地獄の商談
ガランドの無礼極まりない態度に公爵は目を細める。
片手を上げたガランド。それを合図にアルフレッドは懐から三つ折りにたたまれた数枚の羊皮紙を取り出し、ガランドへ渡す。
「教会へ資金の横流し、政敵の暗殺、増税はまぁいいか。ああ、後、機密情報も漏らしてるか――しらは切れねぇぜ。関係者は俺達が丸め込んでるからよ」
テーブルに無造作に投げ置いた羊皮紙。そこには公爵が秘密裏に行ってきた裏工作が赤裸々に記されていた。アルフレッドとガランドが夜な夜な活動してきた集大成である。
投げ出された羊皮紙を震える手で掴み、中身を一瞥した公爵の顔が、怒りと恐怖で土気色に染まった。
「……アルフレッド、貴様……! これを、どこで……っ! 儂を裏切ったのか! 儂がどれほど目をかけてやったと思っている!」
部屋を壊さんばかりの怒号。ついてきていたお供の肩が震える。
そんな怒号を涼しい顔をして受け止めるアルフレッドと、ニヤニヤと笑うガランド。
怒号の渦中にあっても、アルフレッドは乱れた前髪を直すことすらなく、ただ氷のような冷徹さを湛えた瞳で、かつての主人を観察していた。
「……目をかけてやった、ですか。なるほど、確かにあなたは私を便利に動く手足として重宝してくださいました。ですが、お忘れですか? 手足が自分の意思で動かぬと、誰が決めたのです?」
アルフレッドの唇が、三日月のように歪な弧を描く。それは慈悲を一切排除した、死神の微笑だった。
「あーあー、うるせぇな。そのデカい声、王国騎士団に聞かせてやりてぇぜ……おい、お父様。てめぇが目をかけてたのはアルフレッドの旦那じゃねぇ。旦那が持ってくる自分に都合のいい報告だけだろ?」
ガランドもガランドで慈悲はない。手加減する必要がないと分かっているからだ。目の前で親子の決別を見てガランドは理解した。自分の腕を振り下ろしても問題ない相手だと。
「アルフレッド!貴様!お前は、主人を裏切るのだな……死をもって償え……!」
「ああ、誤解を解いておかないとですね。私の主人は公爵、貴方ごときの人間ではありません。ヴィクトリア様、その人でございます」
土気色だった公爵の顔がみるみる赤くなる。情報が処理しきれていない脳で一つ理解していたことは、ここが自身の棺桶になりかねないことだ。怒りと恐怖で煮え滾る頭を振るが、考えは纏まらない。
「おい。儂はこの王国の重鎮だぞ……!お前達、今なら見逃してやる……この件を墓場まで持っていけ」
その言葉にガランドは声をあげて笑った。不気味に響く笑い声に、公爵もそのお供も言葉を失い、成り行きを見つめる。一息に笑い続けたガランドは下を向き、次に顔を上げた時には獲物を食い殺す獣の瞳になっていた。
「墓場まで持っていけだと?てめぇ、まだ自分の立場が理解できていないのか?この国の重鎮?はん……てめぇ、もう立派な反逆者だろ?」
ガランドがテーブルに突き立てた指の先、羊皮紙に記された文字が、まるで公爵の首に巻き付く鎖のように黒々と光っていた。吹き出した脂汗を拭う余裕すら公爵にはない。
(くそっ……どこで間違った……いや、今はいい。脅すか……?違う、脅されているのは儂だ……買収……この都市の関係者を……?くそっ、くそっくそっ!)
あらゆる手を考え、無理だと無駄だと分かってしまう。視界が歪み、足元の絨毯が底なしの沼のように公爵を飲み込んでいく。その絶望を見計らったかのように、アルフレッドが、凍りついた空気を切り裂くような容赦のない声を響かせた。
「……お悩み中のところ恐縮ですが、お時間は有限です」
アルフレッドは懐から、真っ白で清廉な――それでいて公爵にとっては死刑宣告も同然の羊皮紙を取り出した。
「主人であるヴィクトリア様は、慈悲深いお方です。ですから、貴方様に二つの未来を用意してくださいました」
「一つは、これを持って王都へ行き、貴様の首を広場に晒す未来だ。公爵家の名は歴史から抹消され、てめぇの血筋は反逆者として永久に呪われるだろうよ」
とんとんと羊皮紙を叩くガランドの言葉に、公爵の背筋に冷たい汗が走る。
「そして、もう一つは……。今ここで公爵の地位をヴィクトリア様に渡すようサインし、全ての権限と財産を放棄して、名もなき老人として余生を過ごす未来……さあ、どちらがより自分に相応しい最期かお選びください」
「ああ、別に暴れても構わねぇよ。そこの震えている従者にどうこうできるとも思わねぇし、その場合てめぇは事故死で処理されるからよぉ」
公爵は、ガランドの殺気に射すくめられ、逃げ場がないことを悟る。震える手で差し出されたペンを握るも、指先に力が入らず、真っ白な羊皮紙にポタリと黒いインクの滴を落としてしまった。そのシミは、彼が築き上げてきた権威という砂の城が、ドロドロに溶け出していく様そのものであった。
「お急ぎください。インクが乾いてしまいます」
アルフレッドの促しが、公爵を奈落へと突き落とした。殴り書きのような署名を終えた公爵が、最後に見苦しく吐き捨てる。
「……これで満足か! 娘に伝えろ、駄犬ども!呪ってやると……っ!」
そんな負け犬の遠吠えに、ガランドは意地の悪い笑みを浮かべた。
「へっ、呪いか。あいにく、お嬢様の周りには俺みてぇな死神がついて回ってんだ。てめぇの呪い如き、入る隙はねぇよ……さっさと失せろ」
公爵は、もはや自分の足で立っているのかも分からぬ足取りで、震える供の者に支えられながら部屋を這い出した。豪華な装飾の扉が、音もなく、しかし断固として彼を閉め出す。
部屋に残されたのは、冷え切った空気。
そして、二人の怪物だけだった。
「……はぁ、疲れた。あのお父様、叫びすぎて唾飛ばしやがって」
ガランドは椅子の背もたれに深く体重を預け、行儀悪く足をテーブルに乗せた。先ほどまでの死神のような殺気は鳴りを潜め、そこにあるのは、仕事終わりの闇の王の顔だ。
「お疲れ様です……それにしても、ガランド殿。あそこまで追い詰めるとは、少々悪趣味が過ぎませんか?」
アルフレッドは、公爵が汚したペンを絹のハンカチで摘み、ゴミ箱へと静かに落とした。その動作には一点の曇りもなく、まるで行き届いた家事の延長のようである。
「悪趣味? 違いねぇ。だがよぉ、お嬢様が上手く折り合いをつけてなんて仰るから、俺なりに最大限歩み寄ってやったんだぜ? 命だけは残してやったんだからよ」
「左様でございますか。ですがありがとうございます。最大限の感謝を」
アルフレッドは窓を開け、夜の帳が下り始めた黄金都市の風を招き入れる。
遠くからは市場の賑わいと、平和な街の音が聞こえてくる。
「さて、お嬢様が、美味しい買い食いをして戻られる前に、最後の事務処理をしなければなりませんね」
「あぁ、そうだな……お嬢様の黄金都市には、あの老いさらばえた不純物は、一滴も必要ねぇ」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく不敵な笑みを漏らした。
主人が望む美しい箱庭を維持するために、彼らはこれからも、黄金の裏側で泥を啜り、血を流し、不純物を掃除し続ける。
それが、ヴィクトリアという光に魅入られた、彼らの遊びなのだから。




