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市場調査

 冬の風がヴィクトリアとニーナを撫でる。

 屋敷から馬車で20分ほどの距離、ニーナは生きた心地がしなかった。

 服装選びをしていたニーナだが、ヴィクトリアの持っている服で市場で目立たないと言う服は無かった。何を着せても、どう合わせても目立ってしまうも言うのがニーナの素直な感想であった。

 考えに考え抜いたニーナが出した結論はドレスはヴィクトリアが選んだ濃紺の刺繍の少ないドレス。その上に旅人が羽織るような麻でできたマントとフードを被せる力業で解決させた。

 ニーナはマントとフードを初めて着るお嬢様に本当に合っているのかと再三尋ねられ、市場に着く頃には疲労困憊であった。


(串焼き……絶対串焼きを食べなきゃ。頭使ったんだから濃い味のものを食べたい……それだけが、私の希望!)


 市場の入り口に立った、怪しげなマント姿の貴人と、疲労困憊のメイド。


「……ニーナ、本当にこの服装は正しいのかしら?」


「お嬢様、もう誤魔化せないと思いますので失礼を承知で申しますと、正しくないです。お嬢様の場合お顔まで隠さなければその美貌と美しい銀髪で市場が混乱してしまいます。であればマントとフードで全てを隠して頂いた方がいいと判断しました」


 美貌と、確かにそれは服装でどうしようもない。と、納得するヴィクトリア。美しいものを隠す。なぜそうしないとならないのかは理解していないが容姿を褒められたのは悪い気はしない。


(ニーナが決めた事なのだから、わたくしより詳しいのだからそれが正解なのでしょう。文句を言う必要もないですわ)


 お昼を少し過ぎた頃合い、市場の喧騒や屋台から香るタレの焼ける匂い、商売をする人々、そのどれもがヴィクトリアにとっては聞いたことしかない話。否、社交界では絶対に上がらない話題。メイドや執事の何気ない会話、それも聞こえてはいたけど内容としては認識していなかった。そんな泥臭くも活気のある世界にヴィクトリアの心は密かに躍った。


(なるほど、これが市場ですのね。庶民の皆様方が楽しそうなのはいいことですわ……お父様もいい仕事をしますわね)


 などと考えているのだが、この市場ができたのはヴィクトリアの祖父の代でありアルド公爵は全く関与していない。

 公爵としては市場から上がってくる税をただの数字として処理しているだけだったりするのだが、そんな事実は浮き足立っているヴィクトリアには決してとどかない。


 少々の不審な組み合わせの2人は市場を歩いていく。

 メイドはとことこと目標を定めて、お嬢様はキョロキョロと周り見回しながら。


「あ、あそこ……お嬢様、私、寄りたい屋台がありまして。よければ一緒にどうですか?」


 ニーナが指差した先には、もうもうと立ち込める白い煙と、甘辛い、暴力的なまでに食欲をそそる香りの中心地があった。

 無骨な木造りの屋台。そこでは、強面の店主が、炭火の上で茶褐色の棒を何本も転がしている。


「ニーナ、悪い事は言わないわ。やめておきましょう。あんな明らかに身体に悪そうな棒を食べる必要はないわ。絶対、お腹を壊しますわ……なるほど、あの暴力的なまでに食欲をそそる匂いもそうやって食べさせようとする罠ですわね……」


「お嬢様、不躾ながら一つ言わせてください」


 本日何度目かの不躾を繰り出したニーナ。どうしても串焼きを食べたい欲とお嬢様に粗相をしてはならないメイドとしての常識がせめぎ合い、鍔迫り合い、割とあっさり決着はつくことになる。


「今日は私に任せるっておっしゃいましたよね?まさか、公爵家令嬢とあるお方が、そんな嘘をつくという事ですか?」


 ぐっ。と、ヴィクトリアの喉の奥が鳴ったが、この時ヴィクトリアが少しでも冷静でいれば、ニーナの心配などしなければ気がついていたはず。

 ヴィクトリアはニーナに服装は任せたと言っていたが何を食べる等は全く委任していない。

 その事実にニーナは気がついてはいたが食欲と、ほんの少しの意趣返しも込めての発言だったりもする。

 この数時間の付き合いだが、ニーナのヴィクトリアに対しての印象は変わりつつある。


(お嬢様って箱入りではあるし、庶民の常識も怪しいけど……もしかすると悪い人ではないのかな?)


「……わ、わたくしが嘘を吐くはずがありませんわ! よろしくて、ニーナ。そこまで言うのであれば、その……『くしやき』とやらを買いなさい。わたくしが毒見をして差し上げますわ!」


 「ありがとうございます、お嬢様! 店主、二本ください!タレたっぷりで!」

 

 ニーナの現金なまでの変わりように、ヴィクトリアは「はめられた」という疑念を抱きつつも、差し出された一本の串を、恐る恐る受け取った。


(熱い……ですわ。どうやって食べれば……)


 ヴィクトリアは横目でニーナを盗み見るとニーナは串に齧り付き舌鼓を打っている。

 んー!と本当に美味しそうに食べるニーナを見て、ヴィクトリアは衝撃を受けた。

 食べ方一つとってもマナーを躾けられた幼少の頃より齧り付くなど、ましてや外で立ち食いなど令嬢としては許されない行為に他ならない。


(ニーナ……本当に美味しそうに食べるわね……)


 あまりにも貴族とはかけ離れたその様子が、暴力的なまでのその香りが今まで食べたどんな美食よりもヴィクトリアの琴線に触れた。


(ままですわ……!)


 見様見真似でヴィクトリアも串に齧り付く。

 しっかりとついた下味、口の中に広がる肉汁、そして全てを包み込むタレの味。

 刹那、旨味の暴力にヴィクトリアの思考が停止する。


(……あ、落ちた)


 ニーナは串を咥え、目を見開いき固まっているヴィクトリアの横顔を盗み見て確信した。

 ぱちくりと何度か瞬きをし、1つずつ肉を食べたヴィクトリアはふぅと満足気な表情でニーナを見据えた。


「ニーナ、こちらへ」


「はぁ……」


 おずおずとニーナはヴィクトリアのそばへと近づき、手を伸ばせば届く距離で立ち止まった。

 近くで見るお嬢様はやっぱり美しいだとか、やっぱり少し背が高いなぁ、公爵令嬢と買い食いなんてしてるメイドって初めてじゃないか、こんな事して不敬にならないかなどごちゃごちゃと考えが巡るニーナの頭にヴィクトリアの手が置かれた。


(やばい……調子に乗りすぎたっ)


 やはり不敬か。と、今後どう逃げるかの算段を巡らそうとしたニーナだったが、わしゃわしゃと粟色の髪を撫でられる。


「へ?え?……えぇぇ!?」


「ニーナ、感謝しますわ。ありがとう。こんなに美味しいもの初めて食べましたわ」


 優しく、頭を撫でられる。

 向けられたのは、社交界で見せる鉄仮面のような微笑ではない。

 フードの奥、少しだけタレで汚れた口元を綻ばせた、年相応の少女の純粋な笑顔だった。


 (……あ、だめだ。私、この人に一生付いていくかもしれない)


 頭を撫でる手のひらの温もり。

 意外とチョロいお嬢様と思っていたけれど、本当にチョロかったのは、この優しさに一瞬で絆されてしまった自分の方ではないか。

 ニーナは顔が熱くなるのを感じながら、逃げるように次の屋台へと視線を巡らせた。


「……そ、それなら良かったです! お嬢様、市場にはもっと、もっと美味しいものがあるんですから! 次、行きましょう!」


「ええ。楽しみね。ニーナ、わたくしをもっと喜ばせてくれるのでしょうね」


 絆されたニーナと単純に美味しいものを食べて舞い上がっているヴィクトリア、誰が見ても主従よりは友達のような笑顔で市場を再び歩き出すのだった。


(うーん。何か忘れているような……まぁ、いいですわ)

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