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忠犬ニーナ

 市場調査と銘打った買い食いから帰宅した2人は湯浴みと晩御飯を済ませ、ヴィクトリアの部屋へと戻った。

 とっくにメイドの就寝時間は過ぎているにも関わらず、ヴィクトリアから戻ってよしと言われていない為、自室に戻ることが出来ずにいる。

 いつもなら既に寝ている時間帯、ベッドに腰掛けた主人が目の前にいるにも関わらず部屋の椅子に座り、目を擦っている。

 そして、その向かいにはアルフレッド。

 グレーがかった白髪を後ろに流し、燕尾服を着こなすロマンスグレーな超一流執事だがこの2人から持ち込まれた案件に頭を悩ませる。


(増税ですか……いつかお嬢様から聞くことはあると思っていましたが……まさか、このタイミングとは)


 いくら超一流執事であっても自分の主であるヴィクトリアの行動を全て把握出来るわけではない。

 もう少し、ヴィクトリアが成長し、公爵領を継いだ時に聞く言葉であり、その時に一緒に頭を悩ませたらいい、若しくは先に内政に明るい人材を用意しておけばいいと考えていたアルフレッドだったが予想外のタイミングに「では、お嬢様の自室で話しましょうか」と、ヴィクトリアを自室へと押し込んだのが先ほどのこと。

 当然のようにニーナへ貴女もついてきなさいとアイコンタクトを送ることを忘れていなかった。

 ヴィクトリアが戻す事を忘れている、上司から無言の残業命令、ニーナが逃げれる余地など残っていなかった。


「アルフレッド、ニーナ、まずは先に――」


 と、ヴィクトリア。

 椅子に腰掛けたニーナとアルフレッドの視線が主人へと向く。


「まず、アルフレッド、ニーナを叱らないであげて。彼女は私に連れ回されただけですわ。それと、ニーナ、貴女なら大丈夫だとは思うけど、今日見たことは誰にも口外しないこと。いいわね?」


「畏まりました。お嬢様」


「ニーナ、よかったですね。お嬢様が味方で」


(怒ってる……!絶対怒ってるって!口外なんてしないって!吹聴なんてしたら絶対大変な目にあうのなんて明らかだし!)


 部屋の窓から入る月光を受け、輝く髪に手を通しながらヴィクトリアは本題を切り出す。


「まず、確認したいのが、わたくしが知らないだけでこの公爵家って茶葉も買えないほど貧乏なのかしら?だから、増税を?」


 そのようなことはない。

 王国内でも指折りに裕福であるし、茶葉も買えている。ただ、その茶葉に毒が混入していたこと、ニーナが持ち込んだ価格高騰の話題、ヴィクトリアのフットワークの軽さ、市場での増税の話題。この全てが奇跡的とも言えるタイミングで重なった事によるヴィクトリアの勘違いである。


(この公爵家でのお嬢様の立場が微妙な今、その様なことは無いと言うのは悪手ですね……)


 アルフレッドの認識は正しく、ヴィクトリアの今の立場は非常に微妙なものとなっている。

 何か1つでも公爵の耳に入れば修道院送りになる可能性がある今、アルフレッドとしてはヴィクトリアに目立って動いてほしくない。


「そんな事ないと思いますよ。給金の支払いも変わってないですし、誰かが居なくなったとか、調度品が無くなったとかもないです。なので、このお屋敷は……ひぅっ」


 普段のニーナであれば決して口を挟まなかったはず。

 昼間にヴィクトリアと市場で買い食いしたこと、眠気が勝ちすぎてうまく思考が巡っていないことが原因で口を滑らしてしまった。

 その結果、上司であるアルフレッドの凍てつく視線に怯えることになる。


「アルフレッド」


 短く、名前だけを呼ぶ。

 言わなくとも伝わることをヴィクトリアは確信しているからである。


「正直に申し上げますと、屋敷が貧乏という事実はございません。申し訳ございません。茶葉に関しては私共の手違いでございます……増税の件に関しては少しお待ちください。調べて参ります」


「そう……それならいいのよ。アルフレッド、わたくしは、貴方を信用しているわ」


(珍しいですわ。アルフレッドが手違いなんて……叱責するようなことでもありませんわ。その手違いのお陰で串焼きとやらを知れたので)


 その言葉は、冷え切った夜の空気に、温かな光を灯すようだった。

 アルフレッドは一瞬、その双眸を微かに揺らしたが、すぐにいつもの鉄面皮へと戻る。


「……畏まりました。その御心、このアルフレッド、残念な結果で汚すことは決していたしません」


「ええ。任せましたわ。アルフレッド、今すぐ金貨を1枚……いいえ2枚用意していただけるかしら?」


「畏まりました。少々お待ちください」


 そう言い残し、席を立ち部屋から出るアルフレッド。

 アルフレッドはヴィクトリアに理由を聞かない。聞く必要などないと考えている。

 大切な主人の我儘には最大限応えることこそアルフレッドの信条であり、歓びである。ただ、それだけのこと。


 アルフレッドが部屋から居なくなり、緊張の糸が切れたニーナは強烈な眠気の波に襲われた。

 

(あら、もうおねむかしら?)


 ニーナの目が眠気を乗せていることに気がついたヴィクトリアはベッドから立ち上がり、ニーナの方へ歩み寄る。


「仕方のない子ね。ほら、ニーナ、自分で歩きなさいな」


「お嬢様……なに、を?」


「いいから黙って足を動かしなさいな」


 椅子からニーナを立ち上がらせたヴィクトリアは彼女をベッドの方へと誘導し、その流れでベッドに座らせる。


(わ、ふかふか……こんなの初めて……)


 王国内でも最高級のベッドに座った感想があまりにも庶民的すぎるニーナ。普段であれば恐れ多いと断るところではあるが、曲がりなりにも1日ヴィクトリアに触れたこと、歩き回った疲れ、抑えきれない眠気の波。

 彼女も彼女で奇跡的なタイミングの持ち主である。


「おやすみなさいまし」


 とんと、軽く肩を押されたニーナ。それに対して抗うことなくニーナの体はベッドに沈んでいった。

 足を寝台へ押し込み、ベッドの脇、ニーナの顔の側にヴィクトリアが腰掛ける。


(今日は、お疲れ様。貴女、いい仕事をするわね……なので、このベッドで寝る不敬は特別に見逃して差し上げますわ)


 ヴィクトリアは我儘である。

 だが、決して優しさがないわけではない。

 無自覚の優しさが、ニーナの心の隙間に満たされていく。


「おじょ、う、さま?」


「寝たらいいですわ。お疲れ様、ニーナ」


 ヴィクトリアの指先が掌が優しくニーナの粟色の髪を撫でる。昼間とは違う撫でられ方にニーナは抗う気力を全て奪われる。


(いい香り。温かくて気持ちいい……もう、ダメだ。抗えない。眠気も、このお嬢様に対しても……私ってこんなに絆されやすかったんだ……)


 閉じかけたニーナの目が完全に閉じ、規則的な寝息が部屋を満たし始める。

 撫でる手をヴィクトリアは止めず、窓の外へと視線を移す。


(アルフレッドに任せた手前、わたくしが出しゃばるのは無作法と言うもの……わたくしはいつも通り、好きにしたらいいかしら)


 カチリ。

 ヴィクトリアの思案と静寂を切り裂くように、扉が開く。

 銀盆に乗せた二枚の金貨が、月光を跳ね返して鈍く光っていた。


「お嬢様。……用意が整い…………おや?」

 アルフレッドの言葉が、途切れた。

 彼の視線が捉えたのは、主人のベッドで、あろうことか主人のすぐ隣で幸せそうに寝ているメイドの姿。


「…………失礼しました。すぐに放り出します」


「シーッ。アルフレッド、静かになさいな……金貨を」


 ヴィクトリアは口角を上げ、氷のように固まった執事を、楽しげな瞳で見つめ返した。


(…… アルフレッド、貴方のそんな不細工な驚き顔、初めて見ましたわ!)


 ニーナの頭から手を離し、アルフレッドから金貨を受け取ったヴィクトリアはニーナのメイド服のポケットに金貨2枚をそっと忍ばせる。


「今日の串焼き代とわたくしに振り回された分、これで足りるかしら」


「些か多いかと」


「ええ。メイドが貰うには過ぎた物だとは思いますわ。けれど、これはわたくしの気持ちでございますの」


 もう一度そっと優しくニーナの頭を撫でたヴィクトリア、ううん。と幸せそうに寝るニーナにふっと笑い、毛布をかけた。


「であれば何か言うことは無作法と言うもの。それにしてもヴィクトリア様、成長なさりましたね」


「あら?いつまでも子どもではなくってよ。アル爺」


 ヴィクトリア様と呼んだアルフレッド、アル爺と呼んだヴィクトリア、ニーナとは違いこの2人はこの2人の絆がある。

 老執事とお嬢様、2人は顔を見合わせ、お互い小さく笑った。

 同時に、ううーん。とニーナの寝言が雰囲気を台無しにした。


 翌朝、お嬢様のベッドで起床したニーナは椅子に突っ伏して寝るヴィクトリアを見て、状況を理解し思わず絶叫。その声は屋敷中に響き渡るのだった。

 その後、ポケットの金貨に気がつきもう一度絶叫する事になるのだった。

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