悪い男二人
ヴィクトリアとニーナが晩御飯をどうしようかと相談している頃、ガランドの書斎。
重厚な扉が閉められたその部屋で、二人の男は向かい合っていた。
卓上には、ヴィクトリアが持ってきた宝石の数々と、ガランドが用意した公爵領が記された地図が広げられている。
「……さて、執事さんよ。改めて確認するぜ。あんたの言う掃除の第一歩は、このドレスの売却……じゃないんだろ?」
事の細かな内容を聞いたガランドはスマートな指先で、紅玉の指輪を弄びながら尋ねた。
アルフレッドは、まるでお嬢様に紅茶を淹れるかのような穏やかな動作で、燕尾服の内ポケットから一通の封筒を取り出した。
「お察しの通りです、ガランド殿。このドレスは、セプタム公爵が教会のへ献上をするために作らせた、いわば汚職の動かぬ証拠。これをただ売るなど、執事の名が廃ります」
それはニーナから受け取った情報を確認した夜、見つけた書類の覚え書きであった。
「……は。証拠を闇市で流して、教会の権威を失墜させる気か。性格が悪いな」
「滅相もございません。私はただ、お嬢様が歩む道に落ちているゴミを、適切な処理場へ運ぼうとしているだけです」
アルフレッドは地図の端の一点、公爵家と繋がりの深い伯爵家との境を指差した。
「ガランド殿。貴方の目を使って、まずはこの伯爵家との繋がりを探っていただきたい。お嬢様の隣にゴミは相応しくない」
ガランドは、老執事の瞳の奥に宿る絶対的なまでの忠義という名の狂気を見て背筋に冷たいものが走るのを感じた。
自分も大概闇の王などと呼ばれ恐れられてきたが、目の前の老人は次元が違う。自分のためではなく、ただ一人のお嬢様の我儘のために、国の中枢を担う貴族を平然と解体しようとしているのだ。
「……いいぜ。蜘蛛の巣に掛かった獲物をどう料理するかは俺の得意分野だ。だが、あんたのお嬢様……ヴィクトリア様だったか? 彼女は本当に、ここまで派手な掃除を望んでいるのか?」
ふと、ガランドが尋ねた。
アルフレッドは一瞬、遠く下町の空の下で微笑む主人を思い浮かべ、この日一番の、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ええ。お嬢様は仰いました。社交界……貴族や有力者が見ている前でここはわたくしに相応しくないと。掃除するようにと……この程度の騒動、お嬢様にとっては朝の洗顔ほどの手間に過ぎません」
(……嘘だろ。あのお嬢様、どんな化け物だよ)
ガランドは、噂でしか聞かぬヴィクトリアという女に対し、かつてないほどの恐怖と敬意を抱かざるを得なかった。
「……分かった。乗り掛かった泥舟だ、最後まで付き合ってやるよ。掃除が終わった後、俺の取り分はしっかり残しておいてくれよ?」
「もちろんですガランド殿……お掃除の後のおやつは、格別に美味しいものですから」
王都の闇に、二人の男の低く、不穏な笑い声が溶けていく。
「ならいい。一応、確認だけどよ、公爵家、伯爵家、教会――全てに対して同時に宣戦布告をするのか?それとも他二つは生かして……ああ、いや教会は無理だ。公爵家と言えど相手が大きすぎる……だが、公爵と伯爵だけなら……」
地図を見つめ、ブツブツと呟くガランド。
邪魔をしないようアルフレッドは静かにガランドの考えが纏まるを待った。
ガランドが言葉の最後の一粒を落とすまで数分。
「……例えばだ。公爵の失脚と伯爵家を叩き潰す。情報で共食いさせる事は可能だ。雑な言い方をすれば公爵は伯爵を売って王国から莫大な褒賞を得ようとしているとかな」
「なるほど。伯爵家には逆の噂を、と言うわけですか」
「話が早くて助かるな。ああ、細かい辻褄合わせは必要になるが概ねこれでいけるだろう。貴族様ってのは裏切りだメンツだと躍起になる生き物だからな」
実際、ガランドの見立ては正しい。情報操作さえ出来てしまえば公爵家と伯爵家は仲違いするだろう。
自分は持っていない手の広さの男を訪ねたことは正解だったと確信する。そして、なぜこの男が裏社会の要人へと成り上がったのか、その片鱗を理解した。
同時にこれは使えるとも。
「ええ。間違いございません。くだらない誇り……いいえ、自尊心の為に躍起になるものでございます」
吐き捨てるようにアルフレッドはガランドへ同意の意を示した。
その言葉を聞いたガランドは、アルフレッドへの評価を一段階引き上げる事になる。
(貴族の執事がくだらないとねぇ……いやはや面白いじじいじゃねぇか。その心酔ヴィクトリア様とやらの心酔じゃなけりゃこの場で引き抜きたいくらいだ。噂ってのは当てにならねぇな)
そして気になるのはそんなアルフレッドが付き従うヴィクトリアの存在。
噂ではどこにでも居る我儘なお嬢様。だが、その見た目は特上。としかガランドの元には上がってきていない。来ていないが、それだけの人物でないとガランドは確信する。
(まあ、今はいい。どうせこの仕事が終わってからも付き合いは続くだろう。追々聞きゃあいい)
「それと教会だ。あれは正直無理だ。手に負えない。金の神の威光が強すぎるんだよ」
「いいえ。教会には手を引いてもらいましょう。教会と言えど王国を相手にするのは避けたいはずです。同じ事を教会と王国にも仕掛けたらどうでしょう?」
アルフレッドが口にした瞬間、書斎の空気が一段と冷え込んだ。
ガランドは額に手を当て、浮き出た脂汗を拭う。
アルフレッドが何をしようとしているのか、自分が何の依頼の内容を煮詰めているのか初めてはっきりと理解してしまった。
一歩間違えれば大怪我では済まない綱渡りをしなければならない。と。
「……正気かよ。王国と教会をぶつける……? それは掃除じゃねぇ、大火事だ。公爵や伯爵が灰になるのは構わねぇが、この国そのものが焼け落ちちまったら、お前の言うお嬢様の相応しい場所もなくなっちまうぜ」
「そうはならないでしょう。王国と教会、相互利益の関係です。どこかで落とし所を作って差し上げるかいずれ誤解が解ける事になるでしょう。ただ、暫くの間だけ消えていてほしいだけです。ええ。勿論、貴方が火力を間違えない前提ではあります」
本当に執事なのかと、執事ではなく敵国の諜報と言われた方が納得出来るとガランドの脳裏に浮かんだが、口にする事はしなかった。
「共食いをさせて両家の有力者を消して消耗させたところで王国と教会の矛先を公爵と伯爵へ向ける。落とし所と言うよりトカゲの尻尾切りじゃねぇか……」
ガランドは、震える指先を隠すようにデスクを叩いた。
目の前の老人は、ただの破壊者ではない。国家という巨大な天蓋が崩れ落ちない絶妙な力加減をするように情報操作をするようにと――
ガランドの言葉を待たずアルフレッドは椅子から立ち上がると、卓上に置いたままの宝石に、名残惜しそうに一度だけ視線を落とした。
「ではガランド殿。私は、お嬢様のおやつを買って帰りたいので失礼いたします……作戦の火蓋を切るタイミングは、貴方の蜘蛛の糸にお任せします」
扉に手をかけ、アルフレッドは振り返る。その微笑みは、先ほどまでの冷徹な人間とは思えない。
静かに扉が閉まる。
残されたガランドは、深く、長く、溜息を吐き出した。
「……おやつ、だとよ……おい、お前ら。聞いたか?」
ガランドの呼びかけに応じるように、書斎の暗がりから数人の黒装束の男たちが音もなく姿を現した。彼らもまた、今の会話を聞き、震えていた。
「……これから始まるのは、ただの利権争いじゃねぇ……化け物じみたお嬢様の、贅沢な家事だ……俺たちの命、磨き残しがないようにしっかり使い切るぞ」
王都の深奥。
一人の老執事と、一人の闇の王によって。
セプタム公爵家の終焉と、新たなセプタムの時代への、不穏で美しいカウントダウンが始まった。




