公爵令嬢ヴィクトリア
幼い頃より老執事アルフレッドの研鑽の果てに身につけた超一流の執務を隣で見てきた公爵令嬢ヴィクトリアは自分が世界一優れている人間だと疑っていない。
実際のところアルフレッドが密かに感じている深謀遠慮の持ち主でもなく、世界一優れているわけでもない。
ただ、公爵家に産まれ、運よく超一流執事アルフレッドが側にいた。ただそれだけの事でしかない。
であれば公爵令嬢ヴィクトリアは無能なのか。そう問われれば答えは否。
最低限の一般常識、それなりの貴族としての常識は弁えてはいる。これもアルフレッドの教育の賜物ではあるのだが。
そして今朝、都度何度目かもわからない我儘をアルフレッドに言ったヴィクトリア。
自室のベッドに腰掛けそれなりに回る頭で思案する。
(そういえば、アルフレッドが紅茶を泥水に変えるところ、見たことがありませんわ……)
天蓋付きのベッドの脇に座り、行儀悪く足をパタパタとさせ顎に指を当てながら「うーん」と唸る。
(いつもの茶葉ならアルフレッドは失敗しないはず……問題があったのは茶葉の方かしら?)
正解に限りなく近づいたところでノックの音が聞こえてきたヴィクトリアは「どうぞ」と、入室を許可する。
「失礼します。執事長より命を受け、絨毯の清掃に参りました」
粟色の髪を後ろで束ねた気の弱そうな若いメイドが掃除道具を片手におずおずと部屋に入ってくる。
気の弱そうでも公爵家のメイドである。てきぱきと作業をこなしていく姿を見ながらヴィクトリアは気になったことを投げかけた。
「貴女、知っていれば答えなさい。今日の紅茶、いつもの茶葉とは違うのかしら?」
「ち、茶葉ですか?」
先ほどまでパタパタとしていた足を組み、腕を組みメイドを見据える。
ヴィクトリアとしてはただ普通に話を聞いているだけであるが流石は公爵令嬢、ただ姿勢を変えただけでも圧をメイドは感じる。
その少しつり上がった氷晶の瞳に見据えられ、メイドは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
輪をかけて流石なのは公爵家勤めのメイドもメイドであり、表情には決して出さないが内心では泣きそうになっている。それでもお嬢様の質問に答えようと必死で記憶を手繰り寄せていた。
数秒の沈黙。メイドにとっては悠久の沈黙に感じてはいたが「あ、そういえば」と。
「……あの、下々の……はしたないお話なのですが……キッチンのお掃除の時に聞いたのですが、市場の食料品が値上がりしたらしいです。けど、食料品の予算はそのままだから食材の質を落とすか、量を減らすかって料理長と買い出し担当の方が相談していました」
おずおずと答えるメイド。黙って話を聞くヴィクトリア。体勢は変えないが。
「もしかしたら……もしかしたらですよ?お嬢様の紅茶の茶葉がどうしても手に入らず仕方なく別の茶葉になった可能性はありませんか?」
「……納得しましたわ。それならばアルフレッドが淹れ間違えも仕方ありませんわ」
いや、アルフレッド様はそんな事で失敗をする人じゃ無いよう気がする。という言葉をメイドは飲み込んだ。
これ以上追及されてもメイドは何も答えられないし、何より恐怖で心臓が持たない。
「お嬢様、不躾ながら一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。よくってよ」
「アルフレッド様とお嬢様の関係ってただの主従には見えません。ああ!恋人とかそういったお話ではなくてですね。実際、どういったご関係なのかと……」
ほんとうに不躾ですわね。と、漏らしたヴィクトリア。入って来たときより小さくなっている気がするメイド。
メイドが謝ろうかと、どう言葉を並べようかと思案していた際――
「ほんとうに不躾ですわ……ですが、そうね」
ヴィクトリアは自らの白くすらりとした指先を見つめ、ふっと目を細めた。
「アルフレッドはわたくしの腕ですわ。ええ、育ての親、と言っても過言ではありませんわね。わたくしはアルフレッドを何よりも信用していますし、彼にここまで仕えさせた礼くらいは、人並みに弁えていますわ」
(あれ?もしかして……お嬢様って話ができる方なのかな?)
失礼な。大変失礼なことを考えながらもメイドは「ありがとうございます」と、浮ついた返事をする。何と返事をしていいのかメイドには思いつかなかったからなのだが。
そんなメイドの反応など興味がないヴィクトリアは指先を見つめたまま思案する。
(この家は食料も買えないほどお金がないのかしら……わたくしのお小遣いをお渡しすればいいかしら?でも、そうするとお父様の面目も立たない気がしますわ……)
下々の台所事情だけを聞いたヴィクトリアは斜め上の発想を繰り広げていた。
公爵家に金がないことなどない。金がなければヴィクトリアにお小遣いなど渡せない。それに気が付かないヴィクトリアは組んでいた見つめていた指先を顎に当て思案にふける。
(……ああ、そうだわ。ないなら作ればいいのよ)
すくりと立ち上がったヴィクトリア。びくりとするメイド。
「まずは市場調査をするところからかしら」
「はい?」
一体なんの話だとメイドが染み抜きをしていた絨毯からヴィクトリアの方へ視線を向ける。
向けて、気がつく。ヴィクトリアの視線がメイドをしっかりと捕まえていることを。
絶対に、確実に面倒事に巻き込まれるだろうとメイドは予感しているが何を言われても答えは肯定しかない事を理解しているメイドは就職先を間違えたかなと考えてしまう。
形のいいヴィクトリアの口が動く。
「して、メイド。お前の名前は?」
「ニーナと申します」
「では、ニーナ。わたくしについてきなさい。外出するわよ。ああ!着替えないといけないわね!ニーナ、貴女に任せるわ」
(覚えられた!名前を覚えられた!絶対、今後も何かある度に巻き込まれるんだ!アルフレッド様と同じで!)
「ニーナ、市場という場所を歩くのに相応しい、地味で目立たないものを選んで頂戴……そうね、あのシルクの刺繍が少ない方のドレスにしましょうかしら」
ニーナは、お嬢様の放つやる気に満ちた。けれど不吉なオーラに当てられ、半泣きでクローゼットへ駆け寄った。
「お、お嬢様! 市場に行かれるのでしたら、せめて、その……少しだけ控えめな装いの方が……」
「何を仰っていますの? 地味な外出着を選べと言っているのですわ……そうね、ではミッドナイトブルーのドレスにしましょうかしら……ああ、でもあちらは少し丈が短くて、わたくしの背の高さが目立ちますのよね。不細工ですわ……」
(……全然地味じゃありませんし、お嬢様が何を着ても、その銀髪と美貌で市場の時が止まります!それに、そのドレス!平民の一生分の年収より高いですわよ、お嬢様!!)
心の中でのツッコミは、もはやニーナにとって唯一の生存戦略だった。
市場調査には巻き込まれる事が確定しているニーナ、地味な外出着の認識がズレているヴィクトリア、何とかして主人のご機嫌を取りつつ市場に出ても問題ない格好を模索しているとヴィクトリアが不思議そうな表情でニーナを見ていた。
(ニーナの慌てぶりを見るに、もしかするとわたくしが選んだ格好は市場に行く格好ではないのかしら?それならば多分、庶民なニーナに最初から服を選ばせるべきかしら……)
ヴィクトリアは決して馬鹿ではない。
アルフレッドのおかげで自分が出来ないことは人に頼ることが出来る。
社交界に出席しているおかげかその場に相応しい服装がある事は理解している。
「……ニーナ、貴女が全て選びなさい。わたくしより、貴女の方が市場と言うものを分かってらっしゃるでしょう?」
「……承りました」
(責任が!お嬢様が浮いたら私の責任になる!でも絶対に浮く!どんな格好をしてもその銀髪と美貌は隠せないのだから!)
涙目になりながらも了承したニーナをヴィクトリアは今後も重用しようと考える。
自分にはない庶民感。必要はないと思ってはいるがお金が回るのは庶民がいてからこそと言うことを理解しているヴィクトリア。
今後も市場に降りる際は連れて行こうと決めたのだった。
それを感じてかなのかニーナがぶるりと震えた。




