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破壊するニーナ

 エルゼリット・バルトロメイ伯爵令嬢は燃えるような赤いポニーテールが特徴の娘だった。

 どうやら代替わりした公爵がどうも大掛かりな事業をしていると噂を聞いたバルトロメイ伯爵。

 伯爵と公爵。身分が違えど、小娘相手。手玉に取る事など容易であろうと決めてかかったバルトロメイ伯爵はエルゼリットに闇の王と接触し、ヴィクトリアを妨害するよう命令を出した。


 書斎の幽霊と称されているエルゼリットを数日生活するだけの小銭と身一つで屋敷から放り出したバルトロメイ伯爵。自室で優雅に酒を飲んでいることはエルゼリットに知る由もなかった。


 仕方なくエルゼリットは王都へ向かい、ガランドの消息を探すが王都で彼の姿を見たものはいない。

 たまたまガランドに似た男がセプタム領にいると商人が話しているところに遭遇し、一縷の希望を携えて王都からバルトロメイ領を抜けセプタム領へと。


 普段、書斎に籠もり書類と向き合い続けるエルゼリット。最後に外に出たのはいつだったのか、思い出す事に時間がかかるほど――久しぶりの外出はエルゼリットにとって本当に辛いことであった。

 照りつける日差しは病的な白さの肌をジリジリと焼き、琥珀色の瞳は疲労を携えている。


 前公爵の屋敷へ辿り着いた時、エルゼリットの目に飛び込んできたのはメイドと男達が屋敷にハンマーを振り下ろしている現場であった。

 

(権威の象徴をメイドが……?)


 代替わりしたことは聞いているエルゼリット。

 都市事業が当たり、金回りが良くなった事もエルゼリットの元に情報として入ってきているが、メイドが現場監督をしているなど当然知らない事である。

 内輪の人間からすれば当たり前の事だが、外から見れば異常な光景であった。


 書類の中でしか世界を見てこなかった彼女にとって、目の前の光景はそれこそハンマーを振り下ろされたほどの衝撃のはず。


(……これ、声をかけるべきなのです?)


 既に心が折れそうになるエルゼリット。

 声をかけるべきか、それとも去るべきなのか作業を眺めること数分。ハンマーを一心不乱に振り下ろしていたメイドが偶然振り返った。


「あ!ガランドさんが追加で派遣してくれた人?こっちこっち!」


 と、メイドに手を振られエルゼリットの足は自然と動く。

 ガランドと。メイドが言ったからである。


(ガランド様を紹介してもらって早く屋敷に戻りたい)


「あのすいません。ここにガランド様は?」


「ここ?んー。いないかな。後で報告に行くから手伝って!」


 メイドは返事を待たずに、エルゼリットの細い手首を掴み、首を傾げたがぱっと表情を戻し現場へと連行していく。

 

「え、あ、あの……私、一応貴族の……」


「いいからいいから!人手はいくらあっても足りないんだから!お姉さんは小さな瓦礫とか木材を一箇所にまとめてもらってもいい?」


「は……はぁ」


 エルゼリットの脳裏に不敬などよぎらない。

 嵐のようなメイドの勢いに負けたこと。報告に行くと言っていた事からついていけば確実にガランドに会えると踏んだからである。


 エルゼリットは知らなかった。このメイド、実はメイドでありながら公爵領の重要な人物であるということ。そして、本当の貴族は率先して働く者だと主人を見て間違った認識をしてしまっているということ。

 後先を考えなければ、このメイドを攫ってしまえばヴィクトリアの妨害は完遂する事などエルゼリットは知らない。ニーナという名の少女を上がってくる情報として、文字として見たことがないからだった。


 あちこちで響く破壊音。その度、破片が飛び散る。

 エルゼリットは小さな破片を拾い上げ、元々自分の立っていた場所に下ろす。


(私は一体何を……そもそも何で屋敷を破壊しているの?それにあのメイドは何?大男達はどうしてあのメイドに従ってるの……?)


「外の世界怖い……違います。公爵領が怖い……」


 引きこもり、数字と情報を整理し、伯爵に伝えてきただけのエルゼリットにとって公爵領は見た事も聞いたこともない情報で溢れかえっていた。

 王都では何とかなった。が、伯爵領での、王都での常識から乖離している公爵領に涙目になるエルゼリット。

 それでも父親の命令を遂行する為、ひたすら瓦礫を拾い集め、一箇所にまとめていく。


「ふぅ……ふぅ……」


 炎天下、慣れない作業。そもそも引きこもって微塵もない体力。作業を進めるたび汗が滴り、琥珀色の瞳は疲労に染まっていく。

 かつて自分が数字として処理してきた労働。初めて体験する疲労にエルゼリットは心の底から尊敬の意を抱く。


「お姉さん、ちょっと休憩しよっか。下町の市場で買ってきたからこれ飲んで」


 横から現れたメイドに差し出されたのは木で作られたコップに並々と注がれた液体。

 見てしまうともう抗えない。汗を流した体が、水分を欲している。


「ありがとうございます」


 メイドからコップを受け取り、液体を流し込んだエルゼリットは目を見開いた。

 喉を鳴らして飲み干したそれは、冷たく、そして驚くほどに強烈だった。

 鼻に抜ける果実の甘みも酸味。そして、舌の奥に残る微かな塩気が、枯れ果てた身体の隅々にまで行き渡る。


(え……なにこれ!?泥臭くて、荒々しくて……なのに、止まりません!)


 王宮で供される一級品のワインよりも、書斎で啜っていた最高級の茶葉よりも。

 今、この一滴が身体を支配していく全能感。


「美味しいでしょ?市場のおじちゃん特製の果実水だよ!ちょっと塩を混ぜるのがいいんだって」


「正直、どんな紅茶よりも、どんなワインよりも美味しかったです」


「お、いいね。私のお嬢様と同じ事を言うんだね!」


「お……お嬢様と、同じ……?」


 エルゼリットの琥珀色の瞳が、かつてないほど激しく揺れる。

 公爵、ヴィクトリア。父から手玉に取れる小娘と聞かされていたその人物が、まさか自分と同じように、果実水を飲み干して笑っているというのか。


「そうそう。お嬢様なんてさ、昨日も瓦礫の上で串焼き食べて最高ですわ!って言ってたもん」


(……瓦礫の上で、串焼きを……?)


 脳内の公爵という文字が、瓦礫が崩れる音と共に火を噴いて消滅した。

 優雅な夜会、扇子を広げた微笑、冷徹な外交――そんな貴族の記号は、ここには一切存在しない。


「ここに、商店を集めたいんだって。王都で食べられるケーキを食べたいとか言ってたかな?」


「商店を誘致する為に自分の屋敷を取り壊してるのですか?確かに公爵領の中心ですし、ここに店があれば人は集まると思いますけど……それにしてもやりすぎな気が……」


「やりすぎかどうかは私には分からないかな?よし! 休憩終わり!あと一踏ん張りしたら、ガランドさんのところへ行こう!あ、お姉さん、名乗り忘れてた。私はニーナ。ここの解体責任者だよ!」」


 元気よくニーナに手を引かれ、エルゼリットは過去一番重い足を引きずるのだった。

 これさえ終わればガランドに会い、依頼を出し、屋敷に戻って伯爵に使われる。


「……」


 微かな違和感を覚えたエルゼリット。それが一体何なのか。それすら考える余裕もない。

 ただ分かるのはきっとこの後に食べるご飯も美味しいんだろうと。それだけだった。

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