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悪と巨悪

 部屋の隅で壁に背を預けたガランドは、退屈そうに爪を弄んでいた。

 目の前には、自らの破滅も知らずに流行が去った宝石をこれ見よがしに並べ立てる初老の小太りの商人。


(……おいおい、お嬢様の前にそんなのを並べて、タダで帰れると思ってんのか?)


 ギラつく猛瞳が、商人の無防備な喉元を捉える。横に立つアルフレッドが微かに眼鏡を押し上げた。

 流れ出した空気は、黄金都市の春を告げる暖かな陽光ではなく、獲物を待ち構える怪物の胃袋のような、濃密で冷徹な静寂であった。


「お待たせいたしましたわ。……さて、商談を始めましょう?」


 漆藍色のドレスを纏い、部屋の中央で優雅に脚を組むヴィクトリアは商人を値踏みするような光をたたえている。

 値踏みするのはヴィクトリアだけではない。商人も商人でヴィクトリアを値踏みする。

 その美貌にほぅと漏らした商人。興味深そうに見つめる紺碧の瞳を見て上等なドレスを着ているだけの麗しのカモだと決めつける。

 そう。見た目の年齢、性別だけで決めつけてしまった。

 そしてガランド、アルフレッド、ニーナをその見た目に集まってきた者たちだと勝手に納得してしまった。


「まずはここまで漕ぎ着けておめでとう。これはその祝いだと思ってもらっていい」


 そう言って商人が懐から取り出したのは金貨の詰まった袋だった。

 チャリリと金貨の擦れる音が響くが、ヴィクトリアは一瞥だけして商人へと視線を戻す。


「ありがとうございますわ。それで?」


「ああ、それとこの並べている宝石は個人的にお嬢ちゃんに。儂につけばこれくらいの小石は幾らでも手に入る」


 お嬢ちゃんとヴィクトリアに言い放った商人。

 アルフレッドの隣に控えていたニーナが一歩前に出そうになるが、アルフレッドの手によって止められる。

 その言葉を受けてもヴィクトリアの視線は揺るがない。


「それで、そんな小石を見せびらかしにきたのかしら?貴方につけばわたくしにどんな得があるのかしら?」


(わざと泳がせて遊んでやがる。断頭台だと悟らせずに自分で歩かせてやがるな)


 ガランドの推察は間違ってはいない。

 ダレンに無茶を言った時点でヴィクトリアはこの商談を最初から受ける気など無かった。ただ、断るのに自分が出た方がいいと、そちらの方が筋が通っていると感じたから出てきただけである。

 そこから流行りの過ぎた宝石を見てヴィクトリアの興味は尽きてしまった。後はどうお帰り願うか。ただ、それだけを考えていた。

 だが、そんなヴィクトリアの腹の内を知らない商人は下品な笑いを浮かべる。


「好きなものを好きなだけ用意しよう。まぁ、儂を悦ばせれたらだが」


 空気が一変した。

 アルフレッドが、ガランドが毟り取る小悪党から敵へと認識を変えた。


「あらあら、まぁまぁ。その小石はお詫びとして受け取っておきますわ」


(気持ち悪いですわね……ここが屋敷なら叩き斬ってましたわ)


 一度は見逃すと。暗に伝えたヴィクトリア。

 しかし、商人はお詫びと称され宝石を回収された事に些か腹を立てる。

 彼にとって、この宝石は女を釣るための餌であり、それを謝罪の品として当然のように奪われることは、自らの優位性が揺らぐことを意味していた。


「……おい、お嬢ちゃん。調子に乗るのも大概にな? 儂がこれだけの誠意を見せているんだ。この街の流通を儂に預ける契約書に、さっさとサインをすればいいんだよ。そうすれば、その僻地暮らしも……」


 商人が机に叩きつけたのは、独占権と不当な利益配分が記された、あまりに厚顔無恥な契約書であった。

 羊皮紙に書かれたそれを手に取り、ヴィクトリアは眺め――


「アルフレッド、ガランド様」


 と、一言。

 その一言を引き換えに怪物達が動き始める。


「ニーナちゃん、ちょっと俺、強い言葉を使うけど接し方を変えないでくれるか?」


 ガランドの言葉にニーナはやってしまってと頷く。

 ニーナもニーナで主人を侮辱され、頭に血がのぼっていた。

 ガランドはニーナの頭を撫で、商人へと向き直る。

 その顔は先程までの興味のなさそうな顔ではない。人間を食い物にしている頂点捕食者のそれである。

 テーブルの前まで行ったガランド。その足を力の限りテーブルに叩きつけた。


「……授業料くらいで許してやろうと思ってた俺が間違いだったなぁ。てめぇ、腕か足どっちがいらねぇ?せめてもの慈悲だ。選ばしてやるよ」


 壁にもたれかかってやる気のなさそうに見ていたガランドの豹変。商人の仮面で隠していた裏社会の要人が正体を現した瞬間だった。

 誰が見ても分かるガランドの異様な雰囲気。およそ常人が出せるそれとは一線を画し、商人もガランドは異常だと認識し、青ざめる。


「い、いいのか?儂に楯突くとはこの国で商売が出来なくなることと同義だ」


 恐怖と虚栄心がせめぎ合った結果僅かに後者に傾いた末の言葉。

 脅しともとれるその言葉にガランドは残酷な笑みを浮かべる。


「お嬢様、ニーナちゃん。改めて確認するけどよ、今、この場でやっちまっても大丈夫かい?」


 ヴィクトリアかニーナが止めるのであればガランドはそれ以上するつもりはなかった。

 商人の懇願するような顔でヴィクトリアをニーナを見たが――

 ヴィクトリアは足を組んだまま、ニーナはほんの少し驚いたがそれでも主人の手前、ガランドの言葉に首を縦に下ろした。


「……ハッ! 商売ができなくなる? 面白い冗談を抜かしやがる。あんた、自分の足元がとっくに底なし沼だってことに気づいてねぇのか?」


 身を乗り出し、商人の胸倉を掴み上げながらガランドは重厚なテーブルへと顔面を叩きつけた。

 鈍い音が響き渡たる。


「もう一度聞くけどよ……腕と足どっちがいらねぇ?」


「ひっ……やめ――お嬢ちゃんも見てないで助けて……」


「誰が話していいって言った?てめぇが話せるのは腕か足その二文字だけだろうが!」


 もう一度、鈍い音。

 テーブルに血と歯が散る。

 掌をテーブルに乗せ、足を振り下ろす。ベキリとその日一番嫌な音が商人の鼓膜を叩いた。


「アルフレッドの旦那、この不細工な紙切れ……今のうちに燃やしちまうか? それとも、こいつの指ごと判を捺させて、全財産を黄金都市への寄付金に書き換えてやるか?」


「そうですな。やっぱり腕をもらいましょうか。であれば指もついてきますので。鉈でも用意してきましょうか?」


 アルフレッドが瞳を細め、穏やかに……しかし逃げ場のない死を宣告するかのような口調で続けた。


「……ああ、お嬢様。少々汚れが飛び散るかもしれません。ドレスに、このような返り血がついては、洗濯の手間が増えてしまいます」


 その言葉を合図に、ヴィクトリアは優雅に立ち上がった。

 机に広がる鮮血も、命乞いをする商人の無様な姿も、彼女にとっては視界に入れる価値もない不純物に過ぎない。


「ええ。そうですわね、アルフレッド。わたくし、少し空気が悪くなった気がしますわ。ニーナ、お外へ参りましょうか? 市場に新しいお菓子が並んでいると聞きましたわよ」


「はい、お嬢様! 行きましょう!」


 ニーナもまた、背後でガランドが鉈を受け取る準備を始めたことなど気にも留めず、明るい声で応じる。

 二人が扉を抜け、部屋にガランドとアルフレッド、そして震える獲物だけが残された。


「……さて。お嬢様が退席された。ここからは男同士の商談だ」


 ガランドが、商人の折れた指を慈悲なく踏みつける。


「お嬢様を悦ばせる……貴方の全財産が黄金都市の礎になるのであれば、お嬢様もさぞお喜びになるでしょう……さあ、ペンを持ちなさい。契約書を書き換えるのです。腕を失う前に、指が動くうちに、です」


「別に今、ここで殺してもいいんだぜ?ただ、てめぇが生かされてる意味を考えろよ?金か命か……慈悲深いお嬢様でよかったなぁ?それはそれとしててめぇの醜態のツケは精算してもらうけどよ」


 裏社会の王とお嬢様第一の執事。化け物の暴力の前に金も宝石も役は立たなかった。

 巨悪に楯突いた小悪党。絶望が応接室を支配していた。

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