過度なお触り厳禁と自分を律し、最高級の絹の様な指通りの髪を染み一つない体を洗っていくことがニーナにとってはなりより辛かった。

 その後、主人から頭を洗ってもらうがそれがとても心地よいニーナだった。


(心なしか、最近いい匂いするんだよね……なんて言うんだろう、場違いな高貴な香りが私からする)


 主人と同じ生活をしていたらそうなるかと一人納得したニーナは目の前の珍事にため息をこぼした。

 大量のドレスの山に埋もれたヴィクトリアである。


「はぁ……お嬢様、ドレスとご自身の境目が分からないですよ」


 ため息を隠すこともしない。その程度ヴィクトリアは何とも思っていないことをニーナは知っている。


(……本当、この人は分かりやすい。……っていうか、自分以外の生き物に興味がなさすぎるんだわ)


 ニーナが見るにヴィクトリアは人に興味がない。父親である公爵にさえ、まるで道端の石ころのような冷たい視線を送る。

 愛を囁く貴公子たちの手紙は、封を切られることさえなく、暖炉の火に焚べられる。


(そんなお嬢様が、なんで私だけ……串焼き一本で一生分のご奉仕を買い叩かれたんだとしたら、私、史上最高に安い買い物だったってこと?)


「ニーナ、貴方と覚えておきなさい。社交界とは戦場なのよ。ドレスとは騎士にとっての甲冑と同じ……つまり、ドレスでも周りを蹴散らすのですわ」


「蹴散らすのですね」


 半ば諦めのようにニーナは繰り返す。

 アルフレッドより伝えられたのはお嬢様に社交界の用意をさせるようにと。

 そして今晩、その社交界が屋敷で行われる事になっている。

 何故当日の昼に決めるのだとニーナは言いたい事を堪え、主人の服選びに付き合っていた。


(わたくしのドレスは決まっているのですが……失念していましたわ)


 ヴィクトリアとニーナの決定的なすれ違いは、ヴィクトリアは自身のドレスはとっくに決まっていること。

 そして、選んでいるのは自身の専属メイドの戦闘服を探してドレスに埋もれているということをニーナは勘違いしていた。


(ニーナはわたくしより背が低い……仕方がありません。デザインは古臭いですが、わたくしのお古を出しましょう)


 と、ドレスの山から抜け出したヴィクトリアは隣の衣装棚から1枚のドレスを抜きとった。


「ニーナ、いらっしゃいな」


「はい?分かりました」


  れるがまま、ヴィクトリアの前に引きずり出されたニーナは、手渡されたドレスの質感に思考が停止した。

ヴィクトリアに古臭いと一蹴されたそれは、王国でも指折りの職人が織り上げたという、深い海の底を思わせるシルクのドレスだった。


「お嬢様……これ、お古って問題じゃないですよ。私の家ごと買い叩いても、この袖一枚のレースにすら届かない気がするんですけど」


「そんな勘定はやめなさい。ほら、脱いで! さっさと脱いで! 貴方がわたくしの隣で不細工な装いをしていること自体、わたくしの審美眼に対する冒涜ですわ!」


 ヴィクトリアの手により、半ば剥ぎ取られるように着せ替えられていく。


「痛い! 肋骨が! コルセットが!お嬢様!」


「 黙って呼吸を止めなさいな!」


 格闘すること数十分。

 髪を編み上げ、高貴な香油を振りかけられたニーナは、ヴィクトリアによって鏡の前に無理やり立たされた。

 そこに映っていたのは、つい先日、串焼きを頬張っていた平民の少女ではなかった。


「……これ、誰……?」


「不細工ではない……それだけですわ」


 ヴィクトリアが珍しく、満足げに微笑んだ。

 場違いな高貴な香りが場違いではなくなった瞬間でもあった。


「あの、お嬢様。ありがたいのですが、でも私はメイドです。この様なドレスを着るなどと恐れ多くて……」


「何をそんな事。例えば、貴女のその容姿に惚れた貴公子から交際の申し込みがあるかもしれませんわ。メイド服だとその機会もなくなってしまいましょう?」


「アンタは何言ってるんですか!」


 あまりの物言いに、ニーナの口から敬語が霧散した。だが、ヴィクトリアはそれを咎めるどころか、コロコロと鈴を転がすように笑っているヴィクトリアと物騒な事を言わないで下さいと続けるニーナ。

 ニーナは認識していないがヴィクトリアによって変身したニーナはその辺りの令嬢よりよほど綺麗であった。


「ないですよ。仮に、仮にあったとしてもですよ?私はここを離れませんからね!まだまだ贅沢させてもらいますからね!」


「あらあら、嬉しいことを言ってくれるのね。ええ、もちろんですわ。貴女の一生、わたくが使い切ってあげますわ」


「あ、これ一生解放されないやつだ……」


 ヴィクトリアが満足げに目を細めた、その時。

 コンコン、と不自然なほど正確なリズムで、部屋の扉が叩かれた。


「失礼いたします。お嬢様、ニーナ……そろそろ、来賓の方たちが集まり始めるお時間です。それと、お嬢様、こちらを……エリック様からです」


 入ってきたのは、夜の闇をそのまま背負ってきたかのような、一分の隙もないアルフレッドだった。

 アルフレッドがヴィクトリアに差し出したのは宝石にゴテゴテした装飾が施されたブローチだった。

 受け取ったヴィクトリアは興味がなさそうに一瞥し、ニーナに差し出した。


「ニーナ、貴女にあげるわ。売ればそれなりに金になるでしょう」


 平民であれば売れば遊んで暮らせるだけの金貨に変わるであろうそれをニーナは震える手で受け取った。

 ちらりとアルフレッドに目線を送ったニーナは上司が頷く事を確認した後、部屋の隅に置いていた私物入れの中にしまい込む。


「あら、つけてもよかったのよ?」


「……お嬢様、趣味じゃありません。ですがありがとうございます。実家の仕送りに使わせていただきます」


 仕送り。というのは額が額なのだが、ニーナは自身で持て余すそれを家族に託そうとしたのだった。

 アルフレッドは一瞬、眼鏡の奥で満足げに目を細めた。


「……左様でございますね。ニーナ、お嬢様の仰る通り、それは『換金価値』以外に存在意義のない不細工な石ころです」


「さて、わたくしも着替えますわ。ああ、面倒ですわ。贅沢な晩餐じゃなくて串焼きが食べたいわ……」


 ヴィクトリアとしてはニーナを着飾る事は楽しかった。が、社交界に出席する事は面倒でしかない。

 嫉妬、強欲。誰も本音で話さない虚飾に塗れたその場が心底嫌いで仕方なかった。


(……せいぜい、ニーナの慌てふためく反応を見て楽しむことにいたしますわ)


 平民の少女ニーナが、一生解放されない贅沢な地獄の幕開けに、悲鳴を上げるまで——あと数分。

 扉の向こう側からは、破滅の足音とも知らずに、浮かれた楽団の調べが微かに聞こえ始めていた。

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