黄金都市開演
それから少しの時間がたった。
寒さは姿を隠し、春の陽気が訪れた事と同時期に最低限運用できる都市が完成した。
旧ダレン宅は巨大な商業施設に。隣接して宿屋が二つ。
荘厳な雰囲気を醸し出す会員制の宿屋と町中では見かけない小綺麗な宿屋の二つであった。
商業施設を中心に大きな塀で囲われた市場は活気を見せている。
そんな夕方、この日の為に用意した一目見ると闇。しかし、光に反射して藍色にも見える――漆藍色のドレスを着てヴィクトリアはメイド服に袖を通したニーナを伴い一般開放されていない商業施設の屋上から眼下を見下ろしていた。
「お嬢様、これを……笑いが止まらねぇ」
背後から現れたガランドが、束になった報告書をヴィクトリアに渡した。
昼間は徴税官を黙らせ、夜は王都の情報網を操る。そんな激務をこなしているはずの男だが、その瞳はかつてないほどギラギラとした輝きを放っている。
「あら、ガランド様。わたくしの不安は杞憂だったのね」
「いいや、お嬢様、ニーナちゃん、これ以上なく美しい黄金の羅列だ……見てください。会員証の競売だけで、当初の建築費の半分が返ってきました。さらに貴族専用エリアの飲食代、賭場の収益……王都のケチな商売が馬鹿らしくなるほどの金が、この僻地に吸い寄せられてやがる」
ギラギラした目でガランドも眼下を見下ろす。
会員証を売る為に長い手足を使って王国中の貴族に噂をばら撒き、サクラを使い値段を吊り上げた結果莫大な利益を生み出していた。
ヴィクトリアは再び報告書に目を落とす。そこには、王都の有力貴族たちが、たった一晩の癒やしと虚栄心のために投じた莫大な数字が記されている。
「ニーナちゃん。アンタが提案した限定開放日の噂も効いてるぜ。会員証を持てなかった小金持ちどもが、いつかは自分もと血眼になってこの街に金を落としていく……アンタのあの柔軟な発想は、商売のセオリーこそ無視してるが、人間の浅ましさを突くには最高だ」
「えへへ、お役に立てて嬉しいです! でも、ガランドさんが、王国中を駆け回って噂を広めてくれたからですよ」
ニーナが屈託のない笑顔を向ける。ガランドはその眩しさに一瞬目を細めたが、すぐに猛禽の視線を眼下の市場へと戻した。
「……だがお嬢様、金が集まればハエも寄ってきますね。あちらの商人たち……自分たちもこの黄金の風に乗りたいと、ダレンの爺さんに泣きついてやがる。補給を止めるだの、不細工な脅し文句を並べてな」
噂を聞きつけた商人がこぞって来ている事はヴィクトリアの耳にも入っていた。
市場や施設に入っている店はこの街の人間が運営をしていたものをそのまま移転しただけである。地産地消で賄っている事実を把握しているヴィクトリアからすればただ、ダレンが迷惑を被っている。ただそれだけであった。
(ダレン様にもお世話になったから……アルフレッドをつけたらいいかしら?)
「ニーナ、アルフレッドに商人の対処を任せると伝えなさい。アルフレッドなら間違いはないわ」
(おいおい、間違えないだろうが……アイツを解き放つってのは、相手の息の根を止めてから財布を空にするまで止まらねぇってことだぜ、お嬢様……)
ガランドは冷や汗を拭いながら、心中で商人たちに、ほんの少しの同情を禁じ得なかった。
ヴィクトリアからすれば、礼儀正しい有能な執事にダレンを助けてあげてと頼んだに過ぎない。だが、ガランドにとってアルフレッドが引き受けるということは、物理的、社会的、あるいは精神的に再起不能にする、と同義である。
「はい、お嬢様! アルフレッド様なら、きっと言葉一つで皆さんを納得させてくれますね!」
ニーナもまた、お嬢様と同じ純粋な瞳で頷いた。
ガランドは「納得、ねぇ……まあ、墓場に行けば誰も文句は言わねぇか」と呟きを飲み込み、不敵な笑みを浮かべ直した。
「……じゃあ、俺は俺で、アルフレッドの旦那が片付ける前に、そいつらからたっぷり授業料を毟り取るとしましょうか」
ガランドもガランドで善人ではない。寧ろ悪人である。
ほんの少し同情をするが自分が関わっている事業に横から口を出し、甘い蜜だけ吸おうとする輩に手加減をする道理などガランドにはなかった。
「ええ。わたくし達の街に手を出そうとするならそれなりの対価を用意していただかないと。とは言え、その商談にわたくしも出ないのは無作法と言うもの……ニーナ、アルフレッドにその商人のもてなしと応接室へ通すよう伝えなさい」
「畏まりました!」
パタパタと屋上から走っていくニーナの背中を優しく見つめたヴィクトリア。
いい条件があるなら考えてもいいかもと、ヴィクトリアは内心思っているが、ガランドは違う。
(商談だと……?冗談じゃねぇ。アンタのそれは無理難題を吹っかけて羽虫どもの断末魔を聞きに行くだろ)
「商談ですね……ええ。でしたらその出涸らしにでも預かりに行きましょうか」
「あら、出涸らしなんて酷すぎますわ。わたくし、条件がよければ本当に出店を認めるつもりですのよ?」
(……いい条件なら考える、か。ハッ、おめでてぇ。あんたのその漆藍色のドレスの裾を拝むだけで、どれだけの対価が必要か、あの守銭奴どもに教えてやらなきゃならねぇな。アルフレッドが奴らの精神をズタズタに引き裂き、お嬢様がその気高さでトドメを刺す……その後に残った出がらしから、俺が根こそぎ授業料を毟り取る……クハハッ、これ以上の役割分担はねぇ!)
猛禽の瞳が燦然と輝く。
重ねるがガランドは悪人である。授業料と称したカツアゲ――死体蹴りをする事になんら躊躇はしない。
夕日が沈みかけ、暗くなりかけている今、ガランドは商人の皮を剥がし、裏社会の王の顔へと――
「あら、ガランド様、悪い顔をしてましてよ?商売は笑顔が大事じゃなくて?」
「ええ。そうですね。笑顔で――ええ、笑顔で対応させていただきます」
ガランドは、自らの頬を釣り上げ、不気味なほどに整った笑みを張り付かせた。それは慈悲を乞う獲物を前にした捕食者が、最期の瞬間に見せる残酷な歓喜の形に他ならない。
ヴィクトリアは、漆藍色のドレスの裾を春の夜風に遊ばせながら、優雅に歩き出した。その一歩一歩が石畳を叩く音は、商談に向かう足音というよりは、断頭台へ向かう罪人を導く鐘の音のよう。
屋上を去る彼女の背中を追いながらガランドは呟く。
「……授業料は高くつくぜ。この街を黄金に変えてみせると言ったのは俺だが、お嬢様の機嫌を損ねた代償がどれほどのものか、その身を以て知るがいい」
夕闇が本格的に支配を強める頃、商業施設の内部には、洗練された静寂が満ちていた。
応接室の扉の前では、アルフレッドが微塵の乱れもない姿勢で待機している。その眼鏡の奥で光る冷徹な瞳は、既に扉の向こうにいる商人たちの価値を、臓物の重さに至るまで査定し終えているようだった。
アルフレッドは主人の姿を認めると、一分の隙もない動作で深く頭を下げた。
「お嬢様、ガランド殿。準備は整っております……ガランド殿も、授業の準備はよろしいですかな?」
「ああ、満点取らせてやるよ」
ヴィクトリアが小さく頷くと、アルフレッドの手によって重厚なオークの扉が音もなく左右へ開かれる。
漏れ出した暖かい光の中に、漆藍色の女王が足を踏み入れる。
「皆様、長らくお待たせいたしましたわ。……さて、わたくし達の街に相応しい贈り物を、どなたから拝見させていただけますかしら?」
微笑むヴィクトリアの背後で、ガランドとアルフレッドという二匹の怪物が、逃げ場を失った羽虫たちを、影の中からじっくりと見据えた。




