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庶民の感覚VSお嬢様の常識

 市場で買い食いを済まし、満たされた2人はただ、あてもなくふらふらと市場を歩く。

 子どもがおもちゃ箱をひっくり返した様なそれはヴィクトリアにとって全てが新鮮で興味深いものだった。

 が、何かつっかえるような感覚がヴィクトリアから離れない。

 なんの気なしに視線を動かしたヴィクトリアの目に一際興味深いものが飛び込んできた。

 10もいかぬような男の子が布を片手に大人の靴を磨いていたのだった。


「ニーナ、あれは?」


「ああ、靴磨きですか。見ての通りです。靴を磨いて、銅貨を貰うんです。子どものお小遣い稼ぎみたいなものですね」


 ニーナの解説を聞いてヴィクトリアの脳裏に雷が落ちた。


「ああ!ああああ!!忘れてましたわ!お小遣い稼ぎの為の市場調査に来たんだったわ!」


 そう。買い食いして、ふらふらとお店を冷やかしてなどではなく目的を持って市場に来ていた事を思い出したヴィクトリアだった。


「……お小遣い稼ぎですか?市場調査っていう大義名分で遊びに行きたいとばかり……」


 お嬢様がお小遣いとは何を……と言う言葉をニーナは飲み込む。

 それなりにメイドをしていると言わなくていい事を言って不敬になるメイドをそれなりに見てきている。

 だが、それなりに主人に対しての砕けた態度をとっていることにニーナもヴィクトリアも気づいてはいない。


  ニーナは、マントのフードを揺らして鼻息を荒くするヴィクトリアを横目に、そっと溜息を吐いた。

 公爵家のお嬢様が「稼ぐ」と言い出した時、この市場にどれほどの嵐が吹き荒れるのか。

 ニーナの「食後の幸福感」は、急速に「冷や汗」へと変わっていく。


「よろしくて、ニーナ。わたくし、決めたわ。あの子のように、わたくしも『価値ある労働』というものを提供して差し上げますわ!」


「やめてください!ほんとにやめてください!考えますから!私もお小遣いを得る方法を一緒に考えますから!それだけは思い直してください」


 実際、ヴィクトリアのこの美貌で麻布を持ち膝まづかせ靴を磨く。

 その行為は銅貨程度の価値ではないだろう。金貨を出しても釣り合わない。が、それでも並ぶだろうとニーナは考える。

 ただ、絵面が良くないだけでなく純粋な邪な気持ちを持って並ぶ男を想像するだけで鳥肌が立つ思いをしたニーナ。


(あら、ただお供として連れてきただけなのに……この子、案外付き合いがいい子なのかしら?)


(だめだ。絶対、お嬢様を市場で労働をさせてはだめだ。混乱だけでは済まないし、何かあれば私の首が物理的に飛ぶ!)


 絶望的なまでにすれ違う2人だった。


「それにしても、確かに物が高くなっていますね。ああ、お嬢様、例えばそこの卵なんですけど普段は10個入りで銅貨3枚なんですよ。でも今は8個でその値段ですね」


「なるほど。そうなると値段はそのままでも1つあたりの単価は上がっていますわね。して、そこの店主、少し聞いてもいいかしら?」


 気の良さそうな中年の女性の店主にヴィクトリアは話かける。

 ヴィクトリアとしては話を聞きたいだけなのだが、ニーナは何を言い出すのか気が気ではない。

 女性の店主は人の良さそうな顔で顔を上げハッとした表情を浮かべる。


「まぁ、綺麗なお嬢ちゃん。フードをしていて正解だね。それだけ綺麗ならまともに歩けやしないだろう。それで、聞きたいことってなんだい?」


 女性でよかったとニーナは胸を撫で下ろしながらもすぐに主人が頓珍漢な事を言ったとしてもフォローに入れるようしっかりと耳を傾ける。


「そこのメイドが以前は10個入りで同じ値段だっと言っていたのだけど、今は8個でこの値段。何かあったのかしら?」


「ああ、お客さんに言うのもどうかと思うんだけど……やっぱり税が増えたせいだよ。この市場じゃどこもそうさね。本来なら売り物にならない大きさの野菜を売ったり、傷みかけのものを売ったり……私のように個数を減らしたり……」


「……なるほどですわ。税ですわね……税、税……」


「お母さん!ありがとう!卵ください!銅貨3枚ね」


「まいど。またおいで。次はサービスしてあげるよ」


 公爵家令嬢とは思いもしなかっただろう。

 ニーナとしても不作なのかな?くらいしか思っていなかったがとんでもなく重い話が飛び出してきた。

 ニーナ個人だけで聞くならともかく一緒に話を聞いたのがその公爵家令嬢である。

 半ば強引にヴィクトリアを店から引き剥がしたニーナは市場を見渡す。


 (確かに、言われてみれば……)


 見てわかるほど野菜が小さかったり、個数が減らされたりしている。

 税、税と1人ごちるヴィクトリアを横目にニーナは自分の言動でこの市場の未来が変わるかもしれないと重圧を感じた。


(お父様、案外いい仕事をなさると思っていましたけれど……これでは不細工な集金ではありませんこと?)


「……税、ですわね……税、税……」


 ヴィクトリアの呟きは、冬の風に混じってどこか冷徹に響いた。

 彼女にとって、税とは自動的に積み上がる数字に過ぎなかった。だが、目の前の卵が2つ減り、店主の顔が曇る。それが数字の正体なのだと、ヴィクトリアは初めてそれを学んだ。

 それと同時に天啓も降りてくる。元々は自分の茶葉代を稼ぐ目的だったのだ。買い出しにくる市場、ここを何とかすれば自分の茶葉が確保出来るのではないかと閃いたヴィクトリアはニーナを正面から見据える。


「ニーナ、貴女に、庶民の貴女だからこそ聞きたいのだけれど、やっぱり税は少なければ嬉しいものなのかしら?」


「ええ。まあ、それはそうですよ。庶民にとっては死活問題ですからね。庶民も家族はあります。商売して、労働して食べさせないといけないですから」


 まっすぐに答えたニーナ。

 これは誤魔化すべきでは無い。しっかりと伝える方がこの主人に対しては良いとニーナは理解していた。

 その返答にふっとマントの内側でヴィクトリアは笑い、そうね。と呟いた。


「今日は楽しかったわ。帰りましょう」


「畏まりました」


 帰路につく2人。

 昼過ぎに到着していたが、時間はもう夕方頃。

 少し寒さが強くなって来た頃でもあり風が冷たい。

 だが、ヴィクトリアの頭はそんな寒さを感じない程に煮え滾っていた。


(これは由々しき事態ですわ。お父様は一体何を……羽振りがよくなった様子はない……であればその税はどこへ……一体何をなさろうと……)


 ブツブツと1人何やら呟くヴィクトリアとほんの少し気まずそうなニーナ。

 機嫌を損ねたというよりは現実を、それも公爵家が定めている税をその令嬢へと伝えてしまった事。そこから確実に起こってしまうであろう悶着に当然のように巻き込まれるであろう自分を想像して寒さからか恐怖で体が震えているのか分からなくなるニーナ。


(終わった。私の快適なメイド人生は終わった……これからはこのお嬢様に振り回されるんだ……)


 頭を抱えて蹲りたいが主人の手前、しっかりと前を見て歩くニーナは冬場なのに額から汗が流れているのを感じるのだった。

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