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下町お嬢様

 ドレスではなく扇子で婚約者を蹴散らしたヴィクトリアはその日より暫く公爵家より姿を消す事になる。

 ドレス、宝石類、香油等売れば金になるものだけを無造作に大きな鞄に詰め込み、無断で馬車を使用しニーナと買い食いをした市場からより奥の街へと繰り出した。

 石畳が丁寧に敷かれ、レンガ作りの街並みは綺麗であるが、街の雰囲気は暗くどんよりとしている。

 そして、ヴィクトリアの隣にもどんよりとしているのがニーナであった。


(……無職。お嬢様は勘当。アルフレッド様は反乱軍のリーダーみたいな顔してる……あれ? もしかして私、これから串焼きどころか、草を焼いて食べる生活になるんじゃ……)


 当然の事である。

 ではなぜニーナが共に来たのか。それは周りの雰囲気に流された事もあるだろう。だが、それよりもヴィクトリアに絆されてしまったから。この我儘なお嬢様に従いたいと思ってしまったから。

 それでも先の事を考えてどんよりもしてしまうのだが。


 ヴィクトリアは持ってきていたドレスをアルフレッドへ渡し、売却してくるよう指示を出す。

 命を受け、アルフレッドは一人別行動となった。

 残されたヴィクトリアとニーナだが、持ってきていた金貨で宿を借り上げ部屋で二人。

 簡素なベッドが2つと机のみ。といったシンプルな作りの部屋だった。


「ニーナ、まずは確認したいのだけど、わたくしについてきてよろしかったのかしら?暫くお給金は出せないわよ?」


 ベッドに腰掛け、髪の毛を手に巻き付けながらヴィクトリアはニーナに尋ねた。

 絶縁を突きつけ夜逃げ同様家出した手前、ヴィクトリアが使える金はほとんど無かった。勿論、ニーナの働きに対しての給金を払えるはずもない。

 ニーナがついてきてくれて嬉しい反面、それに報いる事が出来ない事がヴィクトリアにとって申し訳が立たないとう本音でもあった。


「貸しにしときます。後から取り立てますので、まずは生活の基盤を整えましょう」


 どんよりしていたと思えばニコリと笑って強かな事を言う少女。


「ニーナ、こちらへ」


「はい?」


 近づくニーナの手を取り、同じベッドに腰掛けさせわしゃわしゃと粟色の髪を撫でる。


「これを給金代わりとして貰っておきます」


「安い給金ですこと」


 気持ち良さそうに目を閉じる元メイドと穏やかに笑う元お嬢様。

 毒づきながらも、ニーナはヴィクトリアの膝に頭を預けた。

 下町の安宿の、硬くて少し埃っぽいベッド。公爵家の天蓋付きベッドに比べれば、不細工極まりない代物。

 けれど、窓から差し込む夕日は、どんな豪華なシャンデリアよりも二人の影を優しく、そして力強く照らし出していた。


(ほんっと、私って単純。でも、うんそれでいい。このお嬢様の為に、私のて……アルフレッド様の為にあれだけ啖呵を家名を捨てたお嬢様に私はきっと最後までついていくんだ)


 ニーナは内心をヴィクトリアには伝えない。

 きっと主人は軽口で流してしまうだろうから。

 だが、それでいい。私はその光景を忘れることはないだろう。と、薄く目を開き隣の主人を見つめた。

 あの夜、苛烈な炎を宿したアーモンド型の青い瞳がニーナに向けられている。そこにその炎は欠片もない。


「ですが、これからどうしたらいいのかしら……仕事を探さないとですわね」


「その辺りはアルフレッド様が上手いことすると思いますよ。あの人、なんか見たことない顔してましたし」


 現実的な心配をするヴィクトリアと全く心配していないニーナ。

 普段感情を表に出さないアルフレッドが見せた戦場に赴く戦士のような顔を見ていたニーナは面倒事は全てアルフレッドが何とかしてくれるであろうと高を括っていた。

 ならば自分のすべき事は専属メイドとしてこの元お嬢様に付き従う事だと理解している。


「それにしてもお嬢様がお仕事ですか?お嬢様が務められるお仕事ってあります?」


「あら、失礼ね。わたくし、お掃除なら得意ですわ。先日も婚約者を騙る不調者を片付けたばっかりですの」


「うーん。それは掃除なんです?」


 ニーナは苦笑しながら、膝の上で感じるヴィクトリアの温もりに目を細めた。

 公爵家という大きな看板を脱ぎ捨てて、ただの少女になったヴィクトリア。けれど、その気高さは少しも損なわれていない。


「ニーナ……不安ですの?」


「……いいえ。お嬢様が隣で笑っていれば、草を焼いて食べる生活になっても、それはそれでご馳走になる気がしてきましたから」


 ヴィクトリアは、ふっと花が綻ぶように笑った。

 

「あら、強気ですわね。よろしいですわ。明日からは、わたくしたち三人でこの街を、そしてわたくしたちの運命を、最高に美しくして差し上げましょう」


「それも、楽しそうですね。私はそれでもいいと思っていますよ?下町暮らしのお嬢様なんてそれはそれで面白そうじゃないですか」


 ニーナの軽口混じりの肯定を心地よいと思うヴィクトリア。お嬢様の看板を下ろしたその日より少し砕けた、遠慮がなくなったそれはヴィクトリアにとって安心できるものでもあった。


(ニーナがいいのであればと思ってもしまうけど……そうもいかないかしら。自分の手でお金を稼いでアルフレッドとニーナを食べさせないと……)


 粟色の髪を撫でながら、ヴィクトリアは静かに決意を固めた。

 あくまでも雇い主のスタンスであるヴィクトリアは指先でシーツの端をなぞった。公爵家の最高級それとは程遠い、ゴワゴワとした麻の感触。けれど、その粗末な手触りが、今はなぜか心地よい。


「ニーナ。……わたくし、先ほど気づきましたの。宝石やドレスを詰め込んだ鞄より、今こうして貴女の髪を撫でている手のひらの方が、ずっと、ずっと温かいということに」


 ニーナは少し驚いたように顔を上げ、それからいたずらっぽく目を細めた。


「お嬢様、それ口説いてます?お嬢様が言うのであればアリだと思ってしまうかもしれませんよ?それに私、まだお嬢様を口説きたい男性に刺されたくありません」

 

 ニーナは「はいはい、光栄です」と小さく笑い、ヴィクトリアの膝から少し身を離して、窓の外を眺めた。街の灯りは乏しく、どんよりとした空気はまだ底に溜まっている。けれど、その闇の向こうには、数えきれないほどの生活が息づいている。


「お嬢様。明日からのお仕事ですけど。……まずはこの街の澱みを綺麗にすることから始めてみませんか? ほら、市場の近くにあった少し活気の足りない広場とか」


「あら、名案ですわね。まずは環境を整えること。そうですわ!ここを、この街をわたくしが住むに相応しい環境にしましょう!よろしいですわ、わたくしは我儘なの、この街の一つくらいどうとでもなりますわ!」


 やる気に満ちた表情をしているヴィクトリアを見てニーナはやりすぎたかもと、よぎったがすぐさまその考えを振り払う。

 このお嬢様なら意外とその通りにしてしまうのではないかと期待してしまう。そして、その方が楽しそうだと。

 そして当のお嬢様のその自信は何を根拠に湧いてきているのか。それは誰にも分からなかった。

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